風のトポスノート403 

 

演劇学校


2002.5.6

 

	 1921年11月24日、グルジェフはヨーロッパでの最初の講演を行った。
	アレクサンドル・ザルツマンが劇場関係の知り合いの中から著名人をたくさん
	招いたことを知ったこの舞踏教師は、人間の奴隷状態とそこからの解放という
	テーマを心身相関的な側面からきわめて刺激的に論じた。
 
		   あなたがたが日常的にとっている姿勢はある役を演じるのには向いている              ーー
			たとえば召使いだ。しかしあなた方は同時に伯爵夫人も演じなくてはなら
			ない。伯爵夫人はまったく違った姿勢をとる。いい演劇学校に行けば、ざ
			っと二百ばかりの姿勢を教えてくれるだろう。伯爵夫人の特徴を出す姿勢
			は14番、68番、101番、142番……といった具合にだ。
 
         (ジェイムズ・ムア『グルジェフ伝』浅井雅志訳
         平河出版社 2002.3.15発行/P247-248)
 
自分は果たして自分の主人だろうか。
もし、今日常的に演じている自分を、その役割を、
それだけが自分だと思い込んでいるならば、
それはすでに自分を奴隷にしてしまっているということだろう。
 
また、ある自分の役にしがみついて、
そこにおいて自分が一目置かれるとか尊敬されるとかいうことで
その役回りであることにアイデンティティを固定したいと願うならば、
そのアイデンティティは常にそれが壊される恐怖と戦い続けなければならなくなる。
 
しかし、たくさんの役回りを演じることができたとしても、
それらの役回りを演じているという「私」を見失ってしまったとしたら、
それは単なる多重人格にすぎない。
 
グルジェフは、かなりいかがわしい役割や悪とさえ見える役割さえ
積極的に演じられるだけの「私」であったといえるのだろう。
ウスペンスキーとの差はそこにみられたりもする。
しかし、人はだれもグルジェフのように、
常に限界状況のなかに身を置くまでの「私」を有してはいない。
 
とはいうものの、少なくとも、自分が今演じている役割、
演じることの可能な役割について意識してみることはできるし、
別の役割の可能性に向けて自らを開いていくこともできる。
そしてそのことで、自分を固定化させることから
少しでも自由度を高めることもできるだろう。
おそらくそれは日常という現実そのものを
豊かな可能性に向けて展開させていくということでもあるように思う。
 


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