風のトポスノート81-90

(1998.8.3-1998/1998.9.16)


81●異端者のすすめ

82●グノーシス主義

83●食生活の謎

84●光と闇、生と死の関係

85●自我の形成から

86●クリエーティブな想像力

87●個性化

88●学びの物語

89●古代の学習システム

90●六の法則

 

 

風のトポスノート 81

異端者のすすめ


1998.8.3

 

 ところで、権門の僧侶たちの腐敗の原因である本覚思想に果 敢に挑戦したもう一人の仏教者が『夢ノ記』の著者として知られる明恵 であり、しかも彼は、法然に対してもきびしい批判者であったというのも、いかにも、この時代らしい人材の豊かさです。まさに、綺羅星(きらぼし)のような多士済々(たしせいせい)さと、思想的なボルテージの高さを示していると言えます。(略)

 彼は自分の耳を切りとるなど、個人的にはずいぶん奇行もあ りますが、「異端」として迫害されなかった。それは、組織的な民衆運動に対するつよい影響力がなかったからなのですね。明恵といえば、先年、私は朝日新聞に連載していた「人類知抄:百家言」のなかで彼の「我は師をば儲(もう)けたし、 弟子はほしからず。尋常は、些(いささ)かの事あれば師には成りたがれども、人に随(したが)いて一生弟子と成りたがらぬにや」という言葉を引いたことがあります。彼は誰一人も弟子をつくらず、一切の宗教的な党派性から自由に生きたのはみごとです。(略)

 私は、このように書いてきて気がついたのですが、町田さんが積極的な意味での「異端」であることを強調するのは、日本社会のように、みんなが自主的な判断をもたず、いざというときに左顧右眄(さこうべん)し、集団から孤立するのを極度におそれる態度をなんとか克服しないかぎり、どの領域でも、とくに宗教のような領域では、真の革新は不可能だという思いがつよくあるからでしょう。日本の伝統的な仏教は人々に訴える力を失い、「ほとんど風景にすぎなくなった」というのは、オウム真理教の幹部の上祐某(なにがし)の言葉ですが、これは、誰が 言ったものであっても、「葬式仏教」化した今日の日本の仏教界に対する、痛烈で、的確な批評だと私は思っています。また、町田さんの言葉には「庶民レベルの異端者」とか「愉快な異端者」とかいう、あまり聞きなれない表現が出てきていますが、それらはいずれも、「現実生活のうちで個性ある生き方」を徹底的に貫くことに帰着するのでしょうね。もちろん、そういう意味でならば、「異端者のすすめ」大賛成です。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第4回 異端の役割/第10通信・中村雄二郎→町田宗鳳)

 引き続き、インターネット哲学アゴラ「宗教について」より。

 「弟子はほしからず」というのは、明恵だけではなく、親鸞も同じような言葉を遺している。

 党派性から自由であること。「派閥」というのは、党派のなかの党派。自分で考えないで最大の利益を得るためには最良の道。師と弟子の絶対化。ピラミッド型の利権構造。真の権威によるピラミッドではなく、形式だけの階層。

 党派制は、無意識的な権威となり、仏教もそれによって「ほとんど風景にすぎなくなった」。見えにくくなった原理主義。

 異端者といえば、故郷喪失者というのも、それに似ている。集団から孤立することを恐れないこと。集団という固定化から自由であること。見えにくくなった原理主義を批判する異端者。

 「なぜ」と問われて困る者がいる。それは、見えないところで働いている「原理」が白日のもとにさらされてしまうからだ。

 先日、戒名は高いという話があったので、「なぜ高いのか」という質問をさりげなくぶつけてみた。高い戒名と安い戒名はいったいどこが違うのかと。それには答えられるのだが、なぜ高い戒名はいいのか、高いお金をだしてつける戒名というのはいったい何か、戒名をお金でランクづけるのはいつごろからか、戒名はいったいいつからつけるようになったのか、さらに、墓はいつごろから今のようになっているのか、というように、「葬式仏教」についての「なぜ」を次々と提示するだけで、その「原理」は自壊していく。

 しかし、自壊しようとかまわず、その自壊したゾンビのような「原理」は、生き続けていく。なくなってしまっては、需要者も供給者も困るからだ。ささえあって生き続ける原理の典型的な例がここにある。

 党派性も、支え合って生き続けている。異端者であるということは、党派性に対して意識的であることだ。故郷喪失者というのも、「故郷」について意識的である者のことだ。無意識的な権威の呪縛から自由であり続けようとする者のことだ。

 

 

風のトポスノート 82

グノーシス主義


1998.8.6

 

 ところで、神と悪魔を同一視し、善悪の双方を究極的実在の全体像のなかにおさめていくグノーシス主義を高く評価したのは、自我が<個性化 (Individuation)>していく過程で、意識と無意識が統合されていく必要を説いたユング です。彼は『ヨブへの答え』のなかで、「キリスト教の三位一体は嘘(うそ)で、悪魔を入れて四位にしなければならない。神というものは善のみではない。その半分は悪だ」という衝撃的発言をしています。この本は神学者の間で大問題になり、アメリカでベストセラーにもなりましたが、ユングはさらに、キリスト像やマリア像が神聖視される分だけ、反キリストであるサタン像が大切にされなければならないという主張をしています。

 四位一体説を唱えたユングが、種々の文化圏のマンダラ に強い関心をもったのも当然の成り行きでした。たとえば、タントラ派仏教のマンダラでは、「生命の流れ」を象徴する円の上方には天上界の神々、下方には地獄の悪魔が配されていて、一つの宇宙である人間の心の全体性を表現しています。ダライ・ラマに率いられたチベット僧たちが、極彩色の砂マンダラを描きながら全米を巡回して注目を浴びていますが、そこに言語を超えて人の心を打つものがあるからでしょう。

 ユングがマンダラに関心をもち始めたのは、彼の心理療法を受ける患者たちがマンダラへの何の知識もなしに、ほとんど必ず円や四角を中心にすえ、その周囲に類型的なモチーフがシンメトリカルに配置された絵を描いたからです。そのようなことから、彼は自己の全体性を回復するためには、無意識のなかにある悪魔的な要素が排除されるべきではないという確信を深めていったわけです。ある種の超能力さえもっていたと言われているユングが編み出した深層心理学は、おかげで西洋心理学の潮流のなかで立派な異端となりました。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第5回グノーシス主義/第11通信・町田宗鳳→中村雄二郎)

 今回も、インターネット哲学アゴラから少し。

 チベット密教の砂曼陀羅といえば、Seven Years in Tibetのなかでも、中国の軍人が踏み散らしていくシーンに登場したりしますけど^^;、まさに「一つの宇宙である人間の心の全体性を表現」するものとして注目すべきものだという気がします。

 「円や四角を中心にすえ、その周囲に類型的なモチーフがシンメトリカルに配置された絵」といえば、ある意味では、神秘文字と深く関係しているのかもしれません。

 イマジネーション認識では、そうした神秘文字を「見る」ことができ、インスピレーション認識では、それを「読む」ことができ、さらにイントゥイション認識では、それに「なる」ことができる、というような意味で、曼陀羅をどう受け取るのかには、認識の階梯に応じたあり方があると思うのですけど、それはともかく、重要なのは、上記で示唆されているようにそこには「悪」が排除されていないということだと思います。

 「四位一体」というよりは、「三位一体」がいわば「善の三位一体」の逆三角形と「悪の三位一体」の三角形が組合わさって、六芒星となっているようなそんな曼陀羅を考えてもいいのかもしれません。それはともかく、そうした「悪」をもふくめて問題にしないかぎり、「心の全体性」は表現できないというのが、ユングの意図なのだと思います。

 ユングに関しては、

●林道義「ユング思想の神髄」(朝日新聞社/1998.8.5)

 というのがでたところですが、この本で提示されているのも、「ユング心理学」というふうに単に「心理学」と呼ばれているだけでは決してとらえることのできないユングの思想をとらえようとしたものなのですけど、ここでもグノーシスの問題が明確にとらえられています。(この本については、そのうちまたご紹介したいと思っています)

 さて、「悪」というのは非常に重要な問題なのですが、かつての自分がそうだったように、「性善説、性悪性などというのは、人間が勝手にそう呼んでいるだけ」とかいうような唯名論的な発想で、善も悪もありゃしないと考えていたのですけど、そんな単純なものではないことに、やっとシュタイナーの神秘学のおかげで気づくことができました。もちろん、究極的には、「神」は「一者」なのですから、善悪の統合的な把握が求められるわけですけど、重要なのは、そのプロセスなのだということなのだということです。

 「一つの宇宙である人間の心の全体性」をとらえるということ。そのためには、それをスタティックなものではなく、善悪のダイナミズムをふくんだダイナミックなプロセスとして、そのプロセスが曼陀羅のなかに表現されているというようにとらえていかなければならないのだと思います。

 

 

風のトポスノート 83

食生活の謎


1998.8.23

 

 ケニアのモンバサ海岸はさんご礁である。(略)さんご礁の内側には、つぶ貝やウニがたくさんいる。地元民やヨーロッパ人観光客は食べないから、どれも育ち放題だ。

 つぶ貝は岩場にびっしりついている。大きいのだけを選んでも一時間でバケツ一杯ほどとれる。岩場育ちなので、砂抜きをする必要もない。(略)

 ウニとりにはスプーンを持参する。その場で食べるのである。

 ある日、いつものようにリーフの岩場にしゃがみ込み、子供たちと夢中でウニを食べていた。はっと気がついたら、まわりに観光客の人垣っができている。ホテルに泊まっているドイツ人グループらしい。彼らは、薄気味悪そうな顔でこっちらの行動を見つめていた。

 仕方なく、食べる手を休めて立ち上がった。とたんに、人垣のあちこちから質問が飛んできた。

「何をしているのか」

「それは何というものか」

「毒はないのか」

「どんな味がするのか」

「なぜ煮て食べないのか」……。

 日本で海は高級海産物として珍重されていること、滋養豊富な食物であること、ウニの寿司は高いことなどを懸命に説明したが、彼らの非難めいた目付きは変わらない。

(松本仁一「アフリカを食べる」朝日文庫/P38-40)

 「食物」と「食物でないもの」の境界線の地域差というのは面白い。この「アフリカを食べる」には、その面白さがふんだんに盛り込まれている。

 こうした地域での食べ物の差について書かれているものを読んだりテレビで見たりするたびに、なぜそういう違いがでてくるのかを考えたりするのだけれど、よくわからないことが多い。もちろん、地域特性によって手に入りやすいものとそうでないものがありそこから食文化が育ってくるのだということはわかるのだけれど、わからないのが、そこにふんだんにあるのに、食べる習慣がまったくないということだ。

 食べる習慣がないならば、目の前にいくら「食物」である可能性のあるものが山積みにされていたところで、それは「食物」ではないのだ。上記の引用のような「ウニ」などがそれにあたる。「アフリカを食べる」のなかで、アフリカの干ばつでケニアが食料不足に襲われたとき、アメリカがトウモロコシの粉を援助したとき、ケニア政府は「われわれは家畜ではない」と怒って送り返してしまった例が紹介されているのだけれど、それほどに「食文化」は固定的なところがある。

 だから、それを食習慣の違い、食文化の違いというふうに考えるだけでは面白くないし、豚を食べることが禁じられていたり、牛を食べることが禁じられているような宗教上の違いから説明するだけでも、面白くない。食物によれば、その食習慣の違い、食文化の違いには、大きな意味が隠されているかもしれないのだ。

 日本人は、昆布や海苔やウニなどをよく食べるのだけれど、少し前に、そうしたものは、古代的な食べ物であって、現代人の食としては適切でないという観点もあることを知った。その観点はおそらくヨーロッパの人々にとってのものであり、日本人には必ずしもそのままあてはまるかどうかは疑問でもありその観点をそのまま受け入れようとは思っていないけれど、それにはそれなりの理由があるのではないかとも思った。宗教上の理由から食べないというのもふくめて、ある人種にはそれに特有の適切な食物というのがあり、それをすべての人間に無差別にあてはめることはできないということがあるのかもしれないのだから。

 もちろん、人種間だけではなく、個人差というのも重要で、適切な食生活というのも、抽象的に組み立てられたカロリー計算や栄養素の分類とバランスだけを無差別的に当てはめようとするのはかなり乱暴な話ではないかと思う。たとえば、気質の違いによっても、必要な食物は違ってくるだろうしその人の食生活の歴史からくるものもあるように思う。

 しかし、現代の食生活というのは、かなり激しく歪んでいるように思う。ある種の人がまるで宗教の戒律のように「正食」というのはちょっとシンドイし、そういうことで「正しい」と「正しくない」のとを峻別するのはどうかとも思うけれど、やはり自分に合っている食べ物について自分の身体と対話してみるというのは必要だ。

 ともあれ、単なる先入見で、せっかくの美味しいものを食べずにいるというのは、もったいない。

 

 

風のトポスノート 84

光と闇、生と死の関係


1998.8.24

 

 流刑の途上で人から与えられた聖書を生涯手放さなかったドストエフスキーの偉大さは、学者やパリサイ人 のような義人ではなく、むしろ人間失格のレッテルを貼(は)られた貧乏人、ヤクザ、犯罪者、アル中、無神論者、売春婦などのなかにこそ、人間性の究極にある究極的な善を見いだしていたことです。人間がもつ悪徳を徹底的に描きだして、その闇のなかから救いの光を掘り出してくるドストエフスキー文学を支えていたのは、「人間は苦悩なしに神を知ることができない」という彼の強い信念でした。

 たとえば、『カラマーゾフの兄弟 』という人間の地獄図を描いた作品に終始一貫して登場するのが、清流のように澄み渡った魂の持ち主アリョーシャなのですが、その彼が僧院を去ろうとするとき、人生の達人としてゾシマ長老は次のような言葉を与えます。お前は大きな悲しみを見るであろうが、その苦しみのなかにも、幸福でおるじゃろう。これがわしの遺言じゃ。悲しみのなかに幸福を求めるがよい。人間のあらゆる醜さを暴き出した『カラマーゾフの兄弟』の一大長編が、「カラマーゾフ万歳!」の唱和で完結していることも印象的ですが、やはりドストエフスキーは絶望と苦悩のな かにこそ、最後の癒(いや)しを見いだしていた人物です。(略)

 最後に触れておきたいのは、現代社会ではいとも簡単に自分や他者の生命を奪い取る風潮がある一方で、寝たきり老人や病人たちが自分たちの人権を主張する機会も与えられずに、非人間的な医療制度のなかで、植物死的状況に置かれているという大きな矛盾です。松田道雄氏が『安楽に死にたい』(岩波書店)で主張されているように、医療倫理から安楽死の選択を一辺倒に除外するべきではないと思います。挫折感から自殺に走ること、ナイフで人をあやめること、医師が不自然な延命措置を施すことは、それぞれ表面的にはまったく異なった現象であるようで、実はすべて生命の軽視という深刻な問題に根があるように思います。世界一の長寿国に生きる現代日本人に課せられている宿題は、とてつもなく大きいようです。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第6回死を見つめる/第13通信・町田宗鳳→中村雄二郎)

 光しか存在しないところで生きるならば、水の中しかしらない魚が水に対するように、こうして空気中であたりまえのように呼吸しているように、光を光として見ることができないのではないだろうか。闇の、悪の問題の重要性は、そこにあるように思う。

 「学者やパリサイ人 のような義人」には、おそらく光はあたりまえすぎるものなので、光のことがむしろわからなくなっているのに対して、「人間失格のレッテルを貼(は)られた貧乏人、ヤクザ、犯罪者、アル中、無神論者、売春婦など」にこそ、光が光として明らかに認識されうるのだということ。積極的に悪をなせ、闇に暮らせというのではなく、人には、光を認識するためのプロセスが必要だということだ。白いチョークで、白い板に文字を書いても読めないが、黒い板に文字を書くと、それが読めるという逆説。絶望と苦悩の中にこそ幸福や癒しがあるということはそのことだ。

 「死」は、「死」のことではない。「死」は「生」そのものだということを知らなければならない。「死」は、「生」を照らし出すためにこそ存在する。「死」は「生」を照らしだし、「生」は「死」を照らし出す。そこにも逆説がある。

 「死」を軽視する者は「生」を軽視する者である。だから、「生」を軽視する者は、「死」の価値を見出せない。「挫折感から自殺に走ること、ナイフで人をあやめること、医師が不自然な延命措置を施すこと」そんなすべては、すべて、「死」と同時に「生」を軽視するがゆえの行為にほかならない。

 

 

風のトポスノート 85

自我の形成から


1998.8.24

 

 日本社会では我の強い人間は鼻摘みとなりがちですが、「我をなくせ」というのは、しっかりと自我ができ上がった人間に向けられたときにこそ、有効な言葉であって、心理的に未熟な人間に、自我を殺して赤子のように素直になれというのは、まったくお門違いのように思います。なぜなら、私は円満な人格への過程として、最初に強い自我をしっかりと形成することが非常に大切だと考えているからです。

 また没個性的な受動態の生き方が、他人に見つからなければいいという無責任な倫理観に結びついて、いつからか日本人は戒律の必要性すら認めない〈無戒〉の実践に、ひたすら競うようになりました。海外でも日本人の不品行には、定評があります。二一世紀に向けて新しい価値観を築くなら、そこには新たな倫理観も含まれているべきでしょう。外部から押しつけられる道徳は抑圧となりますが、自己の意志でつくる道徳は、生活に一定の秩序をもたらすことですから、人間本来の生命力の回復にすらなり得るはずです。

 それにしても、我々は既存の価値観がガラガラと音をたてて崩れる大変な 時代に生まれ合わせたものですが、ある意味では、政治的宗教的権威に気兼ねなく、意志さえあれば「個」のパラダイムを創造できるほどの自由を与えられていることに、まず感謝しなくてはならないと思います。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第7回意志する宗教の時代へ/第15通信・町田宗鳳→中村雄二郎)

 「無我」の考え方は、日本においては、多く「プレ」にあてはめられる。「我」が確立する前に、「我をなくす」ことを強要されてしまう。

 「我をなくす」には、「我」がしっかりとなくてはならない。「子どものようになる」には、もはや子どもではないことが前提なのに、子どもから成長する前に、「子どものよう」な純粋さが賛美されてしまう。

 つまり、場に左右されることしかできない融合的な自我だけが肥大してしまうことになる。場に依存しているが故に、「権威」には盲従してしまうし、場の外に対しては、歯をむき出すか、逆に無力さを露呈してしまう。日本が、外圧でしか変われないといわれるのも、ここにポイントがある。

 「外部から押しつけられる道徳は抑圧となりますが、自己の意志でつくる道徳は、生活に一定の秩序をもたらすことですから、人間本来の生命力の回復にすらなり得るはずです。」これは、まさに自由の哲学の基本にほかならない。「意志さえあれば「個」のパラダイムを創造できるほどの自由を与えられている」というのは、まさに道徳的ファンタジーということ。

 これを逆にいえば、こうなる。

 外部から押しつけられる道徳は抑圧となり、人間本来の生命力は回復されない。意志がないから、「個」のパラダイムなどなく、場の空気に呑み込まれて本来の自由がない。だから、「海外でも日本人の不品行には、定評があ」るということになる。「みんなですれば恐くない」のだ。

 その問題がこの世紀末に来て、どんどんクローズアップされてきている。その意志がないから、行政改革も財政改革も不明瞭になる。すでに内部崩壊しているものの亡霊が巷にはいまだに百鬼夜行している。不安を感じて、墓や新興宗教にしがみつく者が絶えない。

 それは、自分が自分であることが恐いのからだ。自分で考えなさい、自分で決めなさい、と言われるのが恐いのだ。だから、「我をなくす」ことのほうを選んでしまう。そしてそれで賛美されるのに自己陶酔する。逆に、自分が自分であることに拘るとはなはだ評判が悪くなる。「みんなですれば恐くない」のだ。

 

 

風のトポスノート 86

クリエーティブな想像力


1998.8.25

 

 問題は、日本仏教がある時期から、あるいは、特別の例外を除いて、どうして根源的な生命力に触れられなくなったか、ということだったのです。そこで、なぜ仏教がそうなったかですが、率直に言わせてもらえば、三つの理由があるように私には思われます。

 一つは、仏教が、一三世紀末(鎌倉時代後期)以後には穢れ悪や悪党を救済の対象としなくなり、かえって、排除と差別の対象とするようになったことです。(略)

 もう一つは、キリシタンの取り締まり・弾圧以後、檀家制度によって人々が社会的にも経済的にも寺社の管理下に置かれるようになり、その結果として、日本の仏教がおのずと「葬式仏教」化していったことです。(略)

 さらに第三には、一般に日本の仏教が、信仰を通して、苦悩する者たちの意識下の救済には力をもち得ても、そこから能動的に現実に立ち向かう実践に転ずるチャンネルが教義のうえで開かれていないということです。強烈な個性をもった卓越した 改革者の指導がなくなると、多分に「受容の宗教」にととどまりがちなことです。

 以上の三つの点は、基本的には、町田さんのお考えともあまり違わないと思うのですが、問題は、「仏教の消極的理解」を積極的なものに転じさせるためにはどのような道がありうるか、ということです。

 その意味で町田さんがこのたび提出してくださった法然と明恵の対比は、示唆的でした。とくに老練な法然に対して、一見未熟な「万年青年」を思わせる明恵のうちに持続的な理想主義と粘りづよい意志力をごらんになり、そのことと、彼の周囲に多くのすぐれた芸術家が育ったこととを結びつけておいでになるのは興味深かった。また、『摧邪輪』などでは教義的に真っ向から対立した法然と明恵の二人が、「口称念仏」と「座禅瞑想」という、ともにつよい身体的要素を伴った宗教体験を通じて旺盛な想像力を獲得したことへの注目も重要だと思いました。これはなにも、宗教思想だけの問題ではなく、現代でも、伝統的思想や外来思想に新しい生命を与えるためには、クリエーティブな想像力によらなければなりませんし、クリエーティブな想像力を働かすためには、「身体」を通さなくてはならない、と思うからです。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第7回意志する宗教の時代へ/第14通信・中村雄二郎→町田宗鳳)

 シュタイナーは、芸術と宗教と学問の源泉は一つであるという意識の重要性を強調していました。

 仏教が「どうして根源的な生命力に触れられなくなったか」ということについて中村雄二郎は、とても納得のいく理由を挙げていますが、それは結局、宗教が宗教でしかなくなったからだともいえるかもしれません。

 宗教が宗教でしかなくなったということは、そこに芸術性が失われてしまったということ、そこに科学性が失われてしまったということにほかなりません。芸術性や科学性が失われてしまったときに、そこには救済という受動だけが残り、「クリエーティブな想像力」や外界に対するエネルギーが枯渇していくことになったのではないか。その枯渇故に、「穢れ、悪や悪党」を抱き抱えるだけの包容力を持ち得ず、形式的な「葬式」という集団化し、形骸化した儀式だけを執り行ない、ひたすら守りにまわり、「能動的に現実に立ち向かう実践に転ずるチャンネル」を持つリスクを回避するようにさえなったのではないかと思う。

 宗教が「根源的な生命力に触れ」るためには、おそらく、「芸術と宗教と学問の源泉」へと向かう統合的なエネルギーが必要ではないだろうか。

 どんな思想も統合へのエネルギーを持ち得ないところでは、その形式化、システム化が進み、本来のダイナミズムを失ってしまう。

 仏教が葬式仏教に堕してしまったのは、いわばその葬式というニーズに対する効率的なマニュアル化、アンチョコ化のためではないだろうか。引導を渡すことができなくても、つまり、死者をきちんと導くことができなくても、形式どおりにしていればそれでOKということになったわけである。だから、唯物論のお坊さんまでが登場して、なぜか戒名料を請求し、お経をあげ、法要を行なうようなわけのわからない矛盾が育ってきた。そこには、「クリエーティブな想像力」はかけらほどもない。

 シュタイナーの思想もそれを効率的にわかった気になるためのマニュアル化、アンチョコ化がなされたときに、同じ現象が生じるだろう。そこで重要視されるのは、「クリエーティブな想像力」ではなく、権威であり、形式であり、ゆえに複製技術時代のようなマニュアルなのだ。

 

 

風のトポスノート 87

個性化


1998.8.29

 

 ところで、お手紙の最後のほうで、「意志する宗教」を実現する方策との関連で、町田さんは、「犀角経」の「小我と大我」に触れた部分を引用なさっていましたね。そこで、このわれわれの「オンライン対談」を終えるに当たって、「二つの我」の関係について、最近私自身のなかでほぼ固まってきた見方を、披露することにしましょう。私の場合「二つの我」は、まず「意識的我」と「無意識的我」と言いかえられます。すなわち、仏教ばかりでなく、一般に宗教においては、意識的自我は個人的自我あるいは個人主義的自我として退けられ、小我を捨て意識的自我を脱した大我に近づき、至ることこそ宗教的真理を実現する道だと見なされています。そしてそれは、そのかぎりではいいのですが、宗教あるいは信仰がそこにとどまるときには、きわめて不十分だと思うのです。そのように私が考えるきっかけになったのは、『術語集2』の「宗教」の項でも述べた「逆光の存在論」をさらに突きつめていったときです。

 「逆光の存在論」という考え方を唱えたときには、私の主張の重点は、宗教を成り立たせている基礎には、次のことがあるはずだ、ということでした。すなわち、「一般に宗教的意識の出発点とされるのは、〈虚無の自覚〉である。だが、その自覚とは、さらにいえば、人間の自然的な生命力がみずから発する光とエネルギーを失って、他から〈逆光を浴びる〉ときに生ずる」。「ひとは自己の自然的な生命力について、有限性を自覚するとき、有限な生命力に依拠した個体ではなくなり、むしろ他者から無限のエネルギーを受け取りうる個体になる」と。これは、小我から大我への変換の有り様を示したものです。しかし、本当は、ひとは、そのような往相だけでなく、逆方向の還相(げんそう)をも実現しなければならないはずです。つまり、この「我」が真に自己を実現しようとすれば、宗教の否応なしにもつ集団的・制度的な制約や拘束に囚(とら)われずに現実に対処するために、「無意識的大我」からある意味で個人性を回復した「自覚的大我」に至らなければなりません。この還相において個人性を回復しなければならないのは、なぜかと言えば、意志的・自発的な行動は、最終的には個人的ならざるをえないからです。

(インターネット哲学アゴラ「宗教について」第7回意志する宗教の時代へ/第14通信・中村雄二郎→町田宗鳳)

 「意識的我」、「無意識的我」、「無意識的大我」、「自覚的大我」というとらえ方は、禅の十牛図に示されているプロセスにも似ているし、ユングのいう「個性化」のプロセスにも似ている。

 「無意識的大我」では、いわば天に上昇し、「自覚的大我」では、そこから人間界へと再び帰還するわけだけれど、往相だけで、還相がないとしたら、そこに「個性化」ということは成立しない。山に昇ったツァラツストラは、そこから降りて来なければならない。

 禅の十牛図で往相にあたるのは、人も牛も忘れられてただ円があるだけの段階で、還相にあたるのは、人間界に戻ってくる最後の段階だといえる。

 小我と大我ということで、小我を捨て大我に至るということは、ともすれば、往相というただ円があるだけの段階のようにイメージされやすいのだけれど、それだけであるならば、なぜこの地上世界があるのかということがわからなくなってしまう。重要なのは、還相における「個性化」なのだといえる。

 キリストが神でもあり人でもあるということが強調されるのは、その往相と還相ということをともに表現しているからだといえないだろうか。それは、「個性化」の最高の段階を示しているといえる。そして、それはまさに矛盾の統合、対立物の結合(融合ではない)という錬金術のプロセスだといえる。錬金術でいう「金」、「賢者の石」というのは、それを示している。

 集合魂的な在り方の問題は、それが「無意識的大我」に留まっているからであり、そこから「個」の段階へと「自覚」的に降りていくことが不可欠である。「自覚的大我」というのは、民族魂のような在り方ではなく、意志的・自発的な行動として個人的な在り方なのだといえる。

 その自覚のないままに降りてこようとすると、プレの段階に逆行してしまう危険性もあるし、集合的な段階へと融合してしまう危険性もある。

 シュタイナーの「自由の哲学」で述べられている「道徳的ファンタジー」というのも、集合的な在り方ではなく、あくまでも個としての意志的・自発的な在り方にほかならない。

 

 

風のトポスノート 88

学びの物語


1998.9.12

 

 おわかりでしょうか?多くの文化で、物語を語ることによって学びを可能にするやり方が−−。西洋ならイソップ物語と、そこに含まれる道徳的教訓が思い浮かびます。さまざまな民話にも、誠実さや決断力、物惜しみしない心といったものが説かれています。それらの語りは、私たちが心にとめておくべきこと、私たちの文化や社会が総じて健康であるために必要とすることを思い起こさせてくれるものです。

 しかし、学びの物語は違います。学びの物語には、答えを与えるのではなく、問いを生み出すための仕掛けがなされています。問題を解決するのではなく提起するための仕掛けが−−。それは思索への招待なのです。

 「ほら、世界はこんなふうでもありうるんだよ」それらは語りかけます。「考えてごらん。もしいまこことは違う時間と場所だったら、どんな答えが出てくるだろう?」それらはほのめかします。そして私たちは、奇妙な欠落感と同時に充実感も抱くのです。

 こうした語りは、一つの文化を教えるためのものというより、心と魂を鍛え、私たち一人ひとりの選んだめぐる道の歩き方を練習させてくれるものです。(中略)

 こうした語り、こうした学びの物語は、そこに含まれた言葉やイメージから学べるだけでなく、私たちお互いどうしからも学ぶことを可能にしてくれます。それらは、私たち自身の知恵から学ぶことを可能にしてくれます。内なる知恵はときとして、家族の思い込みや社会の思い込みなど、いろいろな思い込みの陰に隠れてしまうものです。けれども学びの物語は、決めつけるのではなく私たちを自由にしてくれるのです。

「自分がなれるぎりぎりいっぱいの人間になるのよ!」

 当時軍で働いていた友人が、こういいました。自分のもつさまざまな可能性に思いを馳せてください。どんな学びの物語も、私たちに個人的誘いをかけてきます。探検し、ものごとを定義し直し、調べなさい、と−−。

(ポーラ・アンダーウッド「知恵の三つ編み」徳間書店/P47-49)

 「学びの物語」は、「答えを与えるのではなく、問いを生み出すための仕掛けがなされてい」る。最初から「教え」として語られる道徳的な教訓話ではない。

 物語は、「教え」として語られてしまうことで人をその「教え」にがんじがらめにしてしまう。「教え」には「答え」としての「正しさ」「善」が強要されるからだ。「正しさ」や「善」が強要されるとき、そこからは「自由」が排除され、「愛」の可能性が奪われてしまうことになる。「愛」の可能性が奪われてしまうということは、「正しくないこと」や「悪」の可能性が最初から排されているということだ。つまり、自分で「問うこと」をさせないということでもある。

 「教え」は、最初に語られた「時間と場所」を離れた「いまこことは違う時間と場所」にも無差別的に適用されてしまうことであらゆる可能性が奪われてしまうことになる。「悪」を「時期はずれの善」だということもあるが、「善」であったはずの「教え」がそのことによって「善」の顔をした、巧妙にすり替えられた「悪」になることもある。

 それは、「自分がなれるぎりぎりいっぱいの人間になるのよ!」ではなく、「自分がなにかになれるなんていうように傲慢になってはいけない。教えのとおりに生きていれば間違いのない人間になれるのだから!」そういうことになってしまう。しかし、それこそが「間違い」そのものの源泉になる。

 シュタイナーの神秘学もそうした「学びの物語」であるといえる。それは「答え」ではなく、「問いを生み出すための仕掛け」なのだ。だから、「問う」ことを怠り、答えを欲するということで、その「学びの物語」を単なる「教え」に変えてしまう。だからシュタイナーは、常に自分で考えるようにと語り続けたのだ。

 偏差値教育、知育偏重教育への危機感などからシュタイナー教育が注目されているといっても、それは常に「問いを生み出すための仕掛け」であるということを離れることでその本来の重要性を欠落させてしまうことになる。

 重要なのは、「問いを生み出す」ということなのだ。「答え」ばかりを欲し「問いを生み出す」ことをしなければ、「自分がなれるぎりぎりいっぱいの人間になる」ということからどんどん遠ざかっていくことになる。

 

 

風のトポスノート 89

古代の学習システム


1998.9.15

 

<一族>は、ものごとを説明するということを好みません。それよりも、追加の情報を提供して、一人ひとりが自前の(つねに仮の)結論に達し、すばやく必要な決定を下せるようにしむけるのです。

 これは過去にうまく機能した慣習とか伝統、あるいは前の世代への盲従といったものからくるものではありません。これは私の祖先たちが、何百世代、いやおそらく何千世代にわたって、人間には左脳と右脳がそなわっており、それぞれが異なった機能を果たす傾向をもつということを理解してきたからなのです。私は父が示してくれた学習システムを体験することによって、このことを理解するようになりました。私が質問するたびに、父は必ず問い返してきたものです。「自分の中に答えを見つけてごらん」父はそう促しました。「かならず見つかるから」(中略)

 地球とそのすべての宝をよりよく理解するには、脳の両半球を同じに使う方法を学ぶことが不可欠です。私の見るかぎり、人間や環境に関する私たちの近視眼は、このような学習システムを失ってしまったことに原因があります。そう信じるからこそ、私の家系がこれほど長いあいだ、これほどの労力を傾けてこの古代の知恵を守ってきたのです。ですから <一族>がものごとを三つのちがう言い方で−−左右の耳とハートに一度ずつ−−語るように心がけているとお話すれば、それは左脳に一度、右脳に一度、そして二つのバランスをとるためにもう一度という意味であり、そうやって脳の両半球の相互コミュニケーションを促進するのだということを理解していただけるでしょう。

 効果はてきめんです!最初は知性に訴え、二度目はイメージを喚起し、三度目はその両方の組み合わせで表わすようにすると、もっと効き目があります。

(ポーラ・アンダーウッド「知恵の三つ編み」徳間書店/P214-217)

 何かを説明するということは、ふつうのばあい、¥何か特定のモノサシをもってきてそれで測定し、その結果について云々するということであることが多い。

 それはそれでとても大事な「知的」作業であるし、その努力を避けて通ることはできないのだけれども、それだけに頼るとそこから何かが抜け落ちてくることになる。測定できないものをなかったことにしてしまいかねないのだ。

 測定できないのは、そのモノサシでは測れないということにすぎないのにそのモノサシを絶対化されてしまうと、それが存在しないかのように錯覚されてしまうわけである。

 通常、何かが教えられる場合、そのようにある特定のモノサシによって測定されるということが重要視されてしまうことになる。ある問いに対して、一対一対応の答えが対応するというように。もちろんその、一対一対応は、教育の「成果」が測定しやすいために生徒をそれを修得したかどうかで測る際には、とても有効な尺度になる。

 しかし、世界は、事象は、現象は、そんなに単純なモノサシで測れるものではないということは当然のこと。

 だから、まずひとつには、モノサシを数多く持つということが重要だし、また特定のモノサシに左右されないで、それを全体として感じ取るイメージ的なとらえ方も欠かすことができない。芸術の重要性のひとつもそこにあるのだといえる。

 感覚の勝ちすぎた人は、イメージだけでとらえてしまう傾向があるだろうし知性の勝ちすぎた人は、モノサシ主義になってしまう傾向があるだろうが、その両者をともにもつということの重要性が、ここに述べられているような「古代の学習システム」だといえる。これは、「古代の」とあるが、そのまま「未来の」と置き換えられる。

 そしてそこでさらに重要なのは、それらの知性とイメージを統合的にとらえるのは、外からの促しではないということだ。「自分の中に答えを見つけてごらん」という言葉でもわかるように答えは外からくるのではなく、自分の中で統合されたものとして創造される。だから、答えが一対一対応という冷たいものになることもないし、逆に、対応するものが混乱のままに放置されるということもない。

 

 

風のトポスノート 90

六の法則


1998.9.16

 

 あまりにも多くの個別現象が、あらゆる瞬間に作用と相互作用を行なっていて、何か一つの物事が、それだけで何か別の物事を引き起こすことなどとうていありえないことなのです。

 六の法則はこういいます。「形をとったすべての現象について、その現象をきちんと説明できる説明を少なくとも六通り考え出すこと。説明は六〇通りあるかもしれないが、もし六通りでも考え出すことができれば、宇宙の複雑さと知覚の多様性に気がつくだろう。そうすれば、最初に思いついたもっともらしい説明を“真理”に祭り上げて、それにしがみつくことを妨げるにちがいない」と−−。

(ポーラ・アンダーウッド「知恵の三つ編み」徳間書店/P214-217)

 一つののぞき穴だけからみる光景は別ののぞき穴からみる光景とはまったく別のように見えるかもしれない。

 だから、何かを理解しようと思うのならば、できるだけ多くののぞき穴から見るようにしなければならない。「六」ということは、おそらく立方体という立体の基本形を見る場合、面が6つあるということなので、少なくとも「六通り」の見方が必要だと言うことのように思う。

 ひとつだけののぞき穴から見て、「これは真理だ!」と思いこんでしまうと、もはやそれ以外ののぞき穴からの視点は目に入らなくなってしまう。「真理」はそんな単純なものではないのに、自分のつくった囲いのなかに入るものに堕してしまうことになる。

 シュタイナーの神秘学にしても、一つののぞき穴だけから見ていては皆目理解のできないものだと思うし、さらにいえば、シュタイナーの神秘学という枠組みを後生大事にすることで、それ以外の視点が拒否されてしまうことになる。しかし、ひとつののぞき穴をいい加減にするというのではなくシュタイナーの神秘学においても、そこから見えるものをきちんと理解しようとすることが重要だということがいえる。でないと、ほかの見方との違いがきちんと見えてこないからだ。

 ともあれ、つねに「最初に思いついたもっともらしい説明を“真理”に祭り上げて、それにしがみつくこと」は認識の怠惰ということにほかならない。「六の法則」を日常的な事柄からはじまって、あらゆることにおいて念頭に置いておく必要がある。

 


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