風のトポスノート391-400

(2002.3.1-2002.4.18)

391●教科書は世界
392●雪崩現象に流されない
393●マンガの力
394●乳歯とエーテル体
395●段階としてとらえること
396●幼稚からではなく興味からはじめる
397●形態模写能力の変容へ
398●フィールドワークのススメ
399●なんて違うんだろう
400●問いの立て方

 

 

 

風のトポス・ノート391

教科書は世界


2002.3.1

 
        糸井  子どもが学校に行かないと、
                どこかから怒られたりはしないの?
        綾戸  しました。
        糸井  あ、やっぱり。
               それはどうしたの?
        綾戸  怒られたときに、その担当の人に
                「あんた、そしたら、
                『学校に行ったらこの子の人生は明るく開けて、
                ハナマルな、すごいいい人生になります』
                って誓約書書いてくれる? 
                それだったら、学校行かせるわ」
                と言ったの。
                そうしたらその人は、
                「いや、書けません」
                って答えた。
                「学校に通うというのは、約束ごとなんで」
                「約束ごとって、いま世間で、
                いろいろつぶれてるじゃない。
                『こうなってたことがだめになった』
                ということがあるじゃない。 
                学校に通う、という約束ごとも、
                時代でつぶれることあるかもしれんでしょ?」
                「あるかもしれません」
                「そんなことに、あんた、かけられへんわ。
                死ぬときは、わたし
                息子殺して自分も死ぬから大丈夫」。
        糸井  ハハハハ。
                じゃあさ、子どもの、
                普通の「読み書きそろばん」にあたる勉強は、
                綾戸さん自身が教えたの?
        綾戸  わたしとおばあちゃんと、
                それから世間とね。
        糸井  教科書みたいなのって使ってる?
        綾戸  うん、世界。
        (「ほぼ日刊イトイ新聞」3/1 これでも教育の話?
         綾戸智絵・第9回「教科書は世界」より)
 
綾戸智絵さんのお子さんは、
学校にいってないそうだ。
登校拒否とかいうのではなくて、確信的なもの。
勇気がでる。
 
やはり、世の中で
ほとんど無意識化しているような「約束事」には、
その「約束事」がいったいどういうことなのか、
その背景にはなにがあるのかを
きちんと考えてみる必要があるように思う。
 
ぼくは、義務ではないと知ったので、
幼稚園はすぐにいかなくなったし、
学校はとりあえず通ったけれど、
学校で学んだことはあまりなく、
学んだのは、
仕方のない協調性を偽装すること、
くらいのものでしかなかったように思う。
 
それはそれで、
たぶんそのおかげで
今もこうしてかろうじて
はちゃめちゃにならない程度には
仕事をして暮らしをしていけるようになったのだけれど、
それだけだとあまりにも悲しい。
 
ぼくが字を学んだきっかけは
お相撲の番付表とそのテレビ放送で、
力士の名前や決まり手などの文字と
それを読み上げる声だったように
けっこう自分でもはっきり覚えている。
なにせ、とってもおもしろかったし、
力士の名前を覚えたかったので、
自然にけっこうな数の字を覚えてしまうことになった。
 
あとは、図鑑。
野山や海川を巡るときに出会う
いろんなものを図鑑と照らし合わす作業は
面白くてエスカレートしてしまい、
つぎつぎといろんなことに興味が拡がっていく。
あとはナイフ一本あれば、いろんな実験もできた。
 
学校の授業はあまりに
人をばかにしたようなつまらなさなので、
時間があると、図書館とかにいって、
宇宙開発の本(フォン・ブラウン)とかを
いろいろ見つけて
自分なりに「世界」を理解しようとしていた。
 
もちろん、ぼくのような
極めて自分勝手な人ばかりではないだろうから、
それなりにガイドを示してくれる人というのは
多くの場合、必要なのだろうけれど、
それにしても、できるだけ早い時点で、
そういうのが要らなくなるようなかたちで
教育とかいうのも考えていったほうが、
ずっと学ぶということの面白さ、切実さが
拡がりやすいのではないかと思う。
 
それに、今では
教育とかにあまりに無意味なお金が
かかりすぎているのだろうし、
あんまりお金がなくても自己教育できるような、
そんな方向性があればいいのに、と思う。
それで、使える費用の範囲で、
自分の興味のあることを探究していく。
そういうのだったらどんなにかいいのに、
といつも思っているのだけれど、
なんだか、世の中、そういうのとは
いつも逆に向かっているようで、悲しい。
 

 

風のトポス・ノート392

雪崩現象に流されない


2002.3.1

 
        イスラエルで軍の予備役兵が
        ヨルダン川西岸とガザ地区での軍務につくのを拒否する
        「軍務拒否の手紙」運動が広がっていることを
        この欄で以前取り上げたことがあったと思うが、
        27日の朝日新聞に
        関連の続報が出ていたので紹介しておこう。
 
        「『軍務拒否の手紙』賛同者
         予備役兵2人収監 イスラエル」
 
        この記事によれば、
        軍から招集を受けた2人の予備役2人が
        軍務拒否の手紙を公表、即日収監されたという。
        収監されたのは占領地で前線任務に招集された
        31歳の軍曹と27歳の曹長。
        2人は軍が収監を決めた直後に
        「我々の行動を止めることは出来ない」
        という声明を出したそうだ。
        今年1月下旬、パレスティナと
        イスラエル軍との軍事紛争が激化したことを受けて
        最初は50人で始まった
        「軍務拒否の手紙」の賛同者が
        処罰されるのは初めてだという。
        但し今年1月までに占領地で個人的に
        占領地での軍務に就くことを拒否した士官や
        兵士は約400人で、
        その内20数人が収監されたという。
        イスラエルの若者もやるよねえ。
        日本人にこういうことはできるかいなあ?
 
        真紀子さんや雪印や宗男さんや、
        何かというとザ−ッと雪崩現象のように
        皆一緒になって流されて行く我々日本人には
        とてもとてもそういう発想すら出てこない。
        太平洋戦争のときがそのいい例でしょうか。
        戦争に誰が反対した????
        真紀子さんや雪印問題では
        いろいろと読者からメールを頂いていますが、
        私の真意は常にそこにあるんですばい。
        雪崩現象がおきた時自分はどこまで踏みとどまれるか。
        これが私の一生のテーマなんですね。
        戦争のシッポのところで生まれてきた我々世代の、
        実感的なこだわりとでもいえばいいんでしょうか。
 
        (「ほぼ日刊イトイ新聞」2002-03-01 
         鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」第726回より)
 
このイスラエルでの「軍務拒否の手紙」運動は要注目。
 
みんながするから自分もする、
あるいは
みんながするから自分もするのだ、
ということにさえ気づいていない、
そんなあまりにも日常的な日本の風景のなかで、
このイスラエルでの運動は感動を呼ぶ。
 
日本で、この「軍務拒否」にあたることで
いったい何ができるだろう。
もちろん、そんなに大げさなことでなくても、
ごくごく日常的ななかで、
雪崩現象に自分なりに歯止めをかけられるような
そんな在り方。
 
もちろん、なんにでも賛成の反対、
というのでは、同じことになってしまうので、
そうでなく、
みんながしているからしている、
のでもいいのだけれど、
そこで、自分がしていることに気づいて
それを自分でしっかり見ている目を持つこと。
 
そして、できれば、
その、みんながしていること、を
たとえだれもしないとしても、
やりたいならば自分ひとりでもするだろうか、
ということを自問する。
 
そうして、
みんながしているからという以外の理由が
見つからないのだとしたら、
勇気をだしてそれをしないようにする。
 
そして、だれもやらないことで
自分のやりたいこと、
やったほうがいいと思ったことも
勇気をだして
たったひとりでもそれをする。
 
そのたったひとりでも
あえてしていることに
たまたま共感が集まれば
ひとりとひとりのネットワークの結果としてそれをする。
そして、いくら共感が集まったからといって、
集団化してそれをしないようにする。
集団化するということは、
自我を集団に明け渡してしまうということである。
主体が集団のほうに移ってしまうということ。
 
鳥越俊太郎さんの「一生のテーマ」が
「雪崩現象がおきた時自分はどこまで踏みとどまれるか」
であるように、
ぼくのテーマも「どこまで自分は自由であることができるか」
ということだと自分では思っている。
 

 

 

風のトポス・ノート393

マンガの力


2002.3.5

 
        一時は、マンガの持っている力が過小評価されていたり、
        マーケティングの強すぎるマンガが目立っていたけれど、
        あきらめちゃいけなかったんだなぁ。
        『20世紀少年』みたいなおもしろさは、
        映画でも、R.P.G.のゲームでも代用がきかないと思うもん。
        これ、いずれは、単行本で20巻くらいになるのかなぁ?
        追いかける読者としては、一冊ずつ買っていくべきか、
        それとも、ある程度ためてまとめ読みするべきか、
        悩んじゃうところだなぁ。
        マンガ、やっぱり、おもしろいわぁ。
        小沢健二の新しいアルバムを聴きながら、
        桜餅食べつつ、おもしろいものはいくらでもあるよなぁと、
        あらためて思っていたのでありました。
                (「ほぼ日刊イトイ新聞」2002-03-4-MON 「今日のダーリン」より)
 
マンガを読み始めたのは6歳の頃。
たくさん付録がついたのも楽しみだった
少年ブックとか少年画報とかの月刊誌や
少年サンデー、少年マガジンとかの週刊誌。
 
中学生の頃までは少年誌をよく読んでいたけれど、
次第に音楽をきくほうに時間をとるようになり、
また大学の頃、今度は当時充実していた少女マンガ
(萩尾望都や山岸涼子、竹宮恵子、倉田江美、水樹和佳、内田善美など)
をかなり集中して読んだ時期があったが、
その後、かつてのように熱中することは少なくなっていった。
最近では、岡野玲子の『陰陽師』くらいだろうか。
 
今もとくに子どもたちにはマンガというメディアは
絶対的な影響力があるんだろう、となんとなく思っていたのだけれど、
先日読んだものによると、かつてのような力はなくなっているらしい。
テレビゲームの影響とかも大きいんだろうけれど、
かつてのポップミュージックシーンが
実質的にいって力を失ってきていたように、
メディアの力というのは時代をよく表わしているようである。
 
ところが、このところ、実際面白くなかったので
次第に興味を失ってきていたポップミュージックシーンにも
面白い動きが次第に見られるようになってきているように感じる。
たしかに小沢健二の新しいアルバムなんかも、けっこうイケル。
おそらく、マンガの世界も、この浦沢直樹の『20世紀少年』のように
新たな動きというか、熱中させるに足るだけのものが
でてきているというのは、時代の動きなのかもしれない。
少し気になるのは、それらの動きはかつてのような若者の動きというよりは、
じっくりがんばっていた人たちの潜在的なものが
少しずつではじめている感じのほうが強いこと。
おそらくある種の成熟の力が求められる時代になってきているのだろうが、
注目したいのは、まさに今の若い世代のその後、だという感じがしてもいる。
 
ともあれ、世の中は、最近デフレスパイラルとか、レイオフだとかいうように
なんだか暗い感じがしているところもあるのだけれど、
むしろ、バブル〜バブルの崩壊の頃よりも、
ずっと面白い動きがでてきているように感じることが多くなった。
ここらへんで、もう一度自分のなかにあるいろんなセンサーを
磨きなおしてみたいと思っているところである。
たぶん、これからいろいろおもしろいものが、
どんどんでてくるのではないかと、期待している。
混乱の時代こそが、なにかを生む絶好の機会でもあるのだから。
 

 

 

風のトポス・ノート394

乳歯とエーテル体


2002.3.5

 
歯医者に通っている。
今回は、気になっていたいろんなところを
この際、ぜんぶ直して置こうと思っている。
歯医者に通うのは生まれてから3度目だけれど、
今回の治療はけっこうハードなので、少し苦しい。
抜歯のときの麻酔の影響もあるのか、
このところ少し体調不全でもある。
 
ところで、つい先日まで
ぼくにはまだ乳歯があった。
先日誕生日を迎える少し前にそれを抜くことになった。
 
シュタイナーによると、
乳歯が生え替わるのは、7歳頃のことらしく、
それが肉体の誕生に続く、
エーテル体の誕生にも重なるらしい。
 
そういう意味では、ある意味では、
ぼくのエーテル体は、44歳にして
やっと生まれたということになるのかもしれない。
もちろん実際のところはそういうわけではないのだけれど、
象徴的にいえば、ぼくはけっこう発育が遅いのかもしれないとも思う。
記憶力だってかなり乏しいわけだし(^^;。
エーテル体は記憶の担い手でもあるのだから。
 
ところでエーテル体を健全に発達させようと思えば、
生活のリズムというのを健全にする必要があるようである。
そういえば、ぼくは昨年から、生まれてはじめてといっていいほど、
毎日決まった時間にラジオ講座(ドイツ語)を聴くようになった。
それまで自分がそういう規則正しいことをできるとは
まるで思っていなかったのだけれど、
不思議にそれまでのような抵抗感が少し薄れてきている。
これも、乳歯が抜けるということの象徴的な変化でもあるのかもしれない。
 
しかし、規則正しい生活というのは、
基本的にいってぼくには苦手だし、
おそらくあまりに規則正しい生活というのは、
ぼくのような天邪鬼な人間にとって、
ある種の創造性を奪ってしまうのではないかという気もする。
健全すぎる食事というのもそう。
 
あまりに不健全な生活というのは、
まさに身体を壊してしまうことになるのだけれど、
ほどほどにジャンクな生活とでもいえる要素があってはじめて
なにほどかものを考えることができるようになるのではないかと思うのだ。
 
それは「悪」ということとも関係してくるところかもしれない。
イメージでいえば、直線をどんどん伸ばしていくだけでは
「形」が生まれることはないのだけれど、
直線にときおり「変化」のための衝動を与えることで
「角度」が生まれてそれが「形」を生むようになるということ。
 
人間も、まず肉体が生まれ、エーテル体が生まれた後に、
そしてアストラル体、自我が自由になっていくように、
エーテル的な健全さに対してなにがしかの「悪」を
そこに働きかけることではじめて人間らしくなるのではないかと思う。
 
話は変わるが、スピードスケートの清水宏保選手は、
自分の限界を超えるために、いちど筋肉を破壊し、
それを再生させるプロセスを経るということらしい。
 
人間の構成要素に新たな変容を加えるためには、
そこに破壊と再生というプロセスが必要なのかもしれないと思う。
破壊というのはある意味では「悪」なのだけれど、
そういうプロセスがないと、次には進めなくなる。
 
現代という時代はいろんなところで閉塞的になってきていて、
世界中がにっちもさっちもいかなくなってきつつあるのだけれど、
おそらくこうした時期にもそうした、「再生」のための「破壊」が
衝動として起こってきているのかもしれない。
実際、日々の仕事でも、このカオスのようななかからしか
自分を創造的に成長させる衝動が生まれにくいのかもしれない(やれやれ(^^;)。
 

 

 

風のトポス・ノート395

段階としてとらえること


2002.3.13

 
        (そういえば、絶体絶命の危機というのがあるけどーー僕も一度死にか
        けたあのとき、どうやって助かったんだろう?)
         彼を育ててくれた老人は、昔いろいろと悪いこともしていて、何度も
        死にかけたと言っていた。
        「絶体絶命の危機から助かったというのは、しかし自慢にはならんよ」
         老人はしみじみとした口調で言っていたものだ。
        「要するに、その前に決定的な失策を犯してしまっているから、そうい
        う羽目に陥るんじゃ。本当は」
        「うーん、でもそんなこと言っても、前もって危ない目に遭うことがわ
        かんないだからしょうがないんじゃないかな」
         子供だった彼がそう抗弁すると、老人は微笑んで、
        「それは想像力の欠如、というものじゃよ。自分が今、どういう環境に
        いるか、それをよく考えておけば危機は前もって推測がつく。不意打ち
        の、自分がまるで知らぬ方向からの攻撃であっても、覚悟ができていれ
        ばそれは危機ではなく、ただの段階に過ぎなくなる」
        「段階?何への?」
        「攻撃してきた相手に対して近づくための、自分が知らぬことを知って
        いく段階じゃよ。それを積み重ねていくのが、生きるということではな
        いかな」
        (上遠野浩平『ビートのディシプリンSIDE1』
        電撃文庫/2002.3.25発行 P169-170)
 
絶体絶命かどうかは別として、
かなり困難な危機的状況に立たされたとき、
それを「段階」だととらえることができれば、
それは「危機」というよりも、
まさに「段階」とすることが可能になる。
 
ただ危機を切り抜けることだけを考えるのであれば、
そこを抜け出たときにも、自分は前と同じままだ。
 
危機的状況でなくても、
まったくわからないもの、
未知のものに直面したときにも
同じことがいえる。
 
それを「段階」ととらえることをしなければ、
わからないもの、未知のものを、
自分のものとすることができない。
 
まんじゅうこわい!
で、まんじゅうを食べちゃうのがいいように、
わからないもの、未知のものに出会ったときには、
それをある意味で食べちゃうのがいい。
 
でないと、逆にまんじゅうに食べられてしまうかもしれない。
少なくとも象徴的にはそうなってしまいかねないし、
そうでなくても、まんじゅうをこわがることから自由になれない。
 
理解できないものがあっても、
それを理解しようとしないで、
その存在をなかったこととしようとしたり、
その存在を呪ったり、こわがったりするのでは、
あまりに悲しいではないか。
 
自分に理解できないものがあるということは、
ある意味では最大の恩寵でもあり、
理解しようとするのは
最大の自由な行為である。
 
自分の直面する、とりわけシンドイ状況を
「段階」としてとらえるようにすることで、
たとえその前で死ぬようなことがあったとしても、
それは大いなる自由に向かって開かれている。
 

 

 

風のトポス・ノート396

幼稚からではなく興味からはじめること


2002.3.13

 
         字なんか書けなくても人間はものを考えることはできる。生涯字が読
        めない人間だって地球の上にはたくさんいるが、それは置いておくとし
        ても子どもだって相当高度な概念を使って考えることができているのに、
        小学校一年で正規に読み書きの授業ががじまったときに国語の教科書に
        書かれている内容といったら、子どもたちの興味とまるっきりかけ離れ
        ていて、学校に入ったときに子どもたちはそれぞれに発達させていた知
        的関心をいったんゼロにもどして、幼稚な「まさこさん はい よしお
        くん はい」のようなことからはじめることを強要される。
        (保坂和志『季節の記憶』中公文庫/1999.9.18発行 P232)
 
今でも小学校にはいったとき
最初に目にした
「にこにこ」
「はい」
というようなかぎりなく幼稚な教科書のことを
かなり情けなく感じたことを覚えている。
少なくとも、それは読みたい内容では決してなかった。
 
じっさい、文字を読むまえから、
いろんなことを考えることはできるし、
それはそんなに稚拙だともいえない。
逆に、文字を読めたからといって、
考えることができているともいえない。
もちろん、文字を読めることによって
そこに盛られている内容を
自分ひとりで学び処理できる可能性は
飛躍的に拡がるのだけれど、
それは、開かれてはいても、
それを保証するものでないことは知っておく必要がある。
 
外国語の教科書とかいうのも、
それはもちろん仕方ない部分もあるにはあるが、
あまりにもつまらない例文とかがあって、
そこからはじめるのは、けっこうつらい。
つらい、というよりも、興味がわかない。
 
言葉を学ぶことにかぎらず、
なにかに興味を持つということを基礎にした在り方で
学ぶサポートが可能にならないものか、と思う。
 
興味さえもてるならば、
最初からかなり高度なことがでてきても、
なんとかなるように思う。
音楽にしても、やはり、
しびれるような素晴らしい音楽を最初に聴いて
呆然としてしまうような体験さえあれば、
どんなにそれを禁止しようが
その人はもうそこから離れられなくなる。
 
逆に、素晴らしい音楽のことを知らないで、
ド・ミ・ソ…から、はじめることを強要されれば、
そこから豊かな実りに至るまでのプロセスを引き出すことは
かなりむずかしいのではないだろうか。
 

 

風のトポス・ノート397

形態模写能力の変容へ


2002.3.16

 
         日本は、西欧と接したとき以来、遙か遠い国、誤ってエキゾチックだ
        などと思いこまれてしまった国として、「東洋」についてヨーロッパが
        抱く幻想が投影されるスクリーンとなった。こうした視点からヨーロッ
        パと日本の交流の歴史を考えるなら、このような日本イメージが常に一
        貫して続いていることに驚かされる。
         すでに16世紀には、日本はヨーロッパ人から、西欧とは「全く異なる
        生活様式、慣習、掟」が支配する国として見られていた。このように日
        本を西欧とは「全く違うもの」として、したがって一種「正反対の世界」
        としてとらえる思考法において、実は今日までほとんど何も変化してい
        ない。さらに日本人自身が、こうした西洋が作り出す日本像を良かれ悪
        しかれ受け容入れ、西欧に対してしばしば、自らをできるだけエキゾチ
        ックで異質であるように提示してきたのである。
         日本へのこうした視線は、現実の様子を受け入れるよりは、むしろ自
        分たちとは全く正反対のものを作り上げてしまうのであろう。世界を東
        と西、東洋と西洋といった対立へと分けてしまうのは、西欧的な思考の
        お好みのやり方であるようだ。
         しかし、そのようなオリエンタリズム的な視点というものは、今日の
        さまざまな文化圏が多様な方法で互いにネットワーク化されている多文
        化世界においては、時代錯誤である。つまり、過去の陳腐な固定観念か
        ら、そしてとりわけ、日本が全く「違う」「異質」な国だというような
        イメージから、脱却すべき時期に来ているのである。
        (NHKラジオドイツ語講座 2002年3月テキスト/3月16日放送分より)
 
今月のNHKラジオドイツ語講座のテーマは「日本とドイツ」。
そのなかで、日本のドイツ受容、ドイツの日本受容に関してもとりあげられている。
今日のテーマは、「西欧諸国における日本像」。
上記の引用はそのテキストの日本語訳部分。
放送を聞きながら考えていたことなどについて。
 
サイードは「オリエンタリズム」の問題を
植民地主義の観点からクローズアップしているが、
たしかに、西洋と東洋という安易な二分法的な思考様式というのは、
そろそろその根本のところから見直されないと、
そういう呪縛から自由になることはできない。
 
呪縛は呪縛として見直すということは、
それぞれがどのような受容態度、受容する型を無自覚にもってしまっているか、
それがどのように固定化してしまっているか、
ということを見直してみるということなのだと思う。
その上で、むしろそうした「違い」の部分を
しっかり見据えておく必要がある。
 
たとえば、シュタイナーは、タゴールの日本講演に関連して、
以下のように示唆している。
 
         この文化は、徹頭徹尾精神的な文化なのだが、すでに過ぎ去った精神
        文化なのである。したがって、言ってみればアジア的な東洋全体から、
        我々に立ち現われてくるものは、特有の不自然な姿である。人々は、彼
        ら古来の精神的な感じ方を保持しながら、それに加えて、西欧的な思考
        形式、西欧的な文化形式を自己のものにしている。
         これによって、詰まるところ、恐るべきものが生まれてくる。なぜな
        ら精神的な思考、つまり日本人が発展させたような精神的な思考活動は
        柔軟であり、現実のなかへ浸透しているからである。
         この精神的な思考は、ヨーロッパ・アメリカの唯物主義と手を取り合
        った場合、ヨーロッパの唯物主義が自らを精神化することがなければ、
        ヨーロッパの唯物主義をしのぐことになるのは火を見るより明らかであ
        る。
         なぜなら、ヨーロッパ人は、日本人が持っているような柔軟な精神に
        欠けるからである。日本人は、この精神の柔軟性を、日本人の古来の遺
        産として持ち合わせているのである。
        (1918.4.30.ウルムでの講義から)
 
ここで日本人のことを「柔軟な精神」といっているのは、
その形態模写、ものまね能力のことでもある。
 
日本人のその能力というのは、明治維新以降、
西欧のものまねとしても如実な現れ方をしているように思う。
たとえば、日本人は西欧に留学してそこでなにがしかのものを形態模写し、
それを日本に持ち帰ってそれを教えようとしたりする。
それは、受け容れる日本人にとっても権威として働いてしまうことになる。
 
日本人はおそらく西欧のいう「西洋と東洋」の観念を通じて、
「東洋」をはじめて見出した。
そして、日本人はその模倣のなかで、みずからを位置づけようとし、
「大東亜共栄圏」なるものの構想をまでつくりあげることになる。
 
今日本人がしなければならないのは、
おそらくはそうした傾向性をみずからが検討してみることなのだろう。
 
シュタイナーは、「ヨーロッパ人は人間のなかに社会を見出さなければならない」、
「東洋人は社会のなかに人間を見出さなければならない」と言っているが、
そこでいう「東洋人」というのは、日本にもあてはまるように思う。
先日ご紹介した講演のなかでも、
「私たちの時代に、個人は共同体を抜け出て、共同体を越えて成長しようと
努力します。これは、第5ポスト・アトランティス文化期には正しいことです。」
あるように、日本人は、「世間」や「共同体」の無自覚な働きに気づき、
そこから自由になることからはじめ、
そのためにもみずからの模倣能力を別な力へと変容させていく必要があるのだろう。
 

 

 

風のトポス・ノート398

フィールドワークのススメ


2002.3.23

 
カマキリの話である。
蛇と同じで、カマキリときいただけで気持ち悪くなってしまう人は、
あまりこの引用部分は読まないほうがいいかもしれないので、ご注意。
 
         体の大きな雌は雄を喰い殺す「毒婦」の象徴にされていて、多くの人
        がそう思い込んでいるが、実態は必ずしもそうではない。
         雌は九月に入ると産卵のために食欲が増し、食べる量がぐんと多くな
        る。雄は体が細いので、互角に闘うことはできない。つまり不用意に雌
        に近づけば獲物にされてしまうが、交尾欲は高まる。
         そこで、雌を見つけた雄は、相手が眼で獲物を確認する習性を利用し
        て、時々じっと凍りついたように動かなくなる。そして、雌が違う方向
        を見ていたり歩き出したりすると、次第に後ろにまわる。こうして歩い
        たり不動のポーズをとったりをくりかえしながら、結局雌の背後に至り、
        上にのって交尾する。
         雄は前脚で雌の前胸をはさみ、約二時間かけて交尾する。今まで交尾
        を観察してきた中で、雌が雄の前胸にかみつき、遂には上半身を食べて
        しまったのを見たのは一回だけである。ほとんどの雄は終了後、後ろか
        ら(視界に入らないように)離れていく。おそらくよほど獲物に出会わ
        ず空腹でしかたのない雌でなければ、雄を食べることはないと私は思っ
        ている。
         個体識別をして野外で調べなければ正確な数字は示せないが、実態と
        して雄が食べられるのは、たぶん数パーセントにもならないだろう。確
        かに雄が食べられることはあるが、それを見た人が誇張をして、すべて
        の雌が雄を食べる話に仕立て上げたとしか思えない。
         雌が雄を食べる話の真偽をたずねられたら、私はこういう観察結果を
        話し、最後に、考えてみれば、交尾して遺伝子を残した雄はいずれ野た
        れ死にしてしまうのだから、卵をたくさん産む雌の蛋白源になったほう
        が、種や個体にとっても有用なのではないか、という多少雌を弁護する
        ような思いを補足するようにしている。
        (矢島稔『蝶を育てるアリ/わが昆虫フィールドノート』
         平成14年3月20日発行/P124-125)
 
こういう「フィールドノート」が好きで、昆虫にかぎらず、
いつもなにがしかのこういう「フィールドノート」のようなものは
手元に置いてあることが多い。
やはり、実際に野山に出て、いろいろ観察している人の話は
聞いていて(読んでいて)あきないし、
いろんな意味で、抽象化や思い込みから自由にしてくれるところがある。
このカマキリの話も、実際の観察に基づいて、
そういう思い込みから自由にしてくれるもののひとつだ。
 
小さい頃、ぼくは四万十川の近くで育ったのもあって、
いろんなものを野山で観察して歩きまわることが多かった。
ときにはハゼにかぶれて包帯でぐるぐるまきになったり、
川にはまって溺れそうになったり、
山道にまよって涙にくれたり、
ころんだりすりむいたりで怪我も絶えずしていたように思うが、
そこで得たものは大きかったのではないかと思う。
 
そして、そういう観察はその後、
単なる野山のフィールドだけにとどまらず、
おそらく人間観察にも、また自分の内的な世界の観察などにまで
広がってきたのではないかという気がしている。
ぼくがここでよく「ノート」とかいうかたちで書いているのも、
ある意味で、広義の「フィールドノート」だといえるかもしれない。
ただの「ノート」にすぎないとはいえるのだけれど、
それなりの「観察記録」ではあると思っている。
そして「風のミュージアム」はデジカメにおさめることのできる
自然観察記録の一コマでもあったりする。
 
ところで、最近ではいろんなところで
「ワークショップ」というのが流行っているけれど、
「フィールドワーク」との違いは理解しておいたほうがいいかもしれない。
「ワークショップ」の位置づけはやはり「実験室」での「実験」。
隔離され条件が限定されたなかでのシミュレーションになる。
もちろん、「フィールドワーク」の困難な状況もあるが、
その「フィールド」のとらえかたを自由にすることで、
「フィールドワーク」の可能性を拡げていくことができる。
 
身近なところではゴキブリの観察も、
街の樹の観察も、鳥の観察もできるし、
今和次郎のような「考現学」的な街の人間観察もできる。
もちろん、人と対したときの自分の観察もできるし、
感情や思考などの観察もできる。
やはり、そうした観察は実験室では得られない。
「遊戯」にしても実験室ではなく、「フィールドワーク」が似合っている。
 
「フィールドワーク」することで、
自分が外から「権威」や「実験室」などを通じて仕入れた思い込みから
自由になるきっかけを得ることもできる。
 
さあ、世界を理解し、自分を自由にするフィールドワークへ!
 

 

 

風のトポス・ノート399

なんて違うんだろう


2002.4.11

 
        糸井 ぼくは「全員が違うんだろうと思っている世の中」が
           いちばんおもしろいと思うんです。
           「なんてみんな同じなんだろう」というんじゃなくて、
           「なんて違うんだろう」、
           「違う人たちが集まってて、なんてすてきなんだろう」
           という気分になれるのが理想だと思う。 
           この「教育の話」シリーズに
           横尾さんが登場してくれると伺って、
           その部分をぜひ期待したかったんですよ。
           聞いてみると、みごとに、先生もいないし・・・。
        (…)
        横尾 結局、栗の皮をむくという
           自分のプロセスがおもしろいんじゃないかな。
           先生がいて、
           先生に手取り足取り教わるプロセスなんていうのは
           ちっともおもしろくない。
           それじゃあ発見がないじゃない? 
           先生が発見した何かをこちらがなぞって、
           それこそ模写するだけだよ。
           やっぱり自分で発見するのがおもしろい。
 
           だから、自転車の乗り方とか水泳の泳ぎ方なんて、
           絶対教わりたくないね。
           犬かきであろうが、溺れてもいいから、
           自分でやりたいと思うし、
           そのときの発見がおもしろいんじゃないかな。
                (「ほぼ日刊イトイ新聞」4/11これでも教育の話?
                 横尾忠則・第6回「いきなり本番でいいでしょう  」より)
 
こうして地上世界があるということは、
というか、世界がなぜあるかというと、
たぶん違いを楽しむためなんじゃないかという気がする。
 
違わなくていい、
みんな同じでいい、
というのならば、
世界は存在する必要はなかった。
すべては「一」でよかった。
 
だから、すべての根源が「一」であるということがわかっていながら、
そして、みんなが違っていて、
違いを楽しむことができる、
そんな世界になれば素晴らしいのだろうなと思う。
 
みんなが仲良くするのも、
それはそれでいいんだけれど、
そのときには、みんなが違うんだ、
ということが前提になっていないと、
やっぱり面白くない。
 
教わらないことが
必ずしもいいとは思わないけれど、
教えられたとおりにしかできないとか、
教えられるまで待っているとか、
教えられないことはしないとか、
そういうのは教わったことにさえならないようにも思う。
 
教わるためには、自分でやれるというのが必要だし、
自分でやれるということは、
自分しかできないこと、
自分で発見したことじゃないと、
なにかができるということにはならないということなのだから。
 
違うということがあたりまえだと、
その違いを人に誇示する必要もない。
自分が楽しめればそれでいい。
だれかにスゴイねっていわれるために
だれかのマネだけしていても悲しいだけだから。
 
自分がこうして存在しているという不思議は、
違うからこその不思議で、
だから、この「自分」という意識は
ときには、「違う」という悲しみさえ持ちながら、
「他者」という存在との間で「遊戯」することができる。
 

 

風のトポス・ノート

問いの立て方


2002.4.18

 
        「問い、問いって、このコーナーでよく言うが、
        そんなに簡単にいくもんか」
        と思う人もいるだろう。
 
        そう。そんなに簡単ではない。
 
        質問の立て方が問題だ。そこには技術がいる。
        仕事でも、趣味でも、
        「技術」の大切さがどれほどか言うまでもない。
 
        問いの立て方と、配列によっては、
        人をまったく煮詰めてしまう。逆効果だ。
 
        例外もあるけれど、WHY(なぜ)? の問いは、
        総じてレベルが高い。
        早々と、この問いを立ててしまうと、
        煮詰まってしまう。例えば、
 
        自分はなぜ(WHY)生きるのか?
 
        こんな問いを、性急に自分に突きつけても、
        人に突きつけても、苦しくなる。
 
        いわいる核心の問いにいく前に、
        レベルの低い問いを、いくつも用意できるか?
        それらをいかに意味をもたせて配列するか?
        を工夫して、実生活で試し、失敗したり
        成功体験を重ねたりして、自分のスキルにしていけばいいのだ。
 
        インタビュアーにも、問いと答えが、
        ポキン、ポキン、と途切れた感じで面白くない人と、
        流れるように、相手の魅力を引き出していく人がいる。
        自分でものを考えるのも、同じだ。
        自分は、自分への
        よいインタビュアーになる練習をしてもいい。
 
        (ズーニー山田先生の「おとなの小論文教室」
         Lesson92「心に風が吹かなくなったら」
         「ほぼ日刊イトイ新聞」2002.4.17より)
 
煮詰まってくるときが往々にしてある。
「心に風が吹かなくな」るときだ。
 
そんなときは、
自分との対話がうまくいかない。
問うことそのものが座礁して淀んでいく。
つまり、問いをうまくたてられない。
 
考えるということは、
自分との対話ということでもある。
問う自分がいてそれに答える自分がいて
さらに問い返す自分がいる、というキャッチボール。
自己意識もその対話と深く関わっている。
対話そのものがうまく流れていかない。
 
いきなり結論を自分に向かって要求し、
なぜできないのかと繰り返し問うたところで
ためいきがでるばかりである。
すぐに高い山の上に登れと言っているようなもの。
 
「問いの立て方と、配列」を見直してみる必要がある。
それをもっとも身近なところからはじめ、
自分なりの「技術」として育てていく必要がある。
山に登るためにはその山に応じた装備も必要だろうし、
事前調査も、また体力を鍛えておくことも必要になってくる。
 
それは言葉を学ぶということでもある。
A、B、Cを知らないまま
いきなり文章を読もうとしても無理なのはだれでもわかるが、
自分のなかで問いをたてたりそれに答えたりして
思考を展開していくことにも
そうしたA、B、Cや文法などがあることには
気づかないできることは意外に多いのではないだろうか。
 
心に風を入れるために、
今もっとも身近にできることのなかから始めること。
煮詰まってしまったときは、
焦らずそこからはじめたほうがいい。
・・・とはいえ、煮詰まってしまったときにこそ、
そういう発想から遠くなってしまう自分を見つけることの何と多いことか(^^;。
 

 


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