風のトポスノート371-380

(2002.2.12-2002.2.12)

371●個性化への道
372●対立物の合一
373●ユービキタス
374●チューブ
375●人ー間・私ー間
376●「モモ」のその後
377●果てしなく続くストーリー
378●仮面
379●アンチというとらわれ
380●ラミネートチューブを絞りきる

 

 

風のトポス・ノート371

個性化への道


2002.1.12

 
 
         両立し難いものを両立させるイメージを創出し、異次元の高さを表現す
        ることは、人類がそれぞれの文化のなかで成し遂げてきたことである。キ
        リスト教文化圏では、娘と母の両立(性的体験なしでの)するイメージと
        して聖母マリアをもった。これは女性の理想像として強い力をもったが、
        女性が自分の性を考えるときには、まったく無力な象徴であった。(…)
         妻と娼との両立をはかったイメージとして聖娼がある。それは誰をも受
        け入れ、誰とも交わるが、誰にも従属しない。浮舟が妻と娼との葛藤に悩
        み、それを超えるためには、聖娼の儀式と同様に、死と再生の体験をする
        必要があった。再生した彼女は「出家」をすることになるが、それは藤壺
        や女三の宮の経験した「出家」とは次元を異にしていた。彼女は男性との
        関係を深く体験し、苦しんだ末に、男性にまったく従属しない女性の生き
        方を見出したのである。個として生きる(one for herself)道は、もち
        ろん孤独である。しかし、それは関係を切り捨てたあげくの孤独ではなく、
        関係を深めたあげくに知ったものであり、誰とも関係がないといっても、
        あるといってもよかった。紫式部は自分の個性化の道を歩む上で、まず光
        源氏という男性像を設定することによって自分の心のなかの女性像を明ら
        かにし、ついで、匂宮と薫という分裂を共に体験し苦悩する浮舟のイメー
        ジを提示した上で、男性によらない個として彼女のイメージの完成へと向
        かったのである。(…)
         紫式部は自分の到達した世界が、当時の男たちには理解不能であること
        を示して、彼女の長い物語を締めくくっている。
         (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P202-204)
 
河合隼雄さんの『紫マンダラ』は、
現代の女性の「個性化」の極北を示唆したものとして注目に値する論考である。
 
これはもちろん、女性だけの「個性化」を意味しているのではなく、
男女、同性愛者を問わず、すべての人の「個性化」、
つまりは、女性性と男性性の錬金術的な統合の
ひとつのガイドとなる「マンダラ」なのではないかと思う。
 
この「マンダラ」の素晴らしいのは、
「マンダラ」というだけあって、
排除型ではなく、まさに統合であるというところである。
 
どうしても自分に異質なところというのは
自分をどこかの部分に純化させ矛盾を排除することで
安心を得ようという傾向は世の常なのだけれど、
娘や母や妻や娼といった枠のなかのひとつを選択するのではなく、
孤独に「個として生きる道」を歩むことによって、
「関係」を超えた魂の統合が可能になる。
 
そうした在り方は、紫式部の時代ではもちろんのこと、
現代の日本においても、ほとんどの場合理解不能のまま、
男女問わず、多くが自分をどこかの役割に規定し自足することで、
自分のアイデンティティを得ようとしているように見える。
男女別姓の議論にしても、別姓にすることで、
自分のそれまでの「家」の性を名乗るだけのことにすぎず、
そうしたことで「個性化」がはかれるとは思えない。
 
さて、今日のラジオドイツ語講座の応用編のテーマは「ドイツのイスラム女性」。
ドイツに移住してきた伝統的な考え方をするイスラム教徒も
第一世代から第二・第三世代のイスラム女性になってくるに従い、
二つの文化の間で引き裂かれるようになってきているというものだった。
伝統的なイスラム文化においては、
内的な女性性、男性性の自覚とかいうのは
ほとんど問題になりさえしなかったのかもしれないが、
ドイツの労働力不足に伴って多くのイスラム教徒などが移住してくることで、
そうした問題に直面せざるをえなくなってきているのではないだろうか。
 
おそらく、昨今ともにイスラム圏に注目が集まり、
混乱がさらに拡がっているところがあるのも、
そのイスラム圏において、そうした「個性化」の道が
もっとも閉ざされているとうことがあるのではないだろうか。
混乱は今後ますます大きくなるだろうが、
大きな「マンダラ」を描くためにはその道は歩まれなければならないのだろう。

 

 

風のトポス・ノート372

対立物の合一


2002.1.12
 
         自分の心のなかを考えるとき、多くの人はそのなかに対立や葛藤の存在
        することに気づくだろう。それはわかりやすい形で、善人と悪人の対立と
        して感じられるときもある。その対立の結果、どちらが勝つかによって、
        行動はまったく異なってくる。あるいは、自分の心のなかんに父親の系統
        から得たものと、母親の系統から得たものとの対立を感じるときもある。
        心のなかの対立があまりにも強くなると「分裂」の危機が訪れる。これは、
        どうしても避けねばならない。「対立物の合一」ということは、人間にと
        って永遠の課題である。
         (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P246)
 
人は矛盾存在であるといえる。
逆にいえば、矛盾しない人はもはや人ではない。
 
人であるということは、
その内に常にダイナミズムを抱えているということであり、
そのダイナミズムの根源には矛盾がある。
 
努力する限り人は迷うものだ、
というゲーテの言葉はそのことを表わしているともいえる。
 
人はマンダラである。
マンダラにはさまざまな領域があり、
領域そのものはある意味で常に対立しあっている。
それらの領域が統合されることで、
人の「個性化」が完成されるのだが、その完成は
決して終わることのない持続する変容そのもののことでもある。
 
あるひとつの矛盾がクローズアップされると、
人はそのことで苦しみ悩む。
その矛盾から逃避したいとさえ思う。
しかし、その矛盾は表面意識の自分の知らぬところで、
自分が自分に仕掛けているものでもある。
ゆえにそれは避けることができない。
避けては先に進めない。
ときにはその矛盾の前で狂わんばかりにさえなる。
 
矛盾が矛盾であるということは、
その矛盾を矛盾としてとらえている自分がいて、
その矛盾を統合していくためには、
その今の自分では不可能になる。
自分そのものを変容させざるをえない。
 
イモムシが空をとぶためには、
卵から幼虫へ、幼虫から蛹へ、
そして蛹から成虫へという
幾度もの変態を経る必要があるように、
みずからの存在様態を変容させていくプロセスが必要になる。
卵の自分がいきなり羽をはやすことはできない。
いきなりそうしようとしてもそれは死を意味することになる。
そこに認識力が必要になる。
 
その矛盾、対立を統合するためには
自分はいったいどのように変容しなければならないのだろう。
どのようなプロセスが求められるのだろう。
そのようにして「対立物の合一」を
みずからの課題にしていなかなければならない。

 

 

風のトポス・ノート373

ユービキタス


2002.1.21

 
         大学生の知力低下に歯止めがきかない、どうしようかといった議論が、
        またしても盛んになってきている。きっかけは立花隆の「東大生はバカ
        になったか 知的亡国論+現代教養論」(文芸春秋)だろう。
        …「東大生」とは、議論を喚起しようとする、警告者立花隆一流の挑発
        なのである。…そもそも東大で大学を代表させるのは<ユービキタス大
        学>の時代には通じないレトリックではないか。
         とはいえこの挑発は、ある程度功を奏したようだ。さっそく東大の学
        生生活実態調査委員会が、読書調査の結果を発表した。…かと思えば、
        先日は中央教育審議会が、「教養教育重点大学」を指定し、大学の学部
        教育を専門教育から幅広い教養教育へ転換させるという最終答申案を出
        した。こんなお手軽な施策がすぐに出てくること自体、教育行政にかか
        わる人たちに教養への実感が備わっていないことを示している。
         社会の本質に蓋をしたまま進められるところに、こうした教育論のい
        かがわしさがある。…
         学生たちが実利一辺倒の勉強しかしないとしたら、それは日本のそう
        した社会環境に適応しようとした結果に決まっている。教養より、資格
        試験や目前の仕事に没頭する者が優位に立つ社会、教養があるふりが簡
        単にできてしまう社会ーそれが変わっていかない限り、大学のカリキュ
        ラムをいじってみたところで、バランスある知性を身につけた卒業生が
        増えることはないだろう。
        (中国新聞2002.1.21付朝刊/時事通信社系新聞各紙で連載
         山之口洋「凪の世紀/何が「バカになった」のか」)
 
バロック・ファンタジーの「オルガニスト」の作者でもある
山之口洋という名前を見つけたので、ふと心ひかれて読んでみた記事から。
 
「大学生の知力低下」というのは最近とみに、目に耳にする言い回しだけれど、
それでいったい何をいいたいのかよくわからなかったりする。
「教養」とか「教養教育」というのもよくわからない。
 
ということから、この問題の背後にあるのかもしれない問題を考えてみることにした。
 
世の中の人たちが教養に満ち、
その代表者である大学生が知力にあふれ、
実利ではなく、教養ある人物をめざろうとしている・・・
そういう時代がいったいいつ、この日本にあったというだろう、
と考えてみると、その前提となるものが虚構であることはすぐにわかる。
 
では、そういう虚構を前提にしてまでいいたいことは、
そうした世の中になってほしいという願いがあるということなのだろう。
 
しかし、現状としていうならば、
上記の引用のなかでもふれられているように
「<ユービキタス大学>の時代」においては、
「バランスある知性を身につけた卒業生」とかいうように
そこを卒業すればある知性を身につけられる、というようなことは
もはや成立しにくくなっているのが実状なのだろう。
 
ちなみに、「ユービキタスubiquitous」という言葉は、
「遍在する」、「どこにでもある」という意味。
「高度分散情報資源活用のためのユービキタス情報システム」、とか
「多様な情報を所在を意識せずに自由に利用できるような
新しい情報ネットワークシステム」とかいうこと。
 
で、先の「願い」の話に戻ると、
それはもはや学校で云々の話ではなく、教育で云々という話でもなく、
一人ひとりが自由に「ユービキタス情報システム」を使いながら、
「教養」を身につけていくようになれば、
そして「実利一辺倒」ではなく、
「資格試験や目前の仕事に没頭」ばかりはしないような
そういう人がふえていければ、という「願い」のほうが
一部のかぎられた人たちだけが構成する教養人というよりも、
ずっといいのではないか、と素朴に思ってしまう。
 
かつての時代とずいぶん様変わりしてきているのは、
かつては一人ひとりの場所からなにかを学ぼうとしたりすると
これは、たとえば南方熊楠のような超人でないと
なかなか困難なことではあったのだけれど、
現代では、「そうしたい」と思えば、
比較的容易にそういうこともでき得る時代になってきている、
ということなのだろうと思う。
 
もちろん、そういうなかで、世界規模での文明の衝突のようなことが
日々起こるようになっているのだけれど、
そういう時代だからこそ、一人ひとりの場所からの可能性もまた
開かれてきているのだということができる。
 
そういうなかで、「教養教育重点大学」とかいうのは、
いささか大時代的なというか、おそまつな施策すぎて、
いったいいつの時代を生きているだろうとか疑問に思ってしまう。

 

 

風のトポス・ノート374

チューブ


2002.1.24

 
ジョージ・ハリスンのマイ・スウィート・ロードが再発売され
イギリスでチャートの一位を獲得したらしい。
1971年のヒット。
そういえば、ビートルズが解散して、ソロで発表されヒットしたのは、
ジョン・レノンがイマジン、ポール・マッカートニーがアナザー・デイ、
そしてジョージ・ハリスンがマイ・スウィート・ロードだった。
盗作ということで裁判沙汰になった曲でもあったけれど…。
 
1971年といえば、ぼくは14歳。
そう、14歳。
一年に10cmほど背の伸びた歳。
毎日どきどきしながら
浴びるようにポップやロックを聴き漁っていた頃。
おそらくこのときにできた「耳」が
ぼくの「耳」のかなりの部分をつくったように思う。
時間さえあれば音楽を聴いていた。
 
14歳というと、あの事件もあり、
一時期それがかなりクローズアップされたことがあった。
たぶん、この時期、身体の成長にたくさん力を使ってしまうところもあって、
そのぶん内に向かう力と外に向かう力とがかなり揺れ動いていて、
いろんなところでアンバランスになりやすい時期でもある。
外から一方的にくることの多かった権威を
(ぼくにはそういう権威はかなり希薄だったけれど)
今度は自分の内なるものとの関係で問い直そうとする時期。
 
シュタイナーもいうように、人間は7年ごとに、
肉体、エーテル体、アストラル体…が
いわば外に向かって育っていく時期があって、
14歳はやはり、アストラル体が開かれ育っていきはじめるものだから、
その分、感情的にもかなり不安定になりがちなのだろうと思う。
 
そのことに関して、最近、重松清の『エイジ』という
まさに14歳をテーマにした話を読んで、興味を引かれたところがあった。
「キレる」ということについて。
 
         ぼくはいつも思う。「キレる」っていう言葉、オトナが考えている意味は
        違うんじゃないか。我慢とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキ
        レるんじゃない。自分と相手とのつながりがわずらわしくねって断ち切ってし
        まうことが、「キレる」なんじゃないか。
         体じゅうあちこちをチューブでつながれた重病人みたいなものだ。チュー
        ブをはずせば、ヤバいのはわかっているけれど、うっとうしくてたまらない。
        細くてどうでもいいチューブなら、あっさりーーオトナが「なんで」と驚く
        ほどかんたんにはずせる。でも、太いチューブは、暴れても暴れてもはずれ
        ない。逆に体にからみついてくる。
 
オトナーコドモという対比は好きじゃないし、
感情を抑えるのがキレるという側面もあるのだけれど、
「自分と相手とのつながり」、「チューブ」が「キレる」、
というとらえかたは面白い。
 
おそらく、「自分と相手とのつながり」に
どれだけ依存しているかによって、
「キレる」かどうかが決まってくるのかもしれない。
 
親に対してどうしても反抗的になりやすいのは、
それだけ「チューブ」が太いからだし、
それをはずしたときの自分への影響も大きいのが
わかっているからこそ、それだけ混乱も大きい。
 
マザコン的なあり方というのは、
その自分の母及び母的なものに対する「チューブ」がとても太く、
しかもそれに対して切らなくちゃいけないとは思えない、
もしくはその「チューブ」そのものに意識を向けていない状態で、
それがかなり歳を食ってきてもそのままの場合、
その「チューブ」をめぐるすったもんだはなおのこと大きくならざるをえないだろう。
依存関係の「チューブ」をつくるために結婚するときにも、
その「チューブ」をめぐって、
まるで14歳の頃のようなことが繰り返されてしまうことになる。
 
人間は、人ー間と書くように、
関係の存在でもあるのだけれど、
その関係を外からきているものに依存したまま
固定化させてしまうと、「自由」をスポイルしてしまうことになりかねない。
まさに、「体じゅうあちこちをチューブでつながれた重病人みたいなもの」。
 
ジョージ・ハリスンのマイ・スウィート・ロードを聴いていた頃、
ぼくの「チューブ」はどうだったのだろうと思い出してみる。
学校に行きたくないけれど、家族というのも嫌だし、
だからといって、まだ自分で食っていけるとは思えない、
なりたいもの、就きたい職業というのも見あたらない、
どうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう…、
そうしたことのなかで、イマジンが流れ、
マイ・スウィート・ロードが流れていた。

 

 

風のトポス・ノート375

人ー間・私ー間


2002.1.26

 
母国語を使うということは
いったいどういうことなのだろうか。
母国語でない言葉で文学活動を行なっている例から、
むしろ、こうしてふつう母国語で書いたりしていることについて
あらためてとらえなおしてみたいと思った。
 
ぼく自身、ほとんど日本語しか使えないのだけれど、
それにもかかわらず、日本語を使うということに関して、
物心ついたときから、まるで外国語を使っているような、
そんな感じを否定できなかった。
今でも事情は変わらない。
 
日本語で書かれ、話されているにもかかわらず、
よくよく観察してみるというか、
自分の言語能力を反省してみると、
日本語を使っているからといって
それが理解できるとはかぎらないことがわかる。
それはあたりまえといえばあたりまえなのだけれど、
ぼくにとっては決してあたりまえではない。
 
ぼくという人間の母国語という言語システムは
ぼくという人間にインストールされていて、
それを使ってコミュニケーションしようとしたり、
ものを考えようとしたりしているのだけれど、
その母国語ソフトとぼく自身のあいだで、
どこか齟齬感のようなものがある。
それは、日本語だからというのではもちろんなく、
どの言語が母国語であってもおそらく同じだろう。
 
もちろん、言葉をもっと学んでいけば、
よりうまく使いこなせるようになるのだろうけれど、
うまく使いこなせるということとその齟齬感は別で、
それはたとえば、ふつうは母国語でものを考える、
といわれていることについても生じる齟齬感でもある。
 
さらにいえば、その齟齬感は、
言語や思考や存在そのもののほうへと向かうもので、
こうして存在しているであろう「私」そのものの根源のほうへと
視線を向かわせるものでもあるように思う。
 
ところで、NHKラジオドイツ語講座で今日(1/26)とりあげられた
ラフィク・シャミは、シリアのダマスクス生まれ。
ドイツに移住し母国語ではないドイツ語で文学作品を書き、
シャミッソー文学賞を受賞するなど、
現代ドイツの代表的な作家のひとりになっている。
 
シャミがシャミッソーというのはシャレっぽいけれど、
シャミはSchamiシャミッソーはChamissoなので、
シャレではなさそうだ(^^;)。
シャミッソーはフランスの貴族だったのだけれど、
フランス革命の際からドイツに逃れドイツ語で作品を書いたことから、
おそらくは、そうした文学活動に対して贈られる賞のようである。
ラフィク・シャミの作品は、日本ではエンデほど有名ではないけれど、
翻訳されたものはたくさんあって、
まるで現代版の千夜一夜物語のようなものが多い。
 
今日のラジオ講座の放送では、シャミが実際に
自分の作品を朗読したものが紹介されていたが、
すばらしく深い声と独特な発音が印象的だった。
そこには、常にドイツとアラブをともに意識せざるをえないものがある。
つまり、「母国語」というものに依り
そこから言葉を使うというのではなく、
常に「間」にあってそこから発しているという在り方。
 
芥川賞を受賞している多和田葉子も、ドイツ在住。
日本語とドイツ語とのあいだのなかで文学活動を行ない、
シャミと同じく、シャミッソー文学賞を受賞していたりする。
この作家の言語感覚も、そうした「間」にあるように思う。
読む者の意識を言語そのもののというか、
それを決して母国語的にさせない方向に向かわせる。
 
『犬婿入り』(講談社文庫)の解説(与那覇景子にょる)に
多和田葉子の言語感覚について次のよう紹介している。
 
         多和田はエッセイ「<生い立ち>という虚構」に、ドイツの書籍
        輸出会社に研修社員として働きに来たが、いつしか「ドイツ語がぺ
        たぺらになりたいというのではなく、何かふたつの言語の間に存在
        する<溝>のようなものを発見して、その溝の中に暮らしてみたい
        と漠然と思」うようになったと書いている。…万葉集の研究者であ
        り、日本語で小説も発表しているユダヤ系アメリカ人作家リービ英
        雄との対談で「ドイツ語を母国語にしている人とは違ったドイツ語
        を書くことが、私がドイツ語を書いているときの目的で、そうやっ
        て書くことによって、逆に自分の母国語で書くときも、いわゆる上
        手い日本語、綺麗な日本語というのを崩していきたい。つまり、二
        つの言語を器用にこなしている人になりたいんじゃないんです。ま
        た、一つを捨てて、もう一つに入ったんでもなくて、二つを持ち続
        けながら壊していくような、そういうようなことを一応、恥ずかし
        ながらめざしているんです」とも語っている。(P139-140)
 
ずっとぼくの場合、「作文」というのがからきしダメで、
学校で何か書かされるたびごとに、
「上手く」言葉を使うことができないことに
苛立ちのようなものばかり感じて続けてきたのだけれど、
言語能力のなさ、というはもちろんあるにしても、
おそらくそれは自分の使っている言語と
それに向かう自分の意識との間にある何かが
その両者の癒着状態から引きはがそうとしていたところは
あるのではないだろうかと思う。
ある言葉を書いたまま、その書かれた言葉とその意味の間で
自分が宙づりになってしまうようなことも稀ではなかった。
もちろん、ある漢字をみながらそのまま漢字が解体してしまうような
そんな感覚を味わったり、自分の名前そのものの表記が
(もちろんそれは自分の名前そのものに対してもそうなのだけれど)
自分にとって異邦人のように現われてくるというか…。
 
で、今はなんとかこうして日本語らしきもので書いているというのも、
つねにその場所というのは「間」にあって、
常に異邦人としてそれに向かっているというところがある。
それは、ある種、「故郷喪失者」にも近いもので、
「私が私である」ということそのものが
常にはらんでいる「間」でもある。
 
「人間」というのは、「人」の「間」、
人と人との相互関係という意味をももっているが、
それを「私」に関していうとしても、
それを「私間」とでも表記したほうがいいのかもしれない。
「私」と「私」の間で、「私」は存在している。
そのなかで、ぎこちなくインストールされている
肉体や生命や感情や言語がある。

 

 

風のトポス・ノート376

「モモ」のその後


2002.1.26

 
ラフィク・シャミの名前がでてきたので思い出したのが、
その作品のなかの『モモはなぜJ・Rにほれたのか』。
 
これは、『モモ』の後日談というパロディになっていて、
ミヒャエル・エンデへの批判ともなっていて、
シュタイナーも「マイスター・ルドルフ」という名前で登場し、
モモと結婚し、その後モモは「J・R」のほうへとひかれてしまう。
という話になっている。
 
話としてはまさにパロディなので、
その話の筋やキャラクター設定をそのまま受け取ることはできないのだけれど、
シャミはここで批判のための批判をしているわけではなく、
かなり醒めた目で、あえてパロディっているように読めた。
シャミの作品の多くは、千夜一夜物語のような感じのお話なのだけれど、
そこには常に醒めた目があるように思う。
 
それは、物語のなかで物語が語られるというような形式のなかで、
常になにかをメタレベルで見ながら、しかもそこに自足するのでもなく、
より深い視線で現実へと向けられていく視線がある。
この『モモはなぜJ・Rにほれたのか』も
物語のなかで、モモの後日談が紹介されるということになっている。
しかも、『モモ』の物語は最初の物語の前半部分だけで、
この後日談は最初からあった物語の後半部部分だという設定。
 
ちなみに、訳者(池上純一)の解説によると、
「J・R」というキャラクターは、
1970年代の終わりにドイツで空前の人気を博した
アメリカ製の連続テレビドラマ『ダラス』に登場する
金と権力の亡者にヒントを得たものだということ。
 
さて、時間を盗む灰色の男たちから社会を救ったモモのその後は・・・。
 
         灰色の男たちは二度と人間から時間を盗もうとしたり、死んだ時間を
        貯蓄銀行に保管したりしないだろう、とモモは安心していた。しかし、
        落ち着いた生活も長くは続かなかった。みんははすぐに、自分たちの時
        間の使い道をモモにたずねるようになった。モモの住むこの南のすばら
        しい国には、時間はたっぷりあったけれど、いかんせんパンがなかった。
        人間は、あたりまえのことだが、時間を食べるわけにはいかないのだ。
         胸を痛めたモモは、灰色の時間泥棒たちと闘ったときに、どんな質問
        にも必ず答えてくれた亀のカシオペイアをさがした。
 
そこで亀のカシオペイアは、マイスター・ルドルフのところに案内する。
マイスター・ルドルフはモモにいう。
 
        「きっときてくれると願っていたよ。きみは、間違いなく、わたしのも
        っとも優秀な生徒だ。それに、生徒が教師より有名になるというのも、
        世間じゃよくあることだ」
       …
        「ルディと呼んでおくれ。わたしは、きみが低学年をすごしたヴィース
        ロッホ学園の創立者だよ」
 
ここはかなり笑えるところだけれど、説明の必要はないと思う。
 
        マイスター・ルドルフは物質主義と嫉妬の危険性を説き、愛と戦争につ
        いて長々と弁舌をふるった。そして、ノアの洪水を再発させかねない暗
        雲が低くたれ込めているというのに、ヨーロッパ人はまだそれに気づい
        ていない、と力説した。
        …
         小さな作業場をたくさん、たくさんつくる。機械に頼らず、有害物質
        も使わず、自由にものを創造する。なによりも健康優先、そして人間愛
        と自由。それがマイスター・ルドルフの理想だった。
        …
        「ヴィースロッホ学園には、労働者の子どもも、上流階級の子どもも、
        平等に受け入れるようにしなければ!そして、みんなに自立の道を教え
        るのよ」
 
そして、モモはマイスター・ルドルフと結婚し、
モモは夫の片腕として山のように仕事をこなし、
まるで灰色の男たちに時間を盗まれているような生活を送る…。
 
         何年かすぎた。学校に通う労働者の子どもは、年を追うごとに減って
        いった。子どもたちは親のように陶芸工房で働くのをいやがり、さっさ
        と北へ出ていってしまった。しかし、上流階級はモモを見捨てなかった。
        彼らはモモを尊敬しており、時間泥棒との闘いをとても高く評価してい
        たからだ。ヴィースロッホ学園が財政危機に陥ったと聞くと、彼らは自
        分たちの手に負えない息子や娘を通わせるようにした。そこでは、互い
        に愛しあうことを教えていたからだ。
 
ここらへんから、カシオペイアの様子がおかしくなり、
カシオペイアはJ・Rを紹介し、
ルディも家にJ・Rをつれてくるようになる。
        
        「こんにちは、若奥さん、お噂は以前からいろいろうかがっていますよ。
        星条旗の国に暮らすぼくらには時間はありません。そのかわり、金も自
        由もたっぷりあります」
        モモは、客のぶしつけな態度に嫌悪と胸騒ぎを覚えながらも、その快活
        な話っぷりに引きこまれた。J・Rの話は、ルドルフのようにもったい
        ぶったり、まわりくどくなく、率直でわかりやすかった。
 
やがて、モモはJ・Rを受け入れ
「老いぼれ」のマイスター・ルドルフと
大好きだった町をあとに、「楽園のような島」に向かう。
 
         島は、J・Rがいっていたよりもはるかに美しかった。モモは小さな
        小屋で横になり、自分の人生をじっくりふり返ってみた。そして七日目
        に、こういった。
        「悪いのは、人間の外面だわ。外面にふりまわされると、自分を見失っ
        てしまう。内面に隠されたものだけが真実なのよ。そこには貧富の差も
        なければ、戦争もない。これこそ絶対平和の境地だわ」
 
その後、その島には、次のようにいって
モモの前にひざまずく若者たちがやってくるようになる。
 
        「おお、モモよ。わたしたちは、あなたのもとで平和を求めたいのです!」
        …
        「オーモ!オーモ!オー、モモ!」
 
その島は人であふれかえるようになり、
息が詰まりそうになる。
おまけに、カシオペイアの姿も見えなくなり、
かわりに腹に「メイド・イン・ジャパン」のプリントのある亀さえ現われる。
この「メイド・イン・ジャパン」というのが、かなり痛烈ですね(^^;)。
 
訴えをきいたJ・Rは、
おおぜいの偽のモモを演じる女優を残し、
選りすぐった恋人たちだけを相手にすればいい島へと
モモを案内する。
 
        「つぎの島では、もっと洗練された恋人たちに、ひと味違うサービスを
        提供するんだ。彼らは宗教なんかたいして信じちゃいない。連中が求め
        ているのは、体を動かすことさ」
 
そして、この島でモモはずっと暮らしている。
 
・・・なんだか、むちゃくちゃな話といえばいえるのだけれど、
なにかがなにかとすり替えられてどんどん形骸化していき、
それを享受するほうも、与えるほうも、
そうした形骸化のなかで自足していくことの危険性が
ここにはある意味でむごたらしいまでに描かれているように思う。
そうしたことが、童話のようにも見えるお話しのなかで、
語られるというのが、シャミの魅力のひとつかもしれない。
 
あえて、この話から示唆されるさまざまについて
蛇足なので、詳しくはとりあげようとは思わないけれど、
たとえば、金利をとっちゃいけないお金などのような
エンデのある種の純粋願望などのようなものも、
本来のなにかを見ないようにするために起こる形骸化と
どこかで結びついていくような気がしている。
 
ここで描かれているシュタイナーも
すでに亡霊のようなシュタイナーなのだけれど、
実際に受容されている「シュタイナー」が
どういう亡霊になってしまいかねないか、といいうあたりも
常に考えておく必要のあることではないだろうか。
 
参考までに、現在翻訳されているラフィク・シャミの作品を
以下にご紹介しておきます。
 
■蝿の乳しぼり
 (西村書店/1995)
■マル−ラの村の物語
 (西村書店/1996)
■夜の語り部
 (西村書店/1996)
■空飛ぶ木〜世にも美しいメルヘンと寓話、そして幻想的な物語〜 
 (西村書店/1997)
■モモはなぜJ・Rにほれたのか
 (西村書店/1997)

 

風のトポス・ノート377

果てしなく続くストーリー


2002.2.5

 
まるで「マイ・ウェイ」のような名曲
ミーシャの「果てしなく続くストーリー」。
その気持ちよく延びてゆく声を聴いていて、
あ、そうだ、これは
「ネヴァー・エンディング・ストーリー」なんだと気づいた。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』。
 
ファンタージエンをめぐる物語…。
人がファンタジーする力を失うとき
ファンタージエンは失われてゆく。
 
フィリップ・プルマンの三部作「ライラの冒険シリーズ」の
3巻目『琥珀の望遠鏡』がやっと訳出刊行され、
ここ数日その幾層にも重なった世界のなかを渉猟していて
先ほど読み終えたところなのだけれど、
このシリーズで重要なキーになっていた「ダスト」の謎が
この3巻目で明らかになっている。
 
         ダストは一定不変のものではない。いつもおなじ量があるわけ
        ではないの。意識をもつものがダストをつくるのよ。考え、感じ、
        反応することによって、知識を得て、それを伝えることによって、
        意識をもつものがダストを常に新しくするの。(P633)
 
「ダスト」はファンタジーする力のことではないけれど、
この「ダスト」のなかでももっとも大事なもの、
自由によって生み出されるもののことだともいえるかもしれない。
 
「果てしなく続くストーリー」に
「果てしなく続く夢は 小さな星を廻し続けてる きっと」
というフレーズがあるけれど、
おそらくこの地球を地球にしているのは「ダスト」だし、
その星を廻しているのは「ファンタジーする力」なんだという気がする。
 
ところで、最近の「ハリーポッター」ブームとかには
ちょっとうんざりというところだけれど、
たぶん今の世の中は「マス」でピラミッドの底の広いところで
動いていかないといけないところもあるんだろうという気もしている。
そういうブーム的なもので動くのは
(田中真紀子ファンのようなファナティックさのようなもので)
「ファンタジーする力」とは無縁のところが多いのかもしれないが、
それはそれで、なぜそういう動きがでてきているのかを
見ていくことも必要なのかもしれない。
でも、決してそういう集合的な意識のなかで溺れるのではなく、
少し斜めからそれが動かしている何かを
注意深く見ていくことで見えてくるものがあるような気がしている。
 
しかし、私の、私たちの「ファンタージエン」は、今
滅びないでちゃんと存在しているのだろうか。
あらためてちょっと気になっている。
それもこれも、私の、私たちの「自由」如何。
 
そして、そのようにして、
私の、私たちの「果てしなく続くストーリー」は
展開していくのだろう、と
半ばため息をつきながらも、
よっこらしょと腰をあげねばという今日この頃…。
(そういえば、ここ一週間ほど、
このMLに何も書いてなかったような(^^;)。)

 

 

風のトポス・ノート378

仮面


2002.2.6

 
         仮面をかぶると人の顔の表情は固定される。見る側からは、仮面以外の
        表情が見えなくなる。だから逆に、人が本来、いくつもの顔を隠し持って
        いることに気づく。憤怒の表情の面を付けた人を見ると、憤怒そのものよ
        りも、日ごろどのような表情の下にこの憤怒が隠れていたのだろうか、憤
        怒のほかにさらに何が秘められているのだろうか、と不気味に思う。
         能は常に面を用いる。役者の顔を消すことによって、逆におびただしい
        表情が舞台に表われるのだろう。バレエでも、マギー・マランは「シンデ
        レラ」を仮面劇にし、思春期の姉妹の夢の背後に、ふだんは見えない醜悪
        な欲望をえぐるだしてみせた。
         仮面はひとつの表情を固定させることによって、死をも連想させる。旧
        ソ連出身の作曲家、アルフレート・シュニトケの訃報に接したとき、闇の
        なかで、いくつもの仮面が立ち止まっているイメージが思い浮かんだのも、
        そのせいだろう。
         シュニトケはしばしば、過去の作曲家の作品からの引用のように見える
        音を自作に配し、そのコラージュを作品の核とした。それは、まさに音の
        仮面ではないだろうか。
         たとえば彼がモーツァルト風の旋律を書くとき、それがかすかに分裂、
        崩壊することもあって、聴く側には、モーツァルトへの憧憬とともに、も
        はやモーツァルトのようには世界を美しく信じられない現代の在り様が見
        えてくる。多様式主義と呼ばれる彼の音楽が、バロックから聖歌、ロマン
        派、十二音、そしてタンゴまで、さまざまな音楽の相貌を見せるとき、逆
        に、そのどれをも失って、固有の自分の顔が見えなくなってしまった私た
        ちの構造が、浮かび上がってくる。そこにあるはずの自分の姿を探しても、
        仮面だらけで、もうどこにもない。
        (梅津時比古『フェルメールの音』東京書籍/2002.1.17発行より
         P48-49「仮面の下に」)
 
人は世界劇場で演じるために生まれ、仮面を育てていく。
役どころも台本もほんとうは自分で用意しながら、
そのことをすっかり忘れて。
 
こんな仮面がいいな。
そう思ってその仮面を
懸命に模倣したりしながら、
あるいは絶望して
その仮面を投げ捨てたりもして。
投げ捨てられた仮面の裏側には
ひょっとしたら剥がれた顔の肉が
残っていたりすることもあるのだけれど。
 
歳を重ね仮面は育っていく。
何重にも何重にも
仮面の上にさらに仮面をつけ、
剥がしやすい仮面をつけかえたりながら。
 
ときおり不安になるのは
仮面の下にはいったいどんな顔があるのか
自分でもわからなくなってくることだ。
本音は、ときかれ、
自分が本音だと思っているものが
ほんとうは本音とは思えなくなってくるように、
本当の顔のことを思うとき
自分の仮面の下の顔のことを
何もしらないことに気づいてしまう。
 
personalityというのはたぶん仮面なのだ。
そして、individualityは分けられない自分。
けれどそれは仮面の下でしか育つことができないのかもしれない。
それは鏡を通じてしか自分を見ることのできないようなもの。
 
おそらく人は
何度も何度も時代を越えて
さまざまな仮面をつけながら
世界劇場で喜び悲しみ怒り
また静かに空の星を眺めたりするのだ。
そして仮面と仮面は出会い別れ死へと向かって踊る。
その仮面たちの群はいったいどこへいってしまうのだろうか。

 

 

風のトポス・ノート379

アンチというとらわれ


2002.2.7

 
        以前、高校生向けの講演会で、
        ある大学教授がこんな意味のことを言っていた。
 
        「人は憎む相手と戦って、
         倒した時、敵と同化する。」
 
        ・・・
 
        これはなぜか、というのを、
        当日の講演で
        私は、こんなふうに聞いた覚えがある。
 
        敵をたおすには、
        敵のやり方を一度自分のものとして消化し、
        かつ、超えなければならない。
 
        敵のやり口を消化する過程で、
        敵のやり口に、
        自分がのっとられちゃうってことだろうか?
 
        恐い、こわい。
 
        この説が正しいんだったら、
        「この人物だったら自分がのっとられてもいい」
        と思える相手としか戦えないということだ。
        つまり、「自分」。
 
        (ズーニー山田先生の「おとなの小論文教室」Lesson82
         「ほぼ日刊イトイ新聞」2002.2.6より)
 
木乃伊とりが木乃伊になる、ようなもので、
たとえば権力とアンチ権力があって、
権力を倒すことができ
みずからがその代わりになったとき、
ただ違う顔になっただけ、というのはある。
 
賛成と賛成の反対というのも、
右翼と左翼のようなもので、
結局は同じベクトルを持っているがゆえに、
おんなじことになってしまう。
 
戦うということは
そういう意味でもむずかしい。
戦わないでいられたら
それに越したことはないのだけれど、
なかなかそういうわけにもいかない。
 
たとえば、競争とかいうことも
生きてる以上ある程度必要だし、
競争するためには、
同じ土俵の上に乗らなければ競争にならない。
そこには共通して持たなければならないルールや
ゴールというものがあって、
それらを持ってしまう以上、
そして既存のものを超えようとする以上、
自分のなにがしかを、そこに真剣に投入せざるをえない。
もちろん、アンチとか賛成の反対とかいうのも、
同じ土俵に乗っているゆえの態度にほかならない。
 
アンチというとらわれから自由になれないものか。
ついつい自分がアンチになってしまっていることに気づいて
いやな気持ちになることがよくある。
議論をしていて、勝ったー負けたというレベルで
それが展開していくとき、
どちらにしても気持ちのいいものではない。
 
たとえば、だれかの意見をきいて、自分とは違うなあと思う。
そこまではアンチというわけではないし、
たとえば仕事での議論でも、
同じ土俵の上にいなければはじまらない。
自分の意見と相手の意見が違うということを確認することは
非常に重要なことである。
しかし、どうしても、勝ったー負けたという感情が
そこに投入されてしまう。
 
自分をどこにもいない場所に置いておければ、
あるいはどこにも方向づけられないベクトルにおいて
存在することができれば、
それに対するアンチも存在しにくいのだけれど、
どうしても自分はどこかにいて、
どこかに方向づけられていることを避けられない。
 
そのことを考えるときにも、
やはり「中」ということが念頭に浮かんでくる。
それは単なるほどほどにしておくというのではなく、
今ここにいるということを絶えざる矛盾の統合として
とらえるということである。
 
「人は憎む相手と戦って、
倒した時、敵と同化する。」
ということについても、
敵と同化してしまうということは、
そこにあったであろう矛盾の部分を統合できないま
同じベクトルのままでいるということ、
つまり、矛盾というベクトルを加えることで、
力の方向を変えるということが
できなくなってしまったということなのかもしれない。
あるいは、力の方向は変えたものの、
変えたままで、そこにあたらしく生まれてきた矛盾を
新たなベクトルとして加えようとしないということ。
 
しかし、そもそも「憎む」ということを
なんとかしなければならないような気もする。
なぜ憎むのか、そこにある矛盾をまずは
見ることから始める必要があるのだろう。

 

風のトポス・ノート380

ラミネートチューブを絞りきる


2002.2.12

 
        綾戸    「あなたの声は出なくなるよ」
                と昔に言うた医者が、気分悪うしてるもん。
                当時は「治るかもね」じゃなくて、
                きっぱりと断言されたからねぇ。
                わたしも、そういう人生計画を立てたんだけど。
                糸井    「声が出なくなるなら歌っとこう」
                と思ったわけでしょう?
                綾戸    そう。
                (…)
        綾戸    フフフ、
                あのね、私わかってきたんよ。
                たぶん、お味噌を上手に
                使い切れるようになったようなもんや。
                味噌袋に味噌が入ってて、それを最後の最後まで、
                一発で上手にキューッと出せるようになったんやわ。
        糸井    ・・・ということは、その声は
                声帯からだけ出てるんじゃないんだね?
        綾戸    指の先の空気も全部使ってるわ。
                ラミネートチューブを絞りきるみたいにね。
                残り少なくなったマルコメ味噌の袋にお湯を入れて、
                きれいにビニール袋からみそを取り去るような。
                (…)
        糸井    いまでも、力を入れないでしゃべると、
                聞こえない声になるの?
        綾戸    (小さな声で)なる・・・。
                糸井    その声?
                ぜんぜん違う声ですよ。
        綾戸    (小さなかすれ声で)
                ・・・生活の中で使うのはこういう声。
                みんなに会う時は・・・おなかの底から・・・
                (はっきりした大きな声で)
                「おはよう!」って、言うてる。
                気合い入れたら、こうなるねん。
                そやから、よその人から見たら、
                「おかん、何怒ってるねん」
                っていう感じになってしまう。
                別に怒ってないのよ(笑)。
                (「ほぼ日刊イトイ新聞」2/10これでも教育の話?
                 綾戸智絵・第1回 ラミネートチューブを絞りきる)
 
ううん、これを読んで、
綾戸智絵のパワーの秘儀がわかった気がした・・・(^^;。
呼吸法の展開なのかもしれない、と。
 
息を吐ききること。
そのことで、
新たな気を存分に吸うことができる。
 
しかも、声をただ声として、
即物的にとらえるのではなく、
「指の先の空気も全部使って」というように、
自分の身体の場全体で呼吸している。
 
とはいえ、
「ラミネートチューブを絞りきる」ようなのは、
ぼくがもっとも不得意とするところで、
どちらかといえば、
ラミネートチューブからちょっとだしたくらいで、
あとは面倒になってしまうというようなのが
ぼくの表現様態になっているようなところがある。
浅い呼吸は、健康にもわるいのだけれど・・・(^^;。
 
でも、綾戸智絵だって、
生活のなかでは「聞こえない声」になるんだというので
ひと安心。
いつでもどこでもああじゃないんだ、と(^^;.
 
どう考えても、
憂鬱質ベースのぼくには
綾戸智絵のようにはなれないんだけれど、
自分なりに、これだ、というところでは、
「ラミネートチューブを絞りきる」ことのできるようになれたらと思う。
はて、どこで絞るか、問題なのだけれど、
それをまた考え込んでしまうのが、性格なのだろう(^^;。
 
綾戸智絵がデビューしたのは40歳で、現在44歳。
ほとんど同い年ではないか。
今からでも遅くない。
「声が出なくなるなら歌っとこう」という感じで、
自分の「ラミネートチューブを絞りきる」ところを
自分なりに見つけなければと思っている。
「指の先の空気も全部使って」。
 
そこから見えてくるものというのは
たぶんまだ自分の見たことのない
自分なのだろうという気がする。

 


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