風のトポス・ノート351
フレスコ画とルネサンスの関係
2001.10.15
(1) ひとりで完成させる仕事を前提としたフレスコ画の制作では、結果とし
て、集団としての工房ではなく画家個人の力量が評価されることになり、それ
は個人の名声を重んじるルネサンスの時代的傾向と符合します。
(2) イタリアでは、北方起源のゴシック様式に対する反感から、とくに中部
イタリア以南ではゴシック美術が発展っしませんでした。リブ構造によるゴシ
ック建築では開口部(窓)が大きく、ステンドグラスが発展しましたが、ステ
ンドグラスで構築された空間では、当然のことながら、壁画が発達しません。
壁面が少ないこともありますが、色とりどりのステンドグラスの入射光で壁画
の色彩が死んでしまうからです。したがって、イタリアでゴシック美術が発達
しなかったということが、ロマネスクやビザンティン壁画の伝統を生かしてフ
レスコ画を誕生させ、それをルネサンス芸術の花にまで発展させた要因といえ
るのではないでしょうか。
(3) ドメニコ会とフレンチェスコ会の二大托鉢修道会が十三世紀に誕生し、
それまでの農村を基盤とした修道会と違って、飛躍的な経済発展を遂げた自由
都市に本拠を置いて活動を開始します。そこでは教育的な目的から「絵で見る
聖書や聖人伝」が、文字の読めない人々に対して効果的な教材となったのです。
そのために壁画もできるだけ写実的に、リアルに、あるいはドラマティックに
描かれたものが求められたに違いありません。
(4) 伝統や親方の「型」からではなく、自然から直接に学ぶというジョット
絵画の写実性はデッサン力に支えられたものですが、まさに加筆修正のできな
いフレスコ画こそ、もっとも確実なデッサン力が要求された技法でした。なお、
このデッサン至上主義はルネサンス芸術の基本的な特徴のひとつに数えられる
ものです。
(5) 広大な壁画に対しては、祭壇画などにタブロー(キャンバスや板に描か
れた絵)制作以上に空間構成の問題が重要となりますが、ルネサンス芸術にお
けるヴォリューム表現や奥行き表現のための透視図法(線遠近法)の登場と発
展は、建築空間に描かれるフレスコ画と密接に関わっています。
(宮下孝晴『フレスコ画のルネサンス/壁画に読むフィレンツェの美』
NHK出版/2001.1.30発行/P32-33)
先日、中世フレスコ画の修復に打ち込む日本人が主人公の
藤田宜永の『壁画修復師』(新潮文庫)を読んで以来、
フレスコ画のことが気になり始めた。
そうこうするうちに、塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』が
書店で目にとまり、ぱらぱらとめくったところに、
ちょうど「フレスコ画」という文字がでていた。
そしてだめ押しをするように、この本に出会った。
フレスコ画の完成者ジョット、マゾリーノとマザッチョ、
遠近法のパオロ・ウッチェロ、そしてフラ=アンジェリコに、
ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ボッティチェリ、
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ・・・。
これまでまったく知らなかったフレスコ画の制作プロセスをはじめ、
ルネサンス絵画成立のさまざまな背景などが、
やっと少しぴんとくるものになると同時に、
ルネサンスということがあらためてぼくのなかに
あるひろがりをもってイメージされるものとなってきたように思う。
ローマ・カトリックが異端を迫害するなかで、
フランチェスコ会などの托鉢修道会が成立することによって、
都市部での布教啓蒙活動が活発になることで、
こうしたフレスコ画が発展することになり、
また教会音楽も発展するようになったことがよくわかる。
塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』には、
聖フランチェスコとフレスコ画について次のように述べられている。
フレンチェスコの考えでは、神と出会う場である教会は、豪華に飾り立て
てはいけなかった。しかし、文字を読めない多くの人に、聖書で書かれてい
る事柄を理解させる必要はあります。それでこれまでの教会でも、壁面を使
ってモザイクで聖書の内容や聖人たちの行跡を“絵解き”していたのですが、
モザイクでは、制作費は高くつくし豪華な感じになるのは避けられない。モ
ザイクに比べれば、半乾きの漆喰の上に素早く絵を描いていくフレスコ画法
ならば安くついたし、乾ききらない前に描きあげねばならない以上、出来あ
がった壁画もあっさりと大様な出来上がりで、それゆえに質素な印象を与え
たのです。
聖フレンチェスコがいなかったならば、フレスコ画の再興は成らなかった
とさえ言える。宗教上の理由という需要があったからで、現代でも見られる
フレスコ画の傑作は、フレンチェスコ宗派の教会に断じて多い。これがジョ
ットーを生み、ルネサンス絵画への道を切り開くことになったのでした。ル
ネサンスは、聖フレンチェスコを除いては語れないのですよ。(P26)
おもしろいことに、塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』には、
教会音楽に関する記述がほとんどでてこない。
(音楽からルネサンスを見ていくのも非常に面白いのだれど・・・。
たとえば、今谷和徳『ルネサンスの音楽家たちI&II』(東京書籍)など)
しかも、ロレンツォ・デ・メディチの時代の
プラトン・アカデミーに対しては、ほとんど意識的なまでに、
その側面を切り捨てていたりする。
(ルネサンスの魔術思想は
見ておく必要はどうしてもあるように思うのだけれど・・・)
しかし、それはそれで、ある観点から
ルネサンスの流れを見ていくというのはとても興味深い。
(やはり歴史を見ていくのはこういうきっかけがいいように思う。
なにより無味乾燥にならないで、さらにそこから、
いろんな興味が飛び火していく・・・)
塩野七生は都市の側面や人の側面などからのルネサンスを
描き出してくれていてぼくにとってはとても新鮮な視点だった。
そして、このフレスコ画とルネサンスの関係もそう。
しばらくは、フレスコ画から目がはなせそうにない。
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