風のトポスノート351-360

(2001.10.15-2001.11.18)

351●フレスコ画とルネサンスの関係
352●指スヤ都 見シヤ茲ヲ
353●敵を自分を変化させるために使う
354●戦略
355●姿勢
356●考えないということ
357●二重人格
358●外部性の制度化
359●同性愛
360●「ムスヒ」としての3

 

風のトポス・ノート351

フレスコ画とルネサンスの関係


2001.10.15

 

        (1) ひとりで完成させる仕事を前提としたフレスコ画の制作では、結果とし
        て、集団としての工房ではなく画家個人の力量が評価されることになり、それ
        は個人の名声を重んじるルネサンスの時代的傾向と符合します。
        (2) イタリアでは、北方起源のゴシック様式に対する反感から、とくに中部
        イタリア以南ではゴシック美術が発展っしませんでした。リブ構造によるゴシ
        ック建築では開口部(窓)が大きく、ステンドグラスが発展しましたが、ステ
        ンドグラスで構築された空間では、当然のことながら、壁画が発達しません。
        壁面が少ないこともありますが、色とりどりのステンドグラスの入射光で壁画
        の色彩が死んでしまうからです。したがって、イタリアでゴシック美術が発達
        しなかったということが、ロマネスクやビザンティン壁画の伝統を生かしてフ
        レスコ画を誕生させ、それをルネサンス芸術の花にまで発展させた要因といえ
        るのではないでしょうか。
        (3) ドメニコ会とフレンチェスコ会の二大托鉢修道会が十三世紀に誕生し、
        それまでの農村を基盤とした修道会と違って、飛躍的な経済発展を遂げた自由
        都市に本拠を置いて活動を開始します。そこでは教育的な目的から「絵で見る
        聖書や聖人伝」が、文字の読めない人々に対して効果的な教材となったのです。
        そのために壁画もできるだけ写実的に、リアルに、あるいはドラマティックに
        描かれたものが求められたに違いありません。
        (4) 伝統や親方の「型」からではなく、自然から直接に学ぶというジョット
        絵画の写実性はデッサン力に支えられたものですが、まさに加筆修正のできな
        いフレスコ画こそ、もっとも確実なデッサン力が要求された技法でした。なお、
        このデッサン至上主義はルネサンス芸術の基本的な特徴のひとつに数えられる
        ものです。
        (5) 広大な壁画に対しては、祭壇画などにタブロー(キャンバスや板に描か
        れた絵)制作以上に空間構成の問題が重要となりますが、ルネサンス芸術にお
        けるヴォリューム表現や奥行き表現のための透視図法(線遠近法)の登場と発
        展は、建築空間に描かれるフレスコ画と密接に関わっています。
        (宮下孝晴『フレスコ画のルネサンス/壁画に読むフィレンツェの美』
         NHK出版/2001.1.30発行/P32-33)
 
先日、中世フレスコ画の修復に打ち込む日本人が主人公の
藤田宜永の『壁画修復師』(新潮文庫)を読んで以来、
フレスコ画のことが気になり始めた。
 
そうこうするうちに、塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』が
書店で目にとまり、ぱらぱらとめくったところに、
ちょうど「フレスコ画」という文字がでていた。
そしてだめ押しをするように、この本に出会った。
 
フレスコ画の完成者ジョット、マゾリーノとマザッチョ、
遠近法のパオロ・ウッチェロ、そしてフラ=アンジェリコに、
ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ボッティチェリ、
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ・・・。
 
これまでまったく知らなかったフレスコ画の制作プロセスをはじめ、
ルネサンス絵画成立のさまざまな背景などが、
やっと少しぴんとくるものになると同時に、
ルネサンスということがあらためてぼくのなかに
あるひろがりをもってイメージされるものとなってきたように思う。
 
ローマ・カトリックが異端を迫害するなかで、
フランチェスコ会などの托鉢修道会が成立することによって、
都市部での布教啓蒙活動が活発になることで、
こうしたフレスコ画が発展することになり、
また教会音楽も発展するようになったことがよくわかる。
 
塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』には、
聖フランチェスコとフレスコ画について次のように述べられている。
 
         フレンチェスコの考えでは、神と出会う場である教会は、豪華に飾り立て
        てはいけなかった。しかし、文字を読めない多くの人に、聖書で書かれてい
        る事柄を理解させる必要はあります。それでこれまでの教会でも、壁面を使
        ってモザイクで聖書の内容や聖人たちの行跡を“絵解き”していたのですが、
        モザイクでは、制作費は高くつくし豪華な感じになるのは避けられない。モ
        ザイクに比べれば、半乾きの漆喰の上に素早く絵を描いていくフレスコ画法
        ならば安くついたし、乾ききらない前に描きあげねばならない以上、出来あ
        がった壁画もあっさりと大様な出来上がりで、それゆえに質素な印象を与え
        たのです。
         聖フレンチェスコがいなかったならば、フレスコ画の再興は成らなかった
        とさえ言える。宗教上の理由という需要があったからで、現代でも見られる
        フレスコ画の傑作は、フレンチェスコ宗派の教会に断じて多い。これがジョ
        ットーを生み、ルネサンス絵画への道を切り開くことになったのでした。ル
        ネサンスは、聖フレンチェスコを除いては語れないのですよ。(P26)
 
おもしろいことに、塩野七生の『ルネサンスとは何であったのか』には、
教会音楽に関する記述がほとんどでてこない。
(音楽からルネサンスを見ていくのも非常に面白いのだれど・・・。
たとえば、今谷和徳『ルネサンスの音楽家たちI&II』(東京書籍)など)
しかも、ロレンツォ・デ・メディチの時代の
プラトン・アカデミーに対しては、ほとんど意識的なまでに、
その側面を切り捨てていたりする。
(ルネサンスの魔術思想は
見ておく必要はどうしてもあるように思うのだけれど・・・)
 
しかし、それはそれで、ある観点から
ルネサンスの流れを見ていくというのはとても興味深い。
(やはり歴史を見ていくのはこういうきっかけがいいように思う。
なにより無味乾燥にならないで、さらにそこから、
いろんな興味が飛び火していく・・・)
塩野七生は都市の側面や人の側面などからのルネサンスを
描き出してくれていてぼくにとってはとても新鮮な視点だった。
そして、このフレスコ画とルネサンスの関係もそう。
しばらくは、フレスコ画から目がはなせそうにない。

 

 

風のトポスノート352

指スヤ都 見シヤ茲ヲ


2001.10.24

 

        「指(さ)スヤ都 見シヤ茲(ここ)ヲ」
         理想と現実と狭間で悩む時、この言葉を眺めて勇気づけられ励まされた
        こともしばしばであった。柳氏と親しかった祖父母は、これを軸にして大
        事にしていた。祖母はざっくばらんな人である。ある時、尋ねて来られた
        柳氏に、「指スヤ都の都とは、何処ですか?」と聞くと、氏は「それはエ
        ルサレムです」と答えられたそうである。
        (…)
         エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教共通の聖地であり、現
        在地球上で最も凄惨な悲劇を繰り返している戦いの場である。光と闇、理
        想と現実が合一する都、柳氏は理想と現実の象徴的な都として、エルサレ
        ムといわれたのだろう。
        (志村ふくみ・志村洋子『たまゆらの道/正倉院からペルシャへ』
         世界文化社/2001.10.30発行/
         上記引用部分は、志村洋子による/P341-342)
        *註)柳氏とは民藝運動家・柳宗悦。
          「指スヤ都 見シヤ茲ヲ」は、その『心偈』の一首。
 
エルサレム、三つの宗教の聖地。
ゆえに、争いの場となったところ。
同じ聖地のはずなのに、
聖地を求めることによって生まれる争い。
 
聖地という矛盾、エルサレム。
エルサレムは、おそらくエル・シャローム、平安の都。
(平安京、長安も、ひょっとしたらその名から来ているのかもしれない)
その名そのものが、矛盾を生き、
理想と現実がともに戦い血を流す。
 
ひょっとしたら、聖地は聖地であることにより、
その場を、大いなる矛盾を統合させていくべきところとして
設けられたのかもしれない。
おそらくはその聖地の矛盾が統合されたときに、
はじめて世界は「中」へと向かうのかもしれない。
 
私の聖地はどこにあるのだろう。
その聖地もエルサレムのようであるのだろうか。
見シヤ茲ヲ!
エルサレムはここにある!
この私という場所に。
大いなる矛盾を体現したものとして、
そして、大いなる和を実現するものとして・・・。
 
ユートピアはいったいどこにあるのか。
それは、どこにもないところにある。
no-where・・・。
 
おそらく理想を求めて彷徨う者へ、
その名そのものに示唆を含めながら送ったはなむけが
「汝はユートピアをめざせ!」という言葉。
 
どこにもないとはどういうことだろうか。
now-here・・・。
言葉遊びのように
no-whereとnow-hereが転変する。
虚が実になり、実が虚になる。
 
 

 

風のトポス・ノート353

敵を自分を変化させるために使う


2001.10.26

 

         恐れが自分の敵ならば、自分を恐れさせる物事に焦点を当ててみよう。その
        恐ろしいものに自分がなる方法を想像してみよう。力が自分の敵ならば、自分
        の重要性について、あるいは自分の取るに足らなさについて、話をしてみよう。
        その話を信じるのもいいし、その話に異議を唱えるのもいいだろう。他人を変
        えようとするのではなく、自分を変化させるために力を使うのだ。
         老いが自分の敵ならば、それを喜んで迎え、死ぬことを試みる。もし、自分
        が死んで、無関心や憂鬱から自由になったならば、次にあなたは何をするだろ
        うか?それを実行してみよう。
        (アーノルド・ミンデル『シャーマンズボディ』青木聡訳・藤見幸雄監訳
         /コスモスライブラリー/2001.8.7発行/P139)
 
人を変えるのではなく、自分を変えること。
そこからすべてははじまる。
そこからしか何もはじまらない。
 
では、自分を変えるということは
いったいどういうことだろう。
どうすればいいのだろう。
 
実際のところ、それはとてもむずかしい。
そこで、「敵」を使う。
 
「敵」とは、たとえば自分の恐れているもの。
「恐れ」に直面してしまったとき、
背中を見せて逃げるのではなく、
それが自分に働きかけるのに
真正面から対面してみる。
そのとき自分に何が起こるだろうか。
それを注意深く見てみる。
 
たとえば、「嫌なこと」、「嫌なひと」。
それを避けるのではなく、
ちゃんと相対してみる。
「嫌だ」ということを見つめてみる。
何が嫌なのだろうか。
それが自分にどのように働いているのだろうか。
それを注意深く見つめてみる。
 
上記引用で、「力」といっているのは、
尊敬されたい、重要視されたいという執着こと。
ならば、その力のいいなりになるのではなく、
たとえば、逆に、自分を他人の視点から見てみること。
そうすることで、その「力」が働いていることがわかる。
人は表面上はどうあれ、そう自分のことを尊敬してなどいないことがわかる。
 
そのように、そうした「敵」の力を
自分に作用させる機会を求めることで、
自分を化学変化させることができる。
ある意味では、「敵」の力を自分のなかに取り込んでしまう。
 
もちろんそれはそんなに簡単なことではないが、
少しだけ踏ん張ってみるだけで、
確実に自分のなかの何かが変わるのが実感できる。
というよりは、それ以前に、
外からやってくるように見えていた恐れや嫌なことや力など、
それらそのものが変わって見えてくる。
 
犬だってそうで、
たとえば、ぼくは小さい頃、犬が恐くて、
犬に吠えられると恐くて逃げて、追いかけられた。
でも、犬をウェルカムすると
もちろん面倒ではあるけれども(べろべろなめられたり(^^;)
犬は尻尾をふって歓迎してくれることが多いのがわかった。
恐い犬に手を出すのはちょっと勇気がいるけれど、
そのことで犬とぼくの間にある何かが変化する。
ぼくの恐怖が犬をそうさせていたこともわかる。
 
 

 

風のトポス・ノート354

戦 略


2001.10.27

 

         敗戦の後遺症なのかもしれないけれども、日本では「戦略」という言葉が嫌
        われてきた。戦略とは物事をうまく進めるための道筋と計画書である。その計
        画がないというのでは、うまくいくものだってうまくいくわけがない。
         それ以上に問題なのは、戦略の前提として「何のための勝つのか」という哲
        学もないことである。二十世紀の最後になって、日本もITを国の重要な方針
        に据えた。「IT立国」などという言葉も使われた。ITを重要視するのはい
        い。しかし、哲学がない。つまり、「何のために勝つのか」が考えられていな
        い。この点を、私は非常に不愉快に感じる。
         戦略と哲学がないことはITに限らない。すべての面にあてはまる。その結
        果、どういうことになるかといえば、バブル時代のお金の使い方の愚かさを振
        り返れば如実に表われている。バブルであれだけお金を生んだにもかかわらず、
        今やどこへ行ってしまったのかと首をひねってしまう有様なのだ。
        「何のために勝つのか」という哲学がないということは、全体としてのゴール
        についてのコンセンサスがないということだ。だから、目標が立てられず、戦
        略もないということになってしまう。
         何を目指すのかをはっきりさせないと、結局オールラウンドでナンバー1に
        なろうとしてしまいがちである。いってみれば、オリンピックのあらゆる分野
        で金メダルを取ろうとするのと同じだ。それが無理であることは誰の目にも明
        らかであろう。無理を追求した挙げ句、最後は苦し紛れに「理想はアメリカ」
        としてしまうのが今の日本の特徴だ。
        (坂村健『情報文明の日本モデル/TRONが拓く次世代IT戦略』
         PHP新書173/2001.10.29発行/P35-36)
 
たしかに日本人は「戦略」というのを
さかしら、というか、作為として
嫌がる傾向にあるように感じることが多い。
 
なかには「戦略」を好むという人もいるのだけれど、
それはほとんどどこかからもってきたような
物まね、借り物であることもある。
その場合、それは戦略というよりも
目の前にニンジンをぶらさげて走るようなものになってしまう。
「理想はアメリカ」というのも、
よくわからんけど、ニンジンはアメリカ、ということ。
 
仕事で最も重視されるのは、売上と利益であって、
戦略といっても、数字合わせの言い訳のようなものになる。
そこではプロセスや方法はあまり問われず、
いかに結果を出すかということが問題になる。
 
要は、精神論というか、
戦略とかいう言葉を使って精神論ばかりが
まかりとおってしまうということだ。
この、精神論というときの精神には、
ほんらいの精神が欠如しているものだから始末におえない。
 
そういう、ニンジンを目的化しているような在り方なものだから、
ニンジンを得てしまったときには、
どうしていいかわからなくなってしまう。
次のニンジンはいったい何?
と探し回ることになってしまったりもする。
流行などのように、日本人が往々にして
みんないっしょになってしまうのは、
ニンジンを共有することをあまり変だと思わないからだ。
みんなで渡れば恐くない、式の発想が強く、
たとえばテーマパークが評判になれば、
みんながそこに押し寄せることになる。
 
多くの場合、以前にくらべれば、
ずっと余暇は多くなってきているはずなのに、
その時間をどうしていいかわからなくなってしまうので、
それさえも、みんなでごいっしょに、となるわけなのだ。
そこには、「自由」というのはある意味で恐れになってしまう。
「わたしのすること、だれか教えて!」とか
自分探しのようなことがはじまってしまうことになる。
 
欧米の戦略のような在り方も、
ある意味で、日本とは違った意味でのニンジンを追いかけてはいて、
五十歩百歩という感もあるのだけれど、
少なくとも、そこに至るまでのプロセスを意識化して、
それを明確にしていこうとしているのではないかと思う。
 
どちらにしても、まるでニンジンを宗教のように
してしまうのはおかしなことで、
そのニンジンを追うのはいったいなぜ?
というところだけは意識化することが必要だろうし、
その上で、今「とりあえず」必要だとしたら、
その追いかけているニンジンをどのようにしたら効果的に得られるかを
「作為」することも必要なのではないかという気がする。

 

 

風のトポスノート355

姿 勢


2001.10.28

 

         老を上手に演出するとはどういうことか。今さら繰り言を言うわけでは
        ないが、もう本当は手遅れなのだが、中年から老年になる方に一言いいた
        い。姿勢だと。生きる姿勢。体の姿勢は弱り、折れ曲がる。併し精神の姿
        勢がそれを補ってくれる。医療でも美容でも環境でもない、自分ひとり、
        たったひとりで立つこと、それ以外はないと思う。
        (志村ふくみ・志村洋子『たまゆらの道/正倉院からペルシャへ』
         世界文化社/2001.10.30発行/
         上記引用部分は、志村ふくみによる/P22-23)
 
かつて、人は歳を経ることによって
叡智を得ていたという。
長老というのもその叡智ゆえのものだった。
しかし、今はもはやそういうことはない。
歳を経ることだけで得られるものは老い以外にはないだろう。
 
けれども、歳を経るとともに
みずから積み重ねてきたものは、
たしかにそこにあるだろう。
そして、そこには老いとともにしか
「演出」できない何かが確かにあるのではないかとも思う。
 
「自分ひとり、たったひとりで立つこと」というのは、
まさに「私が私であること」。
人間は直立二足歩行をするというのは、
その象徴でもある。
それは、精神において立つということなのだろう。
「自由」を創造していくという営為でもある。
 
「私が私であること」の象徴は「円」でもある。
円である私と円である汝の出会いというのも、
半円と半円であることによってはなされえない。
円と円の共振でなくてはならない。
 
老いることによって、
肉体は欠損してゆくかもしれないが、
精神においては、みずからを円に向かうことが
歳を経ることによって可能になる。
 
医療は病を補完し、
美容は老いを隠そうとするかもしれない。
しかし、それらは精神を創造することはできないだろう。
「私が私であること」によってしかそれは可能ではないのだから。

 

 

風のトポス・ノート356

考えないということ


2001.11.2

 

        考えないとは、白紙の状態ではないんだ。
        ということを改めて思う。
        考えないで長文を書かなければならないとき、
        どっかから何かの情報を持ってきて、
        マス目の空白を埋めるように、
        多くの人は、考えないという日常に、
        無防備には耐えられない。
        だから、何かで埋めようとする。
 
        次々と気分を変える目新しい情報、
        受け売り。
        悪気なく人のアイデアをつかったり、
        刷り込みにもなびきやすく、
        いちど方向性を持ったら柔軟性がない。
        自分の頭で考えない人が
        多数派を占める世の中になったら、
        ちょっと暗いなあ、と読んでいて思った。
 
        (ズーニー山田先生の「おとなの小論文教室」Lesson68
         「ほぼ日刊イトイ新聞 2001.10.31より)
 
哲学で「タブララサ」という
まだ外から何の作用も受けていない
心の白紙状態のことをいうことばがあるが、
「考えない」というのは
その「タブララサ」のことではなく、
むしろその対極にあるものだといえるかもしれない。
 
「考えない」というのは
すでにいろんな観念に染まって
そこから逃れられなくなっている、
もしくは、外部からの作用を
そのまま受け取ってしまって
それをコピーするだけの状態だといえる。
つまり、きわめて他律的な在り方。
 
自分をタブララサ的な状態にしようと思えば、
まずは今自分が考えていることについて
ふりかえってみないわけにはいかないし、
自分にいろいろ染みついている観念のひとつひとつを
お掃除していくようにしなければならない。
 
もちろんそういう状態になることは
まずはできないので、
あくまでも、
自分の思いこみのあれこれを
できるかぎりお掃除するということである。
 
考える、ということは、
つまり、考えるための前提にあるのは、
まずはその自分の思い込みのお掃除なのだといえるように思う。
 
でないと、
人は容易に考えないロボット、
しかも、自分が考えてないとは思っていない
困ったロボットになってしまうことになる。
外から操作されるままに動きながら
自分で動いていると勘違いしているロボット。
 
そのためにも、
日々、自分がそのように動いているのが
ほんとうに自分が自分で操作しているのかを
問い直す作業が欠かせない。
それが考えるということの最初にあるものだと思う。

 

 

風のトポス・ノート357

二重人格


2001.11.2

 

        河合 二重人格で一番わかりやすいのは、善玉と悪玉になるケースです。
        というのは、二重人格がさかんに研究対象となるのは、十九世紀の終わり
        から二十世紀の初めにかけてなんですけど、だいたいはキリスト教国で、
        ものすごく教義に従って、良い人間になろうとするんですね。すごく良い
        人間になると、第二人格は悪玉なんです。面白い点は、悪玉の方は、もう
        一人の自分、第一人格がいることをよく知っているんです。ところが、第
        一の方は、第二がいることを知らない。われわれが二重人格と呼ぶのは、
        第一人格と第二人格との間に分裂がある場合です。われわれが、自分の中
        に変なやつがいるというのは、誰でもいうことで、そうではなくて、第一
        と第二とはまったく違うわけです。そして、パッと入れ替わる。
        (河合隼雄×松岡和子『快読シェイクスピア』
         新潮文庫 2001.11.1発行/P82-83)
 
本書は、シェイクスピアの作品をダシにして、
お二人があれこれと語りあっているとても面白い対談集。
 
この引用にあるように、
なぜ、二重人格の悪玉人格は善玉人格のことを知っていて、
善玉人格は悪玉人格のことを知らないのか、
ということはかなり面白い視点だと思う。
 
それについて、同書のあとのほうで、
次のような興味深い示唆がある。
 
        松岡 善人より悪人の方が役者だと言えますね。
        河合 明らかにそうです。
        松岡 善人が涙を流す時には本当の涙で、嘘の涙は流さないけれども、悪
        人は平気で空涙で泣いて見せますから。
        河合    大体。善人というのは反省しない。これが一番怖いです。
        松岡 確かに……そうですね。
        河合 私は反省ばかりしている。毎日が反省です。つまり反省しないと他
        の面が出て来ない。反省しながら悪いこともしたり。だけど、善人は反省
        しないからひとつの面しかない。だから、そういう善人がいると、イアゴ
        ーのような存在が出て来ざるを得なくなる。
        (P223-224)
 
反省というのは、意識の反射作用というか、
わかりやすくいえば、
自分の意識していることについて意識的になるということ、
自分が今何を考えているのかを見つめてみるということ。
 
悪人が嘘をつけるというのは、
反省できるということでもある。
善人が自分が善人であることに自足しているのに対して、
悪には決して自足なんかできないから、
いつも自分が悪をなしていることについて
意識的にならざるをえないということである。
 
だから、そうした自分のなかの意識の反射作用のなかで、
いろんなものが反射されていろんなものが映し出されていくことになる。
 
善玉が悪玉のことを意識できないのも、
善玉が悪玉のことを排除して、
いわば独善的になってしまっているからだといえる。
 
それに対して、悪玉は、いつも、
「善玉さんよお、あんさんのそういうところが気にくわねえんだよ」
とばかりに善玉の無意識に揺さぶりをかけてゆく。
 
ところで、確かに、日本では
西欧のような二重人格というのは少ないようであるが、
それについて河合隼雄は次のように興味深く解釈していたりする。
 
        河合 …一人の人間を一貫したONE、ひとつと考えるのか、それともい
        ろいろな面の総体がその人なのかと考えると、やはり一貫したひとつがあ
        り得るという考えにこだわるのは一神教の世界です。なんとかして、その
        ONEを守ろうとする。ここからは私の解釈ですけれど、、その結果、ア
        メリカは最近、多重人格者が急増した。現代社会ではそうならざるをえな
        い。ところが、日本人は曖昧にしてきたから、多重人格にはそれほどなら
        ないんですよ。
        (P192)
 
一神教のキリスト教とイスラム教、
そしてユダヤ教の関係というのは、
そう見てみると、
かなりな多重人格的な様相を
示しているともいえるかもしれない。

 

 

風のトポス・ノート358

外部性の制度化


2001.11.7

 

         たとえば、どこの村落共同体にも見られる氏神(祖神)としての神社では、
        皆さんもご存じのように「祓い給え、清め給え」という、はふり(祝・葬)の
        祝詞が唱えられておりますが、このはふりによって逆に明確に表象化されるの
        が、はふられるべき対象でありまして、それは共同体にとっての一種の「不純
        物」なのです。以前、私はこの「はふり・ほふり」という概念を葬儀と祝祭の
        類同性として用いましたが、この二重性は「不純物」についてもいえることで
        して、これはいいかえれば「外」的なものが持つ二つの側面とも捉えられるも
        のです。
         すなわち異界的な「外」に対する信仰的な畏れと差別化される恐れとの両義
        性です。それは神や神人としての遊芸民や職能民に対する感情です。ただし、
        …彼らの最大関心事は「生産力」ですから、そのためにかの「不純物」とのか
        かわりはその異質性を異性という現世的なイメージに転位させることで、生産
        的な恋愛(疑似恋愛)を試みる儀礼においてえ昇華されるという傾向を持つわ
        けです。
         とはいえ、これで万全ということではなく、やはり「外」に対する恐れは
        「外」との制度化=限定化されたかかわり方を生みださざるをえないものです。
        この制度化につきましては……神社の御神体がトップシークレットとされる傾
        向に代表されるような安全な「外」の捏造作業のことなのです。
         厳重に管理された当の御神体は、玉石であったり木偶であったり先人の出土
        物であったりと様々ですが、それらは「秘密」にされることで「外部性」を帯
        びるのです。そして、この制度化され管理された「外部性」は、はふり(祝・
        葬)の二重性から、祝りへと一義化されることで聖性へと変化すると同時にこ
        れを管理する人間が神人として一種の権力を得ることにもなるのです。ただし、
        これはたとえば自然持つ危険性を限定したものというよりも、そもそもこうし
        た危険性は人間が自然を手なずけようとする力と対応関係にあるものですから、
        霊的外部性を管理するという制度そのものによってえ象徴的に「外」を手なず
        け和解して生きることの成功を表明するものに成りうるものです。
         私は岡山県に生まれましたが、岡山の民俗信仰の特色は「たたり神」の多さ
        なのです。この祟り神は「外」の危険な側面が霊的なイメージに転位されたも
        のであり、実際に陰陽道やたたら(製鉄)職人などとかかわる機会の多い土地
        柄ゆえに鬼にまつわる伝説も多数残っているのわけですが、こうした「外」と
        しての祟り神も私が今申しました制度化を経ることで逆に強力な豊穣神へとジ
        ャンプするものでありまして、これが忌まわしい鬼神(艮寅)や祟り神が盛ん
        に信仰される所以でもあるわけなのです。
        (中島智『文化のなかの野生』現代思潮社 2000.3.31発行/P229-230)
 
「外部」「他者」を意識するのはとてもむずかしい。
「外部」「他者」がなんらかのかたちで意識されざるをえないとき、
そうしたものに対する不安や恐れをもつことになるのだが、
自分に「祟る」存在であると同時に、
豊かさをもたらしてくれるものでもあるような
両義的な存在として現われてくる。
 
そして、安心を得るために、
それを表象しうるものにしようと
人はそれらを制度化しようとする。
そしてその制度化されたものとより良き関係をむすぶための
さまざまな儀式がつくりだされてゆく。
 
権力とはおそらく
その儀式を取り仕切ることに深く関わっている。
人は不安から自分にとって「外部」「他者」であるものへの不安を
権力に委ねることで安心を得ようとする。
「私にまかせたまえ」と権力者は語る。
「私にまかせておけばうまいくいくのだから」
だから、権力者は制度を絶対化し
それに関する儀式を権威あるものとして位置づけようとする。
 
そうした制度から自由であるために、
「外部」「他者」を意識していくためには、
いったい何が必要なのだろうか。
 
       「他者」というものは、それが知覚されるためには自らの「内なる他者」が意
        識されなくとも働かざるをえないのです。でなければ、まず他者は存在しない
        ことにされてしまうものなのです。(P275)
 
何か外なるものにわけもわからずふりまわされるというのは、
自分のなかの「内なる他者」が
無意識から働きかけているということでもある。
 
なにかが分かるということは、
「分ける」ということでもあるのだけれど、
(分けないと「他者性」そのものが現象しえないのだから)
それは分けられたものを「むすぶ」ということが必要になる。
 
かつてサエの神、つまり塞・境の神というのがあり、
隣村に行くときなどにさえ、
塞・境を通って、山坂を越え、
他郷であり他界へと向かっていった。
 
現代では、自らの内にある「塞・境」を通って
「内なる他者」のもとに赴いていかなければならない。
そうすることで、「外部」「他者」をへと向かうことができる。

 

 

風のトポス・ノート359

同性愛


2001.11.16

 

NHKのラジオドイツ語講座を
今だになんとか聞き続けているのだけど、
今週の応用編のテーマが「同性愛」。
せっかくなので、明日放送分のところ(訳の部分)を引きながら、
ぼくなりに考えてみる素材にしてみることにしたい。
 
         同性愛は今日、ドイツ連邦共和国において、もはやタブーのテーマでは
        なくなった。そうなったのはごく最近のことである。ナチズムの時代には、
        同性愛者たちは迫害され処刑されたし、その後もまだ長きにわたって、し
        ばしば避けられ差別されてきたのだった。彼らは職業生活において個人的
        不利益を被る覚悟をしなければならなかっただけでなく、日常生活におい
        ても繰り返し、社会的孤立や無理解や憎しみを経験してきた。こうした理
        由から、彼らの多くは、自分が同性愛的傾向を持つことを包み隠してきた
        のだった。
         さまざまな抗議活動や啓蒙活動によって、同性愛者たちはやがて、自分
        たちの生活様式に対する幅広い認知を獲得していった。1994年には(刑法)
        175条が廃止された。これは、特定のケースにおける同性愛行為を処罰の
        対象にするものであった。
         2000年11月10日、ドイツ連邦会議は「登録パートナー関係」に関する
        法律を成立させた。この法律により、同性カップルは、経済的・法的な事
        柄に関して、異性カップルと同等に扱われることになる。ヨーロッパのい
        くつかの国々(デンマーク、オランダ、フランス)と同じようになったの
        である。
         ゲイはますます普通の存在になりつつある。最近では、トークショーや
        テレビのホームドラマは、ゲイの人たち抜きには考えられない。大都市で
        定期的に同性愛パレードが催されている。例えば、ベルリンの「クリスト
        ファー・ストリート・デイ」がそれで、毎年数十万人もの人々がこれに参
        加している。
        (NHKラジオドイツ語講座2001.11./P91)
 
ドイツ語では、「同性愛の」をhomosexuell、
「異性愛の」をheterosexuell、
男性同性愛者つまりゲイのことをSchwule(r)、
女性同性愛者つまりレズのことをLesbeと表現する。
・・・ラジオドイツ語講座も、なかなか変わってきたなあ、とか
思ったりするのだけれど、それはともかく、
ドイツでは、この2001年の8月1日から、
同性愛者の「結婚」が可能になったということで、
ヨーロッパではむしろそれでも遅いほうだということなので、
やはり、日本はそこらへんの対応は「遅れている」といえるようだ。
 
そうした社会制度面などでの「差別」などは、
やはりそれなりに現実的に改善していけばいいと思うんだけれど、
そこでよくわからなくなってくるのが、
「性っていったい何?」ということなのだと思う。
 
男ー男、女ー女という関係にしても、
男ー女という二分法から逃れられていないのは確かで、
そもそも、異性愛者だからといって、
異性ならだれでもいいというのではなくて、
その人が好きでその人でないとだめだから
その人といっしょにいるわけで、
それがたまたま異性だったり、同性だったりする、
というふうにとらえたほうがいいのではないだろうか。
だから、「同性愛パレード」っていうのは、やっぱりどこか変な気がする。
自分が愛しているのは、「その人」なのだから、
それを同性愛とひとくくりにして類化する必要なんてないはずなのだ。
 
もちろん、社会的偏見や差別はなくならないといけないけれど、
そのように類化してしまうことで陥ってしまう場所は、
やはり「アンチ」「賛成の反対」でしかないような気がする。
 
同性愛の問題ではないけれど、
結婚にあたっての姓の問題も
同様に考えてみる必要があるように思う。
 
結婚にあたって、姓を変えたくないということにしても、
よく考えてみれば、姓は「家」を引きずっている。
かつては日本では儒教的な意味で「姓」はそのままだったようだ。
 
だから、できうれば、
自分で自分なりの姓とそして名前を
決められるようにすればこうした問題は一挙に解決する。
たとえば、二十歳の時点でそうできるようにする。
成人式というのもそのように、家の影響を出て
個として出発するきっかけとすれば、意味も変わる。
 
ぼくは両親が離婚したとき、
いい機会だと思って家庭裁判所にかけあい、
姓と名前を自分で決めることのできる可能性について
いろいろと相談したのだけれど、
たとえば「悪魔」とかいう名前で
著しい不利益を被っている、というような事実がない限り、
姓も名前も変えることはまずできないとのことだった。
やれやれ・・・。
 
ところで、性の問題にもどるけれど、
おそらく性はエーテル体の特性と関係してる。
そこらへんの問題は、神秘学でも
なかなかアプローチされきれていないところがあるので、
そのうちわかる範囲だけでも整理してみることにしたいと思っている。

 

 

風のトポス・ノート360

「ムスヒ」としての3


2001.11.18

 

         以前、私は「外部性」は入れ子構造を持っていることをお話しました。これ
        は各共同体での「内なる<外>」「村外の<外>」「絶対的な<外の外>」と
        いう表現でお話した記憶がありますが、先ほど概略を述べました各生業型態も
        同様に入れ子になっていることがおわかりいただけると思います。
         さて、私がキリスト教が生んだ観念の中で最も優れたものと考えているもの
        は「三位一体」という考え方です。聖性というものを絶対化(一元化)するた
        めに用いられる論理を相対論(二元論)で説明することの不可能性から必然的
        に生まれたのが、この三位一体の構造と思われます。それは実際に非キリスト
        教世界においても聖性の不死身な構造を地上に表現するときには各所で認めら
        れるものでありまして、案外キリスト教のそれも母神信仰を採用したマリア信
        仰と同様に、土着の伝統的な表象形態を「三位一体」という観念に採用したの
        かもしれません。
         ともあれ、可塑的かつ取り替え可能な霊性を組み入れたこの三元論の意識化
        によって聖性の無限の入れ子構造は解消されるという効果が得られるのです。
        …「外」なるもののもつ両義性やその無限の入れ子構造に直面したとき、日本
        では別の観念でこれを社会化してきたように私は感じています。それはたとえ
        ば「ムスヒ」という観念です。
         先ほどの「外部性」が持つ両義性とはいいかえれば境界的であるということ
        でもあります。「ムスヒ」もまた始まりと終わりを両義的に孕んだ概念です。
        それは民俗的には聖なるものと俗なるものとのムスヒ(結界)と対応するもの
        でもあり、これはコミュニケーションとディスコミュニケーションが同時に作
        用している空間なのです。そして、その結界表象の代表的なものとして注連縄
        という「結び」などが思い浮かびやすいものと思います。これは境界性が聖性
        に転位する空間なのです。更にこのムスヒの空間は「産霊、産火」として日本
        の神話にありますように神々のジェネシスであると同時に、生産力としてのシ
        ャクティの空間であることは、村の境界神、賽の神、道祖神等の造形が男女の
        性的な結ぼれを表現している例の多さからも理解いただけると思います。
         つまり「ムスヒ」という概念は、共同体の内と外とを分別する制度であった
        り、共同体のアイデンティティとしての境界性=聖性であったり、多様な力が
        イニシエートされて善なる力として再生する空間であったりするもので、結局
        のところ野生とも混沌ともイメージされる外部コードを「神」という制度に変
        容させながら受容するためのキーワードであるということなのです。そしてこ
        の「ムスヒ」は産霊や産火や結びとして様々な民俗儀礼の内に仕掛けられてい
        るものなのです。
        (中島智『文化のなかの野生』現代思潮社 2000.3.31発行/P234-235)
 
先日、道祖神について数多くの写真などとともに紹介されている
武田久吉『路傍の石仏』(第一法規/昭和46年3月30日発行)を
出張先の古書店で偶然見つけた。
以前から道祖神について調べてみたいと考えていたので、
まとまったかたちで紹介されていて大変興味深い。
 
そこにみられる道祖神の多くは、男女や二神で、
その両者が握手しているものも多い。
また、陰石や陽石のような「性的な結ぼれ」であるものもある。
 
道祖神はまた、村と村の境界、分かれ道に置かれる
「岐神(ちまたのかみ)」、「塞ノ神(さいのかみ)」でもあり、
内と外との間にある「境界性=聖性」でもあり、
またそこにおいて内と外とが結ばれるところでもあったようだ。
 
内と外という「2」をむすぶための境界性。
つまり、「ムスヒ」は第三のもの。
第三のものがあってはじめて聖なるもの、
神的なものが顕現することができる。
 
たとえば、シュタイナーは、『神秘学の記号と象徴 』第三講のなかで、
「1は神の一元性の数、3は自らを開示する神性の数」、
「三元性は、神的なものと顕現との結びつき」としている。
 
        至る所で出会う二元性の背後に、三元性を探さなくてはなりません。2の背後
        に3を求める時、ピュタゴラス的な意味における正しい仕方で、数の象徴が考
        察されるのです。すべての二元性のために、隠された第三のものが見いだされ
        得るのです。 
 
父と子と聖霊というような三位一体においてはじめて
神的なものはこの地上において顕現しうるものになる。
キリストの地上における肉化ということも
この3ということにおいてはじめてとらえうるものになる。
 
この「隠された第三のもの」が見出されないとき、
聖と俗、善と悪、上部と下部、塩と燐、そして我と汝は
「ムスヒ」を見出すことができない。
 
この「ムスヒ」は2の結びであるとともに、
単に結ぶということからではなく、
それによって創造されうるものということから
とらえられる必要がある。
その結びによってあらたに展開されうるもの。
「中」なる在り方も、
まさにこの「ムスヒ」という弁証法的統合性として
とらえるときにその重要性が理解される。
 
我の外にあったものを
我の内において見出し得る可能性。
集合的なもののなかに自我として顕現していたものが
個における自我として顕現しうるものになること。
生命力であったものが、
思考の力として内化されること。
そうしたことを、この「ムスヒ」という観点から
とらえてみることは非常に興味深いのではないだろうか。

 


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