風のトポス・ノート343
新しい世界へ
2001.9.27
Leo Wir alle haben die Kraft,etwas lebhaft zu sehen und zu spueren.
Die entscheidende Frage ist:
Haben wir den Mut,neue Welten zu entdecken?
レオ 私たちはみんな、ものを生き生きと見たり、感じ取る力をもってい
ます。決定的な問題は、私たちが新しい世界を発見する勇気をもっ
ているか、ということです。
(NHKラジオドイツ語講座2001年9月テキストより)
NHKラジオドイツ語講座入門編、新井訓「レオのドイツ語世界」が
今日の放送で最終回を迎えた。
途中から聞きはじめたのだけれど、とても楽しい体験になった。
直前にある英語会話の講座がアメリカンでポップなノリなのに対して、
ドイツ語ならではのちょっとメランコリックな性格もでていて、
それがぼくには楽だったのもあるような気がする。
おそらく講師の新井訓や共同執筆者でもあるWilly Langeの気質も
ぼくに比較的近しいものだったのもあるのかもしれない。
途中でこの講座をつくりあげる苦労の話もあったりして、
「ドイツ語世界」を開こうとするプログラムづくりの
プロセスを想像してみるのも楽しい経験になった。
ところで、上記の引用は100番目のスキットの最後の部分から。
なかなかに感動的なエンディングの台詞。
この勇気というのは、まさに精神科学的認識へ姿勢として
不可欠なものだと思う。
ともすれば人は、それまで自分がつくりあげてきた世界のなかに生きていて、
そこから出ようとはしないようになる。
ほんとうは何も制限されてなどいないのに、
自分で自分を縛ることで安心を得ようとし、
その「安心世界」のなかに他者をも引き込もうとさえする。
「みんなで見なければ恐くない」とばかりに。
精神科学的認識の基本姿勢は、
こうした過去の亡霊から自由であろうとすることにあるように思う。
個人のレベルではまず「自由の哲学」がそれであろうし、
学問Wissenschaftのレベルでいえば諸科学を
拡げるErweiternするということなのだろう。
「過去の亡霊」はさまざまな形で私たちの前に現われる。
ときに甘い誘いとして、ときに威嚇のようなものとして、
見ざる言わざる聞かざるとして、
また見えない言えない聞こえないという自己洗脳的なあり方として。
そういう「過去の亡霊」から連れ出そうとして、
さまざまなカルマ的連関も現われたりする。
「あなたがつくりだしたのはこういう亡霊なのだ」ということを
体験させるものとして。
まさに、「決定的な問題」は「勇気」なのだと思う。
「過去の亡霊」を守ろうとする勇気ではなく、
それから自由になろうとする勇気である。
それはおそらくドラマの勇者のようなヒロイックな形ではなく、
非常に地味にもみえる日々の生きた思考の中にこそあるのではないだろうか。
「ものを生き生きと見たり、感じ取る力」ということだ。
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