風のトポスノート321-330

(2001.5.22-2001.8.11)

 

321●冒険について
322●リバイバルから
323●南方熊楠・萃点の思想から
324●城の中にいることに気づくこと
325●自律
326●学問と「世間」
327●ペルソナ
328●アナーキー
329●孤独の反対語
330●砕かれた鏡の上にも

 

風のトポスノート321

冒険について


2001.5.22
 
冒険家の河野兵市さんが、北極海で消息を絶ってしまった。
北極点から故郷の愛媛県瀬戸町までの6年間、
1,5000キロにわたるはず旅が、ついこの3月に始まったところだった。
昨年、今回の「リーチング・ホーム」の旅について、
若干ではあるけれど関わることがあっただけけに、残念。
しかも、ぼくと同い年ときている。
 
今回の企画にあたっての河野兵市さんの言葉があって、
なぜかこの「帰る」というコンセプトそのものが、
どこか今回の結果を思わせるようなところがあるので、紹介してみる。
やはり、冒険は「帰ろう」となったときに、
ある種の終わりを迎えるのかもしれない、と。
やはり、冒険はイケイケドンドンでなくては・・・。
 
  思えば、この国を飛び出したのは二十歳のときでした。
  深く考えていたわけではありません。
  はっきりとした“こころざし”があったわけでもありません。
  ただ、これまでの「縁」を断ち切り、身ひとつで生きていくということに
  どうしようもない「明るさ」と「喜び」を感じたらからです。
 
  それから僕は地球という星をさまよいました。
  灼熱の砂漠、氷の大地、スコールに煙るジャングルの一本道、
  文明を貫く孤独なアスファルト、ロッキーの峰々、モンゴルの草原……。
  あるときは自転車で、あるときは徒歩で、またあるときはソリを曳き、
  100キロ、100キロ、500キロ………。
  その先に何が待っているのか、わからないけど。
  「焦げつく青春!!今日一日を焦げつきてしまえ、河野兵市」
  そんな思いで旅を重ねて、気がついたら20年たっていました。
 
  地金はふるさとの暮らしの中で自ずと培われていたのでしょう。
  父がそうであったように
  母や兄もそうであったように
  僕も物心つくころには、摩天楼のような岬の段々畑でみかんを運び、
  火照った体を海に放って、貝や魚を追いました。
 
  北極を歩いた1997年春。
  僕は極寒の60日を歩き抜き、日本人としてはじめての北極点に立つことができました。
  果てしなく続く孤独と寒さ、そして恐怖のなかで、
  ただただ僕の体を前へ前へと押し進めてくれたものーーー
  それは多くの方々に寄せていただいた「心」と、目蓋に浮かぶ「ふるさと」の風景でした。
  20年におよぶ僕の旅は、ふるさとからどんどん離れて、
  ついに北極点まで来てしまったけれど、
  今回はそんな僕の旅の総決算として、
  北極点という地球の原点から、母の暮らすふるさとの家を目指したいと思っています。
  海を渡る鳥たちのように。
  すべての生命をこばむ不毛の大地から、「ふるさと」という生命の源へ。
  「リーチング・ホーム」ーーーーさあ、帰ろう。
 
河野さんは、なぜ冒険を繰り返すようになったのか
それをいくら問うてみても、答えがあるわけではないだろう。
 
今回のことであらためて思ったのだけれど、
冒険には、冒険そのものへ駆り立てられる河野さんのような場合と、
たとえば謎の解明のために冒険という手段を選ぶ場合とがあるように思う。
後者の場合は、やはり謎にどれだけ迫れるかということが重要になるが、
前者の場合、おそらく冒険そのもののなかに目的があるのだろうから、
ある意味で冒険家はいつどこで挫折しても、
そのプロセスそのもののなかに「喜び」があるのではないだろうか。
 
また、冒険には、こうした外なる世界への冒険と、
一見冒険のようには見えないかもしれないが、内なる世界への冒険とがある。
ぼくは、河野さんのように、外なる世界への冒険に駆り立てられることはないが、
「謎」へと向かう冒険については、
常に自分のなかに燃える炎のようなものを感じている。
そしてそれは、謎への挑戦であると同時に、
そのプロセスそのものが冒険であるということがいえる。
・・・というほど大げさなものでもなく、ほんとうはものぐさ太郎なのだけど(^^;、
ものぐさ太郎にはものぐさ太郎の冒険がある、ということはいえると思う(^^)。
 
ともあれ、河野さん、残念。
しかし、本人に悔いはないのではないかと思う。
 
昨年、この広島で冒険行のパネル展と講演会を開催できなかったことは、
ぼくにはちょっと残念だったけれど・・・。
 
さて、河野さんには、北極点単独踏破の際の著書があるので、
ご紹介しておくことにしたい。
 
●河野兵市「北極点はブルースカイ」(愛媛新聞社/1997.8.7発行)

 

 

風のトポスノート322

リバイバルから


2001.5.31
 
昨年来、リバイバルやカヴァーがやたらと流行ってる。
そのことについて、思いつくままに雑感を。
 
今や「明日があるさ」を全国で合唱しているような感じさえあるなか、
今度は、井上陽水が「UNITED COVER」を発売。
初日だけで、65万枚を売り上げたという。
この中には、すでにヒットした「コーヒールンバ」、「花の首飾り」などのほか、
「蛍の光」、「銀座カンカン娘」、「東京ドドンパ娘」、「誰よりも君を愛す」、
「サルビアの花」、裕次郎の「嵐を呼ぶ男」など14曲が収められている。
スリードッグナイトに「オールドファッションド・ラブソング」(ポールウィリアムス作)が
あったが、なんだか「オールドファッションド・ソング」の花盛りだ。
 
少し前に、「明日があるさ」の作詞者でもある青島幸夫の話をFMで聞いたのだけれど、
かつての高度成長期の「明日」と今回の「明日」とでは、
「明日」の意味合いが違うようだ、ということを言っていたように思う。
せんだみつおが「明日があるさ」のバロディ「明日がない」というのを
歌っているのもどこかで聞いた気がするのだが、
たしかに、未来への閉塞感のようなものが、過去への視線を生んでいるのかもしれない。
 
こうしたリバイバルの流行というのは、
ここ20年間ほどの音楽状況の貧困というのが原因としてあるのだろうし、
たぶんどこかで仕掛け人のような人がいて、
その仕掛け人は現在の閉塞状況のなかでおそらくいち早く、
その流れを察知することで、こうした状態を招来することになったのだろうけれど、
なんだか今のこの流れの背景には何かがあるような予感がしている。
 
フォーライフの後藤豊社長は、陽水の「UNITED COVER」の企画意図を
「一言で言ったら世代間をなくしたかったんですよ。陽水が歌うことで、
古い歌でも『カッコイイんだぞ!』とアピールできる。今まで離れていた歌の世代間が、
このアルバムで狭まるはず」と言っているようだが、そういう効果はあるとしても、
最近のリバイバル・ブームの背景のほうがぼくには気になるところなのだ。
リバイバルはそれなりに面白いし楽しい趣向ではあるのだけれど、
それが過剰なまでにマス化してしまうことの危惧。
そういえば、小泉首相の人気が過度になっているのも、気になるところである。
 
かつて、ヒット商品が生まれにくいと言われた時代があったが、
そういう見通しをはるかに裏切って、
最近のCDなども100万枚単位でどんどん売れる時代だし、
携帯電話などの流行もすぐに過剰なマス化に走る時代になってもいる。
そのなかで、個性というような文字だけが言い訳のように連呼される。
こうした流れの果てに何が待っているのか。
そのことが最近は気になって仕方がなかったりする。
過剰なまでのマス現象・・・。
 
ところで、先日NHKの課外授業で嵐山光三郎の俳句の授業を見て感動した。
多摩川のあたりの小学校6年生に俳句をつくってもらろうという授業で、
「死」を見つめるということが大きなテーマになっていて、
最後には「追悼句」が課題になっていた。
そして子供たちの「死」を見つめる視線と言葉の深いことに驚かされた。
今では大人が「死」を見つめようとしないがゆえに、
「生」そのものが混乱させられているようなところがあるが、
子供たちにせよ、「生」は「死」によって逆照射されうるところがある。
そのことを子供たちはしっかりととらえていたように思う。
 
この課題授業などをみていて思うのだけれど、
世代的に見れば、今の小学生以下の世代というのは、
どこか今までの世代にないなにか深い個性と視線のようなもの。
そして未来を開きうる可能性のようなものを感じることがある。
先のマス化だけではとらえられないような何か。
「明日があるさ」ではなく、「明日をつくろう」という視線の可能性。
あと10年ほどでこの世代は成人してゆくが、その世代が頑張れるように
何か準備のようなことができればいいということを最近思うことがある。
 
具体的には何をどうすればよいのかよくわからないことではあるのだし、
できることなどはたかが知れているのもわかっているのだが、
日本経済新聞に連載していた梅原猛の「私の履歴書」に次のようにある言葉は、
大きな重みをもって響いてくる。
 
        日本の学者や芸術家の多くは若くして大成するが、冨岡鉄斎のように
        八十歳をこえてからもすばらしい絵を描いた人もいる。身近な人では、
        秋野不矩さんは九十二歳にしてますますよい絵を描き、白川静氏は九
        十一歳にして新しい研究にとりかかっている。私もせめて彼らのよう
        に九十歳までは頑張りたい。
        (日本経済新聞 2001年5月31日付)
 
鎌田東二に「翁童論」というのがあるが、
翁ー童という視点には示唆されるものがある。
成熟したものであるがゆえに準備できる器のようなものがあるのかもしれない。
現代で最も欠けていると思われるのはその成熟のための創造ではないだろうか。
リバイバルが創造につながるのであればそれもよしではあるが、
やはりそれだけでは終わらない何かを見たいと思っている。
そしてそれはマスを享受したり、
集団化することで同じ仮面をかぶったりすることでは、
開かれてこない何かなのだと思う。 

 

 

風のトポスノート323

南方熊楠・萃点の思想から


2001.6.5
 
         いま考えているのは、南方曼荼羅をどのように内発的発展論の中に取り込むか
        ということなの。その中では、南方曼荼羅の中で非常に大事なのは「萃点」だと
        思う。この萃点が、もとの曼荼羅にもあるのか。萃点のことをなぜ考えたかとい
        うと、大日如来が中心にいるから。もともとの真言密教の曼荼羅では大日如来が
        萃点であると言っているんです。そこへ萃点を置いたんだけれども、萃点という
        言葉が南方の造語なのか、もとの曼荼羅にあるのか。そして萃点という南方の考
        えが、もとも曼荼羅にあるのか。
         萃点は中心ではないの。中心にあると命令することになる。天皇制みたいにな
        る。そこですべての人々が出会う出会いの場、交差点みたいなものなのね。そし
        て非常に異なるものがお互いにそこで交流することによって、あるいはぶつかる
        ことによって、影響を与え合う場ーーそれが萃点なの。
        (鶴見和子『南方熊楠・萃点の思想』藤原書店/2001.5.31発行/P165)
 
ここでいう「萃点」というのは、その結節点に大日如来のいるネットワークの
結節点のようなものとしてとらえられているのではないかと思われる。
 
それは、ヒエラルキ(層)ーを形成するような中心ー周縁の中心ではなくて、
すべての「今、ここ」から発すると同時にすべての「今、ここ」を映し出しながら、
しかもそこから展開していく生成の場のような点。
 
たんなるリゾーム状のものではなく、
そこにあまねく大日如来が可能性として顕現しているような場。
その顕現が、各個の自律的展開によって可能となるような場。
 
その場を各個の内に顕現させること。
その顕現をネットワークとして展開していくこと。
それが、社会を世界を曼荼羅化していくことになるのではないだろうか。
すべてが中心でありながら、すべての中心に大日如来の顕現しているネットワークの生成。
 
シュタイナーのいう「聖杯」について、
また、社会有機体三分節(「層」ではなく「分節」)について述べられていることを
そこに重ね合わせてみるのも、面白いのではないか。

 

 

風のトポスノート324

城の中にいることに気づくこと


2001.6.11
 
         私は「ここが自分の居場所だ」とかいうような場所には一度も
        立ったことがないし、はっきり言えば「人間にそんなものはねえ」
        とか思うくらいなのだが、だが「城のなかの人」の秀頼の感覚は、
        これはとてもよくわかるのだ。確かに自分はこの感覚を知ってい
        る、と思う。それはT心Uである。心の中には確かに、秀頼の大
        坂城のような堅固で、巨大で、圧倒的に聳え立つ城塞の如きもの
        があり、本人も知らない間にその人を閉じこめていると思う。そ
        れは必ずしも抑圧的に自我を押し潰しているわけではなく、むし
        ろ保護してくれているような、だが決してその外には出られない
        ような、そういうものが確かにあると思う。心の壁といってもい
        いだろう。それがたとえば思いこみとか偏見みたいなものを生ん
        でいるのだとすれば、そんなものはさっさと壊してしまえばいい
        のかというと、どうもそうそう簡単にはいかないのではないか、
        とそんな風にも思うのだ。なにしろその心の中の城は、その人を
        支えている物でもあるのだから、それを壊すことは本人の精神自
        体をも破壊することになるからだ。
        (…)
         城というものは何のために建てられるのか。それはその人の心
        が、直に世界に対峙するには脆すぎるからだ。では心というもの
        そのものが脆いのだろうか。そうでもあるし、そうとも言えない。
        城なくしては人は正気を保てないのだから。世界は残酷であり、
        その残酷に対抗するために人は文明を始めとする様々な城を築い
        てきたのだ。最初は確かに守るために城があった。それが人々の、
        お互いの心や生命を害する原因にもなってしまったのは、結局は
        まだまだ世界の残酷さの前に、人々の心の中の城は対抗できてい
        ないということなのだろう。
        (上遠野浩平『紫骸城事件』講談社ノベルス/2001.6.5)
 
なぜこういう物質的世界のようなものが立ち現われているのだろう。
そしてこうして肉体をもってぎくしゃくと生きているのだろう。
お腹は空くし、喉は渇くし、疲れるし、眠くもなる。
きわめて面倒きわまりないことなのだけれど、
たぶんぼくには形というか対象として現われるものが必要だったのだろう。
でないと、形のない世界、対象のない世界のことがわからなくなるから。
 
これは逆説的だけれど、いろんなことについていえることだ。
自分がそれであるということは、それでないということによって、
はじめてそれであるということが知れるということ。
そのために二元論というのは有効なのだ。
 
たとえば青しかない世界というのがあったとする。
そのとき世界は青以外の色がないから、
自分が青の世界にいるということはわからない。
水の中を泳いでいる魚が水の外に出てはじめて
自分が水の中を泳いでいるのだとわかるように、
青でない世界を知ることによって、
青の世界というのがはじめて認識できるようになるのだ。
 
けれど、そうした二元論の落とし穴というのは、
ほんとうは二元論を統合していくことにむかわずに、
片方に対して否定的になるということにあって、
これはけっこうむずかしいことなのではないかと思う。
 
落とし穴とはいえ、二元論を統合させるだけの強さが育っていないで、
退行的な仕方で一元へと回帰してしまうよりは、
とりあえずはそういう二元のなかで七転八倒したほうがいいと思う。
ぼくもたぶん、退行しないために、日々苦しんでいるのだろう。
まだまだ統合できるだけの強さが身についていないから。
 
しかし、認識的な方向に関していえば、
やはり二元論の統合の方向を見ておく必要はあると思っている。
つまりは、城からでる力はまだまだ備わっていないとしても、
少なくとも自分が城の中にいるということに気づくということ。
 
自我というのもそういうふうに見ていくと、
その両義性の部分が少しだけだけれどわかるような気がする。
我をなくすためには我がいるということでもある。

 

 

風のトポスノート325

自律


2001.6.12
 
         南方熊楠は、生涯を「中卒」で過ごした。大学にゆかず、学会に加入せず、無
        位無官のままで押し通した。現代人は組織人だといわれるが、熊楠は、生涯を非
        組織人の立場を守ることによって、かろうじて独自の学問と活動とをなしとげた。
         学校も、職場も、組織であり、そこに属する個人を管理する点では変わりがな
        い。他者によって管理されて勉強したり働いたりしている場合は、たとえいやい
        やであっても、定められた時間の間なにかをしている。しかし、組織の外にいて、
        他者の管理を拒否して、なにごとかをしようとすれば、自分で自分を律するより
        ほかはない。たとえ自分の好き勝手なことをするとしても、それは大変気力のい
        る仕事である。南方熊楠は、小さな子どもの時から、自分で勉強する癖を自分で
        つけたのである。そして、その癖を、一生かかって磨きあげたということができ
        る。
        (鶴見和子『南方熊楠・萃点の思想』藤原書店/2001.5.31発行/P17-18)
 
「自分で自分を律する」というのは、
まさに「自由」ということに他ならないのだけれど、
(野放図というのは自分を律していないから自由ではない)
そうするためにはものすごいエネルギーが必要になる。
 
人が忙しくしているのは、多くの場合、特に組織の中にいる場合は、
「自分で自分を律する」ことができないからだともいえる。
もちろん、与えられた課題をこなすために、
それなりに大変な思いはするのだけれど、
それはほんとうの意味で自分で自分に与えた課題ではないのだから。
 
組織のなかにいてもいなくても、自分の好きなことだけしていればいいとなったら、
人は自分でいったい何をしようとするだろうか、何ができるだろうか。
そのときには、○○○のために、自分は□□□ができない、とはいえないのだ。
すべてが自分の責任に帰することになる。
 
そういう意味で、全部自分でやってる人というのはやっぱりすごいと思う。
ぼくも、やりたいことだけをしていないで、
やはりある程度安定した生活をするために、会社という組織に所属して、
与えられた仕事をすることで給与を得て生活しているというのは、
どこかで自律していないからなのだろうなと思う。
やはり、ぼくにしてもどこかなにかに乗っかっていたほうが楽だという意識が
どこかにあるようにも思うのだ。
 
でもせめて、会社を離れたときくらいは、非組織的であり、
他律的ではなく自律的に生きられたらと思っているし、
できれば、こうしたネットでのあれこれについてもそうありたいと思っている。
ま、少なくとも誰に頼まれてやっているわけでもないし、
むしろ自分でお金を出してやっていることなのだから、
少しは自律的なんだろうなということはいえるようにも思うのだけれど・・・。
 
しかし、もし宝くじにでも当たって
(宝くじは買ったことがないから当たるわけはないのだけれど)
生活に困らないので会社で働かなくてもいいことになったら、
どれだけ自律的でいられるだろうかとか考えてみると、
正直いって、まだまだパワー不足なところがあるような気がする。
頑張らねば。

 

 

風のトポスノート326

学問と「世間」


2001.6.22
 
         わが国では学問だけではなく、政治のあり方や社会のあり方すべてに
        わたって「世間」が深く関わっている。一人一人の人間の行動も「世間」
        の規制下にあり、全体としてわが国は「世間」というシステムの支配下
        にある。それにもかかわらず、すでに見たように私たちの多くはそのこ
        とを意識していない。特に知識人はヨーロッパの学問の影響を受けてお
        り、<生活世界>を無視する姿勢をもヨーロッパから受け継いでいるか
        ら、自分の足もとを見ようとしない。知識人としてフランス文学などを
        講ずるときと、生活者として家族や編集者や学生と付き合うときとは、
        態度からして違うのである。このような知識人のあり方を一般の人は信
        じていない、国立大学の独立行政法人化政策に対して一般の人々が関心
        を寄せないのにはそのような理由もある。
        (阿部謹也「学問と「世間」」
         2001.6.20発行/岩波新書(新赤版)735P158)
 
阿部謹也の「世間」に関するさまざまな著作は、
すでに学者の世界でも注目されているものと思っていたのだけれど、
本書では、「大部分は無視の姿勢を通している」のだそうである。
それに対して、「大学以外には多くの聴衆がいた」ということである。
 
政治の世界でも「永田町の論理」とかいわれるものはまさに
その世界での「世間」であって、
いくらそれに対する数多くの批判が寄せられたとしても、
実際のところ、その「世間」の外のことでしかなかったのだろう。
今、小泉首相の人気が異常なまでになっているのも、
その「世間」を変えてくれそうな期待感からくるもののように思える。
そして、それが「自民党」としてのものだということが、
おそらく重要なキーになっているのではないだろうか。
たぶん、「国民」という「世間」においては、
「自民党」がなくなってほしいとは思っていないのだ、おそらく。
「自民党」でなくちゃいけないけれど、今のままではダメで、
それを改善してほしいと思っている。
 
今日の日本経済新聞に自民党の全面広告が掲載されていて、
最近流行の小泉首相のドアップのビジュアルに、
「自民党を変える。日本を変える。」
というキャッチコピーがあったのがそれを表わしている。
自民党を変えることで、日本を変えようというのが、
この広告のメッセージだとぼくはとった。
自民党は巨人軍のように不滅なのである(^^;。
 
実際、多くの人たちは、おそらく大きな変化を望んでいない。
自分たちの「世間」を守りたいのだ。
その「世間」に対してはおそろしく無自覚なのだけれど、
なんとなく、まさになんとなく、変わるのはコワイのだ。
それが昨年末の加藤紘一の態度として現われた。
それこそがおそらく「国民」そのものの代表でもあったように見えた。
それに対する不満とたぶんある種の共感ゆえに、
今の小泉人気となって噴出している。
 
ところで、学問である。
経済に直接結びついていないがゆえに、それへの一般の関心はおそらく低い。
しかし、ほんとうは、学問ほど重要なことは現在ないのかもしれない。
そして、学問の世界において、もしみずからの「世間」に対する自覚を持たず、
また危機意識を持たないのだとしたら、かなり深刻な問題なのではないかと思う。

 

 

風のトポスノート327

ペルソナ


2001.6.27
 
         たとえばあなたが外国を旅していて、とんだ赤っ恥をかいてしまったと
        する。ーーそのときあなたは「まあ、ここは外国だし。実際の日常生活で
        はないだし。母国に帰れば本当の人生に戻るんだし。大したことはないさ。
        しょせんは異境のことだ」とか考えてしまうかも知れない。あるいは外国
        だからと日常生活では考えられないような振る舞いをわざとして、そして
        帰ってきたときには「おや、そんなことがありましたっけ」という顔です
        ましてそのまま日常に戻るとする。伊丹十三の随筆「ヨーロッパ退屈日記」
        ではこういう態度は意味がないと断じている。正確にこういう表現がどう
        かは自信がないのだが、とにかくたとえ外国であっても、そこでの生活が
        仮のものだという気持ちに逃げてはいけない。人生から降りてはいけない
        のだという。本当の生活も仮の生活もないのだ、現実には変わりがないの
        だ、というのである。
        (…)
         旅をしている。その間は人は日常のしがらみから解放されている。そう
        いう見方もある。人が生活していく過程で仮面を付けないで素顔でまかり
        通ることなど滅多にない。たいてい人はいつでも演技をしている。それで
        は重っ苦しくてしょうがない。だからせめてそういうものを脱ぎ捨てる場
        所として異境があってもいいじゃないか、とかいう意見は、それはそれで
        有効のように見えるが、しかしよく考えてみれば、それではいつもの重っ
        苦しい生活とやらはいつまで経ってもそのまんまである。外に不満を吐き
        捨てて、それでスッキリできればそれでいいだろうが、しかし本当にそう
        いう風にいくだろうか?だいたい無人の荒野を行く訳でもあるまいし、旅
        先にだって人間はいるのだ。一人の人間の、他人に対する姿勢なんかはそ
        うそうバリエーションがあるわけじゃないから、そこでまったく違った態
        度をとり続けるわけにもいくまい。ここからここまでが自分の生活で、後
        は関係ないということに決めつけてしまうと、本当の生活というものはな
        んだか、ずいぶんと小さいものにしかならないように思う。
        (上遠野浩平『殺竜事件』講談社ノベルス/2000.6.5)
 
旅の恥はかきすて・・・にできるわけではない。
その捨てたものは自分のなかには残るわけだし、
むしろそれがシャドーのようになって日常を侵すことになる。
酒を飲んで我をなくして無礼講をすることが
結局は自分へのもっとも無礼な働きとして返ってくるようなもの。
与えたものは返ってくる。
確実に。
しかも、自覚的でないときには、
さらに力を増して返ってくることになる。
 
人が見ていないから、
日常において気にすべき人に見られていないからといって、
だれも見ていないわけではないのだ。
「神はみておる」ということもいわれるが、
神といわなくても、そう、自分は見ているのだ。
その見ている自分をなくした気になったとしても、
その見ている自分はなくならない。
その自分は日常ー非日常を超えて続く自分なのだから。
 
日本では、我をなくすことが美徳のようにいわれたりもするが、
我をなくして折伏しようとしたりサリンを撒いたりもするように、
自分をなくそうとしても決してなくなるものではない。
我をなくすのではなく、超えていかなければならないのだろう。
超えるということは、我を大きな我とすることであって、
我を働かなくさせるということではない。
そういう意味でも、非日常でブレイクしたりするのではなく、
日常を包みながらそれを超える方向が必要なのだろうと思う。
 
だからといって仮面(ペルソナ)が要らないわけではない。
いや、むしろ、だからこそ仮面が必要なのだといえる。
日常においてはあまりに制約が多すぎる。
ゆえに、その都度の場に応じた仮面を数多くもてる能力は
非常に有効なものとなる。
そもそもこの地上で生きるということそのものが、
ペルソナとしてのパーソナリティをまとうことが
前提になっているのだから。
非日常においてブレイクしてしまう人は、
おそらくそのペルソナがあまりにも窮屈で、
しかも一種類しか持てないものだから、
すぐにそれを無闇に投げ捨てようとしてしまうのだろう。
それならば、むしろ日常におけるペルソナを
もっと変幻自在なものにしておくほうがいいのではないだろうか。
 
悪への視点も同様である。
悪をあまりにみずからの内において排そうとする姿勢こそが、
逆転して悪への傾斜をつくりだしかねない。
もちろん悪をなせというのではなく、
みずからが悪とは無縁ではないということを
常に見据えておかなければならないということだ。

 

 

風のトポスノート328

アナーキー


2001.6.28
 
         山登りの好きな人を「山屋」と称するように、虫好きの人を「虫屋」
        と称する。では、虫屋とは単に虫が好きなだけの人間かといえば、ど
        うやら、それほど単純でもなさそうである。
         虫屋には一定の傾向があるらしい。今ここで、それをきちんと規定
        することはできないけれど、気づいたことだけを言えば、虫屋はアナ
        ーキーだということである。
         他人の決めた秩序に従って何かをするのが嫌いで、秩序らしきもの
        は自分で作ろうとする。あるいはそんなものは無くてもかまわない、
        と思っている。
         それは、そんな性質を持った人間が虫好きになる、というのではな
        くて、虫に影響されてそうなるのであろう。実際に、虫の色と形、そ
        して生態の、途轍もない多様性を見ていれば、人間の世界でチマチマ
        したうるさいことを言っているのなぞ阿呆らしくて仕方がない、とい
        うことがある。
         世の中には、自分ひとりで静かにものを見たり考えたりするのに耐
        えられなくて、何かと言えば大声を出して人を集めたり、規則を作っ
        て他人を縛ったりしようとする連中がいるけれど、虫屋の多くは、お
        よそ、その反対を好むようである。
         もともと、どんなに規則の網の目を細かくしても縛り切れぬ人間と
        いうものを、何とか縛り付け、従わせようとして、たとえば、大学の
        教授会などでも長々と、目の色を変えて議論をし、堂々巡りを繰り返
        して飽きない人がいるけれど、そういうところに紛れ込んだ虫屋は、
        早く家に帰って虫をいじりたいとひたすら念じている。ところが、立
        ち上がって議論をしている人々は、こうして喋っていること、人に自
        分の意見を聞かせること、あるいは人を拘束することが、実は楽しく
        てしかたがないし、ひとりになると何をしていいか分からない連中で
        あるから、いっかな止める気配がない。
        (養老孟司・奥本大三郎・池田清彦「三人よれば虫の知恵」
        新潮文庫/2001.7.1発行より、
        奥本大三郎「はじめにー虫屋の一面」/P3-4)
 
ぼくは、このお三方に比べて「虫屋」だといえるほどの
大それた人間ではないけれど、小さい頃からけっこう虫が好きだった。
もちろん虫だけじゃなくて、野山や海を駆けめぐりながら、
いろんな珍しいものを見るのが大好きだった。
そしてそれが今でも続いている。
yuccaも同じ趣味傾向があるものだから、
休みになると岩石見物に出かけたりする日々である。
 
上記の引用部分を読んでそうなのかと納得したのは、
自分のアナーキーな傾向についてであって、
やはり、さまざまな自然のなかで遊びながら、
その「途轍もない多様性を見て」過ごしていれば、
やはり、そうならざるをえなかったのかもしれない。
 
それは自然に限らずあらゆることについてそうであって、
こんなにおもしろいことがたくさんあるのに、
それをどこかに閉じこめておくことなどできようはずもない。
 
しかし、会社などにいてもそうだけれど、
会議の好きな方というのは一定数いて、
まさに延々と回りくどいことを繰り返して飽きることがない。
夜を徹して会議のための会議を繰り広げていく。
そういうなかにいると、ほんとうに、
「早く家に帰って」遊びたいと「ひたすら念じている」しかない。
 
実際、会社のなかでも、会議のための会議の好きな人というのは、
家にかえっても何もすることがなくて、
むしろ家に帰るのを恐れているかのように、
いっこうに家に帰りたいそぶりをみせることがない。
休日でさえ会社にでてきてちょっと油断をすると
一蓮托生の仕事に人をも巻き込もうとさえしかねない。
そして会議が終わっても、今度は飲み屋に出かけようとしていたりする。
やはり、そういう人は「自分ひとりで静かにものを見たり
考えたりするのに耐えられ」ないのだろう。
そうなると、自分の顔が意識の鏡に映ってしまいかねないものだから、
その恐怖から身を遠ざけようとするのではないか。
 
一人ひとりがもっと自分のまわりのあらゆることに、
そして自分の内のあらゆることに目を向けようとするだけで、
人はその「途轍もない多様性を見て」、
そしてその大いなる不思議のなかで、倦むことはないはずだ。
おそらく、教育と称するものは、
世界はそんな無限のワンダーランドなのだということを
子どもに実感させるだけで足りるのではないか。
あとのチマチマしたことは必要に応じて自分で勝手にするだろうから、
あとはいっしょに遊ぶことだけでいいのではないか。
そんなことを思ったりもする。
 
要は、大人がアナーキーに楽しく遊んでいれば、
子どもはおのずとアナーキーに遊ぶようになるという、ただそれだけ。
まさに、シラーもいうように
「人間は文字通り人間であるときだけ遊んでいるのであって、
遊んでいるところでだけ真の人間なのだ」。

 

 

風のトポスノート329

孤独の反対語


2001.8.8
 
宇多田ヒカルがホームページで、
「孤独の反対語は?」という問いかけをし、
それに対して、孤独の反対は「無知」であるということを
言っていたらしい。
(ほぼ日刊イトイ新聞「ズーニー山田先生」による「おとなの小論文教室」
「Lesson56 孤独という身体の教養」より)
 
ズーニー山田先生の「おとなの小論文教室」には、
自分で考え、それを言葉にしていくための
ヒントがたくさんあって、楽しみにしている。
今回は、「孤独」と「寂しさ」との違い、
そして孤独ゆえの希望について。
(以下、引用部分はそのなかから)
 
        つねに独りであるのを恐れ、
        みんなとともにあろうとして、
        あれないのが「寂しい人」ではないだろうか?
        ・・・・
        自分であるために引き受ける独りと、
        みんなであろうとして満たされない独り、
        この二つはずいぶん違うように思う。
        ・・・・
        寂しい人は、
        自分との対話を避け、さまざまに気をまぎらす。
        だから、人とつき合うとき、
        他者の中に、自分を探しているような気がする。
        結果、自分に似たものしか愛さない。
        ・・・・
        結果、自分とは違う「他者」を心から求める。
        だから孤独の底は他者とつながっている。
        そこに希望がある。
 
なぜ宇多田ヒカルが、孤独の反対語を「無知」だと言ったか。
たぶん、独りでいることができるということは、
自分で考えることでもあるからなのではないかと思う。
 
もちろん「独りでいる」ということは、孤立を意味しない。
孤独は「他者」とともにあるための道なのだから。
その意味では、独りでいられないというのは
「他者」から閉じているということでもあるのではないだろうか。
 
先日、山岸俊男『安心社会から信頼社会へ』の、
「安心」と「信頼」の違いについてご紹介させていただいたが、
「他者」との関係においてそれをとらえてもてもいいかと思う。
「みんないっしょ」だと「安心」できるけれど「他者」は拒んでしまう。
「みんな違う」から「他者」との「信頼」を
創造していかなければならない。
 
シュタイナーのいう「故郷喪失者」というのも
その「孤独」と近しいのではないかと思う。
「故郷」にいるというのは、異質なものを排するということ。
そこから出るということは、「他者」に出会うということなのだから。
 
しかし、最も困難なのは、「故郷」にありながら、
「故郷喪失者」であるということなのだろう。
イエスでさえ、「故郷」では何もできなかった。
ユダヤ人のなかでも結局のところ何もできなかった。
 
「故郷」のなかにあえて身をおきながら、
「寂しい人」にはならないで、
「独りでいる」ことができるということ。
それがまさに「無知」ではないということなのかもしれない。
その「無知ではない」ということは
「無知の知」に裏付けられているということでもあるのだが…。

 

 

風のトポスノート330

砕かれた鏡の上にも


2001.8.11
 
宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』のなかに、
「こなごなに 砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される」
というところがあり、それがタイトルの『いつも何度でも』と呼応し、
ぼくのなかにそれこそ「何度」もリフレインされている。
 
「鏡」のアナロジーでいえば、
そこには偽りのないものが映されていて、
それが曇ったり砕かれたりすることは、
いわば神的なものからの離反を意味することもある。
 
「鏡/か・が・み」のまんなかには、「が/我」があって、
鏡が壊れてしまうということは、
その我が大いなる世界との関係から
分離してしまうということでもあるのかもしれないが、
それによってしか可能でないこともあるように感じている。
 
それは、この肉体的地上的なものだけを自分だと思い込んで、
その囚われのなかで彷徨ってしまうことでもあるのだけれど、
ある意味で壊れかけている「が/我」を引きずりながらも、
そこでしか得られない何かがあるはずなのだ。
 
古代の霊性を一度は失いながらも、
遺伝的に継承されてきた霊的能力が
たとえば思考に変容するというのもそのひとつで、
失われてしまうことではじめて得られるものがあるということだ。
 
「思考」は多くそれそのものが稚拙であるわけなのだけれど、
その「砕かれた鏡」に映る「新しい景色」から
人は始めなければならないところがあるように思う。
失われてしまったものがたとえどんなに素晴らしいものであったとしても、
その郷愁だけで生きていくことはできないのだし、
その失うということこそが重要なことなのかもしれないのだから。
 
新しい葡萄酒は古い革袋ではなく、
新しい革袋に入れなければならない。
家族や血縁に剣を投げ入れなければならない。
 
ところで、『いつも何度でも』を歌っている
木村弓さんの奏でているのはライアで、
CDの解説などにも
「シュタイナーの思想をもとに公案された竪琴ライアー」とあったりする。
 
その不思議なシンクロニシティのようなものを考えたりしながら、
ふと「神隠し」ということの意味に気づいた気がした。

 


■「思想・哲学・宗教」メニューに戻る
■神秘学遊戯団ホームページに戻る