風のトポスノート311-320

(2001.4.18-2001.5.14)


311●風のトポス

312●現(うつつ)を抜かす

313●私の複数性から

314●リズム

315●県民性という視点から

316●幻想とともに生き、幻想を活用する

317●物語を生きる・物語をつくる

318●儀式と自分の物語をつくること

319●自分らしさと共同幻想

320●他性の自己

 

 

風のトポスノート311

風のトポス


2001.4.18

 

 途方にくれるほど遠いとしても、そこに到達するには一番近い所から始めるほかはないのだ。一歩一歩の限りない連続として、遠い旅路は延びている。なすすべもなく重いというのにしても同じようなことだろう。重いからこそ、それを軽さとして観じうる方策を案出する以外に、方法はない。軽さ、軽みとは、重さにとっての必然性であるとまで言い表わされるような位相について、いま私は考えていこうとしている。これは、見はるかす遙かな天際のその彼方をいかにして把捉するかという、遠くかつ重い問いと向き合わねばならなくなったとき、マクロコスモスをマクロコスモスたらしめる以外に何の手だてがあろうかと悟るというのとも通じよう。けれどもこの手だてとは、巨大な対象を、扱うのに好都合なように縮尺投影法にゆだねるといったことではない。

 芭蕉の場合には、それは風が通い、流れゆくようなことだった、こんなふうに思い浮かべてゆけると思う。厳格に理をふんで思考を積み上げてゆくよりも、直観として、これこそが芭蕉的な本性に深くかかわることだという気がするために、風というそれを語るのにふさわしいイメージ、状態を籍りるのである。芭蕉が遠きをめざして間近な一歩から踏み出し、重みに応じようとして軽みに想到し、マクロコスモスに迫ろうとしてミクロコスモスとして立ったのは、自らが風に化することに他ならなかっただろう、こうも言い改めてゆける。

 風とは文字通り気圧の変化に伴って生ずる空気の移動である上に、風雅、風狂、風騒などの言葉の中にあらわされた特質や概念も含む、と考えてゆきたい。それらの熟語が帰するところは、やはり風だと考えるからである。(…)

 目には見えぬ風が流れ、疾走する。あるいは上空へと捲き上がる。捲きおろす。いずかたからか戻ってきて、しかし瞬時に掻き消えてしまう。だがそれを目には見えぬといったのでは理屈にすぎない。散り乱れる木の葉、はためく洗濯物、奪われる呼吸などによって、風はありありと見えているし、わが身に感じられている。風に曝された人間も、風に運ばれてゆく風の一部である。(…)

 俳諧は花の座、月の座、恋の座と定型的トポスをいくつも設置した連鎖的共同制作詩である。だが人と人が相接し、志を共にして事を行なうとき、志の中に秘められた唯一性と人間同士の形づくる多元性をつなぐ装置が必要だった。それが伝統様式の発展の線に沿って花や月や恋のトポスという形をとる。とはいえ俳諧の全体は、非局所的に風のトポスとなっている、そうも見られるだろう。風の「座」などは存在しない。だからこそどこで、どの時刻に風が吹いてもよい、吹かずともよい、ともあれ風雅としての本性を手放しさえしなければよいのだ。この「非局所的」という特色が「風」を一層自在たらしめている。片方の極に厳重な形式が集まっているとき、対極に結集しうる自在さの質がいかなるものであるかによって事は決まる、そんな状況が考えられる。芭蕉の「風」「風雅」を、私はそのように位置づける。「風」は人間とものと存在(総体)のあいだを吹いて、変幻を喚びだした。芭蕉という人間は、自らが風となって関所を超え、もう一つの世界に踏み込んでいった。ものたちは木の葉のように舞ったり、1カ所に寄り集ったりしながら、しだいにトポスを形成するさまに整序していった。そういう整序も結局は個別性であり、局所的であると見えてきたとき、個別を否定するのでなく個別に応じ、局所を解体するのでなく無限へと向かって穴をうがつというふうにして、総体的なものがあらわれる。だがかりそめにマクロコスモスと呼べるそれの出現と共に「風」がおさまったといえるのだろうか。

(高橋英夫「ミクロコスモス/松尾芭蕉に向かって」講談社学術文庫1992.5.8発行/P258-260,P285-286)

 ここ一ヶ月ほど芭蕉が不思議に気になりはじめた。そうこうするうちに、以前気になり購入したままの高橋英夫「ミクロコスモス/松尾芭蕉に向かって」を手に取ったところ、その第十章が「風のトポス」となっているのに気づいた。しかも、その論考にはノヴァーリスも随所に登場してきたりもするし、読むほどに、どこかこの「神秘学遊戯団〜風のトポス」のコンセプト(らしきもの)とオーバーラップしてくるところがあったりもするので、今回はそこらへんを少し。

 神秘学は、信仰ではなく認識をその基礎に置く。ここでいう信仰は、宗教における信仰のみならず、科学主義や唯物論などのようなあり方も信仰であるとみなされるものとしてとらえる。

 認識が基礎にあるということは、『自由の哲学』がそうであるように、認識に限界を設ける方向性はとらない。認識に限界があるのは、認識方法を固定化するがゆえのものであるともいえる。たとえば、今ここから山が見えないからといって山がないとはいえず、山を見るために移動したりすることで、山を見ることも可能である。ゆえに認識の位置を固定化し、それ以外に否定的に対するということはすべからく信仰的であるといえる。

 信仰的であることをすり抜けるためには、限りなき「遊戯」が必要とされる。遊戯するということは、俗に対する聖なる側面と同時に、なおいっそうの俗を要求するものでもある。その聖と深い俗との振幅ということこそ、人間の人間存在たる所以でもある。(シラー、ホイジンガ、カイヨワ、の遊びに関する論考は傾聴に値するものである)

 さて、認識に限界を設けないということはすべてが今すぐ認識可能であるということを意味しない。認識の可能性への限りなき旅路を意味しているのである。しかも、その旅路は目の前のこの一歩が常にその基礎にある。その振幅において大いなる困難さが横たわっている。

 しかも、神秘学は、その対象を限定しない。あらゆるものがその対象であるということこそ、神秘学なのだから。そういう意味で、「トポス」が固定化してしまうことは神秘学に矛盾する。たとえときには定型的なトポスにおいて現出することはあったとしても、それが「座」となるということはありえない。

 あらゆる形や現象は、かりそめのものでしかない。かりそめのものを固定化したものとして見るというのは世の習いではあるが、そうした世の習いからこそ常に自在である必要がある。しかしそれを単なる無常としてしまったときには、そこにある真実を見ることはできなくなってしまう。その自在さにおいて、かりそめのなかにある理念の展開をこそ見なければならない。自在さにおいて変幻するものをとらえるということにおいて、矛盾しているかに見えるものを統合的に見る可能性が開かれる。

 「だからこそどこで、どの時刻に風が吹いてもよい、吹かずともよい、ともあれ風雅としての本性を手放しさえしなければよいのだ。」

 今ここにおいて、私が私であるということにおいて、風雅であり、風狂であるということ。そのことにおいて、さまざまな「関所」を超えてゆき、今はまだ目にすることのできない山を岩を海へと向かって戯れてゆくこと。そのひとつとあらわれとしての多元的なネットワークに向かって開いてゆくこと。

 そういう「風のトポス」でありたいと思う。

 

 

風のトポスノート312

現(うつつ)を抜かす


2001.4.19

 

 いまここにこうして生きていること。小石があり、明日があり、意識があり、この世があること。こうしたことは、ごくあたりまえで、なんの変哲もないことのように、一見おもえてしまう。どうしてもそう、おもえてしまう。けれど、じつは、とんでもなく不可思議で、奇蹟とすらいっていいような現象だとしたら、どうであろうか。(…)

 無我夢中という。なにかに専念し没頭する人のありようである。可能なかぎり間近にものごとが来襲し、そのなりゆきに身をゆずりわたすときである。事故にまきこまれた瞬間、恋に身を灼く日々、しごとに熱中している状態などは、その典型だろう。このときほど至近距離でぴったりと、人が現実(生/世界)に融触し、その渦中に居合わせているときもないであろう。ドイツ語なら、anweswnd seinとかdabei seinというところである。

 けれど無我夢中とは同時に、我を忘れ、現(Da)をぬかすことでもある(abwesend sein,nicht dabei sein)。生きていること(生・実存)も、それとひとつに生きられていること(世界)もともに、すっかり視野から脱け落ちていく。焦点のまとになるいくつかのものごと(存在者)だけが、こころとまなざしを占領し、リアリティ(生/世界)そのことは[ひいては当の存在者の存在も]、寡黙状態の闇のまま放心される。迫るような間近さで出会われ現にある(Da-sein=presence)はずなのに同時に、逃げさり隠れ空けたままに終始する(Nicht-Da-sein=absence)。まるで背後に落ちる自分の影のようだ(振りむいてみえてとたん、それは<背後>におちる影であることを辞める)。

(古東哲明「<在る>ことの不思議」勁草書房/1992.10.1発行/i,15-16)

 現(うつつ)を抜かす、とはよくいったもので、今ここにいるということを抜かしてしまって、まさに夢中に(夢の中に)なってしまっているわけである。夢現(ゆめうつつ)・・・、まさに夢が現になっている。

 しかし無我夢中のときほど、生の渦中にいるときもまたないだろう。ひょっとしたら生の真ん中にはぽっかりと穴があいていて、もしくは中心に向かって渦を巻いていて、その穴のなかから現の外へと抜け出てしまっているのかもしれない。

 それが無我夢中を脱して我に返るとき、つまり、今私がここにいるということに気づくとき、逆に、今私はここにいないで、その外側にいるようにも感じられてしまう。今ここにいる私を意識するということは、私そのものではなく、私に向かう意識なのだから、それは今この私ではない。

 これはいったいどういうことだろうか。まるで現と夢とがメビウスの帯、クラインの壺のようになっている。

 胡蝶の夢という荘子の有名な寓話がある。蝶になった夢をみている。しかし、果たして私が蝶になった夢を見ているのか、それとも蝶が夢見ているのが私なのか。それは、鏡にもたとえられる。鏡に映った自分がいる。しかしどちらが実像でどちらが鏡像なのか。もしくは、生とは死が見ている夢、または死とは生が見ている夢・・・。

 世界劇場というように、私はこの世界において、私という役柄を演技していると考えることもできるだろう。役になりきって、演技をしている自分を忘れて舞台にいる自分は現を抜かしているが、ふと我にかえったとき、その世界劇場の外にいる私に気づく・・・。

 はたして、今私はいったいどこにいるのだろうか。

 

 

風のトポスノート313

私の複数性から


2001.4.23

 

 わたしが英語を嫌いになった原因は数々あるけれど、なんといっても、いちばん最初に馬鹿馬鹿しいと思ってしまったのが致命的だった。

 つまり教科書のはじめのほうに、I am a boy.というのがあったわけだが、まず、これがいけなかった。だいたいそんな台詞をしゃべる少年が世の中に存在するだろうか。「わたしは少年です♪」…しかもそのあとに、Are you a girl?Yes,I am a girl. と続いていたのがいよいよいけなかった。

「わたしは少年です。あなたは少女ですか?」

「はい、わたしは少女です」

 アホですか、きみたちは!いまにして思えば、「わたしは少年です」のあとに、「だから人を殺しても罪に問われないのです」とでも書いてあったら、わたしも納得できかたかもしれない。

(奥泉光「鳥類学者のファンタジア」集英社/2001.4.10発行/P111-112)

 奥泉光という作家をそんなに読んでいるわけでないが、「ノヴァーリスの引用」でデビュー。その後、「石の来歴」で芥川賞を受賞したということで、その書名に気になるものがあったので、たまに読んでみることにしている。今回は、ちょっと不思議な音楽小説になっているということで現在読書中。とはいえ、この引用はほとんど本書とは無関係だと考えたほうがいい。この部分を読んで、ああそうだったんだと勝手に思ったことを今回は少し。

 不思議なことに、ほんとうに不思議なことに、ぼくのようなおじさんになっても、言葉としては、I am a boy.という言葉が使える。奥泉光という作家もぼくよりも少し年上なのだけれど、I am a boy.という言葉を使うことができている。もちろん、これは小説のなかの、しかも登場人物の語りのなかでの言葉。しかも登場人物ではなく、登場人物が挙げている例文にしかすぎないので、あたりまえだといえばあたりまえなのだけれど、よくよく考えてみれば、言葉を使うということは、こういうこともできてしまうのだということに、あらためてのように気づいた次第。

 こういうこと、というのは、私は私であるということによって、私の複数性ということも可能になるということである。ふつうは、ぼくはぼくでしかないのだけれど、ぼくは、たとえばお話をつくるときに、別の私の語りをすることができる。もちろん、物語作者と物語の語り手は別のレベルではあるのだが、それにしても、ぼくがいろんな私になることは容易なことだし、人間でなく、動物や植物や鉱物になることもできるのだ。また、芝居で舞台の上に立ってみると、この身体をもったまま、別の人物などを私として演じることもできる。

 そんなのあたりまえだ、といわないでほしい。これこそが魔術的な意味でも不思議の根源にあるものなのだから。そもそも「一なるもの」「一者」「ONE」いわば「神」が、この宇宙において相対化し複数性として展開していることこそが、摩訶不思議そのものなのである。

 エホヴァは「私は、私である、である」といった。自我は自我自身を定立する。まさに!しかし、それゆえにこそ、私のなかにはすべてがあるのだといえないだろうか。I am X.そのXはあらゆるものであることができる。

 ノヴァーリスは「内的複数性」という視点を提出している。これに関しては、以前「ノヴァーリス14」でコメントしたことがある。そのときに、中井章子「ノヴァーリスと自然神秘思想」のなかの次のような部分を引用した

 「高次の我」や「内なる汝」と呼ばれる存在は、「内在化された超越者」あるいは「内在化された他者」といえよう。フィヒテの自我が「一切であり、その他には何ものも存」せず、自己同一性を保っているのに対し、ノヴァーリスは「プルラリズム」、「内的複数」、「私たち自身の内的複数性」innere Pluralitaetなどと、「私(自我)」そのものの複数性を主張する。「私の複数性」とは、「高次の我」や「内なる汝」を自分のなかにもつことであると同時に、「いかなる人も、私が考えたり行なったりすることに、固有の関わりをもっているし、私も、他の人の考えに関わっている」という、自分の外なる他者との内的関係性でもある。「生命なき事物に対する愛」や「植物や動物や自然に対しての愛」が、人間の「内的複数性」に基づくという考察は、1800年前後という同時代のヨーロッパ思想界を背景としてみて斬新なものであるし、二十世紀末の現代にも示唆に富む考えであろう。

(中井章子「ノヴァーリスと自然神秘思想」/P160-161)

 私は私であるといえるがゆえに可能になる「内的複数性」。それは、集合魂によっては可能になりえない。また、それこそがまた「愛」の根拠にもなりうる。

 思考は対話が内化したものであるということについても以前述べたが、その思考による一元論というシュタイナーの『自由の哲学』も、そうした「内的複数性」ということが含意されているように思われる。

 もちろん、その「内的複数性」は人格の分裂としても展開しうるのだが、その分裂においては統合性、中であることが失われている。「内的複数性」は「私は私である」ということ「において」こそ、成立しうるものでなければならないのだから。

 

 

風のトポスノート314

リズム


2001.4.27

 

 ちょっと身の回りを見回してください。

 原子が動き回るリズム、電波、心臓の鼓動、呼吸、脳波、歩行のリズム、会話のリズム、日常のリズム、緊張と弛緩のリズム、コミュニティのリズム、都市のリズム、波のリズム、四季のリズム、地球のリズム、太陽と月のリズム……。この世の中には実に多種多様たくさんのリズムがあることに気づくはずです。

 私たちは赤ん坊として泣きながら産まれ、やがて年老いて死んでいきます。人間の一生もリズムのようなものです。(…)

 音楽療法の実践に、これまで私が経験してきたこと、出会ってきた人々、携わった仕事などが大きく影響しています。日本古来の神道、インド思想、陰陽五行説、気功、自然の摂理、古代文明からの知恵、世界中の宗教の教え、そして西洋近代科学……。

 そして、こうしたなかで、最も興味深い体験が「リズム」という不思議な存在でした。

 もちろん音楽にリズムはつきものです。メロディとリズム、そしてハーモニーは三位一体となって構成しているのが音楽だからです。

 私のヒーリングミュージックは、いわゆる「揺らぎ」のリフレインがベースになって構成されています。自然界は一瞬たりとも同じ音を発することはありません。その瞬間、瞬間の音の世界が「揺らぎ」の波動、リズムの世界なのです。

 その不規則な繰り返しのリズムの上に、自然界の風景をイメージした世界の音が折り込まれている。

 なにも考えずにすべてを音に任せ、音のリズムを体内リズムと合わせます。そうすることによって、自分で自分を「癒やし」、リラックスすることができるのです。

 こうして「リズム」というものを大切に考えていた私は、音や音楽、音楽療法以外にも実に様々な分野、多様な場面で果たしている「リズム」の役割に気づきました。原子や分子のミクロの世界から始まって、人体、大自然、そして宇宙にいたるまで、この「リズム」があらゆるところに満ちあふれている。

 実は、この世はリズムによって支配されているのではないか……。

(宮下富実夫「リズム絶対主義」扶桑社/平成12年12月10日発行/P3-9)

 宇宙は一本の弦であるとしよう。弦以外の何者も存在しない。

 その弦が振動する。たとえば、弦が二つの部分に分かれて振動する。三つの部分に、四つの、五つの部分に分かれて振動する。そのように本来一本の弦としての世界が展開してゆく。

 私も一本の弦であるとイメージしてみる。その弦が振動して私という現象として現われる。その振動が宇宙という弦と共振する。

 私が歌えば、宇宙が歌になる。宇宙が私というカタチを生み出し、その私というカタチが宇宙を交響させる。

 リズムは数でもあり、カタチでもあり、幾何学でもある。プラトン立体も宇宙のリズムによる交響である。「哲学はリズムである」とは中村雄二郎。

 森羅万象を無数のリズムの交響としてイメージしてみよう。そうすると、海も山も、岩も、樹木も、動物たち、昆虫たちも、その特有のカタチを楽器にして、宇宙の音楽に参加していることがわかる。この掌の上にある一本のボールペンや、さきほど飲んだ一杯のコーヒーでさえも。そうして、それらはすべて一体となった一本の弦そのものでもある。一即多、多即一である三千世界の摩訶不思議。

 私というカタチのもつリズム。無数の他者のカタチのもつリズム。ときに協和し、ときに、しばしば不協和に干渉する。善があり悪があり、またそれゆえに一大調和への創造がある。

 私が歌う。私が話す。それらのことひとつひとつのすべてが、一本の弦のなかで満ちてゆく、そのGemuet。

 

風のトポスノート315

県民性という視点から


2001.4.29

 

 地域によって、さまざまな気質がある。そして、日本人は明らかにいくつかの型に分かれる。

 このことのかなりの部分は、自然環境からつくられたのであろう。しかし、それだけで説明づけられない事実もあり、そのことが興味深い。

 岐阜県あたりを境に、日本は明らかに東と西に分かれる。しかし、岐阜県のすぐ東である長野県あたりと、すぐ西の滋賀県あたりの気候が大してちがうわけではない。

 そして、この東と西とのちがいが生じた理由を理解するためには、古代までさかのぼる形で日本史をみていかねばならない。さらに、それ以外の県民性のさまざまな要素は、その土地ごとの歴史と深くかかわりあって作られている。

 それゆえ、県民性を説明したこの本は、地方からみた日本史といった内容の本にもなっている。

(武光誠『県民性の日本地図』文春新書166/平成13年4月20日発行/ P9-10、P244-245)

 人は一人ひとり気質が異なっているのはもちろんだが、地域によって大きく気質の傾向性が見られるのも確かである。

 一年と少し前に愛媛県から広島県に引越たぼくのように、住む場所を変えた場合、その気質の違いにかなり意識的にならざるをえない。

 かなり大雑把ではあるけれど、本書『県民性の日本地図』に表にされている「一言で表わした県民性」からすると、ぼくは高知生まれなので、そのこともふくめると、次のような変化に直面していることになる。

愛媛県 穏やかでまじめで素朴

高知県 頑固で一本気で反骨精神が強い

広島県 世話好きで積極的だが飽きっぽい

 たしかに、広島にやって来てから、いわゆる広島人の人なつっこさや気さくさなどを実感している。しかし、それは反面人と人の距離の近さゆえに、疲れてしまう側面でもある。それはたとえば、喫茶店やレストランなどにもよくあらわれていて、愛媛県の松山市にいたときには、席にかなり独立感のある喫茶店などがあり、そういう場所を愛用していたのだけれど、広島にはそういう場所がほとんど見あたらないことに驚いた。ほとんどの場所がオープンスペースで席と席の間がかぎりなく近く、じっくりとひとりで過ごせるような場所が見つからない。これは単に広島市内の人口が多いだけのせいではないようで、いろんな人にきいてみても、その必要性を感じていないようである。広島の人達がフリーマーケット好きなのも、そういう性格をよく表わしているようにも思う。いたるところでフリーマーケットが開かれ、フリーマーケットに参加したがっている人もかなり多い。

 これはぼくの実感しているひとつの例にすぎないのだけれど、実際、各地域の人達の気質というのはある傾向性をもっていることは、その地域に外から移動してきた場合にとくに実感されることだと思われる。それに各個人の気質が加わって、印象などがそれぞれの色合いを帯びることになる。

 そうした気質について、生まれてからずっとひとところで過ごしてきた人などは、その気質の独自性や傾向性などをあまり意識しないかもしれないが、地域を移動したことのある人には、言葉の違いも含めて、その違いというのは多かれ少なかれ意識せざるをえない問題のように思う。

 その違いが移動が大きくなればなるほど、そしてそれが国の違いなどになってくればさらに、その違いはその人にとって切実な問題になってくるのは確かである。

 ところで、その人が典型的なかたちで、地域に見られる気質を色濃くもっているとする。それは、地域特有の気質だけではなく、みずからの血縁などに由来する気質のこともふくめてとらえるものとする。その場合、みずからの気質がどういうあり方をもっているのかについてあまり意識的にとらえていないで、その気質以外のペルソナを持ち得ないとするならば、その人がその気質をいわば「克服」することは困難であろうと思われる。ここで、「克服」するというのは、気質に困った問題があるから直すというのではなく、それ以外の気質の受容性や理解を示すということ、またみずからの気質そのものを変容させていく可能性ということを意味している。

 みずからがどのような気質(エーテル体の傾向性ということ)を纏って生きているのかということにどれだけ意識的でありうるか、ということは、いわゆる神秘学的な観点からは非常に重要であると思われる。つまり、それは自己認識ということとも深く関わってくることでもあり、また個としての「自由」の創造ということにおいても重要になってくる。

 そういう意味でも、いろんな地域の気質のあり方について、深く理解するということは大きな意味をもってくるのではないだろうか。引用にもあるようにそれは「日本史」についての理解を深めることでもあり、また、血縁や地域性によって継承されたものなどについて、そしてそこから自由になるための視点などについても、さまざまな示唆を提供してくれるはずである。

 

風のトポスノート316

幻想とともに生き、幻想を活用する


2001.4.29

 

 創造者との出会いを準備するには、幻想から脱することが役に立つ。あなたがたと創造者が離ればなれだという幻想もふくめて。

 ここであなたは幻想から抜け出そうとしている。これまでの神との対話全体の目的はそこにある。

 あなたがたは幻想のなかではなく、幻想とともに生きる方法を探しているのだから。その真摯な探究があなたをここへ、このコミュニケーションへと連れてきた。

 もう、幻想には欠陥があることがはっきりしただろう。だから、幻想のすべては偽りであるとわかるはずだった。しかし人間たちはどこか深いレベルで、この幻想を捨てるわけにはいかない、捨ててしまうと何かとても大切なことが失われると感じていた。

 その感じ方は正しかった。だが、彼らは過ちを犯した。幻想を幻想だと見抜いて、それを本来の目的のために活用するのではなく、欠陥をつくろわなければならないと考えたのだ。

 答えは欠陥をつくろうことではなく、ありのままをみて、深いレベルで知っていることを思い出すことだ。だからこそ、あなたがたは幻 想を捨ててしまうと、何かとても大切なことが失われると感じたのだ。(…)

 幻想が存在するのは、相対的な関係のある世界という部分をつくり出し、そのなかであなたがたが自分についていだく最も偉大なヴィジョンの、そのまた壮大なヴァージョンにしたがって自分を再創造できるようにするためだ。

 宇宙そのものが、相対的な関係性のある場だ。定義からいっても目的からいってえもそうなのだ。

 宇宙は生命が物質的に表現され、体験される場を提供する。

 あなたがたは、その相対的な関係性のある場の部分的なヴァージョンだ。あなたの周囲のひとやものもすべてそうだ。言い換えれば、部分化した神だ。

 相対的な関係性のある部分の外では、あなたがたは自分を存在するすべてとして知るしかない。存在するすべては、すべてとして自分を体験できない。なぜなら、ほかには何もないから。

 あなたがたでないものが存在しなければ、あなたがたという存在もない。体験できないのだ。知ることができない。(…)

 したがって、幻想がなければ、あなたがたも(文字どおりに)ここにもあそこにもいない。(ニール・ドナルド・ウォルシュ「神とひとつになること」サンマーク出版/2001.5.1発行)

 このサンマーク出版的な売り方(マーケティング)というのは、どうも少しばかり拒否反応がでてしまうところがあるし、今回は、どうもマニュアル的な方式なので、いまひとつの感はあるけれど、基本的なところが整理されてあったようだし、『神との対話』の内容そのものはけっこう面白いので、今回も読んでみた。

 この『神との対話』の世界観の核には、「すべては神だ」というのがあって、(まるでシェリングのようでもあるのだけれど)重要なのは、仏教のように「すべてはマーヤである」ゆえに「解脱」を、というのではなくて、この相対的世界における「幻想」そのものの意味をちゃんと見ていき、そのことで、その「幻想」そのものの活用可能性を模索していくということなのだろうと思う。

 なぜ私が私であるのか。なぜ世界があるのか。それは、「幻想」ゆえなのであって、そのためにも、「幻想」を十二分に展開していきながら、その「幻想」の「幻想性」に気づいているということが重要になる。

 まさに「世界劇場」にありながら、自分の配役をちゃんとわきまえ、それを演じながらも、自分が演じているということを忘れないようにしようということ。と同時に、そのような自分のペルソナゆえにこそ、私が私であるということを展開しえるようになっているということ。そして、その展開ツールとしての「幻想」のさまざまな現われをどれほど認識し活用しえるかということが鍵になっていて、しかもそのことによって、「世界劇場」で演じられているドラマそのものが同時に書かれることになるということでもある。

 だから、たとえばいわゆる「出家」ということは無意味になる。重要なのは、「家」のなかにいるいないではなく、自分がそこにいることに気づいているということなのだから、自分が「出家」したと思い込むことは、「家」という幻想にとらわれていることになる。

 だから、そういう「幻想」を認識するための視点として、哲学史を世界史を眺めてみるのも非常に興味深いことかもしれない。どのような幻想がどのような現象をつくりだしてきたのかを見てみると、人がいかに創造的かということにあらためて驚くことができるかもしれない。

 

風のトポスノート317

物語を生きる・物語をつくる


2001.5.6

 

 ある文化、ある時代に流行する物語がある。そして、多くの人がこれを標準、あるいは、理想と考えることによってえ苦しむことになる。たとえば、現在の日本であれば、どんな子どもでも努力さえすれば一流大学に入学できて、そこを卒業して一流企業に勤め……、というような幸福物語が流行する。そして、そのためには「よい幼稚園」に入学して……、というように物語の細部までが決められてしまい、親はすべての子どもに、そのような幸福物語を生きることを期待する。気体くらいであればまだしも、強制となってくると子どもの負担は急に大きくなる。

 もっとも、いつの時代でも流行物語に適合する個性をもった人はいるので、そのとおりに生きている人が悪いとか変だということはない。それはそれでいいのだ。問題は、流行物語に縛られて、自分の物語を歪ませたり、生きられなくなっている人、あるいは、それを生きられない自分を過小評価し劣等感に苦しんでいる人たちである。(…)

 人間はそれぞれ自分の物語を生きようとしている、と最近ますます思うようになった。それは一人ひとりすべて異なり、ひとつとして同じものはない。そのような意味で、人間はすべて創造的に生きている、と思う。

 しかし、ここで「物語を生きる」という表現は誤解を招きやすいのでは、と思う。このような表現は、何か各人に与えられた「物語」があり、それを生きている、というふうに受けとめられないかと危惧するのである。したがって、誤解されないように言いかえると、各人の生きている軌跡そのものが物語であり、生きることによって物語を創造しているのだ、と言うべきだろう。各人が物語の作者であり、生きてゆくこと自体が、物語をつくってゆくことになるのだ。(…)

 このように考えると、個人の物語は死ぬまで終わらないわけで、どう終わるかも最後の最後まで分からないとも言える。心理療法には、「はじめ」と「終わり」があるが、その終わりは物語の終わりではない。しかし、心理療法を「語る」ときに、それは「物語」としてのはじめと終わりがあるように語りがちであるし、そのように語ろうとする誘惑にもかられる。しかし、それは実態とは異なるものになってしまう。この点について、本書の山口の論文は、「心理療法という物語が終わる時、発見された物語の解体が始まり、新たな物語がすでに始まっていることを忘れてはならないだろう」という言葉で締めくくられているが、忘れてはならぬ大切な警句であろう。

(講座 心理療法 第2巻「心理療法と物語」河合隼雄「<総論>「物語る」ことの意義」岩波書店/2001.1.25発行P13-14,17-18)

 この、物語を生きる、そして物語をつくる、ということは、まさにシュタイナーの「自由の哲学」のテーマと相通じるところがある。

 「不自由」であるということ、「自由」を創造できないということは、外から与えられた物語を生きようとしてしまうことである。外から与えられた物語にしても、結局は、その物語にそって生きようとするのは自分なのだから、それが充実した生になるならばそれはそれでいいのだろうけれど、その与えられた物語に自分を当てはめてしまうというのも、なかなかうまくはいかないのではないだろうか。

 ある目的を定めてミサイルを発射するとしても、その目的地点が固定的なものであればその成功率は高いが、それが常に動いている場合には、その相手の動きに応じて追尾できるよう、常に可変的な対応が必要になってしまう。まして、途中で目標を見失うことがあったりすると、そのプログラムそのものが意味を持たなくなってしまうことになる。

 また、その目的そのものを自分で選択した場合には、その成功、不成功に限らず、そのプロセスというのは、常にダイナミックで創造的なものでありうる場合が多いだろうが、その目的そのものが与えられたものである場合には、そこに向かうプロセスそのものの意味が見失われやすいため、いちど挫折してしまうとモチベーションが困難になるし、なにより、目的が達成されたときに、では次には何を目指せばよいのかが見えなくなってしまうこともあるのではないだろうか。

 そういう意味では、もっとも重要なのは、やはり、自分で物語をつくりつづけることができるということ。または、自分で物語をつくっているプロセスそのものを常に実感することができるということではないだろうか。

 自由であれ、不自由であれ、どちらにしても、自分の物語は自分の物語以外の何者でもなく、与えられた物語を生きるにしても、それは結局自分でつくりなおさざるをえないのも確かである。

 そして、物語は終わらない。生と死を超えて決して終わることはない。その決して終わらない物語をどう生きるのが自分にとって創造的なのか。そのことを考えてみる必要があるように思う。

 

風のトポスノート318

儀式と自分の物語をつくること


2001.5.8

 

河合 今はそういう本来的な儀式はほとんどなくなっていますが、人間にはほんとうは必要なんですよね。だから個人で物語りをつくったり、個人で儀式をやったりしなくてはならない。しかし、逆にいうと、自分でできるから面白いのじゃないかと思っているんです。

(講座 心理療法 第2巻「心理療法と物語」古橋信孝+河合隼雄「<対談>自分の物語をつくる」岩波書店/2001.1.25発行P205)

 儀式には本来それなりの意味があり、そのためになされていたものなのだろうが、いつのまにかそれは形だけのものになってしまい、慣習化されているだけのものが多くなっている。そして人はそうしたルーティーン化されたものに縛られてしまうことになってしまっている。

 そうしたなかでは、儀式はもはや人間関係や世間との間の潤滑油のような働きしかもっていない場合が多いように思う。つまり、「そうするものだから」「そうすることになっているから」する、しなければならない、というもの。それらは生まれてから成長し死を迎えるに至るまでつきまとい、人をそうした慣習化された儀式のなかに閉じこめ、その本来の意味からむしろ遠ざけてしまうことにもなる。

 ただただ儀式をなくしてしまえばいいということはないだろうが、やはり儀式の持つ意味をきちんと考えてみようとすることは不可欠だろうし、そういうなかで、どうしても意味を見出し得ないものについては、根本的にそれらを問い直してみなければならないのではないだろうか。

 そのなかで、自分にとって本当に必要な儀式というものが見えてくるのではないだろうか。

それは外から自分を拘束するようなものではもはやなく、自らの自由によって創造するものとなってゆくだろう。まるで、私が私だけの物語を創造してゆくように。

 そして、それらは自らの深い内的な衝動と密接に関係してくるがゆえに、その内をつきぬけることで、ある種の普遍性を獲得しうるのかもしれない。内在的超越とでも呼べるだろうか。

 

風のトポスノート319

自分らしさと共同幻想


2001.5.10

 

古橋 今の若い人は、「自分らしさ」を非常に求めている。ある行動をしている自分は自分らしくない、嫌いな私/好きな私、ということを盛んに気にする。「嫌いなほうだって、みんなおまえなじゃいか」と私は言うのですが、そういうふうにしか自分を見なせない。

 私が青年の頃は、自分は何かということと同時に、自分を超えるものは何か、の両方を考えていた気がします。そのころ私がいちばん影響を受けたのはやはり吉本隆明の「共同幻想論」です。人間の心の中は共同体に向かうものと、自分に向かうものと、対に向かうものがあるという考え方のおかげで、すごく楽になった気がします。もちろん完全には分離できないのだけれども、ある意味で自分の心の中のことを整理することができた気がします。

 ただ、吉本隆明の場合も、実をいうと、最高の形態というのを考えていて、それは自己幻想が共同幻想の中で消滅していくことなんです。それは吉本さんの限界だったという感じを私は抱いているのですが。私は古典をやっていくなかで、吉本さんの考え方から脱していく過程がありましたし、そのことだけでも古典をやっていてよかったと思っています。

(…)

河合 ちょっと前だったら「自分らしさ」なんて、言う必要がなかったわけです。要するに○○家が繁栄すればそれでよかったわけで、あとはご先祖様になればもう終わりだった。それを潰されて、「自分らしさ」が急に強調される。それとすごい消費社会になったことが結びついて、現代人にとっては大変なプレッシャーになっていると思います。

 ほんとうは「自分らしさ」などというのは消費と関係ないんです。

古橋 メディアが騒ぐから、情報がどんどん子どもに入ってきてしまって、簡単に親が悪い、学校が悪い、社会が悪いとなる。それも一種の物語だとは思うのですが、そういう物語からいかにして脱して独自のものをつくるか、ですね。

河合 もうちょっと前までは、それこそ共同幻想ではないけれども、わりあい共通の物語をみんなで共有して生きていたんですね。

古橋 吉本さんが共同性と考えた問題と、心理学的なレベルでいう集合的無意識という問題とが重なってくるんですね。

(講座 心理療法 第2巻「心理療法と物語」古橋信孝+河合隼雄「<対談>自分の物語をつくる」岩波書店/2001.1.25発行/P213-215)

 かなり前になるが、「自分らしさ」ということをテーマに、あるお店のテレビCMをつくったことがある。その「自分らしさ」というのは、テレビCMの目的を考えれば当然なのだが、ある方向性での消費生活による類型化した「自分らしさ」であって、ほんとうは(これも当然のごとく)「みんなーらしさ」でしかない(^^;。

 かつて多くの人たちには、共通した理想型のようなものが、ある種、集合的な形で存在していたように思う。たとえば、「民族の理想」、「わが家の家訓」とでもいうもののように。しかし、そういう集合的に共通した理想の範型のようなものは次第に崩れはじめている。そして、メディアがその都度、物語として情報発信したものをいわば「自分らしさ」として身に纏って安心しているところがあるが、そうした流行に身を任せながらも、それらは期間限定で身に纏うまさにファッションでしかないのだから、もちろん、それに全面的に自分を委ねることはできない。

 どちらにしても、それは「自由」、自らの由としての「自分らしさ」ではなく、共同幻想を自分だと思い込んでいるに過ぎない。そしてある程度は、そのことをだれでも意識せざるをえないのでないだろうか。

 かつて吉本隆明の共同幻想論を読んだとき感じた違和感というのは、まさに「自己幻想が共同幻想の中で消滅していく」ということについてのもので、むしろそれこそが共同幻想そのもの、早い話が洗脳されてしまって、それに対して意識的になりえなくなった状態なのではないかと思わざるをえなかった。

 現代における「自分らしさ」の困難というのは、なんらかの物語を模倣することで終わらないということだろう。シュタイナーは幼児教育における模倣の重要性を示唆しているが、ある意味で、人類は、その模倣の時代を脱しようとしているということかもしれない。それが「自我」の重要性ということでもある。

 自我が成長しようとすると、いわゆる反抗期というのがでてくる。それは権威への反発であり、共同幻想への反発でもある。それが歪んでしまえば、反発のための反発となって暴走するが、なんとか育つことができるとすれば、「嫌いな私/好きな私」を超えた「自分らしさ」の物語への道になるのではないだろうか。どちらにせよ、一度、なんらかの形で「共同」とキレる必要があるように思う。

 

風のトポスノート320

他性の自己


2001.5.14

 

およそ臨床心理や精神病理の学問ほど、他者の理解を前提とするものはない。しかし、まさにこの点にこそ、大きなつまづきの石があるようだ。「われわれはお互いに誤解し合う程度に理解し合えば十分だ」というヴァレリーの言葉は、たしかに一つの真実であって、決してシニカルなものではない。それは、われわれが他の人をどこまで理解し得るだろうか、という問いを逆にして、自分が幼い時からかつて本当に他人に理解されたことがあったろうか、と自問してみるとき、おのずから明らかになるであろう。

(霜山徳爾『仮象の世界/「内」なるものの現象学序説』思索社/1990.2.25.発行/P18-19)

 武満徹は、『時間の園丁』のなかでこう述べている。

自己の内に発見すべきは、自己同一性ではなく、むしろ、他性というものではないだろうかーー。

 これはむろん、音楽が人と他者とをつなげる媒体であるということを背景にしたものなのだろうが、自己認識と他者認識もしくは世界認識について、一つの真実を語っているものとして受け取ることもできる。シニカルさからではなく、ある種の絶望の底から微かに放たれる光のように。

 「われわれはお互いに誤解し合う程度に理解し合えば十分だ」ということについては、かつて大きくうなずいたことがあった。それはぼくにとっては、生のはじまりにおいて関わらざるをえない肉親そのものからまずは最初に得心せざるをえないようになった一つの真実であって、特にそれによって絶望したとかいうことでも、シニカルになったということでもなく、まさに、「おのずから明らかに」なる類のものであり、それゆえに好きー嫌いを超えて理解しようとすることの重要性も明らかになったといっていい。

 そして、そのことによって開かれてくる地平は、「わかってくれない」とかいう恨みのようなものでも、人のことがよく理解できるという思い込みでもなく、むしろ、自分こそが他者なのだという真実だった。それは、「自分のことは自分がいちばんよくわかっている」とかいう、自明の顔をした錯誤への気づきであり、故に、「汝自身を知れ」ということがいかに困難なことか、ということからくる、自己認識への道の試みでもあった。

 自分の顔を鏡に映してみるときにまずは感じるある種の違和感。これは、自分であって自分ではない、という焦燥のような感覚。そして、合わせ鏡のなかに置かれた自分というものの、どこまでも自分にたどり着けないという絶望がある。対自と即自との無限の裂け目に響いている深淵・・・。

 そんな深淵に響いてくる音楽ということを思うときがあり、ある音の響きが裂け目に渡される橋となるのかもしれない、そんなことを感じさせられる音楽の予感が走ったりもするときがある。自分という他性の楽器が奏でられ、その響きを聴き取るときのような不思議。

 おそらく人は自分を他者にすることで自己となり、世界認識へと向かうことによって自己認識を得る、というところがあるように思う。まるで自己は世界という鏡に映し出されているように。

 


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