風のトポスノート301-310

(2001.3.15-2001.4.15)


301●ハビトゥス

302●勅使河原三郎「ルミナス」

303●自分が考えるということ

304●内と外

305●外側に身を置くこと

306●ロゴスのディアロゴス性

307●ティマイオス

308●うつろい

309●場所の記憶

310●復活祭を認識するということ

 

 

 

風のトポスノート301

ハビトゥス


2001.3.25

 

 結局のところ、私は「私」とはハビトゥスであると言うことで表現したかったのだろう。…「私」は必ず具体的な姿で、形をもって存在するしかない。子どもでも大人でも、女でも男でもない、健康でも病気でもない「私」というのは、現実には存在しない。「今・ここ」にいる「私」以外に「私」は存在するはずもない。

 にもかかわらず「今・ここ」に与えられているものがリアリティでありアクチュアリティであるということに満足できず、「なぜ今・ここにいるのか(Dic cur hic)?」と問いたくなるというのはどういうことか。…なぜ「なぜ?」ということを問うてしまうのだろう。

 おそらく、「なぜ?」ということへの答えは、問いの向こう側にあるのではなく、問いの手前にあるのだろう。ちょうど、「私とは何か?」という問いの答えが、問いの手前にあるように。そして、手前にあるものが<ハビトゥス>であって、問いの可能性の条件を構成しているのだ。(P233-234)

 「ハビトゥス」とはどういうことだろう。通例、ハビトゥスは「習慣」と訳されるが、意味がずれるところがある。「習慣」とは、外に現われた行為や生活の型であるが、ハビトゥスとは、むしろそういった型を生み出す能力であり、しかもさらに重要なのは、個人の生活の中でなされる行為の型よりも、むしろ他者との関わりの中で行なわれる行為を生み出す能力なのである。(…)これ以降、「習慣」を定着した行為の型、普通に習慣として捉えられるものと解し、「ハビトゥス」を、そういった「習慣」の基盤にある、身体化された、社会的能力として用いることで、使い分けることにする。(…)

 ハビトゥスは、能力・可能態でもあるのだが、必ず<形>を伴っている。可能性と現実性の中間にあると言ってもよいし、現実化しつつある可能性と言ってもよい。現在進行形で表現されると考えることもできる。<形>として現われたものだけに目をやる限り、ハビトゥスは移ろいゆくもの、はかないものと映じる。確かに、はかなさ(das Ephemere)とは、絶えざる消滅の相であり、繰り返される消滅・滅びに美を見出すこともできる。しかし、逆の見方をすると、絶えず滅びるとは、絶えず産み出されるということだ。産み出されることに伴う「生臭さ」の故に、生臭くない滅び・死に美を感じることは難くない。(…)

 ハビトゥスには、現実化の側面もあるが、さらに重要に思えるのは、能動と受動の中間に位置するということだ。この中動相的事態は、自ずと現われる。自然と沸き上がるという現象様式を有している。喜びと悲しさ、快さと苦しみ、それらは起こそうと思って起きるものでもなく、他なるものから起こさせられるものでもない。それらは自ずと起こってくる。(…)たぶん、「私」は身体を<通して>悲しむのではなく、身体に<おいて>悲しむのだ。<において>とは、単に場所を表わすのではない。むしろ、身体に根づいた、ハビトゥスのあり方を指しているはずだ。(P130-135)

(山内志朗「天使の記号学」岩波書店)

 「私」というハビトゥス。

 「今・ここ」にいる「私」ということから、常にずれていく「私」。ゆえに、私は移ろいゆくはかなさのなかに生きる。

「今・ここ」にいる「私」以外に「私」は存在するはずもない!

 それにもかかわらず、「私」は「今・ここ」から遁走しようとしているかにみえるのだ。

 「今・ここ」にいる「私」と「今・ここ」にいない「私」。どちらも「私」。その常なるずれの運動のなかに「私」はいる。その移ろいゆくはかなさゆえに産み出されるものがあるのか。そうでなければ産み出されえないものとは。

 諸行無常の「私」は、諸行無常故に、「私」を常に現象させ、それを明滅させている・・・のか。「せはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明」のように。いったい、それはなぜ。

 「私」は身体<において>悲しむ。それはいったいどういう現象なのだろう。<において>というハビトゥス。

 「私」はひとつの「場」である。見えないけれどたしかにあるひとつの「場」。そしてそれは、有の場と無の場の交叉する「因果交流電燈のひとつの青い照明」。

 「なぜ今・ここにいるのか」「今・ここ」しかないからだ。では、なぜ「今・ここ」しかないのか。ここが「私」の<において>であるからだ。「私」というロゴスが肉化している場所。ほんとうは見えない場所にも関わらず、「私」は身体化して戯れている。身体化しているにもかかわらず、それはほんとうに見えないということに気づかねばならないのだろう。それは常に滅しながら産み出されかつ滅し続けている場所なのだから。

 ゆえに、(わたくしの中のみんなであるようにみんなのおのおののなかのすべてですから)という「私」の明滅も可能になる。

 「私」というハビトゥス。<において>を戯れよ!とでもいっておくことにしようか。

 

 

 

風のトポスノート302

勅使河原三郎「ルミナス」


2001.3.26

 

 黒いカーテンだけの空間、装置も小道具もない。白い簡単な衣裳でほとんど素踊りといってもいい。音楽に合わせるでもなく、目を奪う動きがあるわけでもない。ただひたすらしなやかに、広い舞台のなかで小さな動きが繰り返されるだけである。一見なにもしていないようにさえ見える。にもかかわらず、この表面の平穏さとは別に、溢れるごとく、滲み出るごとく、深々と大きい世界がその小柄な身体から現われてくる。そのありさまは千変万化。見るものの心の奥深く響く一つの音楽であった。

(…)

 こうしてソロが始まる。彼は自分の手の内を隠すように、観客の心を手繰り寄せるように、わずかな空間で踊りつつ、実は背後の大きな世界を暗示していく。私は能の世阿弥の言葉を思い出した。老年になったらば技術でも体力でもない。なにもしない方がいい。勅使河原はむろん老年ではない。しかし技術を駆使してその先を読んだ。だから一見平穏に踊ることを選択し、なにもしないように見せることによってより雄弁に世界を語ろうとしたのである。ソロの後半は目の不自由なスチュアート・ジャクソンと二人の踊りになる。この時の勅使河原には豊かな世界への恍惚が溢れる。ジャクソンを媒体にして見えない世界が勅使河原の身体を照り返すからである。しかし目に見えるものしか信じようとしない現代で、この世界がどれほどの人に理解されるだろうか。

(朝日新聞2001.3.25 渡辺保「勅使河原三郎『ルミナス』」)

 昨夜、「情熱大陸『奇跡の舞踏・勅使河原三郎と盲目のダンサー』」(TBS系・TV 23:00-23:30)を観る。残念ながら、公演を観ることはできそうにないが、感じたことをいくつか。

 ルミナス、luminescence、発光。発光する身体。身体というほんとうは見えないからだが、音楽が奏でられるように、身体を媒体にして発光する。身体の見えないかたちが滲むような流れのなかで発光する。

 私の見えない身体があなたの見えない身体と官能し感応して照らし合うように発光しあって流れになる。その流れのつくりだす音楽のミクロコスモスはマクロコスモスをこそ照らし出す。

 リルケの『オルフォイスに寄せるソネット』にあるこんなことばが思い出される。 

呼吸、おまえは眼には見えぬ詩だ。

絶え間なく、おのれそのものと

純粋に交感されつづける世界空間。

その中にリズムとなって現われる。

 

ひとつひとつの波がやがて集まった

海、それが私だ。

あり得べき全ての海のうち、最もささやかな。

空間の獲得。

 もしくは、芭蕉の「軽み」のような。

 すべてを語ろうとするなら、語らないでいるのがいい。しかし、その雄弁さのためには、おそるべき無へとみずからを鍛える必要があるのだろう。言葉においても、あらゆるものを語れるだけの技術を駆使しえてこそ、言葉のシンプルな軽みのなかに、すべてを照らし出すことができる。一音のなかにすべての音が響いているように。

 

 

 

風のトポスノート303

自分が考えるということ


2001.3.31

 

 哲学とはまさしく、世界と自分、すなわち自分とは何かを知るための方法なのです。だからこそ、このゆえに、あなたは自分を知るために他人の哲学を知る必要などないということになるのです。

 哲学に入門したいと思う人も、そういう人のために入門書を書く人も、そのほとんどが間違えているのがここのところで、哲学とは、他人の哲学を教えることなのだと思っている。しかし、他人の哲学つまり過去の偉い哲学者の学説を学んで覚えることが、哲学することなのでは決してない。哲学するとは、世界と自分を知るために、自分が考えること以外ではないのだから。そんなものは一切知らなくても、じつは全然かまわないのです。

(…)

 知ろうとすることが、すなわち生きることである、哲学の覚悟は、たとえばソクラテスの死刑に、ニーチェの発狂に、あるいはウィトゲンシュタインの沈黙に、端的な形で示されています。知ることと生きることとが別々ではありえない、哲学者たちの人生です。そんな彼らの学説を後解釈することが、どうして哲学することであり得るだろう、気づいたあなたの覚悟はすでに据わっている。進むしかありません。

 進むしかなくても、どう進めばいいのかわからない、そういう時のために、彼らの学説、正確にはその方法は存在します。言わばれらは道標であって、目的地ではないとわかっているなら、他人の哲学とてあながち捨てたものではない。彼らにしたところで、目的地がわかっていたなら、進むしかないと覚悟したはずもないでしょう。とにかく前へ進むために、それぞれ独自の方法を所有した彼らは、その意味で一流の哲学者として名を残しますが、後進のわれわれにその真似はそうそうできない。自分の方法はプラトンに似ているな、ウィトゲンシュタインの方法が好きだな、そんなふうに真似ながら、進んでゆけばよいでしょう。

 進んだからどうなのだ、そんな疑念はあり得ない。進むしかないからです。水の中に飛び込んでしまったのに、泳いだからどうなのだ、問うことはあり得ませんよね。知らないと知ってしまった今や、知らないと知らなかった時には戻れないのです。死刑になるか、発狂するか、沈黙のうちに自失するか、いずれにせよ哲学することは、必ずあなたの人生を根底から変えるでしょう。

 だからこそ、哲学することは面白いのです。生活や生命を賭けるからそれは面白くなる、遂に哲学に入門を果たしたあなたは、そのことを知っているはずです。生活や生命に固執したまま、哲学は世界を変え得るかなど、なんととぼけた勘違いだったか、もし正しく哲学しているなら、先に変わるはずなのは自分の方だったということですね。世界の方は何ひとつ変わりません。そして、おそらくあなた自身もごくごく普通に、これまでと同じ人生を、しかし全く違った仕方で生き始めることになるのではないでしょうか。

(池田晶子編著『2001年哲学の旅』新潮社/2001.3.30発行/P4-5/P288-289)

 哲学をするということがどういうことなのか。よくわからないままだ。ひょっとしたらぼくは哲学しているところもあるのかもしれないし、まったく哲学してなどいないのかもしれない。だから、哲学入門というのもよくわからないままでいる。まして、シュタイナー入門とかいうのもほんとうのところまるでわからない。

 しかし、ただひとついえることは、「水の中に飛び込んでしまったのに、泳いだからどうなのだ、問うことはあり得」ないように、考えることをはじめてしまったら、「世界と自分、すなわち自分とは何かを知」ろうとしてしまったら、もう「戻る」ということはありえないのだということだ。そして、戻れないということは、そうして否応なく進むことそのものが、生きることそのものになるということもである。

 ガイドは、ほんとうにたくさんある。哲学にしてもシュタイナーの精神科学にしても。しかし、そのガイドが目的になってしまったときに、なにかがそこで間違ってしまうことになる。それは、まるで道標を目的地だと勘違いしているようなもの。禅者が満月を指している人差し指を見て、人差し指そのものにこだわりつづけるようなものだ。

 ハウツウというのもそのことそのものは無意味ではないだろうが、ハウツウの危険性というのは、まさにそのことだといえる。ハウツウは多く、「こうすればいい」と教える。しかし、なぜそうするのかに遡ることに乏しいが故に、ハウツウが可能になるという側面が多いのだ。

 また、自分の空腹を満たすためには、みずからが食さなければならないのはもちろんのことであるが、ともすればそのごくごく単純な事実に気づかないことも多いように見える。ある人が考えるということは、自分が考えるということではありえない。自分の代わりに人が考えてくれるということはありえないのだ。だから、だれかを聖者としてあがめたり尊敬したりしたとしても、その傍らに常に侍していたとしても、そのこと自体なんの意味もない。夢のなかでいくらトイレにかけこんでも実際に起きてトイレにいかなければ解消しないようなもの。

 考えるということは、まさに考えるという体験、実践そのもの以外ではありえない。「頭ではわかるのだけどできない」ということもありえない。それは単に考えることができないだけのことなのだ。そのごくごく単純な事実の前で謙虚にならねばならないように思う。

 もちろん考えるということをむずかしく考えるということと混同してしまうと、要らぬ誤解を生んでしまう。考えるということに、易しいも難しいもないのだから。それは端的に考えるか考えないかというだけのこと。そして、考え始めたときに、それは考えないときに戻る、ということはありえないということなのだと思う。

 

 

 

風のトポスノート304

内と外


2001.3.31

 

 自己を被害者と規定すれば、自己の内なる欲動や空想に気づく必要はなくなり、自己が変化する必要もなくなる。悪は自己の内部にあるのではなくもっぱら外部にあるのだから、自己には責任がない。だから他罰的になることができる。(…)

 誤解のないようにいま一度断わっておくが、真の被害者はもちろん救済されなければならない。私自身もそもために一臨床医として応分の努力をしているつもりである。

 しかし、外傷論、虐待原因説、アダルト・チルドレン、PTSDといった、いわば他罰的思想や診断名が世に広く流布し、あたかも流行のごとく用いられていることについては、多少の反省が必要であろう。こういう思想や診断は現代的に見えて、病は自己の外部の魔や悪霊のしわざであるとする古代の疾病観に似ている。そこいんは「すべて悪しきものは自己の内部にあるのではなく外部からくる」という世界観がある。これは人の心をほっとさせる考えであり、それゆえ時代をこえてさまざまな形で繰り返し現われるのであろう。

 世に流布する外傷論と、あたかもそれに便乗するかに見えるこのごろの青年期患者の訴えは、精神分析が苦闘のうちに発見した「自己の内なる悪」を再び外に排除しようとしているようにも見えるのである。

(成田善弘「若者の精神病理」なだいなだ編著『<こころ>の定点観測』岩波新書718/2001.3.19発行所収/P16-17)

 そっ啄(たく)同時という禅の言葉がある。ヒナが生まれようとして卵の殻の内から出ようとすると同時に親鳥が外からも殻を破ろうとしているという喩えから、機を得て両者相応するということを意味する。

 善と悪をどうとらえるかということに関しても、また加害者、被害者をどのようにとらえるかということに関しても、外からと内からの同時性、相応、照応という観点が重要なのではないかと思われる。そのどちらかに偏ってしまうと、何かが見過ごされてしまうのではないか。

 如来蔵のように、人は本来だれでも仏性をもっているというのは、性善説的なとらえ方だと思われるのだが、「仏性を拝み出す」ということもいわれたりするように、その仏性が顕現するためには、拝み出すという、ある意味で外からの働きかけが必要となる。種があったとしても、その種は育てなければ芽を出し花を咲かせ実をつけることができないということでもある。

 しかし、そこで考えてみなければならないのは、なぜそこに種があるのかといことでもある。昨今よくとりあげられている、「なぜ人を殺してはいけないか」ということを考えていく際にも、たとえば「良心」というのが本来あるから、その「良心」に逆らうことは悪になる、ということもいわれたりもするのだが、その「良心」とされるものがなぜあるのか、ということを考えてみないわけにはいかないだろう。

 たとえば、シュタイナーは「良心」について次のように述べている。 

 今日、良心と名づけられているものが、人類の歴史的な発展のなかでつねに存在したのかどうかを探究するのは、興味あることである。古代の民族には、良心という概念に相当する言葉がなかった。ギリシア文学では、かなり後になってから、良心という概念に相当する言葉が現われる。古代ギリシア人は、良心という概念に相当する言葉を持っていなかったのである。ほかの民族も、彼らの文化の最初期には、良心という概念に相当する言葉を持っていなかった。多かれ少なかれ意識的に、この良心はしだいに知られるようになっていった、と結論することができる。良心は、人類の進化のかなり後になってからはじめて発生し、形成されていったのである。(…)

 それでは良心とはなになのだろうか。さまざまな受肉をとおした経験の成果である。最高のものから最低のものまで、知識とはすべて経験の成果である。知識は、試みと経験の途上で生じたのである。

(『神智学の門前にて』イザラ書房/P94-96)

 思考についても、良心と同じことがいえるとシュタイナーは述べている。 

 論理学、すなわち思考についての教えが発生したのはアリストテレス以後だという、興味深い事実がある。正しい思考は昔からあったのではなく、ある時期に発生したのである。思考は発展しなければならなかった。正しい思考、論理も、時代の流れのなかで、誤った思考を観察することから発生したのである。知識は、多くの輪廻転生のなかで獲得されたものである。長い試みの後、人類は知識の財宝を獲得した。ここに、カルマの法則の重要性がある。わたしたちは恒常的な習慣と性向を、経験から形成する。良心のような性向は、エーテル体にも固着している。アストラル体がしばしば、これはよくないと納得することによって、その傾向がエーテル体のなかに永続的な特徴として形成されるのである。

(P96-97)

 内にあるとされるものが最初は外にあった、もしくは外からの恒常的な形成への働きかけによって内在化された。という観点は、内と外の関係に関するあるパースペクティブを提供してくれる。

 そういう意味で、被害者と加害者というのも、(誤解されやすいところではあるのだけれど)それを単に反対のものとしてとらえることは難しくなる。

 なぜ人を殺してはいけないか。その問いは、なぜ私は人を殺してはいけないかと思うのか。というふうに問い直さなければならないだろう。それはある意味では、なぜ人を殺してはいけないとは思わない、ことも可能になるのかという問いでもある。たとえば、戦争のときに人を殺すことなど。それは、個と個を超えたものというとらえ方も可能である。集団になるとなぜ人は容易に傍若無人になったり、とんでもないことをとんでもないことだとは思わなくなるのか、ということに対しても、先の「内」と「外」をどのレベルでとらえるかということがキーになってくるのではないだろうか。

 

 

 

風のトポスノート305

外側に身を置くこと


3001.3.31

 

 ここでぼくが、社会がくるうといい、社会が病むといったことは、比喩にすぎないと考えないで欲しい。それは個人が病むということと同じくらいの真実である。一人でくるっているか、集団でくるっているかの違いに過ぎない。同じくらいの不幸をもたらしかねないことを認識して欲しい。

 かつての軍国主義時代、日本社会のくるいは、戦場での集団自決という自殺をもたらし、あるいは国益を口実とした捕虜の生体解剖や、七三一部隊による生体実験などの犯罪をもたらした。

 今世界各地で起こっている宗教紛争、民族紛争における集団のくるいは、大量虐殺をもたらしている。その事実を直視して欲しい。けっして社会のくるいが比喩でないことがわかるだろう。

(P39-40)

 「残念ながら、社会のくるいは、なかなか自覚されにくいものなのです」

「必然的にですか」

「ええ」とぼくは答えた。

「個人の場合も、《行動》、あるいは《言動》で、くるっているとまわりの人間が気づくことが多いのです。気づくのは本人ではない。外側の人間です。本人は病識を持ちません。まわりの人間が、かれは変なことをいう、やることがおかしい、そう思って医者のところに連れてくる。それはおわかりでしょう」

「ええ」

「本人が気がつかないのは、<常識と呼ばれる>判断の基準そのものがくるうからです。川に流されている人間が、川の流れに気がつかないようなものです。社会のくるいはその外側の社会に身を置かないとわからない。しかしなかなかそれができない。だからくるいに気がつかない」

 記者はぼくに質問した。

「社会の外側に身を置くとは?」

(…)

「(…)想像力を働かせればいいのです。かつての日本の常識に身を置けば、現在の日本のくるいに気がつきます。保守派の人が今の日本はおかしいと感じるのはそういう理由からです。かれらは今の日本はくるっていると感じ、むかしに戻そうとします」

「保守派の考えがあるのなら当然進歩派の考え方もありますね」

「ええ、かれらはこうあってほしい社会に身を置き、今の日本はくるっていると考えるのです」

(P30-31)

(なだいなだ「社会が病むということ」なだいなだ編著『<こころ>の定点観測』岩波新書718/2001.3.19発行所収)

 神秘学徒は故郷喪失者でもあるということの意味について考えると、それは、「故郷」という、地縁、血縁などのさまざまな「共同体」や「社会」などの「外側に身を置く」ということがそのひとつの重要な側面であるということに気づく。

 私は私である、といいながら、その感じ、考えることというのは、私を包み、私がその一部でもあるところの、集団が感じ、考えることであることが多い。だから、「赤信号みんなで渡ればこわくない」ことになる。いや、赤信号を渡っているという意識さえそこにはなくなり、「みんなで渡れば信号なんてないのと同じ」になるのだ。

 だから、流行はすぐに、まるで燎原の火のごとく広がり、マスコミは「みんながそうである」ということを啓蒙し、ますます「みんな」ということが無意識的に実体化されてゆくことになる。

 その「みんな」から自由であろうとするためには、いくつか方法があり、「保守」の立場は、「伝統」という基準値をガイドにして、「みんなそうである」という浮動する基準を見定めようとし、「進歩派」の立場は、「理想の社会」云々をガイドにしようとする。昨今、「保守」が声高になっているのは、「進歩派」の提示する「理想」の虚弱さゆえなのだろうと思うが、「保守」はあくまで「過去」であり、容易にさまざまな亡霊を甦らせることができるし、その亡霊がさまざまな新たな亡霊をつくりだしてしまうことになる。たとえば、学校での国旗掲揚、君が代斉唱云々の事実上の義務化もそうである。ゆえに、「保守」も容易にくるうことができるわけだし、「外側に身を置く」ことが事実上できないように思える。

 それはやはり、認識の射程の問題に関係してくるのだろう。保守にせよ進歩派にせよ、その射程は思いの外、いや思ったとおり、あまりにも狭いのは明かではないだろうか。

 では、どのようにすれば、「外側に身を置く」ことが可能となるのだろうか。こうすればいい、ということはいえないが、少なくとも、「私たち」という視点を去るということがまずは重要であり、「ひょっとしたら私はくるっているのではないか」という自問も、少なくともなくてはならないだろう。さらに、認識の射程をできるだけ広くとるということ、そして視点をできるだけ多元化するということも重要だと思われる。

 しかし、いちばん重要なのは、まずは「外側に身を置く」ことの重要性に気づくということで、それにさえ気づかないとすれば、それはそのまま「くるい」のなかに身をおこうとしているのだ、ということを意味していると考える必要があるのかもしれない。その人がいかに善良であったとしても、そのことが「外側に身を置く」という自覚の相にないかぎりにおいて、容易にそのことそのものが社会の病そのものにもなりかねないのだから。

 

 

 

風のトポスノート306

ロゴスのディアロゴス性


2001.4.3

 「魂の内において魂が自分を相手に声を出さずに行なう対話(ディアロゴス)ーーまさにこれがわれわれによって思考(ディアノイア)と呼ばれるようになったのだ」(『ソピステス』263E同様に『テアイテトス』189E〜190A)

 そもそも言葉を語るということは、声を出して語る場合も心の内なる独語(「内心の声」)の場合も、その言葉を自分で聞くことでもあり、その言葉に他人が反応するのと同じように自分も反応することである。語り手が同時にその聞き手でもあるという意味において、言葉(ロゴス)は本来的に対話(ディアロゴス)的な本性ーーこれを「ロゴスのディアロゴス性」と呼ぼうーーをもっている。

 右に引いたプラトンによる「思考」の規定は、この基本的な「ロゴスのディアロゴス性」を踏まえている。上述したソクラテス的精神の継承にもとづく対話篇形式の必然性は、このような人間の思考と言葉そのものに内含される対話の必然性にまで掘り下げられ、根拠づけられたといえるだろう。

 プラトンの対話篇はいずれも、こうした幾重もの必然性の上に立って、一方ではある問題についての自分ひとりの思考を、登場人物の間の「論争」の形に構造化し客観化することと、他方では論争されている問題を、「自己自身との対話」の次元にまで沈潜させようとすることと、この二つの方向によって、それぞれの度合で性格でけられているのである。

(藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書(新赤版)537/1998.1.20発行/P64-65)

 思考はいったいどのように獲得されてきたのだろう。そのことを考えていくと、思考は内なる対話であるということに思い至る。

 さて、小学校に入学したての頃のことを思い出してみると、本は黙読されず、声に出して読まれることが多かった。実際、黙読というのは読書の歴史を通じて育てられてきたもので、最初から黙読が行なわれていたわけではなかったようだ。

 黙読をするということはどういうことだろうか。それは、言葉を内化するということでもあり、自分のなかで読み手と聞き手をつくるということにほかならない。それは必ずしも「対話」であるということを要しないものの、少なくとも、自分のなかに他者をつくるということによって、逆に自分ということをつくるということでもあるのではないだろうか。

 そのように、外なる対話を内化することによって、思考が生まれ育っていくことになる。そこには、話し手と聞き手がいて、その役割を常に交換しながら対話は進行していく。つまり、思考が展開されていく。

 シュタイナーが、かつての霊的な能力が思考に変容したというふうに述べていることを考え合わせてみるならば、たとえばシャーマニスティックな霊的存在との交感のようなものが、神殿のような場所で行なわれていたように、思考においては、私たちの内的な場がその神殿になっているのだともいえる。

 我はありてあるものである。私は私であるである。かつては民族魂的に集合的な形で外から啓示のようにやってきていたそうしたICHが、一人ひとりの個的自我になったということ。そのことと思考とは深い関係にあることがわかる。

 そのことを踏まえると、シュタイナーがなぜ『自由の哲学』において、「思考」を重要視しているのかがおぼろげながらも見えてくる。なぜ「一元論」であるといっているのかも。

 

 

 

風のトポスノート307

ティマイオス


2001.4.7

 

 『ティマイオス』の終わりに近く、神々から人間に課せられた最も善き生をまっとうするために、「万有の調和と廻りと動きを学び取ること」によって「われわれの内なる神的なもの」への配慮あるいは世話(テラペイアー)に努めなければならないことが説かれていて、そこにわれわれは、出発点にあったソクラテスの「魂をできるだけすぐれたものにせよ」という精神が脈々と生きつづけているのを見る。

 そして全編はこの章の扉に掲げた、「この上なく偉大で、この上なく善く、この上なく美しく、この上なく完全なものとして、この宇宙は誕生した」という言葉で結ばれる。プラトンのコスモロジー、なかんずく『ティマイオス』は、宇宙と自然万有ーーわれわれが生きるこの世界ーーへの賛美の書である。歴史をかえりみても、この世界に対する侮蔑的な態度が支配的であった時代に、なお自然万有の美しさへのギリシア的まなざしを人びとに保持させたのはプラトン、特に『ティマイオス』であり、この書はそれゆえにルネサンスの思想家たちを深く動かしたのであった。

 プラトンについて、「超感覚的な実在の世界に価値を与えるために、この世界を理解することよりも、非実在的という判断を下すことにほうに熱心であった」とか、「自然はそれ自体で悪しきもの、無構造な素材になり下がった」とか言ったのは、どこの誰であろうか。

 たしかにこの世界は生成流転して定まりなき世界ではあるけれども、魂への配慮に怠りなければ、<場>の随所に<美>がうつし出されて現われているのを見ることができるであろう。これがプラトンの伝言であると思われる

(藤沢令夫『プラトンの哲学』岩波新書(新赤版)537/1998.1.20発行/P208-209)

 ラファエロの有名な「アテナイの学園」には、プラトンとアリストテレスが並んで歩いている姿が描かれているが、プラトンの携えている書物は『ティマイオス』である。プラトンの時代の書物は本当は巻子本だったようだけれど。

 そういえば、プラトンをまともに読んだことがなかった。だから、プラトンといえば、プラトンについて書いている人の解説をそのままプラトンだと思っていたところがある。本書、藤沢令夫の『プラトンの哲学』を読んで、それではいけないと思った。ましてや哲学のスタート地点にいる人の書物を曲解したままではいけないと。

 で、そのようにあらためていわれて、どうしても読んでみたくなったのが、『ティマイオス』なのだが、これだけ有名で影響力のあったはずの本が文庫ではでていない。現在では、岩波書店からでている全集本でしか読めないようであるが、それも手に入らなくなっているようだ。図書館か古本屋の全集を買い求めるしかない。

 プラトン立体について述べられているのもこの『ティマイオス』だし、中村雄二郎の「リズム論」で注目している「コーラー」について述べられているのも『ティマイオス』なのに・・・。

 今とりあえず図書館で借りてきたその全集本の『ティマイオス』をひもといているところなのだけれど、これがけっこう面白いので驚いている。やはり、むずかしい解説書をあれこれ読んで誤解を深めるよりも、まずは原典(もちろん翻訳ではあるけれど)を読むのが、急がば回れ、結局は近道であるということなのかもしれない。

 シュタイナーもしかりで、シュタイナーの原典なしのシュタイナーだらけで、しかもその上に、魂や霊とかいう言葉を使わないでおこうというような、よけいに誤解の深まるような方向性をとろうとばかりすると、結局のところ、勝手につくりあげた幻のようなものと格闘してしまうような不毛なことになってしまうのではないかと危惧している。重要なのは、目を半分瞑ることで見たくないものを回避することではなく、ちゃんと両目を開けて認識への道を歩むということなのだ。それが結局は幻影から自由になる最善の道でもあるのだと思う。

 今回、プラトンに関して目を開かせてくれた藤沢令夫氏を知ったのは、先日出た池田晶子編著「2001年哲学の旅」(新潮社)のなかでの、池田晶子×藤沢令夫の対談からで、こんな人がいたんだとびっくりして、あらためてあれこれ調べてみたら、日本でのプラトン研究の大御所である。知らないとはなんと悲しく愚かなことか(^^;)。(しかも数年前、この新書『プラトンの哲学』を途中まで読んでおきながら、その著者が誰なのかまるで気づいていない(^^;))しかも、大御所ながら、基本姿勢もその研究内容も素晴らしい。遅まきながら、プラトンの原典と藤沢令夫氏の著作を読むことにしたい。とはいえ、この藤沢令夫氏の著作も書店の店頭ではすでにほとんど手に入らない。そういう意味では、上記の対談でも少しふれられていたが、池田晶子のような方法論もまた必要なのは確かのようである。しかし、その方法論故に、いちどは藤沢令夫氏と絶交状態になったこともあったようではあるけれど・・・。

 

 

 

風のトポスノート308

うつろい


2001.4.9

 

「作品に使われている銀泥の部分がくすんできた。もとのように白く直せないか」という問い合わせが、私の作品の所有者からくることがる。外国人が多い。

 仕上がった時の姿を保たせる、というのが普通の考え方であるかもしれないが、万物はうつろっていく、という考え方もあり、私などはあとのほうなので、問い合わせには、

「うつろっていくことこそうつくしい」と言うのだが、なかなか相手を説得できない。

「では銀が白く光っていた完成時と、今のくすんだのとでは、どちらが貴方の本当の意図したところか」と言う。「私の作ったものに、歳月がおおずからのものを加えても、私の作である」と答える。作者は神ではない。完成したものが唯一無二に完成度とは思わない。銀というようなうつろいやすいものを着くことじたい、もう自然に何かをゆだねている。

 紙も絹も、墨も、空気や光にふれて呼吸するのだから、それを停止することはできにない。誰の所有になっても、作られたものは作られたものとして生きていく。

(篠田桃紅『桃紅/私というひとり』世界文化社/2000.12.20発行P48-49)

 時がうつろうというのは、不思議なことだ。本来、永遠なるものが、時といううつろいを紡いでいく。世界があるということは、永遠があると同時に、それが展開していくということもである。

 神は作るものであり、また作られたものでもある。作られたものであることによって、神はみずからを見ることができる。そして作られたものによって見られることで、神は永遠であると同時に、うつろいゆくものであることを戯れることもできる。

 神は完全なものであるという。そのことを証明しようとする試みもあった。だが、その証明は同時に神の可能性を破壊するものともなりえる、ということなのではないだろうか。完全なるものがさらに完全になるためには、そこにうつろいをも可能とするような何かを加えねばならないだろう。

 完成ということはどういうことなのだろう。おそらくそれは永遠を手にしたいということなのだろうが、そのことによってそれはもはや戯れることをやめてしまう。それはまるで、子どものままでいることを至上の価値にしてしまうようなもの。

 私はうつろってゆく。「うつろっていくことこそうつくしい」と言ったとする(^^;)。もちろんそれで人を説得することは難しいかもしれないが、そのうつろうという戯れを通じてしか可能でないものが確かにある。少なくともそのことだけはいえるのではないかと思える。

 なぜ世界があるのだろうか。なぜ私がいるのだろうか。そのことはあらゆる驚きのなかでもっとも大きなものである。

 そのことになにか完全な答えをみつけることは困難だろうが、それはうつろうためだ、とでもいっておくことはできるのではないか。世界がある、私がいる、ということは、それらがうつろっているということでもあるのだから。うつろうというプロセスのなかではじめて、なにかが創造されるということが可能になるのだから。むしろそこに永遠を見るということこそ、重要なのではないか。そんなことを思ったりもしてみる。音楽は時間の経過のなかで演じられるにも関わらず、そこに神秘的な永遠が立ち現われてくるように・・・。

 

 

 

風のトポスノート309

場所の記憶


2001.4.12

 

 場所とは、記憶をためこんでいる空間である。しかも、その場所には、神々や山を「一座、二座」とか「一柱、二柱」とか呼ぶような、空間の示標となる事物があり、その示標を「依り代」として記憶がためこまれている。われわれの住む空間は、ユークリッド的でも、均質的でもないから、場所は特殊な磁場ないし重力場によって、不均衡にたわみ、かつ流動的でもある。とりわけ、祭場となる聖地や森や山岳や戦場や遊郭などは、記憶の「依り代」が多元的に織り込まれている。(鎌田東二「場所の記憶」岩波書店/1990.7.10発行/P187-188)

 折口は歌枕の地名を「ライフ・インデキス(生命の指標)」と称している。地名が歌に詠みこまれているということは、「生命の指標」をその歌に活かしていることになる、とも折口は言っている。

 これは枕詞についても言える。枕詞には地名を冠したものが多いが、それは歌の一部になっていて、土地の霊を喚起する重要な役割をもっている。「葦が散る難波」と言えば、そこを訪ねたことのない人間にも昔の難波の情景が思い浮かぶのである。枕詞の枕も歌枕の枕と同様で神霊がよりつき、国魂が寓する。折口によれば、はじめて本縁譚があったのが、だんだん省略されて枕詞だけになったというのである。枕詞も歌枕と同様に「生命の指標」である。

(谷川健一「うたと日本人」講談社現代新書1513/2000.7.20発行/P80)

 万葉以降、このような魔力ある所名が「歌枕」として生活の中に定着していき、やがては文学上のテクニカル・タームとなった。

 つまり、歌枕や枕ごとは、コンピューター分野でいうところの関連情報網の検索ソフトに近い。あるいはインターネットでいうところの「リンク」そのものである。ひとつの歌枕、ひとつの枕詞の先に、ほとんど無数のイメージや情報がつながっている。言語を使う者、歌を詠む者は、いわば「アイコン」として歌枕や枕詞を記憶すればよいいのである。(…)

 東北歌枕の旅をスタートさせたとたん、考えてもいなかった大問題に見舞われたのである。…歌枕に詠まれた土地は、実際には存在しなかったのである。西行が詠んだところとはここか、と確認できる明瞭なスポットなぞ、この世にまったく存在せず、したがって、辿り着くことが不可能なのであった。(…)

 当初、ぼくが考えていたことはこうだった。歌枕の地とされている遺跡に立てば、地形の特色や周囲の習俗や産物などについての情報が得られ、古代人のコミュニケーション性向や目のつけどころの解明に役立つはずだ。古代人の知識の質が分かるはずだ、と。(…)

 歌枕の地へは行けない!

 このような信じがたいできごとが発生した裏には、いくつかの理由が考えられる。

 第一に、古代と現代とでは地形が一変してしまっていること。(…)

 だが、第二の理由はもっと深刻である。というのも、地名とは元来「固有名詞」ではなく普通名詞だったのであり、あるひとつの場所を特定しなかった、という事情である。日本の地名には、白浜とか山下といった、どこにでもある地名がきわめて多い。…生活圏が狭かった古代人は、こうした普通名詞によって特定の場所を示すことが可能だったのである。(…)

 そして第三は、ほとんど決定的なパンチといってさしつかえない。歌枕として登録されていたその名が、じつは地名ではない、というケースである。地名でないものを探そうとしても、見つかるわけがないではないか。その具体例が「信夫文知摺」や「壺の碑」である。

(荒俣宏「歌伝枕説」世界文化社/1998.10.15発行/P23-31)

 「場所の記憶」ということについて考えていて、「枕詞」「歌枕」は場所の記憶のひとつなのではないかと考えついた。

 そもそもこの日本は言霊の幸わう国。言挙げせぬ日本人でもあるにもかかわらず、地霊の指標とでもいえるような枕詞、歌枕をテクニカル・タームとして競って歌にしたのはいったいどういうことなのだろうか。

 かつて人の記憶は、場所に結びついたものだったという。記憶を喚起するために、人はある場所に赴かなければならなかった。記憶はエーテル的な働きであり、その働きがある種のかたちをとって生きて働いている場所に行くことで、それを外的に獲得するという作業が必要だったのではないだろうか。従って、考えるということもきわめて外的なことだっただろう。それは外から与えられる何かだったともいえるのかもしれない。

 その記憶が、やがて内化され、一人ひとりの記憶として蓄積されるものになってゆく。つまり、記憶を特定の場所に必ずしも結びつけなくてすむようになっていく。そして、それとともに考えるということも内化されていく。

 しかし、そうした記憶や思考はあくまでも個人的なそれであり、それがある種、共有されたものである場合、外的な場所を必要とする。それは実際の場所であることもあるかもしれないが、それはやがて象徴化されたり、神話化されたりしてゆく。そのひとつが枕詞であり歌枕だったように思う。

 そのことによって、そうした「場所の記憶」は、どこにもない場所であるにもかかわらず、そうした「関連情報網の検索ソフト」、「アイコン」を使うだけで、その場所が立ち現われてくるものとなった。いわば、どこか特定のsome-whereだったかもしれない場所が、やがてno-whereとなり、そのことでむしろnow-hereの性格を得た、ということもできるかもしれない。そしてそれが言霊による魔術でもある。

 そういえば、こうしたインターネットの世界における言葉も、ある意味でno-whereであるがゆえのnow-hereでもあるのかもしれない。どこにもない場所が今ここになるという魔術。

 ところで、「今ここ」であるということはどういうことなのだろう。「今ここ」というのはいったい「いつ」なのだろう。いったい「どこ」なんだろう。

 それは、「なぜ世界があるのか」「なぜ私がいるのか」という問いに関わってくるともいえる。また、それは記憶ということとも密接に関わってくるようにも思う。記憶が失われてしまったとき、人は、「私はだれ?」「ここはどこ?」という状態に陥ってしまうのだから。

 だから人は、本来のno-whereをnow-hereと化するために、ときに象徴的な記憶のなかで戯れ、「うたう」のかもしれない。

 

 

 

風のトポスノート310

復活祭を認識するということ


2001.4.15

 

 「神は在りや無しや」が問題なのではない。「神は在りや無しや」という問いへと、遂には自身を追い詰めざるを得ない私たちの思考の型こそが、実は問題なのだ。生きてー在る、ということ、ふつうに「人生」と呼ばれているこの存在の現象をふと問うことから始まらないどのような思想も、常識は「机上の空論」と看破するが、「神」を巡る言説においてこそ、或る思想の誠実、その人の真実は厳しく照らし出されるだろう。「神」は「存在」をーーそれが何であれ、「在る」とされている何らかのものについてーー思考しようとする全ての思考の極点に、例外なく現われる。事象を貫きつつ、さらに始源へ、さらに構造へと遡行する思考が、根こそぎ自失するあの一点、その深さ、その近さ、そして広がり。全事象がその姿のままに巨大な疑問符と化して凍てつき、可知と不可知の乱反射にめまいして立ちすくむ。自身の尻尾を呑み込んで、蛇は途方にくれている。このとき「神」は彼方にはなく、当の思考の形式としてここにあるばかりだからだ。意識は遂に、意識自身の原型としての「神」を知る。ーーそういった思考の遍歴が共有されてはじめて、「神」についての議論は、何らかの意義をもつと言えるだろう。「無神論」とは怠惰な思考には格好の題目ではなかったか。そして、あらかじめそれと見做された神のために捧げられる思考も、またーー。

 宗教、つまり信仰の問題と、以後語られる「神」とは、或る地点から先は全く別ものである。

 「宗教」という名称で括られている限り、その形骸化はいつの世も、ゆゆしき問題として憂えられることができるだろう。しかし、そのとき憂えられているのは、「教団」という社会制度の一形態と、そこに属する人々の行動様式以外のものであったことはない。形骸化することができるのは、あらかじめ形骸をもっているものだけだからだ。「民主主義の形骸化」を取沙汰するのと並列に、「宗教の形骸化」を憂えるとするならば、形骸に縋ることができないまま、神的なものを追い詰めていた個的な魂の描く軌跡は、もはや「宗ー教」と呼ばれる必要もないような種類のものだろう。人類の事象においては昔も今も、制度化したものだけが、その定義によって形骸化し得るのであり、私たちは正しくそれらを「欺瞞」と見抜く。が、密かに、だからこそ烈しく、ひとりきりで抱かれるある種の渇望は、そういう在り方であるまさにそのことによって、形骸化する暇がないということが、必ずしも理解されていない。

(池田晶子「事象そのものへ!」法蔵館/1991.7.20発行/P146-148」)

 今日は復活祭。とはいえぼくはキリスト教徒というわけではないので、キリストの復活についてあらためてとらえなおす日としたい。

 ところで、日本におけるシュタイナー受容に関して、やはり「キリスト」というのは大きな問題になっているように思う。それは、「キリスト」というと宗教組織としての「キリスト教」と混同されてしまうというところに根があるようで、キリストといういわば「神秘学的事実」に対するものではないようであり、むしろそこにこそ問題があるのではないかというふうに思える。つまり、「神秘学的事実」というのはいわゆる「信仰」の問題でなく、「認識」の問題であるにも関わらず、「信仰」の問題として短絡的にとらえられてしまうということである。

 キリストを認識の問題、神秘学的事実の問題としてとらえるということは、キリストについて云々ということ以前に、みずからの中ば無意識のままに放置されてしまっている制度的宗教をあらためて見つめなおしてみるということであり、その上で、みずからの「存在」そのものへと問いを進めるということでもある。

 なぜ私がここに存在しているのか、また存在していると思っているのか、なぜ世界があるのか、またあると思っているのか。そういう問いのなかで途方に暮れてしまうことから出発すること。出発したといってもその問いから離れてしまうことはありえないこと。神秘学的探求というのは、「信仰」の問題ではなく、常に「認識」をめぐるものであるがゆえに、そうした問いそのものでもある。

 おそらく、日本におけるシュタイナー受容の混迷というのは、そのように、「認識」の問題が「信仰」の問題であるかのように取り違えられることによって生じているように思える。

 そういう意味で、今日の「復活祭」を「認識」の問題としてとらえることによって、祝えればと思う。J.S.バッハの「復活祭オラトリオ」でも聴きながら・・・。

 


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