風のトポスノート271-280

(2000.12.3-2001.2.10)


風のトポスノート271●原初的かつ未来的器官としての「嗅覚」

風のトポスノート272●ヤコブソン器官

風のトポスノート273●「悪」を問うこと

風のトポスノート274●悪の自覚

風のトポスノート275●弱さ

風のトポスノート276●ポエジー

風のトポスノート277●日本『百年の計』

風のトポスノート278●リマーク

風のトポスノート279●アナム・カラ

風のトポスノート280●秘蹟としての肉体

 

 

 

風のトポスノート271

原初的かつ未来的器官としての「嗅覚」


2000.12.3

 

 国語辞典で、「臭い(臭し)」の項目をひいてみると、「臭い物に蝿がたかる」、「臭い物に蓋をする」、「臭い物身知らず」があり、その他にも、「臭い」を使った術語には、「胡散(うさん)臭い」という表現があったりします。なぜこんな表現が使われているのでしょうか。これは、日本語だけではないようなのです。

 ぼくは戌年というのもあるのかもしれないのですが(^^;)、小さな頃から、ふつうはあまり注目されていない感覚である「におい」についてかなり敏感なところがあり、その嗅覚についての疑問というのがいろいろあったのですが、(それは、多くその個人差についてのものでもありました)シュタイナーの十二感覚論を知って以来、この嗅覚に関する疑問に、いろんな意味で光が当てられてきたように思い、いずれちゃんと見てみたいと思って来ました。(HPにも、「十二感覚ノート」ということで「嗅覚」について少しまとめてあります)

 そんなおり、先日、久しぶりに広島の「つどいの森」に参加した折り、日本の香道の話とか、シュタイナーの宇宙進化論における土星紀の描写のなかでの「匂い」とかいうことにふれたところ、やはりこの嗅覚というのは、ふつうはほとんど顧みられていない感覚なのだなという思いを強くしました。さらに、ちょうどライアル・ワトソンの「匂いの記憶」(光文社)という好著が翻訳出版されたところですし、また、先日来、中村雄二郎の古典的ともいえる名著「共通感覚論」(岩波現代文庫)を読み返し、あらためて「感覚」、しかも統合感覚の基盤ともいえる「共通感覚」の重要性を再認識していたところでした。

 よく使われる表現として「視覚人間」だとか「聴覚人間」とかいう表現もありますが、多くの人が、ふつういわれる五感のなかで、とりわけ中心に置いている感覚があり、その中心に置いている感覚以外については、かなり無自覚というか、なおざりにされているような、そんな個人的な印象もありましたので、極めて重要な感覚でありながら、それについて語る言葉がきわめて乏しい「嗅覚」についてもっと意識化してみる必要があるのではないかとも考えています。

 十二感覚論のなかでも「嗅覚」「鼻」は、きわめて原初的本能的感覚でありながら、未来への重要な器官へと変容していくとされています。「自由の哲学」にも述べられているような「倫理的ファンタジー」ということとも深く関わり、現代人の主要課題でもある「意識魂」の形成においてもきわめて重要な感覚なのです。

 「神秘学概論」の「宇宙の進化と人間」における「土星紀」の描写のなかに、「嗅覚」に関連して次のような箇所があります。(以下、引用は、高橋巌訳・ちくま書房版による) 

現在の人間においてもまだ萌芽的にしか存在していないもの、つまり「霊人」(アートマ)への最初の萌芽が与えられた。超感覚的な認識能力にとって、この暗い人間意志は、(土星)の内部に向けては、「嗅覚」と比較されるような作用となって現れるが、その同じ作用が外なる天空へ向けられると、まるでひとつの人格のような現れ方をする。しかしその人格は、内なる「自我」によって導かれているのではなく、機械のように、外から制御されている。そしてそその制御の主体が「意志霊」なのである。(P174)

 土星紀においては、人間のもっとも原初的な構成要素であるといえる「人間幻像(ファントム)」が現れるのですが、それは、やがて自我が肉体に働きかけて形成されるといわれる「霊人」の最初の萌芽でもあります。そして、それは「キリスト」とも深く関係してきます。

 そういう意味でも、もっとも原初的な感覚でありながら、未来への重要な器官へと変容を遂げるであろう「嗅覚」について意識的にとらえかえしてみることは非常に重要なことだと思われます。

 アルバート・ズスマン「魂の扉・十二感覚」(耕文社+イザラ書房)には、こうあります。

私たちが嗅覚について語ってきたことは、みずがめ座に関連しています。みずがめ座は獣帯のなかの人間の像なのです。私はすでに、鼻は人間的である、鼻は人間であると言いました。自然にまるごと結びつけられている本能から独自に判断する個我へと到るまでの進化過程が、この器官に刻印されているのです。この器官には、新たに形成されつつある器官、つまり二枚の花弁の蓮華と共に、善と悪とを見分けられるようになるために最後まで残された本能としての嗅覚能力が与えられています。そして、この新しい器官をもって善悪を判断することができるようになれば、人間は大地を水で潤す能力、大地を救う能力をもつようになるでしょう。みずがめ座は、進化していく人間の似姿なのです。(P116)

 

 

 

風のトポスノート272

ヤコブソン器官


2000.12.8

 

 私たちにはものごとを嗅ぎつける力がある。人は問題を嗅ぎつけ、嗅覚に従って態度を決め、けっして自明とはいえない道筋をたどって適正な結論に到達したりできる。にもかかわらず、人はいつでも自分の嗅覚を過小評価して、人間の鼻というのは鈍感な器官であると見なしている。

 たしかに、たいがいの動物は私たちよりも鋭敏な嗅覚をもっている。イヌはイヌ社会の匂いを嗅ぎつける能力が人間より百万倍もすぐれているし、ハリネズミも食糧を見つける力が一万倍強い。しかし、嗅覚中枢が頭骨の容積のわずか千分の一の大きさしかないにもかかわらず、私たち人間は匂いを嗅ぎつけたり、嗅ぎ分けたり、記憶したりするのが驚くほどうまいのだ。(…)

 ではなぜ、私たちは嗅覚を見下すのか。おそらく、私たちは何かを見逃しているのだ。そう私は確信しているし、それが何なのかも私にはわかっている。目につかない小さな身体の一部、それを私たちは看過してきたのだ。それは大昔から、私たちの目と鼻の先にずっとあった器官だ。科学の世界では1811年からその存在が知られていた。それは生物学者の間では、ヘビの口の中、口蓋部にある構造物として知られており、ちらちらと出入りするヘビの下が集めてきた分子を「味わう」器官とされている。(…)

 見逃されがちなこの部位とは、「ヤコブソン器官」のことだ。約二世紀前にこれを発見した目の鋭いデンマーク人解剖学者にちなんで名づけられている。(…)

 ヤコブソン器官は私たちのもっとも過小評価されてきた感覚を格下の地位から救出することになる。しかし、これは単に、匂いに対する感覚を鋭敏にするだけのスーパーチャージャーではない。ヤコブソン器官の仕事とは、メインの嗅覚システムとは異なったまた別のチャンネルを開くことらしいのだ。それは脳の中でも、より古い、より原初的な領域、つまり、空中を浮遊するホルモン(すなわちフェロモン)その他、覆面をした上方パターンをモニターしている部分に情報を伝え、それによって、私たちの意識や感情の状態をはじめとする、もっとも基本的な行動に重大な影響をおよぼす生理学的変化を引き起こすらしいのだ。

 最近の研究によれば、このシステムこそが、ほんものの「第六感」を作動させるメカニズムである可能性がある。私たちが時折り、伝統的な五感では通常とらえられないはずの情報を受け取ったりする、いわば超自然的な能力を発揮するのは、このシステムのおかげなのかもしれない、ということだ。

(ライアル・ワトソン「匂いの記憶」光文社/P9-12)

 ヤコブソン器官のことは、本書ではじめて知ることになった。本書は、このヤコブソン器官をめぐるものになっている。

 ライアル・ワトソンによれば、これまでに研究された脊椎動物においては、嗅覚はふたつの異なったレベルで働いているという。たとえば、ガーターヘビの鼻の嗅覚器官から脳に通じる神経を切断しても、とくに大きな影響はないのに対して、ヤコブソン器官から脳につながる神経を切断すると、エサを追いかけるために匂いを追う能力が完全にだめになる。

 鼻から脳に行く嗅神経は嗅球へと収束し、ヤコブソン器官から出ている神経は副嗅球へとつながっている。嗅球が「鼻の脳」であるのに対して、副嗅球は「顔の脳」。味と匂いの中間のような情報を集めているらしい。そして、その副嗅球は、哺乳類の脳においては、古い刺激を新しい経験と統合しているようで、視床下部と関わっているという。

 もっとも原初的な感覚である嗅覚は、原初的であるがゆえに、人間のなかでも、もっとも無意識的な働きかけが強いのではないかと思われる。匂いを表現する言葉は、多く何かの譬喩によって代用され、明確に分節化した表現はされにくい。それゆえに、嗅覚情報は無意識のうちに私たちの深いところに蓄えられ、そこから私たちに強く働きかけているといえるのではないだろうか。それは、単に先祖帰り的な本能を刺激するだけではなく、原初的であるがゆえに、それが変容させられた新たなかたちの能力の萌芽としてとらえることもできるのではないかと思われる。

 日本には「香道」という香りを洗練させた遊びである文化があるが、そういう文化を可能にしてきた霊性に関しても、ひょっとしてこのヤコブソン器官が関わっているのかもしれない。そういう意味でも、日本人の身体性、文化性のなかで働いてきた、嗅覚をめぐる新たな可能性の萌芽についても見ていくことは、なんらかの示唆をもたらしてくれるかもしれない。

 

 

 

風のトポスノート273

「悪」を問うこと


2000.12.8

 「悪」というテーマは、むずかしい。そのむずかしさは、とくにそのテーマでは、わかるひとには自明のようにあらわれてくるにもかかわらず、わからないひとには、その問題がまったくみえない領域になってしまわざるをえないことにあるように思う。

 もちろん、それはどんなテーマに関してもいえることで、あるテーマについて考えようとするならば、そのテーマがみずからの内に「問い」として働かない限り、そこにそのテーマが意識化されることがないのだけれど、ほかのテーマにもまして、「悪」というテーマは、その意識化がなされにくいということがあるように思うのだ。

 もちろん、単純な善悪の二元論を素朴にとらえることはごく通常なされていることで、そのことについていっているのではなく、その場合は、いいことはいい、悪いことは悪い、というように、ほとんど自分のもつ慣習とルーティーン化した感情、感覚のなかで、自明のものとされているだけのことで、意識化されているわけではない。そういう場合は、「悪」をみずからの内に生きて働いているものとして、意識化してみているわけではなく、それを自分の外にあるもの、自分の外から働いてくるものとして、素朴にとらえているだけなのである。

 かつて、高校の漢文の授業のなかで、性善説、性悪説等について読み、当時ごくごく素朴な考えとして、ぼくは「善も悪もない。それは、人間がそのように見ているだけだ。」というふうに考えていて、性善説、性悪説ということで語られていることをある種の極論のようなものとしてしかとらえることはできなかった。もちろん、それが極論であることは確かなのだろうけれど、その当時、否定に否定を重ねた末にある絶対肯定のような天台的なあり方もまったく知らずにいたし、かつまたキリスト教などで議論されている「悪」についてもまったく無知だった。まして、グノーシスのはらんでいる問題などはまったく知らなかった。

 そして、やがてシュタイナーの精神科学に出会い、ルシファーとアーリマンについて知るようになり、そういう問題をもっと、認識論と存在論を分裂させたかたちではなく、それを同じ土俵のうえでとらえていかなければならないことに気づくようになる。しかも、ぼくの尊敬する中村雄二郎も、「悪」という問題を常に射程においている。

 ここでも、たびたび「純粋さ」という問題や、「悪」についての問題などは、ことあるごとにコメントしてきているわけなのだけれど、(HPには、「マニ教・悪」ということで、5年ほど前に書いてはいるのだけれど)この際、少しばかりあらためて、思いつく折りにノートを書いてみたいと思い立った。

 これは、ちょうど古本屋で、ヘーゲルを研究していた哲学者の樫山欽四郎さんのまさに「悪」というタイトルの本を見つけたことと、ライアル・ワトソンの「ダーク・ネイチャー/悪の博物誌」という新刊を見つけたので、いいきっかけではないかと思ったからでもある。

 すぐに終わるような気はまったくしてなくて、少しずつはじめて、長丁場になってくるように思うのだけれど、とりあえず思い立ったところからはじめてみようと思う。

 

 

 

風のトポスノート274

悪の自覚


2000.12.10

 

 われわれは、建康であるかぎり、建康の自覚はもたない。自分の体のどこかに調子の悪いところがあると、今更のようにその部分の存在に気がつく。つまり、建康であるときは、胃、肺、心臓の存在を忘れている。ひとたび、どの器官かの不調に出会うと、あらためて、それがあったのだ、という自覚を新たにする。だから、胃があるのだという自覚にいるときには、胃の調子がよくないときなのである。そこで、胃の存在を忘れた状態に達するために、われわれは医療を受けたり、その他いろいろ手だてを考えるのである。胃の存在が忘れられたとき、もはや医療はいらなくなっているのである。健康であるとは、その意味で、自分の体を忘れていることなのである。日常生活においても、日常生活が不調もなく、普通に働いているときには、日常であるという自覚は伴われていない。ひとたび、日常に不調が現われるとき、今更のように、日常があったのだ、という自覚を新たにするのである。日常にいて何も不調がないとき、日常そのものは現にわれわれの自覚には上らない。その不調に出会って初めて、日常の自覚に出会う。だが、その日常が何であるかという自覚を新たにするとき、日常は逆にぼやけてくる。日常を日常として意識し、それを自覚的にそうあらしめようとするとき、逆に日常は姿を消して行く。これはどういうことであろうか。

 日常は、気づかれないかぎり、そこにあった。だが、一度崩れた日常を、更めて元に返そうとするとき、それはわれわれから遠ざかって行く。そのとき、日常はあるべき本来の形をとって、それ自身なる同一に転化してしまっている。探し求められる日常は、かつてあったのだが、今はもうない。意識的に求められる日常などというものは、もはや日常ではない。だから、意識して求めるとき、いつもそれは裏切る形でしか形を現わさない。日常とは、日常の意識のないところに、初めてあるものである。日常というものが、形として対象化されるとき、それは同一という固定となってしまう。つまりそれは、あるべき、もしくはあったはずの日常となってしまう。同一律にある日常というようなものは、もはや日常ではない。過ぎし日の水を味わい直すことができないように、味わい直そうとして対象化され、形として追い求められるとき、日常はもはや、あったはずの本来として固定されているのである。

(…)

悪に出会うことを通して、善の自覚を新たにするということが順序である。(…)重ねていうが、悪に満ちた「現」との出会いが根本なのである。その出会いの切実さというものがなければ、当為を言っても無意味というほかない。悪なる現実に対する洞察の深さというものがないところでは、善をどれほど語ろうとも、空言でしかないのは、そのためである。その意味で、またそのかぎりで、悪の自覚こそ根本であると言わねばなるまい。

(樫山欽四郎「悪」創文社/P17-20)

 あるがままであるというのは、自然体のようにも見えるのだが、そこには、自分というのは存在していない。自ー分、自らを分かつ、自らを分かる。自分が存在しているということが意識できるのは、みずからを分けることによってはじめて可能になるのである。

 自らを分けることによってはじめて自らを自覚できるという背理のようなものがそこにはある。即自ではなく、対自であることによる、自分の発見。

 水のなかを泳ぐ魚が水を意識しがたいように、空中を生きる生物が空気を意識しがたいように、自らを分けることができないとき、世界は世界として現れにくい。

 私たちは、自らを分け、自覚することによって、世界を発見し、自分を発見する。そしてそのことによって、世界はぼやけてゆき、自らもぼやけてゆく。

 聖書の創世記に、「神はこれを見て、良しとされた」とあるが、その創造というのも、天と地、光と闇、地と海を分けるところからはじまる。荘子に「混沌」の話があるが、混沌に穴をあけていくと「混沌」は死んでしまう。しかし、分けないと、混沌に穴をあけていかないと、世界は現れない。そうした背理のなかで、善と悪もとらえられねばならないだろう。

 善が最初にあるのではない。悪に出会うことで、善が自覚される。しかし、その善は、悪の以前にあるものではもはやない。

 人間にルシファーが自由の可能性を与えるのは、同時に悪の萌芽でもあったということだが、その自由という言葉を、自らの由(存在理由)への自覚としてとらえれば、悪がなぜあるのか、ということが見えてくるのではないだろうか。つまり、悪が存在しない限り、世界も自分も自覚的に存在しえないのである。そして、世界を自分を自覚するということは、悪を自覚するということなのである。悪を自覚することによって、善が創造されてゆくともいえる。もちろんそれは、性悪説とかいうことを意味するのでないことは自明である。そういう「分別」以前のものが「分別」以降へと創造的に展開していくというのだから。

 自分を見つめるということの大切さはよく言挙げされるが、それは、悪の自覚でなくてはならない。それは、同時に可能性としての善の創造でもある。自分を見つめるということにおいて、みずからの純粋さは失われていかざるをえないのだが、失うことによってしか得られないものがあるのだといえる。

 

 

 

風のトポスノート275

弱さ


2001.1.21

 

 僕らはみんなーーほとんどみんなということだけれどーー自分の弱さを抱えて生きている。僕らは多くの場合、その弱さを消し去ることも、潰すこともできない。その弱さは僕らの組成の一部として機能しているからだ。もちろんどこか一目につかない場所にこっそりと押し隠すことはできるが、長い目で見ればそんなことをしても何の役にも立ちはしない。僕らにできるもっとも正しいことは、弱さが自分の中にあることを進んで認め、正面から向き合い、それをうまく自分の側に引き入れることだけだ。弱さに足っをひっぱられることなく、逆に踏み台に組み立て直して、自分をより高い場所へと持ち上げていくことだけだ。そうすることによって僕らは結果的に人間としての深みを得ることができる。小説家にとっても、アスリートにとっても、あるいはあなたにとっても、原理的には同じことだ。

 もちろんボクは勝利を愛する。勝利を評価する。それは文句なく心地よいものだ。でもそれ以上に、深みというものを愛し、評価する。あるときには人は勝つ。あるときには人は負ける。でもそのあとにも、人は延々と生き続けていかなくてはならないのだ。

(村上春樹『Sydney!』文芸春秋/2001.1.20発行/P394)

 「驕れる者」であるかどうかは別として、常に勝者であり続けることはできないだろう。勝者でなくなった後も、「人は延々と生き続けていかなくてはならない」。自分の「弱さ」とつきあいながら。

 自分の「弱さ」とつきあい続けていかなくてはならないのは、勝者であるか否かとは無関係なのだけれど、勝者にとって「勝たねばならない」ということは、「弱さ」の克服でもあるがゆえに、自分のなかでの「弱さ」を際だたせてしまうことになるのではないだろうか。

 だれしも自分のなかの「弱さ」を見たくない。それがかいま見えたとき、人はそれを見ないふりをして済まそうとする。それを認めてしまうことによって自分が自分であるということの、ある種の幸福なアイデンティティとでもいうものがその「弱さ」のところから崩れていくような気がするから。

 だから、人からその「弱さ」に少しでも関係していることを指摘されたりすると、多く人はかなり過敏な反応をしてしまうことになる。大きくふくらませた風船に針を近づけたときのように。あるときは、「そんなはずはない」、あるときは、「そんなことはわかっている」、というようなかたちで。

 否定するか否かに限らず、「弱さ」は厳然として存在し続けているし、その「弱さ」を抱えながら、「人は延々と生き続けていかなくてはならない」。死んだ後の魂にとっても、おそらく事情は同じことだろう。

 だから、その「弱さ」とどうつきあっていくかで、人はかなり変わってくるのではないかと思われる。「弱さ」を認めたくない場合、針は風船を破裂させる危険なものになるだろうが、それを「踏み台」にしているとき、針は、むしろ花のようになるかもしれないのだ。釈迦に向けられた剣がすべて花に変わってしまうように。

 自分にとって「針」とはなにかを確認してみること。そうすることで、魂ははじけてしまわない風船であることができる。もし泡のようなものであるとしても崩壊はしないですむかもしれない。

 

 

風のトポスノート276

ポエジー


2001.1.27

 

 西洋には、韻(ライム)をちりばめた韻文(ヴァース)で書く文芸の伝統があります。叙事詩、劇詩、叙情詩に分類される詩(ヴァース)は、現代でこそ無韻(ブランク・ヴァース)の詩(ポエトリー)もあるものの、ビートルズの詩(ポウエム)も含め、どれもみな韻文です。

 中国にも、一定の韻字を句末に用いて調子を整える文体、韻文がありました。詩(漢詩)は、そのような韻脚の決まりを持つ韻文のことでした。

 韻・rhymeがあり、それゆえ韻文・verseが書けて、脚韻・rhymeで改行する詩・verseの伝統を持っていた中国や西洋と違い、日本にはそうしたものがありませんでした。

 英語には音節が三万ある、とか、八万以上もある、とかと言われています。それゆえ、韻の工夫にはうってつけなのでしょう。しかし音節の少ない日本語で韻を踏んでも面白くありません。そこで、日本のうたは、韻・ rhymeの代わりに、ことばのしらべ(韻(ひびき))の美を、音数の律(リズム)に込ました。それが日本の詩(うた)の伝統でした。

 韻(ひびき)と律(リズム)、あるいは韻の律、これを和製漢語にしたのが「韻律」という用語です。この語のせいもあって、日本のうたが韻文であると思われています。厳密にいえば、日本には「韻文」はありません。しいていえば、「律文」とでもいうべき文体がある、というにすぎないのです。そもそも、韻文・verseがあって対になる散文・proseが存在するわけですから、日本のふつうの文体や文章を殊更に「散文」と呼ぶ必要はない、というのが本当のところです。ごくふつうの文章と、韻(ひびき)や律(リズム)のある文章とがあるのが、私たちの言語です。(…)

 というわけで、西洋や中国には詩の伝統があり、日本にはうたの伝統がありました。数えきれないほどの名歌を私たちは財産として持っています。

 うたには、やまとうた(和歌)のほかに、からうた(唐詩・唐詩)がありました。実はわが国では永いこと、「詩」というのは唐詩のことでした。それをまねて日本人がつくったものも、詩と呼んでいました。この詩と和歌とを総称したのが「詩歌」で、言いにくいためでしょう、延音(延言)を用い、「詩歌」(発音はシーカ)と呼ぶようになっています。明治時代に西洋から詩が入ってきて、はじめのうちは中国の詩と区別するため、翻訳詩も創作詩も「新体詩」と言っていましたが、明治四十(1907)年頃から、単純に「詩」と呼ぶようになって、それまでの中国の詩を「漢詩」と呼称を改めています。以後、「詩歌」は、詩と短歌と俳句をさす用語になりました。(…)

 やっかいな詩法を持つ文学は、限られた作り手しか持てないでしょう。しかし、わが国のうたは、たとえば五・七・五・七・七という枠があるだけですから、だれでも作り手になれます。五・七・五の俳句には季語を入れるという決まりなどもありますが、やはりだれだって作り手になれます。名歌や名句をつくるのは簡単でないにしても。

 さて、そういう事情であってみれば、音数律のうたの国に西洋から詩(ヴァース)が入ってきたとき、

 ーーところどころ行をあけて、次々に改行して、タテ書きにすればよいのだな。

と、人々が思ったとしても、やむをえないことでした。五音や七音の「型」を決めれば、改行はかんたんです。五・七・五・七……、あるいは、七・五・七・五……、とつづけていけば、定型詩ができあがります。

(…)

 詩的精神(ポエジー)が言葉で記されたなら、それが詩。韻文であろうと散文であろうと、詩であれば詩。韻文で書かれてあっても詩でないものhが、詩ではない。ーーというのが、詩の伝統のある国の、了解なのでしょう。

 日本には詩の伝統はありませんでしたが、ポエジーを持っていた俳人や歌人や随筆家はいくらでもいたわけで、当の本人たちはポエジーと思っていなかったにせよ、そういう心や知性や感性を働かせてうたや文章をつづっていたことは間違いありません。(…)

 そう考えれば、日本には日本の詩の伝統があった、ということになります。

(松丸春生「朗読 声の贈りもの/日本語をもっと楽しむために」平凡社新書072/2001.1.22発行/P91-P111)

 小学生の頃、やっと文字が少しだけ仕えるようになっただけにも関わらず、国語の時間で、詩を書くという課題がでていたことがあった。そしてそのなかで良くできたものが文集にされたりもした。もちろん、「詩」なんてよくわからない。

 わからないから先生にきくと、「ところどころ行をあけて、次々に改行」するとかいうこと以外は、なんでも思うことを自由に書いてみなさい、くらいしか教えてくれない。たぶん、先生にもわからなかったなんだろうと思うのだけれど、仕方ないから、まさに「ところどころ行をあけて、次々に改行」されたふつうの文章を書いただけなのに、「いい詩ね」とか言われてしまって、なんだか居心地の悪い思いをしたことがある。

 国語の時間というのは、その後もずっと苦手中の苦手で、居心地の悪いこと甚だしかったのだけれど、それは、なぜ同じような文章が、詩になったりならなかったり、説明文や論説文になったり、物語文になったりするんだろう、ということがどうもよくわからなかったことが大きかったのではないかと思う。(似たような文章を目的別に整理しただけじゃねーか、という感じ(^^;))もちろん、漢字の書き取りがまるでできなかったというのもあるんだけれど(^^;)。

 数学がいちばん好きだった高校の頃、国語の時間で「本を読むということはいったいどういうことなんだろう」とかいうことが、問題になったことがあって、たぶん、「読書のすすめ」とかいうようなことだと思うのだけれど、そのときわりと一所懸命に考えて自分なりにだしてみた結論は、「読書はふつうの経験とは違うけれど、二次的な経験になることから、ふつうでは得られない経験を豊富に持つことはできる」ということだった。そのことはふっと思いついたのだけれど、自分なりにけっこう気に入って、そのことをその後もあれこれと考えてみるようになった。

 その後、その問題意識というのも影響したのかもしれないのだけれど、大学の頃、なぜ文学は文学なんだろう、なぜ詩は詩なんだろうということから、文学的テクストとは何か、とか、詩的言語とは何か、とかいうあたりをアプローチすることになった。山口昌男の「文化と両義性」がでて数年経った頃のことで、ロシア・フォルマリズムだとかヤコブソンとかいうのが少し話題になっていた。

 ぼくは、わりと文学的テクストをその内部的なコミュニケーション構造や社会コミュニケーションの特殊なものとしてとらえる方向が主だったのだけれど、yuccaのほうは、それに加えて、詩的言語の美的機能というあたりのことをプラーハの言語サークルのヤン・ムカジョフスキーをガイドに、かなりつっこんでアプローチしていて、そのことをいつも話していたことがある。ロシア・フォルマリズムの「異化」の概念とも無関係ではないのだけれど、文学的テクスト、とくに詩的テクストにおいて用いられる言語というのは、一義的で自動化されていることの多い日常言語とは異なり、プラグマティックな文脈から自由な多義的な言語として詩的な機能を有しているということでもあった。

 そうした問題意識を背景にしながらも、西欧のほうで詩的テクストの分析とかの事例をみるにつけ、いつも感じていたのが、西欧において詩とされているものの感覚と今自分が感じている詩についての感覚とのギャップのようなものだった。テクストや言語の機能的な側面に関してはあるていどわかるのだけれど、今この、自分が詩と感じているものはいったい何なのだろうということ。それがその後もいまひとつぴんと来なかったのである。

 もちろん今でもまだまだ腑に落ちないところばかりなのだけれど、おそらくはそれが「詩的精神(ポエジー)」に関わるからこそ、なかなか捉えがたいものなのだろうということだけはわかるようになった。そして、それは、人間の創造性そのものであり、制作(ポイエーシス)という言葉にも似て、世界そのものを創造するなにものかでもありうるのだということも。

 だからこそ、「ところどころ行をあけて、次々に改行」すれば詩になる、というようなおそまつな言語感覚だけは、教育してはならないのだと思う。

 

 

 

風のトポスノート277

日本『百年の計』


2001.1.31

 「Voice」(二月号)が先月に引き続いて「日本『百年の計』」という特集を組んでいる。新世紀、新千年期のそのまた新年号とあって寄稿した識者の抱負は遠大だが、そのなかでおやと思ったのは池田晶子氏の「『私とはだれか』から考えよう」である。

 池田氏はいう、「人間はみな、一人で生きて、一人で死ぬ。単独の精神性を一人ひとりが自覚する。自分とはだれかということを一人ひとりが考えるところから新しい人類の精神ははじまるし、変わるんです」。「長期戦略的国家」の下、憲法や教育基本法の改正を唱える中曽根康弘氏や、「第三の開国」に遭遇し、グローバリズムの時代に突入した日本の急務は日本のナショナル・アイデンティティを確立し、「ジャパン・アズ・オンリーワン」(世界にたった一つしかない国)」となることだと説く松本健一氏は、日本「百年の計」を国家の観点から考えるのだが、池田氏にとっては国家(や民族やイデオロギー)は人がこの世で生きていくためのたんなる便宜品に他ならない。

 「要するに、自分のアイデンティティをそういう国家とか民族なんかに預ける愚かさですよ。この愚かさは有史以来のものですが、懲りずにその失敗を繰り返そうとしている。左翼が終わったから右翼にするなんていうことは、結局左のものを右にしただけの話でしょう。全然賢くなっていない。少しは自分の頭で考えたらどうでしょう」。この言を聞いたら、国家論者はおそらく、そうしたものいいは現実を知らぬ哲学者の言だときめてかかることであろう。われわれは食うか食われるかの国際政治の舞台で、日本の国益について考えているのだ、というのはよく聞く言である。国益という錦の御旗をつきつけられるとぐうの音もでなくなるわれわれであるが、国家、国家と叫び続ける国家論者と、哲学の本を書いて子どもたちに届けることを目下の仕事としているという池田氏とを比べたとき、前者のほうが圧倒的に国益に資しているとは必ずしもいえまい。

(2001.1.31付朝日新聞大阪本社版13面「論断時評/ナショナリズム論」より)

 ナショナリズム的な方向性は、精神を国家の下に置こうとする傾向性がある。精神における自由などとんでもないということになりがちである。「百年の計」がナショナリズムであり、そのひも付きによる「国益」がすべてであるとすればどうだろう。そういう「便宜品」を主役に置いてしまう愚かさを繰り返すつもりだろうか。「国家論者」にとっての「現実」とはいったい何なのだろうか。

 二十世紀の愚かさは、止めどもない大虐殺に象徴される。ヒトラーしかり、スターリンしかり、毛沢東しかり。それらはすべて右翼左翼を問わず、一人ひとりが考えるということを放棄したところからはじまっている。君が代を強制された学校長が自殺してしまうようなとんでもないところに、現代日本は急速に向かおうとしているのかもしれない。

 現代日本の急務があるとすれば、それは「ジャパン・アズ・オンリーワン」になることではなくて、「私・アズ・オンリーワン」になるために、ちゃんと考えることのできる精神を育てていくこと以外にないのではないだろうか。そして国家はそういう「私・アズ・オンリーワン」を育てていくための機関として働かなければならない。教育機関もそのためのものでなければならないだろう。そして、法はそのための平等を与えようとするものであるのがいい。それをスポイルするような国家であり、それに反する「国益」を云々するようであれば、かぎりなく愚かだとしかいいようがない。

 「国益」とはいったい何だろう、と問わなければならない。その「国益」の「益」とは誰の「益」なのだろうか。そのことを注意深く見ることを怠ってはならない。その「益」が「精神」を育てるものかのかスポイルするものなのか、そのことを見過ごすとすれば、とんでもない21世紀になってしまうだろう。

 

 

 

風のトポスノート278

リマーク


2001.2.6

 

 形式は内容を規定する、逆もまた真。必然であることによって自由である、その逆も真。語り得ないという必然を、語ろうとすることの自由、両者の一点交差するそこにのみ言葉は立つ。悶えや叫びや嘆息でさえも、そのようであらざるを得ないことによって、どのようでもあり得ることを示すだろう。

 ところで一方、語るとは、騙ることである。語り得ないことを語るとは、語り得ないことを騙ることである。騙るとは嘘を騙ることである。騙られていることは、すなわち嘘である。真実在に迫る思索日記は、大嘘を語る。神聖文字ヒエログリフとて、そのように見れば、諧謔の粋である。われわれにとって、言語とは遂に判じ物である。思索の象形文字、あるいは謎の落書き。

 けれども一方、存在するということは絶対事実である。古代における神は、現代における言語である。しかし、存在は存在する。謎は、謎である。謎である限り思索せざるを得ないわれわれ人類の必然と自由は、時と場所を選ばない言葉として出没する。したがって、誰が考えたかを言うことはできない。存在が存在を考えた。エジプトにおいて、ギリシャにおいて、あるいは現代日本において。

 さらに聞き馴れない異形の言葉を持つ。

 存在はいよいよ真実の嘘と化す。

「リマーク」と名付けた認識メモを、学生の頃より某は書き付けていた。しかし、文筆を職業として文章を公にするようになると同時に、その習慣はパタッと止んだ。考えることそのものの側から、それを書くことの側へと、重心が移動したのである。「謎の編集者」、『小説推理』の山本泉氏が、フラリと現われることによって、この習慣は再開した。脈々と流れる謎の鉱脈を、たまにはチラリと陽の下へ、ウフフフフ……。

 騙されているのは、はたして誰か。

(池田晶子「REMARK=リマーク」双葉社/2001.2.1発行)

 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」。ヴィトゲンシュタインの言葉は不思議な重みをもって二十歳のぼくを呪縛しようとしていたように思える。

 それに対してそのときのぼくが結局だせた答えは、「人は騙らずには生きていけない」というものだった。

 しかし、実際のところ、騙ることさえぼくにはあまりにも重く困難な道で、こうして稚拙なかたちにせよ騙ることをはじめるまでには、その後十年ほどの年月が必要だったようにも思う。

 ところで、池田晶子の「リマーク」という「謎の思索日記」。学生の頃、彼女は認識メモを書き付けていたということである。

 remarkを辞書で引いてみると、名詞では、意見、批評、注意、注目とある。動詞では、…だと言う、所見を述べる(書く)。なるほど。

 本書を読んでみると、たしかに、ヒエログリフのような謎の言葉たち、落書き。その語り=騙りにつきあってみることの謎めいた快楽。こういう形式は、なかなかに魅力的である。もちろん、なんでも落書きすれば魅力的になるわけではなく、そこに深い、意味ありげな「謎の鉱脈」があってはじめて、神聖文字らしきたたずまいをみせてくれる。

 こういう試みは面白い。日々ぼくにしてもとりとめもないことをあれこれと考えているわけなのだけれど、そのとりとめなさなさの海のなかで、または砂漠のなかで、ときおり蜃気楼のように姿を表わす陸地またはオアシスがある。その実体は定かではないが、それを騙ってみるのも面白いかもしれない。そのうちそういうの、やってみようとかいう気になっている。たぶん、たんなる落書きにしかならないだろうけど……。

 ・・・あ、これも落書きのようなものなのだけど・・・。

 

 

風のトポスノート279

アナム・カラ


2001.2.9

 

 ケルトの伝承には愛情と友愛に対する優れた理解が示されているが、とりわけ感銘の深いのは魂の愛の理念である。古いゲール語ではこれをアナム・カラと言う。「アナム」はゲール語で魂、「カラ」は友人の意味である。従って、ケルト世界で「アナム・カラ」は魂の友、心友を指す。初期のケルト教会では、教師、一蓮托生の同志、あるいは精神的指導者をアナム・カラと呼んだ。もともとは、心に深く秘めた一生の大事を打ち明ける相手を指す言葉だった。深奥の自己と、心のありよう、信条を語り合える相手がアナム・カラである。友愛とは、相手を認め、相手と親和する行為を言う。アナム・カラを得るならば、友愛はあらゆる因襲、道徳律、規範の垣根を越える。人は魂の友と永遠不変の絆で結ばれるのである。ケルト人の理解では、魂に距離と時間の制約はない。魂を閉じこめる檻もない。魂はアナム・カラの友愛に結ばれた同士の内面に降り注ぐ神の光である。(…)

 アナム・カラ体験とは、豊かにして窈瞑な内面の風景に関心を寄せ、これを探索することを通して、神の真意と温情を知ることにほかならない。アナム・カラは神の恵み、友愛は神の摂理である。神を三位一体と捉えるキリスト教の概念は、他者との親和、友愛の不変の交流を何よりもよく表わしている。この考え方は、聞け、我、汝らを友と呼べり、と言ったキリストの言葉に我々の永遠の希求が余すところなく満たされていることを示すものである。神の子イエス・キリストは宇宙ではじめての他者であり、あらゆる差異を分光するプリズムである。キリストは万人の隠れたアナム・カラである。イエス・キリストとの親交において、我々は三位一体の優美と情愛に浴すことを得る。永遠の友愛に抱かれて、人は思うさま自由を享受するのである。ケルト人の心には三位一体の美しい旋律が流れている。

(ジョン・オドノヒュウ「アナム・カラ/ケルトの知恵」角川21世紀選書/2000.8.30発行/P21-22)

 友であるということはなにものにも代え難い宝物である。別名、愛とも呼ぶことができる。「友なるイエス」という表現はその象徴。

 友であることは永遠である。しかし、その永遠は忘れられやすい。というよりも、その永遠を見出すことが難しい。友であることは限りない創造でもあるから、創造を忘れたとき、人は友であることに価値を見出すことができない。

 親子、兄弟、夫婦、家族、民族、男女等々といった呼び名で呼ばれるものは、ともすれば固定化し、因襲化しやすく、そういう呼び名でかりそめに現象化している関係性にしがみつくことで、人はみずからの存在を限りなく矮小化してしまうことになる。

 友であることは固定的な関係性から常に自由である。だから、友がどのような関係性で呼ばれているとしても、それに縛られることはない。もちろんその関係性を否定するというのではなく、関係性の内に自足することはないということだ。

 友であるということは、他者の肯定である。友であることを通じて他者ははじめて他者となる。そうでない場合、他者は敵か味方か、同族か異民族か等々としてしか現われない。

 友であることによってはじめて、自我と非我の対立のようにみえることに橋が架けられる。自然と友であることも可能になる。それは征服ー被征服の関係ではないのだから。友であることによって、自然はその秘密を開示しはじめる。

 友であることによって、いわゆる此岸と彼岸は対立しなくなる。生と死は対立しなくなる。友であるということで、今ここにいることができる。友であるということは祈りそのものであるから、どこか彼岸を求めて今ここを否定しないということである。

 

 

 

風のトポスノート280

秘蹟としての肉体


2001.2.10

 

 肉体は秘蹟、サクラメントである。伝統的なサクラメントの定義はこの考え方をきちんと踏まえている。曰く、サクラメントとは、目に見えぬ恩寵の目に見えるしるしである。この定義は、隠れた世界がいかにして目に見える外界に表出されるかを正しく言い当てたものである。表出の願望は見えない世界の深部に潜んでいる。すべて内なるものと孤独な魂は外界の鏡を求める。目に映り、心に感じ、手を触れることのできる形を得たいと願っている。肉体は魂の密かな世界を映し出す鏡である。肉体は内と外とが交感する神聖な境界域であって、人は肉体を畏敬し、思い遣り、その精神性を理解しなくてはならない。こうした肉体の観念は、意外やカトリックの教義に明示されている。「肉体は精霊の神殿である」精霊は三位一体において内在者であると神と、超越者である神の性格を二つながら体現する。人の肉体を精霊の神殿とするのは、肉体は荒ぶる神の生気に満ちていると言うに等しい。カトリック神学のこの考え方からすれば、官能もまた本質において神聖なはずである。

(…)

煎じ詰めれば、肉体は人がこの世界に安住の場を得るために、釣り合いをとりながら協同で仕事をするいくつもの器官の集合である。魂と肉体を分けて考える誤った二元論は戒めなくてはならない。魂は肉体のどこか奥深い襞や窪みに潜んでいるのではない。事実はその逆で、肉体が魂にすっぽり包み込まれているのである。それ故、人の周りには美しく穏やかな魂の光が溢れている。この理解は、やがて新しい祈りの形を生む。自分を閉じて体の力を抜き、あたりに満ち溢れる魂の光を思い浮かべながら、深く息をしてその光を吸い込み、体の隅々にまで送り届けるのである。

(…)

 精神界における肉体の評価は極めて低く、とかく否定的である。これは、古代哲学で万物の根元をなす四大、すなわち、土、気、火、水のうち、精神はもっぱら土よりも気の領域で論じられたことによる。目に見えない空気は呼吸と思念の領域である、精神をこの領域だけに閉じ込めるなら、肉体はたちまち価値を減ずる。これは大きな間違いだ。何となれば、宇宙に神ほど感覚的な存在はないからである。神の放逸は、とりもなおさず神の多情であって、自然は神の想像力の発露にほかならない。神の美意識を直に反映する自然は神意の鏡、あらゆる感性の母である。それ故、精神をただ目に見えぬものとだけ理解するのは邪道と言わなくてはならない。皮肉なことに、神も人の魂も、その偉力と活力を目に見えるものと見えないものの緊張感に負っている。魂の世界のすべては目に見える姿形を希求し、渇望する。それこそが想像力の源泉である。

 想像力は目に見えるものと見えないものを取り持って、両者を二つながらに啓示する。因みに、ケルトの世界には目に見えるものと見えないものの自在な交流を少しも不思議とはしない鷹揚な考え方があった。

(ジョン・オドノヒュウ「アナム・カラ/ケルトの知恵」角川21世紀選書/2000.8.30発行/P48-51)

 現代には、目に見えるもの、感覚でとらえられるものだけを信じている人とそういうものをマーヤだとし霊的なものばかり信じやすい人の二種類がいる。前者は多く、死をなによりも恐れるだろうし、後者は多く、生をなによりも恐れているといえる。前者と後者は対極にあるともいえるが、ある意味では、同種であるともいえる。

 唯物論は物質がわからない人の考えついたドグマであるし、この世を厭う類の宗教者は、霊のわからない人であるともいえる。もちろん、極めて即物的な宗教者も多く、その両者の闇を闊歩している人である。

 シュタイナーは死の直前に、「霊的に最高の問題を考えようとしたら、物質界の最低領域にまで降りていかなければならない」と述べているというが、そういう意味では、霊的認識を深めていくということは、同時に物質に関する認識を深めていくということでもあるのだと思う。

 シュタイナーの主著に『神智学』があるが、そこでは、シュタイナーがとくに晩年に強調していた物質そのものへの深い認識はほとんど述べられていないということは押さえておいたほうがいいのではないかと思われる。そういう意味でも、『神智学』は『人智学』のほんの一部でしかないといえる。

 また、シモーヌ・ヴェーユは、「重力と恩寵」で、次のように述べている。 

 創造は、重力の下降作用、恩寵の上昇作用、それに自乗された恩寵の下降作用とから成り立っている。

 恩寵、それは下降の法則である。

 低くなること、それは精神の重力に対して上昇することである。精神の重力はわれわれを高いほうへ落とす。

(シモーヌ・ヴェーユ著作集III 春秋社/1968.5.10発行/P51)

 精神とか霊とかいうと、ふつう上昇するとか高次であるというイメージが強い。そして物質とか感覚というと、下降するとか低次というイメージになる。しかし、たとえばシュタイナーのいう霊的ヒエラルキアにおいても、第一ヒエラルキアは、主に物質的なものに働きかけ、第二ヒエラルキアは、主にエーテル的なものに働きかけ、第三ヒエラルキアは、主にアストラル的なものに働きかけるように、高次の霊存在であるほど深く物質に関わっているということがいえる。そういう意味でも、高きものは低くされ、低きものは高くされる、ということは非常に重要な認識であるといえる。

 


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