風のトポスノート261-270

(2001.1.5-2001.1.21)


風のトポスノート261●<見えない制度>の発見

風のトポスノート262●ペルソナ

風のトポスノート263●シンボリズム、コスモロジー、パフォーマンス

風のトポスノート264●昼の星

風のトポスノート265●迷宮と渦巻

風のトポスノート266●二元・対極の超克のために

風のトポスノート267●利益と認識力

風のトポスノート268●兼愛

風のトポスノート269●老いの文化

風のトポスノート270●オリンピック

 

 

風のトポスノート261

<見えない制度>の発見


2001.1.5

 

 <子供>や<教育>、とくに<子供>ほど現在<見えない制度>によってがんじがらめになっているものはない、と言った。ここに<見えない制度>とは、私たち人間によって意識的に形づくられた顕在的な制度=<見える制度>に対して、無意識的に形づくられた制度、私たちが共同社会のなかで営む生活を暗黙のうちに律している約束事のことである。もちろん<子供>や<教育>、とくに<教育>は多くの<見える制度>によって形式を与えられ規律を付与されている。学校はとくに近代国家の根幹をなす主要な制度<見える制度>の一つであり、<教育>はむろんのこと、<子供>も制度<見える制度>としての学校と無関係に存在することは難しい。

 だからふつう、<教育>や<子供>について制度というと、学校をはじめとするあれこれの制度<見える制度>のことである。それらの支配力は強力ではあるが、その支配は多分に外的であり意識的なレヴェルにとどまる。そして、まだしも自覚化さえやすい。それに対して<見えない制度>は、その存在が見えにくいけれど、暗黙の約束事として私たち人間の心の奥深くに働きかける力をもっている。またそれによる支配にも気づきにくい。(…)

 <見えない制度>は制度化された観念とも言い換えられるが、制度化された観念とは惰性化された観念のことだから、わかりやすくいうなら、固定観念といってもいい。<子供>や<教育>についての固定観念には実にいろいろなレヴェルのものがある。なかでも代表的なものは、<子供>をもっぱら善良で純粋な存在だと思い込む見方であろう。大人のけがれを知らぬ無垢な存在と思い込む見方であろう。(…)

 さきに私は、アリエスの『<子供>の誕生』がフーコーの『狂気の歴史』やレヴィ=ストロースの『野生の思考』に匹敵する重要性をもっていることを強調した。なぜかといえば、その理由はこうである。『狂気の歴史』においてフーコーが、『野生の思考』においてレヴィ=ストロースがそれぞれ行なったことは、ヨーロッパ社会の内部と外部の見捨てられてきた狂人と未開人という深層の人間の発見であった。それらに対して、『<子供>の誕生』においてアリエスが行なったことは、あまりに身近であたりまえの存在なのでかえって見えにくかったもう一つの深層的人間=<子供>の発見にほかならなかったからである。あまりに身近であたりまえのものにみえる存在のほうが、発見するのに難しいし、その発見にも人々は気づきにくい。

 フーコーによる狂人の発見もレヴィ=ストロースによる未開人の発見も、惰性的な思考に逆らっての、囚われの<知>から自己を解放する努力であった。とはいえそれらは、概して<知>の制度としての大学の枠内で承認され、通用するものであった。

(中村雄二郎「魔女ランダ考/演劇的知とはなにか」岩波書店・同時代ライブラリー/1990.9.14発行/P163164)

 <子供>という観念、制度としての<子供>は、近代における家族の成立とともに生み出されるようになった。そのことが指摘されるようになって久しいが、いまだにそのことはあまり認識されていないように見える。教育についてのさまざまな議論も、その制度としての<子供>という視点を見直すことなくしてなされるとき、ますます自縄自縛のものになってゆく。

 年賀状などでも、自分の子供の写真だけを入れたものが届くことがあり、そういうところにも、その<子供>という制度に対して、ほとんど疑いさえ向けていないのだということがよくわかる。

 <教育>に関する議論の際にも、<見える制度>としての<教育>については、さまざまにとりあげられるのだが、その<見えない制度>については、多くの場合、顧みられることが少ないように見える。それに気づかないということは、多くそれに支配されているということでもある。おそらくその<見えない制度>としての<子供>や<教育>について、もっと見ていくことなくして、昨今さまざまな形で現われている<教育問題>などはその支配の掌の上で狂乱するばかりなのではないだろうか。

 この<制度>ということに関して、二十数年前最初に意識するようになって以来、自分がその<見えない制度>にいかに縛られているかということに、より明確な形で気づくことができるようになった。<子供>もそうだし、<家族>とか<男><女>なども典型的な例だろう。その<見えない制度>を認められないとき、人はその観念に縛られて身動きがとれない。

 「そういうものだ」というあらゆるもののなかに、<見えない制度>は張りめぐらされている、もしくは構築されている。「そういうものだ」は、自分のもっとも身近なものにもっともよく跳梁していて、私たちの自由な思考を縛り付けている。始末に悪いのは、それは外からくる<制度>ではなく、自分で自分を積極的に縛り付けてしまうような、場合によればダ自分で自分にブルバインド的にも働きかけるような<制度>なのである。

 そういう「囚われの<知>」のなかにみずからがいることにまずは気づくところから始めなければならないように思う。自分で自分が「囚人」であることに気づけていないことほど、悲しい喜劇はないだろうから。

 

 

 

風のトポスノート262

ペルソナ


2001.1.5

 

 <子供>の暴力、とくに家庭内暴力が孕んでいる問題は、人間関係における本来の意味で、のびのびとした役割行動をとりえないこと、つまりペルソナの喪失だということができそうだ。ペルソナとは劇的行動者の役割を表わすところの<仮面>であり、また、それによって人間同士が内面的に響き合う(ペレ・ソノーレ)ところのものである。

 まことに、本来の意味でのペルソナ=仮面とは、決して非人間的でそらぞらしいものなどではなく、むしろそれをつけることで自己のはげしい情念やぎこちない表情をコントロールし、人間同士の内面的な響き合い、心の触れ合いを可能にするものなのだ。それゆえ、ダブル・バインド状況における母ー子関係のひどいぎこちなさも、家庭内暴力を生み出す母ー子関係の遣りどころのない激しい情念=受苦も、ペルソナ=仮面のつけ方を人々が知らなくなったためだ、と言うことができるのではなかろうか。

 ふりかえってみると、およそ近代世界では、仮面は真実の顔でないもの、真実の顔を蔽いかくすためのものとばかり見なされてきた。そこから素顔と仮面という二分法が行なわれ、素顔こそが真実の顔だと考えられるようになった。けれども、仮面=ペルソナとまったく無関係な真実の顔というものがいったいどこにあるだろうか。真実の顔とは、それをとおして人間同士が内面的に響き合い、心を触れ合うことができるような豊かな多義性をもった顔である以上、そこにはすでに、積極的な意味での多くの仮面=表情が含まれているのである。

(中村雄二郎「魔女ランダ考/演劇的知とはなにか」岩波書店・同時代ライブラリー/1990.9.14発行/P1201-202)

 世界は劇場である。ゆえに、私という存在はそこに役をふりあてられて存在している。単なる役者としてではなく、その劇作品の部分的な作家として、また部分的な演出家として存在している。

 <子供>が荒れるというのは、(実は<大人>も同様に充分に荒れているのだが)そういう役どころの混乱ということでもある。もちろん、その荒れることそのものも役どころでもあるといえるのだが・・・。

 人は、自分の役どころをわきまえているときに、かなり安定した人格を持ち得るのだが、自分で思い込んでいる役どころを逸脱してくると、その人格は往々にして混乱してくる。自分がかぶっている仮面=ペルソナを見て、自分でびっくりしてしまうようにもなる。ときよっては、その仮面=ペルソナを自分だと思えず否定してしまう。つまり、鏡に映っている自分の顔を見て、これは私ではないと思う。

 では、真実の顔というのはいったいどこにあるのだろう。真実の顔を見ようとして、自分がかぶっていると思っている仮面=ペルソナを外したらそれが見えると思い込んでいるとしたら、混乱は深まるばかりだろう。「仮面の穴」というロマーンがあったが、仮面=ペルソナの奥にあるのは、深い虚無でしかないということを知らなければならないだろう。玉葱の皮を剥き続けると玉葱そのものがなくなってしまうように・・・。

 「本音」ということをかけがえのないものだと思っている人もいる。これも、仮面=ペルソナを外せば真実の顔がでてくると思うような錯誤だろう。問題はそんなに単純なものではない。荒れる子供に対して、「本音を言ってみなさい!」というときに、どういう「本音」がでてくるのかを想像してみるのもいい「本音」が金属バットだったり、バスジャックだったりもするかもしれない(^^;。

 人はこの世界劇場で存在している限り、舞台の上で演技し続けていなければならない。役どころのなかで、つまり、仮面=ペルソナを豊かにすることによって、自分なりの役どころを豊かにすることを模索していく必要があるのではないだろうか。

 

 

 

風のトポスノート263

シンボリズム、コスモロジー、パフォーマンス


2001.1.7

 

 いま若者たちがアメリカ文化に影響を受けているのと同様、その昔、日本人は、中国に大変影響を受けてきました。古代中国の哲学、宇宙観、科学が、五、六世紀に日本に入ってきて以来、先人たちは約千五百年間にわたり、物心両面において、それを毎日の暮らしの基準にしてきたのです。

 お稲荷さんに油揚げをお供えするのも、ダルマさんが赤いのも、おなかに赤ちゃんができて五ヶ月になると戌の日に岩田帯を締めるのも、毎年の干支も、そして、この本のタイトル『カミナリさまはなぜヘソをねらのか』も、古代中国の考え方に照らせば、ほんとうはみんな、しっかりとした根拠・理由があってのことでした。しかし、いつしか時とともにそれはわからなくなってしまって、行事や言葉という「形」だけが現在まで続いてきています。

 その古代中国の哲学、宇宙観、科学といったものが、(…)「陰陽五行」なのです。

(吉野裕子「カミナリさまはなぜヘソをねらのか」サンマーク出版 2000.12.20発行/P1-2)

 シンボリズムとコスモロジーとパフォーマンスは、イメージ豊かな多義的な世界のなかで深層のリアリティを開示する不可欠な要件である。シンボリズムは、現実的なものと想像的なものとを結びつけるとともに、多義的なイメージの産出の母体であり、人間と人間、人間と世界とが有意味的に出会うところである。シンボルのうちもっとも根源的で強力なものは聖なるものであり、それが中心になって世界は方向づけられ、分節化され、象徴的に創造される。そして実は、このように世界がコスモロジカルなものとしてあらわれるためには、人間の方も世界といきいきと交流するパフォーマンスの主体、つまりはパトス的な劇的行動者でなければならない。

(中村雄二郎「魔女ランダ考/演劇的知とはなにか」岩波書店・同時代ライブラリー/1990.9.14発行/P147)

 「午前」「午後」といった通常使われている言葉のなかにも、「午」が干支の「うま」であり、それが一日の時間としては午前11時から午後1時までを表しているように、日本ではさまざまなところで陰陽五行のコスモロジーが背景にあって、習慣・習俗・風習として、「形」としては根強く残っているとしても、生き生きとしたコスモロジーとしてはほとんど失われてしまっている。

 自分が「形」としてなぜそういうことをしているのか、ほとんどの場合わからなくなっているだろうし、それゆえにそれらは次第に忘却されてしまう傾向にあるのだろう。「カミナリさまがヘソをねらうから裸で走りまわっちゃだめ」とかいう表現さえ、そのうちに失われてしまうのではないだろうか。

 もちろんそういうたんなる「形」になってしまったものが失われるのは、それはそれでどうということもないのだろうけれど、自分がどういうコスモロジーを背景として生きていて、どういうシンボルを用いてどのようにパフォーマンスしていくか、ということが根底のところから失われてしまうと、人は世界のなかでどのように生きていけばいいのか途方に暮れてしまうことになる。

 途方に暮れてしまうというのは、むしろ必要なことであって、現代においてはそこからはじめる必要があり、そのためにそれまで「形」だけで働いていたコスモロジーの働きが壊れてしまうということはある意味で大きな意味を持っているのだけれど、そのときに、自分なりに多層的な意味を持ったコスモロジーを創造していくことができればいいのだけれど、そうでない場合、アナーキーな混乱だけが支配的になったり、その裏面として、なにかに強力に依存してしまいそのいわばマインドコントロールを積極的に受け入れてしまったりすることが起こりやすくなるのだろう。

 少なくとも人はなんらかのコスモロジーをもって、自分なりの物語のなかで有意味的に生きていきたいと思っているだろうし、さまざまな占いなどもそのニーズからさまざまなものが生み出されてゆく。西洋占星術がかなり流布しているのもそういう背景があるのだろうし、「動物占い」も陰陽五行が背景にあったりする。テレビゲームでのロールプレイングなどにも、世界の神話をはじめとしたものがさまざまな形で取り入れられていて、子どもたちは、そうしたコスモロジーに非常な魅力を感じながらその世界を生きることに、実際の世界には感じられないコスモロジーを見出そうとしているようにも見える。

 しかし、それらが恒常的な形での生きたコスモロジーではないのは確かだろうし、実際に生きているなかで働いているそれらは、混乱の一途を辿っているように見える。そして、それらは非常に即物的なものだ。そして同時に非常に信仰的でもある。科学主義とカルトが裏腹であるのもそういうことだし、子供を教育しようとしても、そこにコスモロジーが欠如しながら、固定的な結果を要求するということばかりが肥大するのもそういうことだ。

 さて、私たちはどのようなコスモロジーのもとに、どのようなシンボルでどのようにパフォーマンスしていくならば、有意味的に生き生きと生きていくことができるのだろうか。おそらくはこれからそのテーマをめぐって、さまざまな試みがさなれていくのではないだろうか。

 

 

 

風のトポスノート264

昼の星


2001.1.11

 

 さて、あなたは「生まれて来るんじゃなかった」とか思ったことはないだろうか?あるいは「生きてきたけどあんましいいことってなかったよなあ」とか思ったことは?また上遠野はそーゆーこじゃれたことを……とうんざりしているだろうが、まあ聞いてください。はっきりと言ってしまうが、たとえあなたが今三歳児だろうが八十八歳の老人だろうが関係なく、あなたはもう何度も「このために生まれてきたと思ってもいいな」というだけの喜びに出会っている。必ず出会っている。ただあなたはそれを忘れてしまっているだけだ。(…)

 そしてひょっとすると生まれてきただけのことがあったと思える喜びというのは、実はそーゆー一見つまんないようなこと、ささやかもいいところですぐに忘れ去ってしまってもおかしくんまいようなところ、そういうところにあるのではないか?(…)

 ……もしあなたがそういうことを忘れてしまったというなら、しかたがない、これからあらためてやるしかないでしょう。もしもあなたがまだ本当にそういうことに出会っていないのだとすれば、しかたがない、やっぱりそこでは黒帽子を被ったあの変人の言葉を引用するしかあるまい。

「それは、君たちの仕事だ」とーー。

(上遠野浩平「ブギーポップ・イン・ザ・ミラー/パンドラ」角川書店・電撃文庫/1998.12.25.発行/P299・301)

 なぜ生まれてきたかわからない。そのことを何度も何度も自分に問い返しながら生きてきて、その度ごとに、生まれてきたくなかったと思う。

 そんなことを思っていたからこそ、「生まれてきてよかったかもしれないな」そう思えるとき、自分のなかにぽっと明かりが灯されたような、ささやかだけれど、確かななにかが生まれてきたような気がした。それは、おそらく「思い出した」ということでもあったのだろう。忘れてしまっていたなにか大切なものが語りかけてくるような…。

 なぜ人は以前の生のことを忘れてしまって、そうして生まれてくることになるんだろう。そんなことを疑問に思ったこともあったけれど、そうでないと、今生きていることの意味が自動化してしまって、「生まれてきてよかったかもしれないな」というほのかな明かりが昼の星空のように見えなくなってしまうからなんだと思う。昼間もずっと星空は広がっているのに、明るすぎてまるで星たちが消えてしまっているように見えるのだ。

 僕たちの仕事は、ほのかな明かり、だけれども、ほんとうはちゃんと灯され続けているのだということに、気づくことができるということなのかもしれない。そのためのきっかけというのは、いつでもだれにでもあるのだけれど、それはちゃんと見ようとしないと、気づこうとしないと、なかなか見えないことでもあるんだろう。

 日常のさまざまなところに灯されている明かりに気づけないから、人にはときおりいろんなかたちで、やれ気づけ!とばかりに、大げさなことが起こったりもするというか、起こしたりしてしまう。でも、ほんとうは、やっぱり、昼間も星たちはちゃんと輝いていることに気づいたほうがずっと素敵なんだろうなという気がする。

 

 

 

風のトポスノート265

迷宮と渦巻


2001.1.12

 

 いったい日本や中国や韓国でクレタ型迷宮が発見されていないのはなぜなのだろうか。(…)迷宮図がヨーロッパの地中海を発祥地として、そこから全世界に伝播したという説にたつと、中国文化圏がその伝播経路からはずれていたことになる。しかしそれは可能なことなのだろうか。あるいは東北アジア文化圏では渦巻紋様がきわめて優勢であり、それが類似した迷宮図の侵入や発生をさまたげたのだろうか。

(和泉雅人「迷宮学入門」 講談社現代新書1532/2000.12.20発行/P224)

 小さい頃、ふたつの逆方向の渦巻きをかみ合わせたような迷宮的な図を空き地などに大きく描いて、そのなかをぐるぐるまわりながらよく遊んでいた。この渦巻き迷宮にはふたつの入口があって、二人がそれぞれの入口から入って、中心にあるふたつの渦巻きの先が中心で出会うところで交差し、今度は逆方向の渦巻き迷宮をめぐっていく。この螺旋状に回転していく感覚と、もう一人の逆方向からの螺旋回転との不思議な関係とが、いつもぼくを不思議な世界につれていってくれたのを、今でも新鮮な感覚で思い出すことがある。

 これはいわゆる「迷宮」ではない。本書によれば、迷宮というのは、次のような特徴を備えていて、これらのメルクマールをすべて否定すると「迷路」になるということである。 

(一)通路が交差しない

(二)どちらの道に行くかという選択肢がない

(三)常に振り子状に方向転換をする

(四)迷宮の内部空間をあますところなく通路が通っており、迷路を歩く者は内部空間全体をあますところなく歩かなくてはならない。

(五)迷宮を歩む者は中心のそばを繰り返し通る

(六)通路は一本道であり、強制的に中心に通じている。したがって内部を歩く者が道に迷う可能性はない。

(七)中心から外部へ出る際、中心の通路を再び通っていくほかはない。

(上記引用/P45-46)

 迷路といえば、小学校の頃は、授業中によく、いろんな迷路をつくって遊んでいたことを思い出す。そうしたなかで、迷路を必ず抜け出す方法というのも探し出したりしていた。もちろんそれはあくまでも平面的な原理の範囲内ではあったのだけれど。

 迷路はともかくとして、先の渦巻き迷宮のことだが、この渦巻き迷宮は、迷宮の満たすべきメルクマールのうち、上記の(六)と(七)が欠けている。そこには行き着く先という意味での「中心」の代わりに、二つの渦巻きの出会う場所としての「中心」があり、その「中心」から出るためには、逆向きの渦巻きを通っていくことができる。

 そこにあるのは、ある意味では一本道ではあるのだけれど、その渦巻き迷宮の入口と出口では、いわば陰陽が逆転している。まるでタオの陰陽図を迷宮的にしたようなものである。まさに二匹のとぐろを巻いた蛇が、お互いのしっぽを咬んでいるような迷宮をめぐっていく感覚になる。

 こういう感覚は、ひょっとして21世紀を迎えた巳年の今年の、なんらかのシンボルにもなるのではないか、という予感もしたりする。東北アジア文化圏では渦巻紋様が優勢でクレタ型迷宮がなかった、ということからも、ひょっとしたら異なった文化圏がこれから螺旋状に「中」されていくのではないかということもであったりする。

 

 

 

風のトポスノート266

二元・対極の超克のために


2001.1.12

 

「あなたも、いざとなれば残酷になれるわ」ゴルダがいった。反論したかった。だが、衝撃のあまり、声にならなかった。「ナチス・ドイツで育てられたらね」ゴルダが追い打ちをかけてきた。

 大声で否認したかった。「わたしはちがうわ!」。わたしは平和主義者だった。平和な国家で、良心的な家庭に生まれ育った。貧困も飢えも差別もなく育ってきた。ゴルダはわたしの目からそのすべてを読みとり、説き伏せるようにいった。「自分がどんなに残虐になれるものかがわかったら、きっとあなたは驚くでしょうね。ナチス・ドイツで育ったら、あなたも平気でこんなことをする人になれるのよ。ヒトラーはわたしたち全員のなかにいるの」(…)

 ドイツで生まれたゴルダが十二歳のとき、会社にいた父親がゲシュタポに拉致された。それが父親との永遠の別れだった。戦争が勃発するとすぐに、残された家族全員と祖父母がマイネダックに強制連行された。ある日、衛兵から行列にならぶように命令された。死出の旅へとつづく行列だった。ゴルダ一家は全裸にされ、ガス室に追いやられた。(…)

 収容所が解放され、門があけられたとき、ゴルダは怒りと悲しみのきわみで麻痺状態におちいっていた。せっかくの貴重な人生を憎しみのへどを吐きながらすごすことが虚しく思えてきた。「ヒトラーと同じよ」とゴルダがいった。「せっかく救われたいのちを、憎しみのたねをまきちらすことに使ったとしたら、わたしもヒトラーと変わらなくなる。憎しみの輪をひろげようとする哀れな犠牲者のひとりになるだけ。平和への道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」(…)

「たったひとりでもいいから、憎しみと復讐に生きている人を愛と慈悲に生きる人に変えることができたら、わたしも生き残った甲斐があるというものよ」

(エリザベス・キューブラー・ロス「人生は廻る輪のように」角川書店/1998.1.31発行/P90-91)

 愛と憎しみは対極にあるとよくいわれる。仏教で愛をタンハー、渇愛としてとらえるのは、その観点と似ている。というのも、その愛は渇望することが可能だからである。しかし、憎しみの対極にもはやない愛は、渇望することなどもはやできないだろう。

 こうもとらえることができる。憎しみと同じ円還上にある愛と螺旋状に変容しているがゆえに裏返ることのできない愛の違い。愛されないがゆえに憎むことと愛そのものに価値を見出すことのできる愛。

 目には目、歯には歯という復讐の原理が成立するのも、そこに与えられたものを与え返すということがそこにはあって、同じエネルギーが逆方向を向いて円還して流れているのだといえる。遺伝によって人はつくられる、環境によって人はつくられるというのも、そこにはそうした復讐の原理の変形のようなものが見出されはしないだろうか。そのエネルギーが否定的なものでは必ずしもないとしても、そのエネルギーの円還ではそこから何も生み出されるものはないだろう。

 白が白のままぐるぐると円還し、黒が黒のままぐるぐると円還する。または、白が黒になり、黒が白になり、ぐるぐると転換し円還する。善が善のままぐるぐると円還し、悪が悪のままぐるぐると円還する。または、善が悪になり、悪が善になり、ぐるぐると転換し円還する。

 そうした二元的なあり方、対極的なあり方から脱するには、いったいなにが必要なのだろう。ただの「廻る輪」のなかをめぐっていくのではなく、その「輪」に新たな変容の衝動を与えていくためには何が必要なのだろう。

 そのヒントはおそらくどこにでもある。そしてそのどこにでもあるヒントの中心には「私」がいる。そこに「私」の可能性を見出さないならば、何も変わらないし、何も生み出されることはないだろう。ヒトラーはヒトラーのまま、スターリンはスターリンのまま、そしてそれへの憎しみをそのままなにかに投げ返すだけ。歴史上の大事件のことだけではない。日常のなかに、小さなヒトラーやスターリンを見出すことはできる。もちろん、常に自分のなかにも。

 円還を、そして対極を脱する垂直の力としての「私」を、暴走させてしまうか、投げ捨ててしまうか、それともそれをロケットエンジンとして使うか。鍵は常にその手に握られている。

 

 

 

風のトポスノート267

利益と認識力


2001.1.15

 

 墨子先生がいわれた。「いま、天下の人が正しいとほめることは、一体どんな理由によるのか。それが、上にむかっては天の利益にかない、中ごろでは鬼神の利益にかない、くだっては人間の利益にかなうと思えばこそほめるのか。それともまた、それが上にむかっては天の利益にかなわず、中ごろは鬼神の利益にかなわず、くだっては人間の利益にかなわぬと思えばこそほめるのか。どんなに愚かな人でもきっと、それは、そのことが天下の利益、鬼神の利益、人間の利益にかなうと思えばこそほめるのだ、と答えるだろう」と。ところで天下でひとしく正しいとするのは聖王の法度である。いまや天下の諸侯は、なお、ほとんどみな、攻めあったり、他国を併呑したりしている。これでは正しいとほめるというのは名ばかりで、正・不正の実質をみきわめてのことではない。それは、たとえば盲人が正常人といっしょに白とか黒とかの色の名を口先でいうことはできても、白い物・黒い物をみわけることができないのと同じことで、正・不正の識別能力が彼ら諸侯にあるとはいえない。だからむかしの知者が天下の法度をつくるときは、必ずあらゆるものの利益に沿って、其の正しさを熟慮し、そうして始めて実行に移した。だから行動をおこせば遅疑することがない。遠近ひとしく欲しいものをもらうことができ、天・鬼神・人民の利益にも沿っている。これが知者の道である。

(墨子「第十九 非攻篇 下」 講談社「人類の知的遺産6墨子」P200-201)

 いわゆるビジネスに日々関わっているとき、最も意識しなければならないのは、「その仕事がどれだけの利益を生み出すことができるのか」ということである。その場合、「利益」というのはほとんどお金のこと。それが直接的にはお金でないとしても、結果的にはお金に帰結していく。

 もちろんお金のためだけにビジネスをしているわけではないところもあって、そのビジネスそのものに価値を見出していることもあるのだが、そのビジネスが経済的に成り立たない場合、そのビジネスは破綻してしまう。

 個々人に関しても、その行動は「利益」ということが左右することが多い。なんらかのビジネスに関わることで日々の生活の資にしなければならない。どんなビジネスに関わるかという判断基準ということに関しても、できるだけ多くの「利益」を生み出すということが大きく左右する。その「利益」においても、お金の多寡が深く影響するが、それに加えて安定性や社会的評価、個人的指向などもそこには加わってくる。そうした個々人に関しても、少なくとも個人生活が破綻しないだけの経済性ということが重要であることはいうまでもないだろう。

 そして、ビジネスにおいても個々人においても、そのことにおいてとくに善し悪しというのがあるわけではない。しかし、そこで問題になってくるであろうことは、その「利益」を生み出すための手段であり、またその「利益」ということについての認識力である。

 マネーゲームが、現代においては正当化されてしまっている。資産運用とかいうことも多くそのマネーゲームに関わっている。このマネーゲームというのは、いわば変則的なルールのある博打なのだけれど、現代のシステムの多くはそれを正当化せざるをえなくなっている。マネーゲームは実質的には何も生み出すわけではなく、泡(あぶく)のようなものにすぎないのは確かなのだけれど、その泡の生み出すものが現代社会の多くを形成するようになっている。

 「利益」というのはいったい何か。そのことをだれも考えようとしなくなっているのである。いみじくも「利益」について、古代の賢者・墨子が上記のように語っている。自分にとってほんとうに「利益」になることは何か。現在追求されている「利益」のあり方をみれば、それがどのような広さと深さで認識されているかを自ずと示しているのである。

 個々人のレベルだけを考えても、いわゆる「利益」ということに関しても、ほとんどの場合、その精神性等は排されてしまっている。精神性が問題になるとすれば、その「利益」を生み出すプロセスそのものがきわめて重要になってくるはずなのだが、それはほとんど問われない。「お金をつかう」ということに関しても、それは問われない。お金が社会の血液であるとすれば、どのようにお金を使うかということは、その社会の健康に大きく影響するはずなのに、それは無関係だと思っている。

 よく使われる話がある。ある人が身体の不調で医者にいったところ、医者から「こういうことに気を付けないと病気は治りません」といわれたがけれどその人は「そんなことはできない。病気を直すのが医者の仕事だ」と言う。こういうたとえ話だとばかばかしく聞こえるのだけれど、実際のところ、そういうことをしていない人はおそらくだれもいないのだ。自分でしなければならないことをだれか他の人の仕事だとしてしまっている。

 シュタイナーには「社会有機体三分節化」というの考え方があるが、その考え方においては、個々人が社会過程のすべてにおいて、「それは自分の仕事だ」ということを認識する契機が含まれているように思える。だからそれは社会有機体を健康にするという方向付けを持ちうるものである。

 社会ということだけをとってもそうであるが、精神科学的に観た人間観・宇宙観を持つことによって、「利益」ということがどのように観られる必要があるかについても広くて深い示唆が得られるように思う。そういう方向性にあるならば、お金の多寡だけは問題にならないし、党派性などで馬鹿馬鹿しい軋轢を生んでしまうこともないだろう。それらは総合的に観た「利益」に反してしまうのだから。

 

 

 

風のトポスノート268

兼愛


2001.1.15

 

 墨子先生がいわれた。「天下でなんらかの仕事をする者は、基準とすべき法度をもたなければならぬ。法度なしで、その仕事のしとげられたためしは一つもない」と。士が将軍・最小に出世するような場合でも、みな法度がある。職人が仕事をする場合でも、やはりすべて法度がある。(…)

 それならなにを天下・大国を収める法度とすればよいか。もしもすべての人が自分の父母を手本にすればどうか。しかし、代に人の父母という立場のものは数多いが、仁すなわち道徳をわきまえた父母は少ない。だから、もしすべての人が自分の父母を手本にすれば、不道徳を手本にする結果となる。(…)もしもすべての人がその師匠を手本にすればどうか。天下で師匠と呼ばれる人は多いが、道徳ある師匠は少ない。もしみなが師匠を手本にするなら、不道徳を手本にする結果になる。(…)もしみなが自分の君主を手本にすればどうか。天下に君主は多いが、道徳的な君主は少ない。みながその君主を手本にすれば、不道徳を手本にすることになる。(…)

 それなら何を天下・大国を治める法度にすればよいか。そこで、天を手本にするのがいちばんだ、といいたい。天のみちはひろびろとして、えこひいきがない。天の施しは手あつくて、しかも恩に着せることはない。天の輝きは永久で衰えることがない。だから古代の聖天使も天を手本にした。天を手本にするからには、君主のあらゆる動作・しわざは、必ず天を基準にすべきである。(…)それなら、天はなにを望み、なにをきらうか。天は必ず、人が互いに愛しあい、利益を与えあうことを望み、憎みあい、傷つけあうことをきらう。どうしてそれが知れるか。天自体が万物を愛し、万物に利益を与えていることから、そうと知れる。

(墨子「第四 法儀篇」 講談社「人類の知的遺産6墨子」P111-113)

 墨子という人は、孔子よりも少し後に中国に出たようだが、ぼくにとっては、老子・荘子、王陽明などとともにとても親しみを感じるところがある。それは通常、儒教道徳とかいわれるイメージに真っ向から対抗しているところがあるからである。

 墨子は「兼愛」を唱えたことで有名だが、まるでイエス・キリストの「愛」のようなところがある。この引用でもわかるように、血縁に基づいたあり方に批判を加え、いわば「神への愛」と「隣人愛」を唱えている。

 儒教的な忠や孝からみればとんでもないのだろうが、よくよく考えてみれば、そんなにとんでもないことをいっているわけではない。手本にする人をちゃんと選ばないととんでもないことになるから、手本には十分気を付けましょう、とでもいうことをいっているのである。

 とくに、墨子の時代は、戦国時代であって、そういう時代に、混乱したものを手本にするのは危険だったのだといえる。ある意味では、現代でもそうで、手本として混乱しやすいのが、親であり、先生であり、政治家であることはいうまでもない。もちろん、そういう方のなかにちゃんとした手本がいればそれに越したことはないのだけれど、なかなかそれは望めないし、最初から「これが手本だ」と決めてしまわないほうが賢いし、その手本を固定化することで、排他的になってしまう可能性も高い。血縁や民族などを特化しすぎるエゴイズムの危険性も孕んでしまう。もちろん、新興宗教のような教祖のような存在こそアブナイ。

 だから、現代的な意味での「天」という手本を認識する、ということが重要なのではないかと思う。もちろん、だれも「これが天である」などという安易な手本はくれないし、そうでないからこそ自分でそれを探し認識していくということに、大きな意味があるのだといえる。

 そういう意味でいっても、現代における価値観や認識の大混乱にあたって、あっという間に歪な家庭や教育の影響を受けて半ば取り返しがつかなくなってしまっていることが多いなかで、導師のようなものを置かず、みずからの認識力を深めていく方向性である、精神科学的なあり方というのは、かなり示唆に富んでいるといえるように思う。

 

 

 

風のトポスノート269

老いの文化


2001.1.16

 

 江戸という社会は、ある意味でいうと、老いに価値をおいた社会であったといえます。蕪村に次の句があります。とし守世老(もるよおい)はたうとく見られたり

 老人が尊敬されていた社会だったことがわかります。

 それにたいし、現代の社会は若さに価値をおいた社会といえます。エネルギーやスピード、強さや速さに価値をおいた社会であり、それは力や量の論理であり、若さの文化といいかえることができます。

 江戸時代にはエネルギーやスピードといった価値や力や量といった論理はありません。暮らしは自然のリズムにそって流れていたし、人も物もゆっくりと動いていました。人がその一生で蓄えた知恵や技能がいつまでも役に立ちました。

 そうした社会は年寄りの役割が厳然としてあり、また社会そのものが年寄りのゆっくりとした動きをしていたのです。若さがものをいうスポーツや芸能などなかったし、今いうところの情報も若者よりも老人のほうが豊かだったのです。また固定した社会はいってみれば競争社会ではなかったのです。

 江戸に生きていた人にとっては、今日とちがって人生の前半より人生の後半に幸福があったのです。江戸時代には、たとえば現代人が最高の願望としている「若返り」という考えはなかったのです。

 益軒とおなじ元禄文化人の井原西鶴も『日本永代蔵』(元禄元、一六八八年)で、「若き時、心を砕き身を働き、老いの楽しみ早く知るべし」と語っています。

 こうした「老いが尊く見られ」た社会、「老いの楽しみ」を願っていた社会というのは、若さや強さに価値をおいた社会よりも、人や自然にもやさしい社会であり文化であったといえます。

(立川昭二「養生訓の世界/人生の達人・貝原益軒」NHK人間講座2001/1〜3月期/P16-18)

 なぜ現代の日本のように、若さそのものが価値であって、それが失われることを恐れるかのような文化状況になってしまったのだろう。それはもはや文化といえるようなものではないのだろうが、若さの生み出すものが豊かさだと勘違いされてしまうようになっている。もちろん若さには若さの良さがあるのは確かなのだけれど、そこには、成熟を喜び、そのなかにある豊かさをきちんと享受していこうとするような姿勢が欠如しているのは確かだろう。

 現代のような経済至上主義の社会においては、若さそのものを価値とし、(実際には商品価値といったほうがいいかもしれないが)「エネルギーやスピード、強さや速さ」を重視し、その価値を強烈にアピールすることは、たしかに流行を常に加速し消費を増幅させていくために適しているといえる。じっくりと熟成を待つ楽しみなどというのは、経済原理に反することになる。

 すっかり商業化したスポーツでは、若くしてすぐに引退するのがあたりまえのようになってしまっていたりするし、多くの芸能も、ほとんどティーンズの喜ぶものが中心になってしまっている。それをマスコミがこぞって応援するということにしても、ほとんどの人が疑いさえしないようになっている。マスコミの原理の中心には、消費の加速という要請があり、じっくりと時間をかけて検討し、深めていくようなあり方というのは、その要請に反するがゆえに、ほとんどの場合、あまり好まれない。

 しかし、そうした状況になってしまったのは、なによりも、年を経ることで蓄積され、深められていくような、知恵や文化を老人そのものがほとんどの場合持ち得ていないという悲しむべき状況があるのではないだろうか。そうでないとしたら、若さの文化が力をもってきたとしても、それに並行して、知恵の文化とでもいうものも、もっと重要なものとされざるをえないだろうから。

 老人の占める割合が大きくなっていく社会になるとしても、老人たちが時間をかけて深めるものが豊かにあったとしたら、それを共有することで、文化は深まっていくだろうし、それを高齢化社会などということで問題視する必要はないはずなのに、それを問題視するという背景には、そういう知恵も文化もあまりにも希薄であるということがあるのだろう。

 実際、どんなことでも、なにかを思い立ち、それをある程度納得できるまでに考えたりできるようにするだけでも、何十年もの時間が必要とされるのはあたりまえのことであって、要は、そういうことで深められていく知恵がほんとうに大切なことであるということを認識できるかどうかということなのだろうと思う。それを認識できないとしたら、そのこと自体を悲しむ必要がある。

 

 

 

風のトポスノート270

オリンピック


2001.1.21

 

 オリンピックくらい退屈なものはないのか?

 僕は窓の外をぼんやりと眺めながら、それについて少し考えてみる。でも、いちいち考えるまでもない。答えはイエスだ。イエス、イエス、イエス。オリンピックはとても退屈だった。(…)

 それでは、お前はシドニーに来たことを後悔しているのか、とあなたは尋ねるかもしれない。オリンピックなんて見に来なきゃよかったと思っているの?シドニーでの三週間は、お前にとってまったく無駄な日々だったのか?

 いや、違いますね。そんなことはない。ぜんぜんない。むしろ来てよかったと思う。ペロポネソス戦争を見ていた方が、もちろん遙かに興味深かっただろうとは思うけれど、にもかかわらずここに来て、このオリンピック・ゲームを見ることができて幸運だったと思っている。(…)

 だから僕にとってシドニー・オリンピックは、とことん退屈ではあったけれど、それを補ってあまりあるくらいーーーあるいはやっとこさ補うくらいにはーー価値あるものだったということができる。(…)

 ベートーヴェンは(たぶん)髪をかきむしりながら「苦悩を通して歓喜を」と叫んだわけだけど、それは遙か昔、血湧き肉踊る、ロマン時代の話である。英雄や、悪漢さえもが長い単語を使って思索した時代の話である。そのような日々はとうに過ぎ去ってしまった。今となっては、「退屈さを通して感銘(のようなもの)を」、というあたりが、僕らが現実的に手に入れることのできる、まっとうな部類の精神の高みではないか。そしてオリンピック・ゲームとは(少なくとも僕にとってのオリンピック・ゲームとはということだが)、そのような密度の高い退屈さの究極の祭典なのだ。

 僕らはその場所において、我らが内なる攻撃心を満足させ、我らの外側なる英雄を手に入れることになる。冒険という輝かしい栄冠を手にした英雄を。もちろんぼくらの代理人として。

 

 シドニーで何が起こったかということについては、本の中で詳しく書いたから、それ以上語るべきことはない。ただひとつだけここで語っておきたいことがある。それは東京に戻ってきて、ビデオで録画されたオリンピック中継を見てみたら、まったく別のものに見えてしまったということだ。同じひとつのゲームを違った側面から見たというような生やさしいものではなく、そもそもぜんぜん違うゲームみたいに見えたのだ。(…

 僕はその事実にほんとうに唖然としてしまった。やれやれ、僕はいったいシドニーで何を見ていたんだろう?真剣にそう思った。僕はものごとの真実の姿をうっかり見過ごしてきてしまったんだろうか?(…)

 だからもしこの本を読んで、「こんなのぜんぜんオリンピックじゃないよ」と思われる方がいらっしゃったとしたら、それについては申し訳なく思います。結局のところ、僕らは投下資本と巨大メディア・システムの作り上げた「不思議の国」に住んでいるのだ。そしておそらく、オリンピック・ゲームというのは、その最高の位置に置かれたとびっきりの、懇切丁寧な解説とプレイバック付きの、共同幻想なのだ。しかしその幻想の複合性が生み出すものの中には、我々の実在に明らかに結びついている何かがある。幻想の実在性と、実在の幻想性がどこかで交叉する。それが、オリンピックという巨大な装置を通して僕の眺めた風景だった。でもそれはあくまで僕の個人的なパースペクティブであるかもしれない。

(村上春樹『Sydney!』文芸春秋/2001.1.20発行/P348-349,P408-409)

 そういえばシドニー・オリンピックというのがあったな・・・、と村上春樹の新刊『Sydney!』を見つけて思いだした。村上春樹とオリンピックというのはどこか違和感があったので、むしろそのタイトルに興味をひかれた。

 本文でも繰り返し書かれていたりする。「僕はもともとこういうお祭り騒ぎって、ぜんぜん好きじゃないんだ。運動会も文化祭もうんざりだった。大学の入学式も卒業式も出なかった。面倒だから結婚式だってやらなかった。…そういうことに関しては義理も人情も欠いてやってきた。なのにどうして、オリンピックの閉会式なんか愛想良く長くつきあわなくちゃならないんだ。」

 ぼくは村上春樹のようにマラソンを走ろうとは思わないけれど、ここらへんの感覚というか趣味にはかなり共感してしまうところがある。実際、オリンピックの開会式やら閉会式なんかほとんど見たことがない。もちろん、シドニー・オリンピックも例外ではなく、興味がなかった。テレビでちゃんと見たのはマラソンくらいものだろうか。

 なので、なぜ『Sydney!』なんだ、というわけである。三週間も現地で取材を行なったというからなおさらのこと。しかし、その村上春樹の視線につきあってみて、得るものは大きかったように思う。それは、例の「アンダーグラウンド」にも比べうるなにかだ。そしておそらく今回は、オウム真理教の信者たちや被害者よりも、もっとふつうにオリンピックを楽しんでいた人たちそのものがひょっとしたらテーマになっているんじゃないかという気がしている。

 「投下資本と巨大メディア・システムの作り上げた「不思議の国」に住んでいる」私たちは、いったいどんな「共同幻想」のなかに生きているのか、ということ。オリンピックはもちろんその最も象徴的な典型として、いったい私たちにどんな「共同幻想」を与えているのだろう。そして、その何が、「我々の実在に明らかに結びついている何か」なのだろうか。

 現代においては、流行やら芸能人のゴシップやら、そういうことを日常的な「不思議の国」として私たちは多く享受している。しかし、なぜそういうものを必要とし、それを呼吸さえしているのだろう。「投下資本と巨大メディア・システム」がなぜそれほどまでに力を持ち得るのか、というのは、まさにその作り出すものを私たちが必要としている、ということに尽きるのではないだろうか。だから、そこから少しでも自由であろうとするならば、自分がそうしたものを通じて求めているものが何なのかを、見ていくことがどうしても必要なのだろうと思う。それはなぜ多くの人が組織というものを必要としてしまうのか、ということについてなにがしかの示唆を得るということでもあるだろう。

 私たちは自分の内なるなにかを満足させるために、私たちの外にある何かを「代理人として」必要としているのではないだろうか。その「代理人」を提供することにおいて、「投下資本と巨大メディア・システム」や「組織」は大きく貢献することができるのだから。

 


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