風のトポスノート191-200

(2000.1.26-2000.3.13)


191●男性のファッション

192●「私」の変容の楽しみ

193●問いを所有するということ

194●心震わせるものの彼方へ

195●ウツ

196●遊戯

197●ことばのホメオパシー

198●暗黒が欠けている人智学の芸術

199●模倣

200●恐れでも敬いでもなく理解

 

 

風のトポスノート191

男性のファッション


2000.1.26

 

 ダンスとファッションについて、いまもっとも考えられなければならないことは、男性の復権である。男性はこれまで、といってもせいぜいこの百年か二百年のあいだのことだが、ダンスとファッションを女性のものとして蔑視してきたが、そのじつは男性自身を蔑視してきたのだ。(…)

 産業革命以前は、男性こそ見られる性であった。しかも、その衣装はつねに社会体制と切り離しがたかった。日本においてもそうだが、男性はとりわけ戦闘においてその衣装を厳選したのである。その衣装はしかも、彼らの死生観を示していた。すなわち、彼らの自我の仕組みを示していたのである。産業革命とほぼ前後して、戦闘装束は軍服すなわち国軍の制服に変わってゆく。同時に市民服が成立してゆく。国家と自我の相剋がファッションを舞台にして展開されたのである。この大きな変化は、少なくとも私には、女性の服飾の変化に勝とも劣らない研究課題であるように思われる。脱工業化社会が本格的に実現してゆくのがこれからだとすれば、ファッションにおける男性の重要性は増す一方だろう。これまでが偏頗だったからだ。

(三浦雅士「考える身体」NTT出版/P118-122)

モーツァルトからベートーヴェンへの変化は、男性の服装の極彩色から無彩色への変化だという。この変化について、もういちどじっくりと見直してみる必要があるように思う。

街を見れば一目瞭然のように、男性の服装の変化というのは、若年層を中心に、このところ著しいものがある。もちろん、髪やピアスなどのようなものもここでは服飾と同じである。

そうして、そうしたファッションは自我そのものの表現でもある。つまり、自我が近代において獲得した無彩色から、ようやくある種の(一見、とてもグロテスクに見えたとしても(^^;;)変化を体験しつつあるということだろうか。

マルクーゼによれば、現代は理性よりも感性の文化をうち立てる時代だそうだが、「理性というのは、アリストテレスの「能動ヌース」のことで、感性というのは、(…)あらゆるものになりうる、消耗し、消滅する「受動ヌース」のこと」だということである。

(高橋巌「神秘学入門」ちくまプリマーブックス/P57-58)

理性が、感性を支配しようとするのではなく、いわば感性に奉仕しようとする時代であるといえるだろうか。もちろん、理性がいらないというのではなく、感性を否定しないで、それを生かしていくことが必要だということ。

これまで、男性は、ダンディズムというものを除くならば、そこに感性的な意味での美学が希薄だったのではないだろうか。そうしてこれからは、その美学が王侯貴族というような「類」においてではなく、「個」において発揮されていくようになっていくのではないだろうか。そのムーブメントの突破口として、今、カオスのようなかたちで、男性ファッションが動き始めようとしているように見える。ダサイくてもそれが美学という男性と判で押したようなファッションで着飾る女性というそうしたわかりやすい二分法はこれからはどんどん無効になっていくことだろう。

 

 

風のトポスノート192

「私」の変容の楽しみ


2000.2.2

 

 自我にも流行がある。私なら私というその私を、どのようなものと見、どのようなものとして表現するかには流行がある。たとえば江戸時代には江戸時代の「私」というものがあった。歌舞伎を見ればすぐに分かるが、忠のために自身の子を切り捨てる「私」もあれば、何の某じつは何の某といったふうに、アイデンティティも何もない、次々に無節操に変わってゆく「私」もいる。そしてその変容する「私」を示す、もっとも端的な表象が、衣裳であり、化粧であった。

(三浦雅士「考える身体」NTT出版/P120)

転勤で広島に引っ越してからやっと一週間。個人的にいえば環境の変化には、そう大きくは影響されにくいほうだし、どこにいても似たようなものだという感じのほうが強いのだけれど、やはり仕事の環境が変わるというのは、一種のシステム変更なので、仕事の範囲に関しては、それまでのシステムに関して、いちどはそれを白紙に戻してしまわなければならないことがたくさんでてくる。

つまり、仕事をする「私」が、新たな「場」に置かれることによって、さまざまな新しい要因の登場とその相互関係の関数の変化に伴う機能変化を強いられるということである。その変化に柔軟に対応できることもあるし、その変化がどうしても受け入れにくいものであることもある。

そうした変化のために、このところこのメーリングリストなどになかなか時間がさけない状況になっているのだけれど、こうした変化というのは、「私」と「場」ということを考えていくときに、いろんなことを教えてくれるところがあってとても興味深い。こうしたきっかけがなければ、なかなか実感できないことが多いからだ。しかも、日々の「結果」を問われるビジネスのシーンであるだけに、それがキレイゴトでは澄まないからこそ、なおさらに変化を痛感させられる。

これまでは「私」だと思っていたことが、ある種の関係性に支えられているがゆえのものであったりすることもでてくる。「私」が実は「あなた」ゆえのものであることの実感。だから、「あなた」なしでは「私」そのものが変わってしまう。もちろん、変わらないであろう「私」も、そのなかで気づかれる可能性をもってくる。

さて、これから「私」はどんな衣裳をまとうことになるのだろうか。不安な面も否定できないが、楽しみが増えた感じもしていて、転勤などもたまにはしてみるもんだ、というこの頃である。

 

 

風のトポスノート193

問いを所有するということ


2000.2.12

 

 国語教育の難しさ、受験教育の弊害は、以前から言われていることだけれども、もう少しなんとかならないものだろうか。

 昨年だったか、ある大学の現代国語の入試問題で、私の文章の一部が引用されて出題されたものを見たのだが、私はしばらく考え込んでしまった。それは、たとえばこんなふうなのである。

<問 傍線部「形而上学的な『私』と最も関連の深いものを次の中から一つ選べ>(…)

 いったいに、設問を立てる、問いを所有するというのは、自分が自分に対してするものであって、他人が誰かに対してするものではない。その問いを所有していない人に対して、その問いに答えよとは、無意味にして不可能なのは決まっているではないか。

(池田晶子「考える日々II」毎日新聞社/1999.12.25/P158-160)

「作者の意図は?」などという国語的設問のあまりの愚については、あえて言う言葉さえ持てないので、それについては問わないことにして、ここでは、問いを所有するという困難さについて考えてみたい。

先日来、転勤で職場環境が変わり、どう対処(指導?)すればよいかわからない若い営業マンに向かうことになり、あらためてその「問いを所有するという困難さ」を実感させられている。

あたりまえのように思っていることがあたりまえでなくなる。そのことは、「あたりまえ」をそうでなくしてくれるという効用もあるのだが、効率と成果を常に問われている仕事の現場においては、ある種のコンセンサスのもとに仕事を進めていくことが求められ、そのコンセンサスの得られない割合が大きすぎると仕事ははかどらなくなる。

そのコンセンサスの前提となっているのは、まさに「問いを所有する」者同士が同じ仕事の目的意識のもとに、その「問い」をある程度共有するということなのだけれど、「問いを所有する」ということができない者がそこにいると、話はややこしくなる。ひとつひとつその「問い」を共有していく試みがなされなければならない。しかし、肝心の当事者がそれまでにまったく可能でなかったような「問いを所有する」というのは、はなはだ困難なことなのだ。

たとえば、会社はなにがしかの仕事に対して、会社に利益を残さなければならないというコンセンサスがあったとする。けれど、そのことがどうしてもわからない場合、自分の給与がどこからでているのかを説明しなければならない。転勤して早々体験したのは、たとえばそのことでいえば「ぼくの給与は会社からもらっているので、クライアントからもらっているのではない。」という認識。まるで、お役所の人から聞くようなお話(^^;)。従って、自分の給与が生み出されるシステムについて説明しなければならないはめになってしまう。けれど、いくら説明したとしても、その「問い」はその当事者にちゃんと「所有」されていない限り、自分のなかにそれに対する「答え」で着地するということは困難なのである。

その人にとってのあらゆる「問い」は、その人の、いわば世界観と密接にリンクしていて、部分だけを切り離して「所有」することはできないのである。問題が所有されていると、それは自分が自分に問うというかたちで、あらた問いがそこで問われ次々にそれが進展していく。しかし、「問い」がその人の世界観に存在しない場合、その「問い」は単なる抽象の域をでることはなく、それによる、たとえば態度変更などは望めない。

シュタイナーの精神科学というアプローチについてもそれがいえるのではないか。ある問いは外から問われるものであるかぎり、それが所有される方向に行くことはないのだろうと思う。

 

 

風のトポスノート194

心震わせるものの彼方へ


2000.2.17

 

澤田 入沢さんの場合は初期から読者というものをかなり意識されているようにお見受けします。処女詩集『倖せ それとも不倖せ』の後書きにも「読者」という言葉がでてきますよね。その場合の読者というのが一体何なのかというのが興味のあるところです。

入沢 読者はいちばん身近には自分の中にいます。それから始まってさまざまな読者が考えられるわけです。結局さっきいったような考え方だから、作者が書いて、読者がそれを受けとるというこようなことではなくて、作者も読者も結局は大きな力のあらわれに過ぎないのであって、たまたまその自分で作ったものに心震わせてくれるかもしれない、そうすればもうけものというか、そんなようなことです。

澤田 わたし自身は古典的な作者がいて、読者が受け手で、というようなこととは別のレベルでこだわりがあって、作者というのは読者がつくりあげていく、ひとつの虚構としてどうしてもでてくるという点に執着があるのです。

(野村喜和夫・城戸朱理編「入沢康夫の詩の世界」邑書林1998.4.15発行/P40)

ぼくがまとまったテーマで、はじめてある程度ものを考えたというのは、「受容美学」というテーマで、そこで問題になっていたのは、作者とは誰か、読者とは誰か、作品(テクスト)」とは何かということだった。そのころちょうど、入沢康夫の詩を知った。

ふつう、素朴に考えれば、作者は作家自身で、読者はその作品を読む人で、作品はまさにその読者の読んでいるものだということになるのだけれど、もちろんそういう単純なものではない。

テクストをめぐるコミュニケーション構造ということは、der implizite Lese、つまりテキスト構造に内在している読者など、ある程度理論化できたりもし、かつてはそのことで、何かがわかったように思ってもいたのだけれど、その後、そういう図式化ではとらえられない何がこそがたとえば、入沢康夫の詩から受け取り「心震わせ」るものなのだということにようやく気づくようになった。

そのことに気づくためにこそ、テクストの構造や作者、読者などの基本的な構造に、目を向けることが必要だったということはもちろんである。入沢康夫の「詩的構造についての覚え書き」なども、そういうことにこそ意味があったのだということだったのだが、二十歳そこそこのぼくには、あたまのなかを図式的にすっきりさせることのほうに関心が向いていて、なかなか肝心の「心震わせ」るもののほうに意識がむかわなかったのが実際のところである。それにも関わらず、ぼくは「心震わせ」られるものにこそ、引き寄せられ続けていた。それは、ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という言葉に象徴されてもいたのだが、まだ「沈黙」ということの意味がおそらくは思想のファッションとしてしか見えていなかったのかもしれない。

ぼくはなぜ「心震わせ」るのだろう。そして、なにがそうさせるのだろう。そのことをこそ、問い続けなければならないことに、その後ようやく気づくことができた。

ぼくにとっては、その「心震わせ」るもの、「心震わせ」ている自分自身こそが神秘であり、そうしてその探究こそを、「神秘学」と名づけたいと思う。その探究は、説明できるということで終わりなのではなく、むしろ、説明しえたと思ったところから始まる。多く人は、説明しえたと思いこんだところで終わってしまう。しかし、その思いこみで終わってしまっては面白くない。どこまでも、「心震わせ」る場所とそれへのあくなきアプローチというある種の往還を続けていかなければならない。「心震わせ」るものの彼方への視線を持ち続けながら。

 

 

風のトポスノート195

ウツ


2000.2.22

 

そもそも「ウツ」という言葉がありました。ウツとはカラッポとか中空的とかガランドウということです。(…)そこがぽっかり空いている状態、それがウツです。「空」「虚」「全」などという字をあてる。このウツから「ウツロ」(虚ろ)とか「ウツホ」(空穂)とか「ウツワ」(器)という字がつくられました。ここではウツワのイメージを思い浮かべておくことにします。

 ウツ(空)がウツワ〔器)をつくることは、これはわかりやすい。器物の中はぽっかり空いているからです。ところが、このウツから「ウツロヒ」という動的な言葉が派生したのです。(…)

 まず、「ウツシ」という言葉があります。現代語でウツルと考えてもらってもかまいません。このウツシないしはウツルには、「移る」という意味もあるのですが、それとともに「写る」「映る」という意味もある。何かが転じてそこに投影されるというイメージです。ここでまず、日本では「移る=写る=映る」ということがほぼ同時の感覚なのだろうということがわかります。だから、ウツに写映したものがある、あるいはウツに何かが写映して、それがウツの外部の方に移ろってきたと考えられます。

 ところがさらに意外なことがあるのです。ウツという言葉は「ウツツ」という言葉にもつながっていたのです。

 ウツツは「現」という文字をあてます。現実という意味です。よく「夢うつつ」というふうに使う。夢と現実とがつながって混沌としているということです。つまりウツツはきわめてリアルなこと、夢に対抗している状態をさしている言葉です。

 それなのに、この現実的なウツツ(現)というものは、ウツ(空)という空虚な何もないところから派生してきたのです。空のウツツからウツツの現が出てきた。

(…)

 古代の文芸や考古学の成果を見てみるとわかりますが、そもそもウツの状態をあらわしているのは「サナキ」とよばれるものです。

 サナキは「鐸」と綴るもので、文字から類推がつくように、銅鐸や鉄鐸として古代人が腰にぶらさげたり、木にぶらさげたりしたものでした。(…)

 そして、このサナキは「蛹」でもあるのです。蛹が蝶になるという、あのサナギ。ということは、サナギはからっぽのウツワというものに見えてはいるけれど、実はその中には何かが潜在的に宿っていたのであって、それはいつか成長して外へ出てくるということになる。その成長するものは何かというと、スピリットのようなもの、何かを胚胎する卵のようなもの、ようするに何かの元になるものでした。

(松岡正剛「日本流」朝日新聞社/P203-207)

ウツーウツワーウツロヒーウツツ、そしてサナキーサナギ。まるで、言霊による宇宙論のようだ。

ウツ(空)というと、色即是空、空即是色とかの空とも通じているのかもしれないが、空というのはいわば霊そのものでもあり、だからこそ一切空ともいわれる。そして、霊と物質は即であるということが如実に表現されている。

しかし、花の色はうつろい、諸行無常が世には響き渡っている。行く川の流れは絶えずして、うたかたのように結ばれるものも淀みに浮かぶうたかたにすぎない・・・。霊がこの世で現象するときには、それが物質的現実に写映して表現される。しかしそれは、常なるものではなく、常にうつろうものである。だから、ウツがウツシとなり、ウツツとなる。

そのウツツのなかで人は生きる。空の世界をウツツにウツシ、響かせようとして、古代人鐸をぶらさげ、そこにスピリットを宿らせようとした。そういえば、土取さんの銅鐸演奏というのもあったが、鐸をこの世界で響かせることで、ウツツのなかに、卵を胚胎させ、その声を聴こうとしたのではないか。

そしておそらくは人もウツワである。そのウツワは、自我を宿す。自我は卵である。その卵が一個の宇宙としてウツツのなかを育っていく。

また、人は歌う。ことばは初め歌であったという。ことばは、言霊。それはウツのウツワ。歌うことは訴うこと。何にむかって。天に向かって。空に向かって。みずからをウツ、ウツワにしながら、みずからをサナキとして天をそこに呼ぶ。

さて、ぼくがよくウツ状態になるのも、ひょっとしたら、その状態でウツワとなって何かを胚胎しようと思っているのかもしれない・・・。そんなことを、半ば言い訳めきながらも(^^;、思ったりする。

 

 

風のトポスノート196

遊戯


2000.2.24

 

エンデ 「遊戯」がわたしにとって、いかに大切かを、いつも強調してきましたし、これからも飽くことなく強調するつもりです。なぜなら、挫けることなくしっかりとしているのは遊戯だけだからです。(…)

 ですから、わたしは、自分の仕事へのアプローチを「遊び」と見ています。だから、わたしはこどもの遊びに近づきました。もっとも、これは後のことです。それから始めたわけではありません。わたしはまず長いトンネルを掘らねばならず、やっと向こう側へ出て、遊戯が、今話した意味で本来的なことだと、理解したのです。遊びのかたちにおいてだけ、わたしは生産的になれるのだと(思いました)。

 人生の生真面目さをわたしの仕事に取り込まねばならないと思ったら、なにももう思いつかない。そうすると、もう先へ進む意欲がなくなってしまうのです。

(ミヒャエル・エンデ「ものがたりの余白」岩波書店/P39-41)

神秘学にとってもっともふさわしいのは遊戯だと思い、「神秘学遊戯団」と名づけた。その気持ちは今もまったく変わらない。

その「遊戯」は、真剣さゆえの深刻さ、生真面目さゆえのスクエアな認識を常にすり抜けるものでありたい。遊戯のないところ、意味は一元化されてしまい、あらゆる二元性が亡霊のように姿を現し騒ぎ立てるようになる。そうして、「自由」がそこではスポイルされてしまうことになる。遊戯はある意味では自由への態度であるともいえるように思う。

もちろん、それは通常イメージされるような気楽さとはほど遠いものかもしれない。人ははじめ子どもの遊びのなかにありながら、やがて多くそれを忘れてしまい、それをもう一度取り戻すことが困難であるように、自由において遊戯は再獲得されなければならないからだ。

そういう意味で、「まず長いトンネルを掘らねばなら」ない。その「向こう側」はすでに、生真面目と悪ふざけが二分された世界ではない。どちらも一元化された意味によって二元化されたしまった世界だからだ。そこでは、何ももはや生み出されることはない。ポエジーが失われてしまっているのだ。

だから、神秘学には遊戯がふさわしい。そして「自由」が。それを不真面目だととらえるひともいるだろうが、その不真面目だととらえることそのものが、固着した意味の牢獄のなかを意味しているのだと知る必要があるだろう。

 

 

風のトポスノート197

ことばのホメオパシー


2000.2.24

 

エンデ 現代では、もうやみくもになにか基準をさがそうとする。この現代では、わたしたちは詩人や作家から基準をしぼり出さねばならないと信じている。しかし、それは大きな間違いです。

 芸術から基準をつくりだすことはできません。同じように、偉大な詩や文学の芸術からも基準はつくれない。なぜなら、それは、その実質が嘘というものなのですから。つまり、虚構です。詩と虚偽との違いはただ、詩ははじめから虚構だと表明していることだけで、嘘も虚構ですが、(こちらは)いや現実だと、現実を成していると、主張しているのです。これだけが違いです。

 ちょっとホメオパシーに似ていますね。つまり、嘘という猛毒を希釈して使っています。しかし、希釈されることにより、言い換えれば、本来の毒成分は排除され、効能そのものだけが残るわけです。

 そして、詩でも似たようなことが起きます。想像上のもの、つまり虚構を材料として仕事をすることにより、治癒の効能が生まれるのです。というのも、詩には、つまりは、もちろん治癒の効果があるのですから。アリストテレスがすでに書いていることです。これは大事なことですね。

(ミヒャエル・エンデ「ものがたりの余白」岩波書店/P55-56)

詩のことばは、プラグマティックなことばとは異なっているといわれる。それは、現実のコミュニケーションにおける事実としてのことばではなく、虚構というコミュニケーション場において「美的機能」を有している。だから、まったく同じことばでも、通常の言語使用における在り方と詩における在り方とでは、その働きが異なってしまうわけである。

通常、わたしたちが「嘘」を言い、それがばれると、その「嘘」はコミュニケーション上の「毒」となってしまうが、詩における虚構世界においては、その「毒」そのものが変容させられている。実が虚になるように、毒が薬に変わる。

そうしたホメオパシー的な働きには、常に注意深くなければならないのではないかと思う。でなければ、すべてを固定的に実体化してしまうことになるからだ。そういうなかから、主ー客の二元論が固定化され、霊と物質という二元論が信仰されてしまうことにもなる。

しかし、詩ではないのだが、たとえば日本語の人称などはおもしろい。「われ」が「あなた」の意味にもなり、「手前」が「てめえ!」にもなる。文脈に依存し、場に埋め込まれることで、人称さえも変容してしまう。

さて、昨今では、文学作品などでも「言葉狩り」が通常のことになり、もし「不適切な表現」をあえて使う必要がある場合には、巻末などに明記することが慣例となっているのだけれど、こういう在り方は、言葉のコミュニケーションレベルが無差別的に取り違えられてしまっていることをも意味しているのかもしれない。その場合、言葉はほとんど対症療法的な使われ方しかできなくなってゆく。そうして、虚構のホメオパシー効果の力が失われて行く。それは、「神話」の衰退ということとも深く関わっているのかもしれない。

 

 

風のトポスノート198

暗黒が欠けている人智学の芸術


2000.2.28

 

エンデ 人智学の芸術には、わたしは前から納得できないものを感じています。ルドルフ・シュタイナー(の思想)から学んだことの多くは、わたしにとってきわめて大切なことですし、生に対するわたしの考えそのものの、決定的な礎石なのですが、しかし、芸術に関しては、そのかぎりではない。シュタイナーの芸術思想は、どうしてもわたしは受け入れることができないし、今でも間違いだと思っています。なぜかというと、ひとことで言うならば、「暗黒が欠けている」と言えるからです。

 どの芸術であれ、詩でも、絵画でも、楽しく明朗な絵画でさえ、どこか暗黒を持っていなければならない。暗黒がなくてはならないのです。そうでなければ、明るさにしても何の値打ちもない。

 人智学の絵画をご覧になれば、どれも暗黒が欠けています。そして、そのために奇妙に植物的となり、少しばかり血が欠ける感がある。鋭さもない。

 お聞きになったことがあるかどうか、ハーモニーだけでできた音楽がありますね。

 瞑想用の音楽だと言われているそうですが、ハーモニーの流れに身を漂わせて、流れてゆくような音楽。わたしはいつもこの音楽には反対するのです。「いや、そうじゃない、不調和もそこにはなくちゃいけないし、鋭さも、残酷なこともなくちゃいけない」と思うからです。

 これらすべてが偉大な形式に統括されてこそ、わたしは納得します。ですから、人智学の芸術には限界があると思う。オイリュトミーでさえ、その美学は、妖精が輪舞するだけの美学なんです。

(ミヒャエル・エンデ「ものがたりの余白」岩波書店/P185-186)

笠井叡は暗黒が欠けているオイリュトミーの問題点にいちはやく気づき、そこにディオニュソス的な側面を浮上させたのではないかと思う。

おそらく、暗黒が欠けている人智学の芸術ということについてシュタイナーが無自覚であったということではないだろう。あの時代の要請、そして危険性のない受容ということを考慮し、あえてディオニュソス的な側面の導入を断念したのではないだろうか。そうでなければ、ルシファーとアーリマンのあいだに立つキリストというあの彫像を作ることもありえないのではないかと思う。

シュタイナー教育と称されることになっているシュタイナーの教育観があまりにもクローズアップされているということも、なぜ人智学の芸術に暗黒が欠けているのかを理解するためも重要な点ではないかと思う。

つまり、人智学の芸術が「教育のための芸術」という側面をあまりにも重視するようになっているがゆえに、その危険な側面であるディオニュソス的な側面が排されてしまうのではないか。「霊学」が極力排された「シュタイナー教育」ということが成立すると錯覚されているくらいだから、ディオニュソス的な側面などは、そこで成立することはやはりとてもむずかしいことになる。

しかし、教育は芸術でなければならないとからといって芸術が教育でなければならないということになるとやはりその芸術は、まるで唯物史観から規定された芸術のようにある種イデオロギッシュなものとなってしまうのではないだろうか。

たとえば、子どもには黒というのが好ましくないからといって、日本における書道の可能性が省みられなくてよいとはいえない。アーリマン的だからといって、コンピューターが排されたり、テレビがまるで排されたりするというのも、どこかで疑問符がつく。

それに、あまりに教育という観点が重視されるために、子ども対象の観点ばかりがクローズアップされ、大人の自己教育という観点、大人ゆえの芸術の可能性が希薄になってしまうとしたら、それはまた新たな問題になってくるのではないだろうか。

そうして、「暗黒」が欠けていることによって、むしろみずからの内なる「暗黒」に無自覚になり、それを変容させ統合させるという可能性が閉ざされてしまうことにもなる。

芸術は無意味であり、ある種の目的に奉仕するものではない。そしてだからこそ芸術には深い意義がある。芸術を教育に用いるのは意味深いことだろうが、芸術が教育のためにあると思いこむとしたら、そのとき芸術は重要な何かをなくしてしまうことになるのではないだろうか。

 

 

風のトポスノート199

模倣


2000.3.6

 

語り合う二人は、ただ身体と言葉の同調を示すだけではない。反射的に相手の動きを模倣してしまう筋肉反応(motor mimicry)も生じる。たとえば笑顔の写真や険しい顔をした写真を見せられると、それにつられて笑ったり、険しい顔をしたりする反応だが、おそらく電子センサーでしかとらえられない、つかのまの筋肉の変化である。あるいは、わたしが金槌で親指を打ってしまったら、それを見ていた人はしかめっ面をするだろう。わたしの感情を模倣するのである。これが身体的な意味での感情移入だ。わたしたちは、相手に対する支持や気づかいを表す方法として、さらには他人とのコミュニケーションの一つの方法として、お互いの感情を模倣しているのだ。

(マルコム・グラッドウェル「ティッピング・ポイント」飛鳥新社/P106)

何かを見たり聞いたりするというときに、ひとは気づくと気づかないに関わらずそれを内的に模倣している。

小さな子どもの場合、まだその内的世界が地上的に構築されていないがゆえに、その模倣ということが、その子どもにとってとても重要なことになる。その模倣はもちろん子どもの頃だけに重要なものではなく、一生を通じて重要なものであり続ける。

だれかが笑っているとなぜかわけもわからず笑いたくなったり、だれかがあくびをするとまるで伝染したようにもらいあくびをしてしまう。だれかが悲しく苦しいと、こちらまでそんな感情になってしまう。

また、聴くことを育てていこうと思えば、「いい音楽」を聴く必要があるし、絵画の鑑賞能力を育てていこうと思えば、「いい絵画」を観る必要があるのは、その模倣ということにも深く関わっているように思う。

だから、職人がかつてその「職」そのものを身につけるために、その「職」以前に、師匠の身の回りの世話から入らなければならなかったり、「職」を教えてもらうのではなく、その周辺で師匠の技を「盗む」必要があったりしたのも、その模倣に関わるものだし、導師に付き従うというのも、その導師をあらゆる点で模倣する機会をつくるということであるのだろう。

その「模倣」の別の側面として、「洗脳」という側面もある。それは「模倣」によってある強固な信念体系などを刷り込み状態にしてしまうということであり、一度刷り込まれたものをクリアするということはとても困難になる。

しかし、人の何かの状態を「洗脳」されているとするか、そうでないとするかという違いを明らかにするのも難しいように思う。多く人は、さまざまな世の中の常識に従って生きていて、そのことをふつう「洗脳」とは呼ばないのだけれど、それを信じ込んでいて、それ以外の可能性が閉ざされているとしたら、それもまた一種の「洗脳」以外の何者でもないのは明らかなのだから。

おそらくは、その「洗脳」状態からの覚醒のために、「意識魂」という自己意識の在り方が必要になるのではないだろうか。その意識魂によって、無意識的に受けている「模倣」に対しても意識的になることが可能なのではないだろうか。

もちろん、黒魔術的な在り方のように、人の痛みに対して痛みを感じるのではなく、むしろ喜びを感じてしまうような魂の在り方もある。だから、「共苦」という観点が不可欠になるのだけれど、それは単に「同情」して同じ状態になるということを越えて、薔薇十字的な意味での認識的な観点を導入するということなのだと思う。

 

 

風のトポスノート200

恐れでも敬いでもなく理解


2000.3.13

 

しかしな博雅

悪霊に

対するのに

必要な

ことは

恐れでも

敬いでも

なくて

理解だよ

(岡野玲子/原作:夢枕獏「陰陽師2「朱雀」スコラ)

人は多くさまざまなことに対してそれを認識しようとするのではなく、両極端に揺れる感情をぶつけようとしてしまう。

怖がったり逆に怖がらせようとしたり、敬ったり逆に敬わせようとしたり、その感情に支配されてしまう。

その両極端に揺れる感情というのは、燃えさかる炎を消す方向ではなくむしろ火に油を注ぐ方向性にほかならない。

なぜ炎が燃えさかっているのか。そのことを理解する必要がある。

癒しということが昨今では妙にブームになっているが、傷つけられたからとか癒されたいとかいうような態度でそれを解決しようとするのも、結局のところ、燃えさかる炎にむしろ油を注いでしまうことになるのではないだろうか。

重要なのは、たとえば自分はなぜ傷ついたと思いこんでいるのか、なぜ癒されたいとか思いこんでいるのか、まずはそのことを自己認識することが必要なのではないだろうか。

感情の両極端も悪霊であり、癒しの奴隷になるのも悪霊なのだといえる。

そこで重要なのは理解であり、そのための「中」なる道なのではないかと思う。

 


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