風のトポスノート181-190

(1999.12.10-2000.1.18)


181●生物学の時代

182●美

183●内と外

184●疲れることと明晰さ

185●新しい科学の領域を拓く「医療学」へ

186●個のつながりと場のつながり

187●死

188●新たなメディアが生む人間の新たな関係性

189●個ゆえの共感・共苦

190●シュタイナーの庭

 

 

風のトポスノート181

生物学の時代


1999.12.10

 

 しばらく前、アメリカ物理学会の会誌を見ていたら、ふとキップ・ソーンらしい写真が目に留まった。ソーンにしては珍しくパリッとした背広姿で、二人の紳士と一緒に写っている。何に記事かと読んでみると、「キャルテック(カリフォルニア大学)」では創立以来、学長を物理学系分野の人物が占めてきたが、今回初めて生物学者が学長になった」という記事である。ソーンは学長選考委員会の委員長を務め、一緒に写っている人物の一人が学長になるホーガンというノーベル賞受賞の生物学者であった。

 ソーンは著者と同世代の同業者で、最近は宇宙からの重力派観測施設であるLIGO建設の中心人物として活躍している。ブラックホール研究の興隆期で沸いていた一九七三年に初めて会ったときには、当時のカリフォルニアのヒッピー文化に染まっていて、長髪に革ジャンパー姿の若手教授であった。一緒にいた彼らの教師であるプリンストン大学のジョン・ホイラーの紳士姿との際だった対比が、今でも目に浮かぶ。「未来と過去をつなぐ時空構造の作り方」という“楽しい”アイデアで、今からしばらく前、話題を提供した男である。

 そんな彼が大学内ではこんな役目もする“大物”になったのだなと、時の流れを感じると同時に、「ええ、またか!」という思いを禁じ得なかった。「またか!」というのは、科学の広い分野が絡む大学や学術機関、組織などでの物理学の存在感が減っていくニュースが相次いでいたからである。一九七七年、クリントン米大統領がある大学の卒業式で、「過去五十年は物理学の時代であったが、これからの五十年は生物学の時代である」と演説してアメリカの物理学会に波紋を広げた。キャルテックのこの一件もそれを符号する。

(佐藤文隆「物理学の世紀/アインシュタインの夢は報われるか」集英社新書0005/1999.12.6発行/P8-9)

ある程度わかっていたことではあるのだけれど、「これからの五十年は生物学の時代である」というのには、ちょっとドキっとさせられた。科学は技術と切り離すことはできず、技術は政治や経済に密接に結びついている。そして、生物学は、昨今話題のDNA、遺伝子組み替え、臓器移植などと密接に結びついていて、現代科学の花形だといってもいいのだろう。そして、大学の学長はおそらく会社でいえば社長ともいえる存在なのだろうから、もっとも「お金になる」分野の人物が学長になる可能性はやはり高い。そして、研究費はそうした「お金になる」分野に多く割かれていく。

しかし、これまでは物理学が花形だったわけである。物質や時空などへのアプローチがなされたのだけれど、それと平行した技術的展開として核爆弾が開発されることになった。そしてそれは、全地球規模での政治経済に大きな影響を与えた。今度は、生物学がそうした物理学を凌ぐ影響を与えるようになるのかもしれない。映画の「ブレードランナー」に、アンドロイドがでてくるのだけれど、ひょっとしたらそれにも似た近未来もあるのかもしれないとさえ思う。

しかし、科学はやはり技術のほうがクローズアップされ、その認識部分はなおざりにされてゆく傾向になってしまうように思う。物質へのアプローチは、物質そのものを実体化することをできなくしたのだけれど、一般的な世界観としてみれば、いまだに19世紀の実証主義的な素朴実在論の域を出ていないのではないだろうか。生物学の技術的展開もそういうことになるのかもしれない。

そういえば、最近、あるマーケッターから「ブランドDNA」という話を聞いた。ブランドを成立させるのもブランドの遺伝子だというのだ。もちろんそれはDNAの譬喩でブランドを語ろうとする試みなのだけれど、その人の語るところによれば、人間はすべて遺伝子によって決定され、生まれ落ちたときに持っていた遺伝子によってすべてが決まってしまうのだという。その方は、わりと心意気などを大切にしたりするメンタルな方なのだけれど、広告関連の流行に敏感なのもあってか、その都度の時流における世界観を代表するかのように、「すべてはDNAなのだ」という感じになってしまう。つまりは、素朴実在論+時流主義なのだけれど、「生物学」の巻いた種も、やはり一般に流布し通念となってしまうわけである。ぼくとすれば、その方の魅力はDNAのほうではなく、その「心意気」のほうにあるのだけれど(^^;。

しかし、目に見える技術の説得力は絶大なものがある。そして、臓器移植が正当化され、遺伝子組み替え食品が正当化されてゆく。その根底には科学主義があるのだけれど、その科学主義は科学の仮面をかぶって微笑んでいる。やはり、仮面のなかの顔をしっかり見ようとすることを忘れてはならないのではないだろうか。

 

 

風のトポスノート182


1999.12.15

 

美はどこにあるのでしょうか。

美術館や博物館にあるはずだ。

教科書にのっているのが美だ。

常識で考えればそうかもしれません。

しかし、好きでないものを、

美しいとはいえません。

昔から、日本三景とか日本三名園と讃えられ、

人気の場所があります。

本当は行ったこともないのに、

あれは素晴らしいと、

つい信じてしまいます。

それでは、美は他人事で終わってしまいます。

呼びかけなければ、美は隠れたままです。

すぐ近くにあっても気がつきません。

一瞬にして消え去る美もあります。

美とは何か、

じっと考えていても始まりません。

美は発見するものなのです。

(「太陽」2000.1月号より)

美を発見するとはどういうことだろうか。そこに美があって、それを見つけるというのではないだろう。もしそうだとしたら、美はただのモノのようになってしまう。いや、モノであったとしても、ただ発見するというのではないはずだ。

もし目が太陽のようでないとしたら、光を見ることができないであろうように、もし美を有していないとしたならば、美を発見することはできないだろう。

私たちは、私たちの内なる美への感受性によって美を発見することができる。さらにいえば、美は一回性のものとして創造されなければならない。そしてそれは、常に創造されつつあるプロセスそのものでもあり、成長しつづけていくものでもある。

シュタイナーが「認識」としてとらえているものもこのような、美を創造していくプロセスのようなもの。外界を受動的にちゃんととらえるというのが認識なのではない。それは、創造のプロセスとしてとらえなければならない。

外的な権威に盲従しやすい態度というのは、認識を外からくるものとしてしかとらえられないことからくる信仰である。そこにはみずからが創造の主体であるという態度が欠如している。

芸術をなにか自分のそとにある実体としてとらえるのも同じ。自分の外にあるものを芸術であるとしてそれを求めるとき、それはもはや芸術ではなく、ただの死体愛好者のような倒錯になる。そしてその倒錯が権威となり信仰されてしまう。禅などで、悟りとはなにかと問われ、牛の糞とか答えるのは、そうした倒錯的な信仰への痛烈な皮肉でもあるように思う。

 

 

風のトポスノート183

内と外


1999.12.16

 

 あるとき、ふと思うことがあった。服を裏返しにして表を肌に当てるということは、その服の外に体を置くということだし、となると服を着ながらその服の外に出るということにならないか、と。服を着たまま服の外に出る……。着ることが、何かを脱ぐことにつながる服、ひとつの時間に別の時間を重ねる服、身体がまるで双葉のように服の内と外というふたつの境界に分岐してしまう服。そう、身体のトポロジーとたわむれる服だ。

 身体の内部をたまに見ることがある。レントゲン写真で見た父の胸や母の腹、超音波の検査器をとおして見た妊婦の子宮の内部。これはひとの内部ではない。肉体の内部ではあろうが、そのひとの内部ではない。それが眼に見えるようなかたちで外にさらけだされたときのおぞましい感覚は、たやすく想像できる。それはあきらかに<わたし>の外部にあるものだ。では<わたし>は肉体の表面にしかないのか。おそらくそうではあるまい。前袷のあいだから、あるいは袖や裾の開いたところから、他人に手を突っ込まれる場面を考えただけで、<わたし>の皮膚は鳥肌を立てて身を塞ぐ。<わたし>の内部は、そうすると服と皮膚のあいだのあのすきまにあるのだろうか。とすれば、あの裏返しの服は、まさにそのすきまの構造を、そのままの状態できれいに反転させる精密な装置だったということになる。

(鷲田清一「皮膚へ/傷つきやすさについて」思潮社 1999.11.15発行/P9-10)

内と外というのはとても不思議だ。

ふつう、自分の肉体の内側が内で、外側が外だととらえたりもするし、自分の私的な空間が内で、外的な空間を外だといったりもする。けれど、内と外はわかるようでよくわからない。

内を見ているつもりでも、それがいつのまにか外になったり、外を見ているつもりでも、いつのまにか内のように感じたりもする。まるでメビウスの帯のような内と外。

恥ずかしい、という感覚があって、それは、裸のように、内を見られたりするときなどにそう感じたりもするのだけれど、上記の引用の例のように、レントゲンや内視鏡で見た自分の内臓を裸のように恥ずかしく感じることはないように思う。では、私の内というのはどこにあるのだろうか。

おそらくそれを肉体的なものとしてだけ考えると、よくわからなくなってくるように思う。内と外というのは、とても魂の感覚に近い。魂が、内と外を境界づける。<わたし>と<わたしでないもの>その場を境界づける。だから、その境界は常に動き続けている。見られる恥ずかしさも、人間の関係性でまったく変わってくる。まさに「人の間」に、魂のふるえている領域がある。

裏返すということ。服を裏返して着る。不思議な気恥ずかしさがあったりする。その裏返すということを、いろんなところで試みてみるのも面白い。そうして、最後に、ぐるりと、自分の魂の内と外を裏返してみる。内なるものが外なるものになり、外なるものが内なるものとなる。満天の星が自分の内界になり、内的な魂の世界が外界となる。超越的内在、内在的超越。宇宙即我の瞑想というのがあるそうだが、これはそうした魂の裏返しの世界なのかもしれない。

外的世界を見ようと思えば、内的世界を見よ。内的世界を見ようと思えば、外的世界を見よ。私たちはそうした裏返しの認識の不思議へ近づく必要があるのかもしれない。

 してみれば、この意味の空間、観念や象徴の家にうまく着生した者、そこにうまく住みついた者こそが、うまくだれかたりえたものだということになる。その脆さ、危うさに脅かされることなく<わたし>として、あるいは<わたし>という囲いのなかで、たしかに生きている人というのは、社会的に承認されたある意味の体系により深く憑かれたひとだということになる。

 だから、じゅうぶんに深くだれかでありえているひとというのは、じゅうぶんに深く眠っているひとでもある。催眠術は眼のまえの小さな振り子の運動に意識を集中することにことによって、あるいは催眠術師の声に、そしてそれだけに深く感応することによって、眠りに誘われる。なにかに意識を集中すればするだけ、なにかに深く憑かれれば憑かれるだけ、眠りに入りやすくなる。おなじことが意味や観念の体系についてもいえる。意味に深く憑かれたひとが、もっともたしかに生きているということになる。その意味では、生きるとは深く眠ることだとさえ言える。

 人が疲労をおぼえるのは、おそらく、この深い眠りから醒めるときである。

 疲れのなかで、わたしはじぶんの重さを感じる。からだが重い、からだがだるい。まるで存在が粘度を増したかのよう。なにかに乗り切ることができない。なにかをやりきることができない。なにかにうまく憑かれることができぬとき、人は疲れおぼえる。なにもやる気がしない。

(…)

 わたしが同一のだれかであるというのは、なにかになるというその生成の過程のことではなく、なったその完了形である。その完了へといたる途上で、ひとはなにかになりかかったり、なにかになりそこなったりする。その揺れ、その生成の途上が、目が醒めているという状態である。目醒めているというのは、思考や想像力がはたらいているということである。思考や想像力はいまをいまここにないものに、現在を不在に結びつける。目醒めているときにこそ、ひとはそうでありえたかもしれないのに一度もそうでなかったものに深く触れるのである。存在しそこねたもの、あらかじめ挫けたもの、砕かれたもの、つまりは死産したもの、死んで生まれてきたものに、まなざしを届けるのである。悔恨のように、あったものをなかったらと悔いるのではなく、郷愁のように、あったものを過剰にあらせるのでもなく、あることのなかったものをありえたものとして、それをずっと引きずっている感覚。そこに疲れのひとつの形がある。

 憑かれているひとより、疲れているひとのほうが、したがって明晰なのである。不可能なこと、どうにもならないことを、疲れのなかでひとはより深く知るのである。だからこそ、よく憑かれていること、つまりだれかとして<だれかになりきって>たしかに生きているときこそ、ひとはぐっすり眠っていると言ったのである。<生>とはひとつの閉塞であり、ありえたかもしれない別の可能性を閉塞することである。<生>がもし開放をこそこととするのだとすれば、疲れているとき、そしてなによりもなりきれないときこそ、ひとはより厚く生きているということになる。

(鷲田清一「皮膚へ/傷つきやすさについて」思潮社 1999.11.15発行/P25-29)

 

 

風のトポスノート184

疲れることと明晰さ


1999.12.18

 

私は自分を名づけることができない。名づけられることで、私は私ではなくなってしまう。

私は私でしかないのだけれど、私は何者かであるということはできない。何者かであるとされることで、私は私ではないにもかかわらず、その私のようなものに支配されそうになってしまうのだ。

私はだれでもないことによってしか私であることができない。しかし、世の中では私はだれかであることによって、それが私であるということになってしまっている。それは、途方もなく私を疲れさせる。

なぜこんなにも疲れてしまうのだろうか。いつもいつもこんなに疲れてなければならないのだろうか。それは、私が私でないものになること、つまりロボットになってしまうことを拒み続けているからかもしれない。

私は自分の属性の一つに代表される私ではない。私は類のひとつでもない。私は私であることによってしか私であることはできない。それにもかかわらず、ひとは私を何者かであるとみなし、そのみなした存在として私を縛り付けようとする。

なぜ人は多く自分を何者かであるとみなしたがるのだろうか。何者かでないということが不安なのだろうか。何者かであるということで安心できるのだろうか。たとえば、名声を求めるというのも、自分が何者かでありたいということのひとつなのだろうが、それで自分がその名声に応じたものであると思うことは、いったい何をもたらしてくれるのだろう。

私は何者でもない者として地上に生を受け、何者でもない者としてこの地上を去っていく。その何者でもないということによって、私は私である。

しかし人は自分の名前を石碑に刻みたがり、墓にも自分の名前をつけたがる。そのことでその人はいったい誰になりたいというのだろうか。

人は自分であるということに耐えられないので、自分を誰かであるとみなしたがっているのかもしれない。

 

 

風のトポスノート185

新しい科学の領域を拓く「医療学」へ


1999.12.23

 

医療は近代医学を尊重しているが、それにのみによって行えないことを認識すべきではないだろうか。医療の現場においては、人体ではなく人間を相手にしなくてはならない。人間を相手にする限り、そこに人間関係ということが入ってきて、近代科学の方法論からはみ出してしまうのである。

 ここで気をつけねばならないのは、近代医学の手法によるのみでは手の届かない医療の領域において、いわゆる「宗教」が威力を揮うということである。それは「〜すれば〜になる」という近代科学の形に頼り、本来の宗教性から逸脱した方法をもって「癒し」を行おうとする。しかも、問題をもうひとつ厄介にするのは、それが「効果」を発揮することもあるという事実である。それに対して、近代科学主義者が「非科学的」であるから間違いであると言ってみても、それは「効果」をあげているので何とも迫力がない。

 このような領域にかかわってくる限り、われわれは何をもって「科学」と呼び「宗教」と呼んでいるのか、正しい、正しくないという判断をいかに下すのかなどについて、相当に詳細な議論をしなくてはならないであろう。筆者は近代科学とは異なり、観察者と現象との関係の存在を前提とする「科学」を考えざるを得ないと思っている。医療はそのような新しい科学の領域を拓く「医療学」として発展すべきである。もちろん、それは近代医学を否定するものでも、敵対するものでもない。

(河合隼雄「これからの日本」潮出版社/P24-25)

white birchさんによれば、病院での死後の解剖が奨励・促進されているという。医療はほんらい人間が相手のはずなのだけれど、そうでもないらしい。「医療の現場においては、人体ではなく人間を相手にしなくてはならない」はずなのに、人体しか相手にしていないということだ。

たしかに、肉体以外の人間ということしか考えられなくなったとき、死体というのは、法にふれてしまう生体実験の代わりの実験のためのサンプルとして有効なのかもしれない。人間は肉体なのだから、死んだらもう処理すべき対象となり、処理すべき対象を生きているひとのためにつかうのは合理的である、ということなのだろう。臓器移植もまったく同じ考え方から奨励されているといっていいと思う。

おそらくそうした人間観故に、カルト宗教のようなものが跋扈し、在来の宗教も、ただのお金のための儀式屋になってしまうのだろう。「科学」から「人間」が排され「人体」になり、「宗教」からは「科学」が排されて、(生前、死後を含めた)ご利益になる。

「科学」の「観察者」は「人間」であるという当然の前提が科学主義においてはほとんど「なかったこと」になってしまう。従って、そこに、カルト「宗教」や堕落した「宗教」への盲目的な傾倒を許してしまうことになる。

現状ではいきなり医療に精神科学を、というわけにはなかなかいかないだろうが、せめて医療を人間相手のものにしていくことが急務ではないだろうか。死体を漁るハイエナのような医療であってはならないように思う。

 

 

風のトポスノート186

個のつながりと場のつながり


1999.12.24

 

人間関係においては、運命的につながっているという感じ方をする場合と、そうではなく自分がこの人に会って非常に尊敬できるから、信頼できるからつながっているんだという場合とがあるわけです。

 そのときに、個人ということを非常に大事にして、個人ということを出発点に考える方法と、血のつながりというか、集団というか、「場」というものを大事に考える方法とがあるようです。後者はつまり、何らかのクラブに入ったなら、それはもう血でつながっているのだということです。文句なしに先輩の言うことを聞きなさいという考え方です。前者は、個人が単位だから、先に入ろうが後から入ろうが、あるいは男であろうが女であろうが、できるものはできるし、できないものはダメだという考え方。または、先に入ろうが後から入ろうが、わかり合える者同士はつながるし、わかりあえない者はつながれない。後者は、同じクラブなんだから、変わったことはせずにみんなで一緒にやろうという考え方です。

(河合隼雄「『日本人』という病」潮出版社/P63-64)

日本人の多くは、「場」を単位としてとらえているようだ。ぼくはどうも生まれてこの方、そういう発想が苦手で、つねに「場」からの影響を少なくしようとする方向でやってきた。少なくしようとしても、日本ではそれなくしてはやっていけないほど強い。しかも、ほとんど「場」を単位として生きている人は、そのことを自分で意識するということは少ないから、それだけにやりにくい。

おそらくぼくがこの日本で生まれて生きているという個人的な課題は、ひょっとしたらそのことに深く関わっているのかもしれないと思うようになった。つまり、「場」からの逸脱が非常にむずかしいなかで、いかに「場」を否定するのではなく、「場」の自覚とでもいうようなあり方の可能性を模索するということ。

個のつながりと場のつながりの双方を生かすためのあり方としては、個のつながりを大切にしている人が、場のつながりのほうへ開いていく方向と、逆に場のつながりを大切にしている人が、個のつながりの大切さを自覚するという方向とがあるように思う。おそらくはどちらもとてもむずかしいことなのだろう。

日本でのシュタイナー受容についてみていくときにいつも感じるのは、シュタイナーが今世紀の初頭のヨーロッパにおいて活動した際には、個のつながりを基本としたひとたちのなかでの課題だったのに対して、今の日本における受容においては、その課題が逆転したかたち、どうしても場のつながりのなかで行われることになるということである。だから、日本ではどうしても集団的な仕方でのシュタイナー受容をするし、そのなかで、ある種の中心的な権威的存在がクローズアップされ、その権威同士の関係が非常に難しいものになりがちであるように思う。

シュタイナーの精神科学はとても普遍性のあるものだと思うのだけれど、やはりその受容の問題を考えないと、その認識の基礎の部分が、まるで倒錯的なまま受容されてしまうことになりかねない。

 

 

風のトポスノート187


2000.1.4

 

「死」と言っても一人称の死と、二人称の死と、三人称の死があるというのです。三人称の死というのは、「誰かの死」です。誰かが死ぬということであれば、「それは心臓の停止です」と言って放っておくこともできます。二人称の死になってくると、「あなたの死」です。私の恋人の死とか、私の父とか、私の子供とか、そういう自分にとって「あなた」ということのできる関係にある人の死については、自然科学的な説明だけでは満足することができません。一番知りたいことは、「この死は、私の人生にとって、あるいは死んだ人の人生にとって何を意味するのか」ということではないでしょうか。

 さらに、一人称の死となると、これは「私の死」です。そうすると、これはこれで考えないといけない。私の死はいったい何を意味するのか。私が死んだとして、私が全部この世から消え去った後も、他のものは今まで通り残るわけですから、それをどう受けとめるかという問題は大きい問題です。

 自然科学が発達して、どんなことでも自然科学でできると思い込みすぎてしまったというきらいはあるのですが、私が言いたいことは、なにも自然科学が間違っているということではありません。自然科学がやろうとしていることと、ここで言う二人称の死とか一人称の死は、話が別だということです。ただ、自然科学の方も変わりつつはあります。ひょっとして、私が今、宗教と自然科学と立て分けて言っていることも、将来だんだん接近していって一つになるかもしれません。

(河合隼雄「『日本人』という病」潮出版社/P179-180)

 死について考え始めたのはいつからだろう。記憶をたどってみれば、人の死を最初に意識したのは、4歳か5歳の頃の祖父の突然の事故死だったように思う。その後、ぼく自身が腎臓病で危うく命をとりとめ、そのすぐ後には、いとこが原因のよくわからない病気を患って死に、もう一人の祖父が死に、そのいとこの母、つまり叔母が死に、祖母が死んだ。その後、たくさんの死に出会い、つい先日はぼくの2歳下のいとこが突然死んだ。

 死はいつもぼくのとなりにあり、ぼくのなかにあり、そうしてお寺の阿弥陀来迎図を見、死とは何かについて、最初の死との出会い以来、考え続けてきたように思う。

 三人称の死、二人称の死、一人称の死。やはり、死を意識するようになったのは、三人称の死ではなく、二人称の死。そうして、一人称の死について、怯えるようにさえなったのは、中学生の頃のこと。

 夜、暗い天井を見ながら、「私」がいなくなるということを考える。今こうして考えている自分という存在がいなくなるということ・・・。その闇の合わせ鏡のような意識が一瞬にしてこなごなになって、世界がなくなるどころか、世界に生きているはずのこの自分がどこにも存在しなくなる・・・対象のない、いや主体のないというおそれ。

 そうしたおそれは、ときおりぼくを襲い、とほうもない無気力へとぼくを導いていった。そうして、高校生頃からはごまかし気味に、ニーチェを気取り、積極的なニヒリズムとかをうそぶいていたり・・・。

 やがて、あまりよくわからないものの、仏教的な空や無やら縁起やらのお世話にもなり、少しずつ、なぜか「死」に対して、おそれではなく、むしろ親しみのようなものさえ抱けるようになっていた。

 おそらくそれは、一人称の死そのものへのおそれがなくなってきたというより、一人称の生のほうへのおそれが少しずつ少なくなり、自分の生ということが深まってきたからなのではないかという気がする。そして、死と生というのを切り離して考えることをしなくなっていったように思う。その頃はまだ、シュタイナーの精神科学を知る前なのだけれど、そういう姿勢で、シュタイナーの精神科学に出会えたのはよかったのかもしれない。

 シュタイナーの精神科学は、おそらくは、上記の引用にあるように宗教と自然科学が統合されたものだともいえるのかもしれないが、それがパラダイムになるまでには、まだ時間がかかりそうだ。

 現代では、まだ一人称の死は、ふれてはならない聖域のようにさえなっているように思う。しかしそれを深く貫き通したところにこそ、生があるのだという確信のようなものが必要なのではないだろうか。死はおそれるべきものではなく、死をおそれなくなったとき、はじめて生が今ここにあるものとして輝きはじめるのではないか。いかに死ぬか、ということが重要だというものそういうことに関係している。そういう意味で、ただ生存させる医療ではなく、よき死の訪れをサポートできる医療が待たれる。そのとき、医療は自然科学ではなく、すでに精神科学だといえる。

 

 

風のトポスノート188

新たなメディアが生む人間の新たな関係性


2000.1.6

 

人類は、多くの試行錯誤を繰り返しながら、すなわちときには集団の衰退や滅亡を賭けながらも、部族を形成し、都市国家を形成し、さらに帝国を形成する方向へと向かった。そしてそうなったことの背景には、そのような拡大が結果的に、生産力、経済力を高めたという事情があったに違いない。十六世紀から十九世紀にかけての近代国民国家の形成にしても、基本的には同じ条件のもとに展開してきたのである。

 言うまでもなく、メディアもまたほぼ同じ相のもとに展開してきたに違いないと思われる。たとえば、口語の確立が部族から都市国家への移行を支え、文字の確立が都市国家から帝国への移行を促し、さらに国語の成立と印刷技術の普及が国民国家への移行を可能にしたというように考えることができるだろう。事実、写本の普及と世界宗教の発展が無縁でありえないのと同じように、新聞の普及と国民国家の成立もまた無縁ではありえないのである。とすれば、テレビがその端的な例だが、電波による通信が一般化した二十世紀後半の五十年間は、人間にまったく新たな集団の組み方を強いつつあると考えることもできなくはないわけである。

(三浦雅士「考える身体」NTT出版/P30)

 口語の確立による、部族から都市国家への移行。文字の確立による、都市国家から帝国への移行。国語の成立と印刷技術の普及による、国民国家への移行。写本の普及による、世界宗教の発展。新聞の普及による、国民国家の成立。電波による通信による、人間の新たな集団形態。

 こうした視点でメディアと人間の関係を見ていくのはとても興味深い。そして、文字の確立は口語の確立が前提になり、国語の成立と印刷技術の普及は、文字の確立が前提となっているように、メディアの新たな進展はそれまでのメディアの展開を前提としながら、人ー間という人間の新たな関係性を生み出していく。

 そういう視点で、インターネットというメディアを考えてみるとそれによって生み出されていくであろう人間の新たな関係性がおぼろげながら見えてくるのではないだろうか。

 以前、中村雄二郎さんが、NIFTYネットワークコミュニティ研究会による「電縁交響主義・ネットワークコミュニティの出現」において、また「インターネット哲学アゴラ」の始まる際にも「新しいストア主義の招来」ということを提示されていたが、そうした「個人主義的なストア主義を越えて、個人の生存を支える新しい共同体が形づくられることが望まれ、おそらく今後そのような共同体の在り様がさまざまに追求されることになろう」ということとも深く関係してくるのように思われる。

 今こうして行っているメーリングリストという形態も、おそらくは、これまでにあったさまざまなメディアを前提にしながら、人間の新たな関係性を生み出していくような気がしている。ある種、過去のメディアへ固執してしまうとこうしたインターネットを使った方法に関して、ともすれば否定的な見解を持ってしまいがちなのであろうが、その危険性を踏まえながらも、新たな在り方が模索されるべきではないだろうか。

 

 

風のトポスノート189

個ゆえの共感・共苦


2000.1.6

 

 言うまでもなく、自分を意識するとは他人の目で自分を見るということである。他人の立場に立たなければ、自分というものはありえない。自分になるということと他人になるということは、一つのことであって二つのことではない。逆に言えば、自分というひとりの他者を引き受けることにほかならないのである。ただ人間だけが名づけられ、その名を自己として引き受けるのだ。この授受にすでに交換が潜んでいる。

 人間とは他人になった動物である。だからこそ、人間は自分が自分であるという事実に驚愕し、恐怖さえ覚えるのである。これこそ、人間が装身具に血道を上げるほかなくなった理由なのだ。装身具とは、自分が自分であることの恐怖に耐えるほかならなかったと言うべきだろう。自分とは一つの空虚であり、この空虚こそが、名への、交換への、所有への欲望をもたらしたものなのである。この空虚を、むろん魂と呼んでもいいが、しかし同時に、経済行為の萌芽と呼んでもいいだろう。

(三浦雅士「考える身体」NTT出版/P36-37)

 人間はこの物質世界になぜ生まれてくるのだろうか。

 それは、肉体のなかで自我を育てるという課題を持っているからなのだろう。

 肉体を持ちながら、自分が自分であるということを受けとめること。つまり、自分を限りなく意識するということである。

 そのことは同時に、自分を他人の立場において見ながら、自分を引き受けるということである。

 かけがえのない「個」であるということの前提に「他者」ということがあるのだ。

 物質世界では、私の身体とあなたの身体が区別されている。ゆえに、私はあなたではなく、あなたは私ではない。

 私が傷つき苦しんでも、その痛みは直接的なあなたの痛みではない。私が直接的ではないにせよ、あなたの痛みを感じるためには、共感というプロセスが必要となる。「共苦」ということでもある。

 私が私であることに耐えられないがゆえに、その恐怖ゆえに、人はさまざまなものを所有しようとした。所有することができたとしても、それは自分ではないのだけれど、所有によって私が私であることを直接的な在り方から紛らわしてくれる。

 「私は私であるである」。その極めてシンプルな真理は、同時に途方もない恐怖だったのだ。それゆえ、人は自分の所有したものを自分だと見なそうとした。

 共依存というのも、所有の変形であると見なすことができる。自分でないものに依存する、依存しあうことによって、安心立命しようとすること。しかし、それは個ゆえの共感や共苦とはまったく別の在り方であるといえる。むしろ、共依存は共感や共苦の不可能性のうえにあるのだ。

 私はあなたになることによって私である。それは、この物質世界における個の可能性に向けての展開としてとらえなければならないように思える。そして、それはまさに「愛」そのものでもあるのだろう。

 

 

風のトポスノート190

シュタイナーの庭


2000.1.18

 

 よく「あれはシュタイナーじゃない」といった批判が聞かれるけれど、本当は「シュタイナー的」なるものは存在しないのだ。あるのは「私」でしかない。これが「私」。私はこのように活動する。それしかない。そして私がこのように考え、このように活動する背景には、シュタイナーとの出会いが、そして彼の思想との取り組みがある。しかし、シュタイナーとの出会いによって、私の中に生じた理解、信念、行動への意志は、私自身のものであり、その責任を負うのも私自身である。

(高橋明男「いつの日か、『庭』でマッド・ティー・パーティを!」漂流する雑誌「シュタイナーの庭」第4号 1999.7.7 P18)

 

 昨日、知人から「シュタイナーの庭」の第4号と第5号を拝見させていただいた。これまでに「シュタイナーの庭」の名前はいくどか目にしていたのだけれど、実際に手にしたのははじめてのこと。

 そのなかで、とくに第5号の高橋明男さんの「日本のシュタイナーをめぐる党派性」についての意見には深く共感を得た。ゲーテアヌムが、日本アントロポゾフィー協会(上松さんのグループ)を邦域協会としてみとめたとかいうニュース云々に関連した、「党派性」の問題についての率直な考えがそこには述べられているように思う。これまで高橋明男さんのスタンスについてはよくわからなかったのだけれど、これを読む限りでは、この「神秘学遊戯団」のスタンスにとても近いように感じられて、とても心強かった。おそらく、その「漂流する雑誌」というコンセプトは、ここでたびたび述べられる「組織なきネットワーク」というコンセプトにとても近いのではないかと思う。

 「どのようにしたら党派的な在り方から自由になれるか」それは、とりわけ日本におけるシュタイナー需要に関しては、大きな課題が課せられているように感じる。つまり、シュタイナーの生きていた時代から問題になっていたことが、おそらくはこの日本でもかなり露骨なかたちで現れていて、それをいかに克服していくかということによって、シュタイナーの精神科学が新しい展開の仕方を獲得できるかどうか、ということが方向づけられていくであろうということである。もちろんそれは、上記の引用にあるように、ひとりひとりの「私」ということへのアプローチそのものでもある。

 このトポスでやろうとしていることも、この場所には「シュタイナー」という名前も「人智学」も「アントロポゾフィー」も冠せられていないように、「シュタイナー的」であろうということによる枠付けがむしろかぎりなく「党派性」と関係付けられてしまうからでもある。重要なのは、まさに「私」であって、「シュタイナー」ではないのだから。とはいっても、「シュタイナー」が重要でないというのではなく、「シュタイナーとの出会い」が「党派性」と結びついてはならないからだ。

 そういう意味でも、高橋明男さんのように、日本アントロポゾフィー協会とも日本人智学協会ともつながりを持ちながら、その党派性から自由になろうとする試みはとても重要なことなのではないかと思う。そういう姿勢のひとがどれだけ増えてくるかによって、日本のシュタイナー需要もそれなりの展開を見せてくるのではないだろうか。


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