風のトポスノート171-180

(1999.9.8-1999.11.10)


風のトポスノート171●携帯せんわ

風のトポスノート172●古代の霊性と現代

風のトポスノート173●比較

風のトポスノート174●倚りかからず

風のトポスノート175●哲学は好奇心である

風のトポスノート176●哲学はドラマである

風のトポスノート177●哲学はリズムである

風のトポスノート178●「エーテル的」な認識としての哲学

風のトポスノート179●〈明るい闇〉から

風のトポスノート180●日記と天候

 

風のトポスノート 171

携帯せんわ


1999.9.8

 

 携帯電話、電子メールの急速な普及は、いつでもどこでも人とつながることを可能にした。しかし、一方で、いつも切れない自由を失わせる関係も作り出した。携帯電話、PHSによる位置情報の提供、妨害電波の是非が議論を呼ぶだろう。インターネットの普及など情報過多の世の中では、あえて情報遮断することによって生まれる活力もある。使用中でも時間がくれば切れる強制OFF機能つきの情報機器。自由に、自分のアタマで思考をめぐらす。そこには、つくりものではない、いきいきとした発想が生まれてくる。

(1999生活予報「野生活力 マクロ負けしない生活」より「携帯せんわ」/博報堂生活総合研究所/1999.1.1発行/P110)

 携帯電話、PHSの普及で、不思議な動作、スタイルが生まれている。街でもどこでも、右手(または左手)に携帯電話かPHSをもちその画面をながめているスタイルである。最近、i-モードというのもできて、なおのこと、その小さな液晶画面とのにらめっこが日常化しているように見える。そのにらめっこは、まっすぐまえに向けられた視線ではなく、つねに、うつむきかげんで右下あたりに落ち着きなく向けられている。

 まるで、ドラッグである。それはすでに便利さというものを超えている。「キレル」というのが流行していたが、おそらく電波が「キレ」てつながらないようなときでも、ヤクがキレたときのような様相を呈するようになるのではないか。

 仕事柄、NTTドコモのアンテナショップを今つくっていたりもするのだけれどなんだか、そういう生活スタイルは個人的にいって好きでない。ゆえに、仕事で必要な最小限のとき以外には、携帯関係は持たないようにしている。常に端末をもっていると、一人になれないからだ。

 「キレル」のは、いつもつながっていることに依存しているからで、常に依存的なものから自由になりうる状態であれば、「キレル」ことは必要ない。「キレル」のは、一人でいることができないからなのではないだろうか。

 だから、「携帯せんわ」。自由に思考するために。依存関係から自由であるために。

 博報堂から毎年でている「生活予報」はけっこうおもしろいのだけれど、今回の「マクロ負けしない生活」という副題が気に入っている。「みんながするからぼくもする」「みんなが持っているからぼくもほしい」そんな「マクロ負け」した生活から、そろそろ自由になる時代ではないだろうか。新しいミレニアム(千年期)を目前にして、新しい「自己教育」スタイルが模索されていかなければならないだろう。

 

 

風のトポスノート 172

古代の霊性と現代


1999.9.17

 

「死んでいくものにとって子どもは何の役に立つのですか?」

「息子はあとを継いでくれます。息子は家名を残します。息子は先祖を祀ります。」

「死者に対する供養ということですか」

「ええ、ようやくおわかりいただけましたか?」

「事実関係はわかりましたが、心情的には理解できません。軍人さんたちはいまだにそのような信仰を抱いているのですか?」

「きっとそうだと思います。西洋にこのような信仰はありませんか?」

「すたれてしまいました。古代ギリシャやローマの人々は同じような信仰を抱いていました。彼らは先祖の霊が家に住み着いていると考えていましたし、先祖の霊は供え物を受け取って、家族をちゃんと守ってくれました。なぜ彼らがそう考えたのか、多少のことなら私たちにもわかります。しかし、心情的にはなかなか理解できないのです。なぜなら、じぶんで経験したことのない感情、先祖から受け継いでいない感情を理解することは不可能だからです。それと同じで、日本人の死者に対する真の感情が私には理解できません」

(小泉八雲「光は東方より」(講談社学術文庫)より「悲願達成」P97)

 日清戦争に出かける軍人と小泉八雲の対話。

 小泉八雲は、この対話の前でも、この軍人があととり息子を持たずに死んでいくのはみじめ、だというのに対し、子どもがいるのに死んでいくことこそあわれだ、と言っている。

 日本人の多くが現在も行っている「先祖供養」の信仰は基本的にここで軍人が述べていることと同じである。だから、墓をたて、骨を納め、墓を守る。

 興味深いのは、西洋でも「古代ギリシャやローマの人々」は、そうした先祖供養する日本人と似た信仰をもっていたと小泉八雲が語っていることだ。

 シュタイナーも、かつてはそうした血により継承ということが意味を持っていたと言っている。しかし、キリスト事件以降、それは意味を持たなくなった。集合自我的な在り方から「個」へのシフトがそこでは意味を持つ。小泉八雲は「個」というキリスト衝動以降の「個」から発言し、日本の軍人は「個」以前の集合自我的な信仰から発言している。

 現在の多くの日本における「先祖供養」の信仰を見ればわかるように日本にはキリスト衝動による「個」の形成への衝動に乏しい。しかし、仏教的な潮流のなかに、部分的にその衝動は見られるが、それも多くの場合、儒教と見境がつかなくなってしまっていることが多い。

 日本神話において、天照大御神が天磐戸にこもってしまったとき、だますことで天磐戸が開けられたという話を考えてみると、キリスト衝動の封印されたままであるということが象徴されているのかもしれない。

 日本人は遺伝的に継承されたエーテル的な能力を使いながら、半ば集合自我的なバックグラウンドのなかで、非常に高い霊性を顕現してきたということがその文化を見てみれば如実にわかる。古代の霊性は、高みにあり、西洋ではいわばキリスト衝動によりそれを失うことにより、それを変容させ新たなものを獲得しようとしたがおそらく日本では、古代の霊性が半ば失われず、従って、それが変容させられないままに現代を迎えている。そして、そのために、高みにあった霊性の形骸化したものが、無自覚なかたちでその廃墟をさらしていることが多い。とても危険な状態にあるといえる。

 しかし、おそらく古代の霊性を半ば温存させてきていることにも人間進化のプロセスにおいては深い意味があるのかもしれない。おそらくその力が自覚されることを通じ、西洋において獲得されてきた「個」の衝動と「中」することによって新たなものが生み出されてくるのかもしれない。

 日本には「鬼」が鬼門に封印されているという。その「鬼」の封印が、解かれはじめているともいう。その「鬼」の力の行方には注目が必要なのではないかと思う。その力がどの方向に向かうかによって、その「中」のされ方が大きく変わってくるのではないかと思うからだ。「鬼」にキリスト衝動が注ぎ込まれたとき、おそらくその「鬼」は真の変容を遂げていくことになるのだろう。

 

 

風のトポスノート 173

比較


1999.10.5

 

 人はどうしても自分を他人と比べてしまいます。あの人ばかりみやげをもらったとか、あの人ばかりいい目に遭っているとか。

 ここに脳障害の子と、健常な子の兄弟がいたとします。脳障害の子は病気がちで、とても手間がかかったとします。「平等に接しなければいけないよ」という教えがあったとして、あなたならどうしますか。同じ時間だけその二人の子供に接することが平等といえるでしょうか。手がかかる子に時間をかけるという不平等さは、本当の意味で平等ではないかと私は思います。脳障害の子に限らず、心に問題があったり、悩みがあったり、問題を抱えている人に、より時間を割くのは決して不平等なことではないと私は思うのです。だから、人と人の関係は、いい意味で不平等であるのが本当ではないかと思っています。

 病気になることも、問題を抱えることも、決して悪いことではありません。ただ気づき、目覚めていればいいことです。病気を治すことや、問題を解決することに終始してしまって、そこでの自らの気づきをおざなりにしないことが重要な気がします。どんな病気にかかっても、どんな問題を抱えても、すべてプロセスにすぎず、何も問題ではないということに気がついていればいいのです。原因を探って、だれが悪い、何が悪いということの討論のためにそれらが起こるのではないのです。

 あるアマゾンの人々の話をしましょう。一人の男はとても働き者で、毎日狩りをしていました。その隣の男はぐうたらで、いつも寝てばかりいました。狩りをする男は、そのぐうたらな男にいつも食物を分けていました。

 普通ですと、一生懸命狩りをしている男は褒められ、ぐうたらな男はけなされることでしょう。でも、彼らは違っていました。狩りをする男は仕事をすることが好きだったのです。ぐうたらな男はぐうたらするのが好きだったのです。二人とも好きなことをしていたにすぎないのです。

 自分ばかり損をして、と人はよく言いますが、自らのことのみを感じることができたとき、何をするにしてもただ喜びしか起きなくなることでしょう。あなたはあなた自身だけをしっかり見つめ、あなた自身を感じてあげてください。他人はあなたではないのですから。

(Online Luna http://www2.odn.ne.jp/luna/index.html

浄土宗栖岸院奥院本應寺のお寺通信

「『月影の詠』栖岸第45号 1999年5月施餓鬼号 所収」より)

 私はあなたではないから私なのだけれど、私は私であるということができずに、あなたとの比較で私ということを評価しようとする。そして、私をあなたの上に置いたり下に置いたりする。

 そういう意識のもとに、私はほんとうはここらへんにいるはずなのに、そうでないと思ってしまったときに、多く、不当であるとか、損をしているとか思う。

 また、平等ということを固定的にとらえて、いついかなるときにも平等でなければならないということを主張したがる。しかし、あなたと私は違うのだから、ただ無差別的な平等は意味がない。だいじなのは、あなたがあなたであることであって、私であることではなく、私が私であることであって、あなたであることではない。そして、あなたが気づきを得、私が気づきを得るということがだいじなのだ。

 「病気を治すことや、問題を解決することに終始してしまって、そこでの自らの気づきをおざなりにしないこと」というのはいくら強調しすぎても強調しすぎることはないほどだいじだと思う。「病気を治すこと」や「問題を解決する」というのはあくまでもプロセスにすぎないのであって、目的ではない。けれど、多くの場合それが目的になってしまう。目の上の梁は取り去らなければならないが、梁を取り去ることで終わるのではない、それははじまりなのだ。そこで終わってしまうと何も始まらなくなる。

 「比較」ということもそうだ。「比較」ということはひとつの手段であるのに、往々にしてそれは目的になってしまう。また、「比較」とは差異や独自性を認識するためのものであって、差異を価値づけるものなのではないにもかかわらず、「比較」することによって、私とあなたが上になったり下になったりする。

 聖書に、朝から働き始めたひとも、昼から働きはじめた人も同じ賃金をもらうというというような話があったように記憶しているが、あなたがあなたであり、私が私であるということは、それに気づくということが大事なのであって、その「賃金」の多寡を比較することは意味をもたない。

 上記のアマゾンの人々の話は、いい話だと思う。働きものとぐうたらの話。どちらも自分の好きなことをすればいいという話。働きものがぐうたらと自分を比べて、不当だというふうに思うとき問題が起こることになる。いやだったら働かなければいいのだ。ぐうたらが好きだったらぐうたらをすればいい。ぐうたらが好きでないのだとしたらしなければいい。それだけのことなのだけれど、比較することであなたはあなたでなくなろうとし、私は私でなくなろうとする。そしてすべての争いがそこからはじまることになる。

 

 

風のトポスノート 174

倚りかからず


1999.10.16

 

ここ数日、一冊の本を前に、ぼうぜんとしている。ただ、圧倒されているのだ。茨木のり子さんが七年ぶりに出した詩集『倚りかからず』(筑摩書房)である。▼もはや/できあいの思想には倚りかからりたくない/もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない/もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない/もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば/それは/倚子の背もたれだけ▼(…)茨木さんは、いま七十三歳。自分がかりに生きられたとして、「倚りかからない」ことを心底学べるだろうか。「なに不都合のことやある」と言い切れるか。「できあいの」思想や宗教や学問の背もたれに、相変わらずなに倚りかかっているのではないだろうか。どうしても、そんな思いにさせられる▼実は勇を鼓して茨木さんを訪ね、話をうかがった。「外国の詩人が、詩とは思想を果物のように食べさせるものだ、と言いました。詩には、思索の美しさ、ものを考えることの美しさがあると思います。でも、日本の詩歌の歴史には、それが欠けていると思うんです。それを埋めたいという感じが、生意気なんですが、ずっとありました」▼穏やかな口調だけれど、語る内容は激しい

(朝日新聞1999.10.16「天声人語」より)

 朝日新聞を読んでいると、というかどの新聞でも同じだし、マスコミにでまわっている言葉はおしなべてそうなのだけれど、ほとんどが「『できあいの』思想や宗教や学問の背もたれに」「倚りかかって」いるように感じるものばかりが目につく。

 今日の天声人語が面白いのは、そうしたことに、今更ながらに気づいているように見せながら、(そして「ぼうぜんとしている」という言葉にもあるように、おそらくある種の意識魂的なものが働いてはいるのだろうけど)「「倚りかからない」ことを心底学べるだろうか」というようにほんとうはそんな気がないのだということも伝わってくる。そんなことをすれば、すべてを捨て去ってしまいかねないからだ。もちろん朝日新聞に書かれてあることも意識的に見ざるをえない。それはどんな「思想や宗教や学問の背もたれに倚りかかって」いるのだろうと。

 倚りかからないこと、というのはまさに「自由の哲学」。そのことがいかにシンプルでわかりやすいかと同時に、そのことの困難さがどこにあるのかもわかってくるのが今日の天声人語の面白さだろうと思う。

 日木流奈さんの言葉にも、そうした「自由の哲学」は底流にあるように思うのだけれど、そのわかりやすい言葉も、「穏やかな口調だけれど、語る内容は激しい」ように思う。しかしなぜか、天使のイラストのような感じばかりが目立っていてその内容がどのように受け取られているのか疑問に感じたりもする(^.^;。

 たとえば「自分で考えなくちゃ」ということが書かれてあるとして、そのことで「そうだよね、自分で考えなくちゃいけないんだよね」と考えたりもするのだけれど、その考えはすぐに自分から離れて、ともすれば「いいことが書いてるだろ、人は自分で考えなくちゃいけないんだ」とすぐに自分以外の人に向けてしまうことになる。「自分で考えなくちゃ」というのはまさに自分で考えることなのだけれど、その厳しさを実感することに耐えられず、それを「教え」ととってしまう。「教え」になったとたんに、「「倚りかからない」ことを心底学べるだろうか」というように「自分で考えることを心底学べるだろうか」と自分の外にそれがあるものとしてとらえることになってしまう。

 さて、茨木のり子さんの詩は残念ながら読んだ記憶がないのだけれど、機会があれば、読んでみたいと思っている。

 

 

風のトポスノート175

哲学は好奇心である


1999.10.19

 

 哲学の多くの入門書の類には、決まって、<哲学とはフィロ・ソフィア(愛知)である>と書かれている。<哲学は好奇心である>という主張は、それとはまるでちがうように見えるかもしれない。事実、この<愛ー知>ということばは、ふつうは、ひどくしかつめらしい意味で述べられ、また受けとられている。しかし本当は、それが困ったことなのだ。というのも、<愛ー知>とは、もともと<知のエロス>のことだからである。したがってこの場合、好奇心とは、新鮮な気持ちでものごとに出会っておどろきを感じる心であり、知ることの情熱なのである。

(中村雄二郎「哲学の五十年」青土社/1999.11.15発行/P15)

 驚くというのは、ひとつの能力である。驚きなくして、哲学ははじまらない。驚きのなくなったとき、哲学は事実上終わる。

 多く哲学が面白く感じられないのは、まずたとえば哲学書とされるものに驚きが欠如していることが原因であり、かつ哲学するための<知のエロス>を持って哲学しようとしないからである。

 人はともすれば、子供の頃のような新鮮な驚きを次第に失い、生きることそのものがまるで自明のことのようになってゆく。無知の知というのが重要だとされるが、まさにその無知の知の可能性が閉ざされているのだといえる。

 もちろん人は自分は何でも知っているとは思ってはいないのだけれど、知る必要があるという渇きを感じていないのだ。知る必要があるというのは、実用的な知識くらいのもので、その知識を得ることで人はさまざまな資格を得たりもする。けれど、哲学は何の資格でもない、ただただ知への渇きそのものなのだ。無知の知ゆえの渇きなのだ。

 自明だと思いこんでいるものに人は囲まれているが、何一つとして自明のものなどないことに人は気づく必要がある。その気づきということ、そこから出発する知のエロス。そのエロスの神のもとにいる者こそ、哲学者だ。

 だから、ひとりでいると寂しくてつまんないから、いつもだれかと群れていないと落ち着かない人は決して哲学者であるということはできない。知のエロスは、退屈をしらず、驚きに囲まれて生きているのだから。

 

 

風のトポスノート176

哲学はドラマである


1999.10.19

 

 論理や知性や理性というのは、まったく独立して成り立つものではない。つまり、知ることや筋道立てて考えることも、また一種の欲望である。しかも、昔から併び称されているように、<知のリビド>と<感覚のリビド>と<支配のリビド>(権力欲)とは、人間の三つの本質的な欲望として、相互に絡み合って存在している。現実がそのようななまなましい世界であればこそ、また、ひとが欲望や情念に目を眩まされればこそ、私たち人間は、欲望や情念の渦巻く現実、ドラマティックな現実のなかで、哲学を通して、自己と世界について明察的であろうとするのである。このように現実がつよくドラマ性を持っていればこそ、物事を立ち入って考えるために、古代ギリシアにおいて哲学の発端が<対話>のかたちを取ったのであり、さらに、哲学の起源がギリシア悲劇にあった、と言われるのである。それだけではない。西洋近代の哲学の大成者ヘーゲルにおいて、対話に由来する<弁証法>が哲学に固有の論理としてあらわれるのである。このヘーゲルだが、彼は好んで、ギリシア悲劇やシェイクスピアの芝居を、自己の高度に体系的な哲学的な考察のなかで取り上げている。

 しかし、<哲学はドラマである>ということをよりよく示すためには、私たち人間が現実のなかで行っている、物事についての立ち入った認識が、<行為・受苦・認識>という諸段階を持っていることを明らかにするのがいいだろう。劇的な行動を端的に示すこの三つの段階によって、およそ、行為のないところには受苦(痛切にものを感じること)はなく、受苦のないところには真の認識がないことがわかるのである。この仕組みをもう少し敷衍しておくと次のようになる。しばしば、行為や行動は認識と反対のように思われているが、 それは表面的な見方にすぎない。行為や行動は、むしろ 認識の端緒をなすものである。人は行為や行動によって現実や他者と深くかかわり、それらに対してわが身を曝すことになる。そしてそのとき、われわれ人間は、身体を持ったもともと傷つきやすい存在として、痛切にものを感じざるをえない。つまり、行為は受苦をもたらすことで、通常隠されていた自己と現実や他者との関係を明るみに出し、それによってはじめてひとは、上っ面でない認識、深い認識に達するのである。

(中村雄二郎「哲学の五十年」青土社/1999.11.15発行/P15-17)

 世界は劇場であるという考えに惹かれた。大学の頃、少しだけ演劇に関わったことがあるということもおそらくは誘因になっているのだけれど、ぼくの書いた卒論は、まさに世界は劇場ならぬ、世界は一冊の書物であるというコンセプトから書かれた。今からみれば稚拙きわまりない代物だが、それなりに真剣に書かれた。しかも、書かれたのは主に大学でではなく、バーテンダーとしての生活の合間に、ジャズの流れる穴蔵のような場所でだったのも、本来は閉じてはいけないはずの学問の世界の閉じた世界の感覚が希薄だったことの理由かもしれない、屈折してはいるのだけれど。

 記憶を辿ると、序は、「受容」という視点の重要性。さらに、文学的テクストの構造と作用について見ながら、それが社会的コンテクストに埋め込まれていることを示唆。それと、人間の意識における即自と対自との問題とを絡めながら、差異の戯れとしてのテクストということを論じた。そうして、世界そのものが実はテキストそのものであり、人はそのテクストとしての世界の「作用」を受けながら、それを読むという相互作用によって生きている、と。だから、テクストとしての世界をどのように読み込むかということによって人の豊かさというのは限りなく可能性に向かって開かれている、と。

 その、世界は劇場であるという視点をぼくはシェークスピアというよりも、中村雄二郎から得たのを今でもよく覚えている。「演劇的知」というやつである。それは、「書をもって街に出よう」というのではもはやなく、街は書物であり、世界は書物であり、舞台そのものでもあるという視点にぼくを導いてくれた。

 しかし、まさに「哲学はドラマである」というように、ぼくはその後、いわば社会という書物のなかに身を曝しながら、<行為・受苦・認識・行為・受苦・認識・行為・・・>という螺旋のプロセスのなかをぐるぐると歩き回ってきたように思う。卒論はある意味では「決意表明」だったのだが、その螺旋のプロセスは決して楽ではない。

 ぼくはそうして、そういうなかで初めて考え始めた。「決意表明」までは考え以前だったのだと思う。そうしてその後、少しは自分なりに考えられるようになるまでには10年ほどかかり、それからパソコン通信でかろうじて「対話」を始めるようになり、それから8年ほどが経った。

 すべての著作を読破したわけではないのだけれど、ぼくにとって、中村雄二郎はおりにふれてそばにいてくれたといえる哲学者。もちろんお会いしたことさえないのだけれど・・・。

 ともあれ、「哲学はドラマである」。そういえるだけの哲学が今切に求められているといえるのではないだろうか。

 

風のトポスノート177

哲学はリズムである


1999.10.25

 

 <好奇心>も<ドラマ>もともに、すぐれて人間の生命力の発現であるわけだが、その生命の根源を探っていくと、<リズム>ということに突き当たる。生命の本質はリズムにあるからである。そして哲学の究極もリズムにあり、したがって、端的に<哲学はリズム>とさえ言えるのだ。(略)

 まず、ここに哲学を超えて実在の真相を端的にリズムとしてとらえた二人の大胆な直観がある。ひとつは、メキシコの詩人オクタビオ・パスのものであって、彼は<暦、道徳、政治、技術、芸術、哲学、つまりわれわれが文化と呼ぶものは、すべてリズムに根ざしている。リズムはわれわれのすべての創造の源泉である>と言い切っている。もうひとつは、真言宗の開祖で日本の万能人といわれる空海のものであり、彼は<五大にみな響きあり>つまり、地・水・火・風・空の自然の万物はみなリズムから成っている、と言っている。しかも後に彼は、その五大に<識>(知ること)を加えて六大にしているのである。

 この空海の洞察は、実在の真相だけでなく、その認識までも響き(リズム)としてとらえている。だから、われわれの<哲学はリズムである>という命題と直接に結びつく。(略)

 もし生命の本質たるリズムを欠いた場合に、哲学というものが成り立つかどうか、また、どういうものになるか、を考えてみよう。生きた哲学ということが言われ場合、そこには二つの意味がある。ひとつは、実在の核心に触れた緊密で豊かな内容を持っているということであり、もうひとつは、それが表現として文章としていきいきしているということである。この二つは互いに緊密に結びついてはいるが、一応分けて考えよう。

 前者、つまり<実在の核心に触れた緊密で豊かな内容>についていえば、実在の真相を響かせる力は本来哲学に不可欠なものなのだが、不幸なことに、ふつう哲学はそういうものとしてイメージされない。内容的に緊張感のない論理の辻褄合わせが、哲学のかわりに罷り通っているからである。また後者、つまり<表現として文章としていきいきしている>については、とくに思考にリズムを感じさせるか否かが哲学の文章の大きな分かれ目になる。リズムを欠くとき思考は不十分にしかメッセージを伝え得ないからである。

(中村雄二郎「哲学の五十年」青土社/1999.11.15発行/P17-18)

 作文がずっと苦手だった。読書感想文とかいうのはもちろんのこと、あらゆる作文。書くということがいったいどういうことなのかということがぼくにはまったくどういうことなのかわからなかったのだ。なぜ書かなければならないのか。その疑問に対する必然的な答えが見つからなかった。もちろん、話すということも同じ。

 少しだけ突破口が見えてきたのは、「人は騙らずにいられない」という視点を得てからのこと。そのときすでに二十歳を超えていた。言葉にするとすべてが嘘になってしまう・・・ということに対しては、「騙り」がすべてかもしれないというのがひとつの答えになりうるからだ。そこで、「すべては記号である」「記号にすぎない」。さらにそこからすべては「記号の編集にすぎない」という極論をとりあえずはみずからの答えとして見つけることができた。

 しかし、困難はそこからさらに始まった。相変わらず作文は苦手のままだったからだ。「騙る」ことさえも、そこには必然性が必要なのだから。そのとき初めて気づくことができたのが、「はたして自分はちゃんと考えることができているのか」ということ。それまではなんとなく自分はそれなりに考えていると思っていたのだけれど、その考えているということがいかに空虚なものかに気づいたのだ。

 次なる課題は、思考を空虚さから脱することだったが、それは容易なことではない。言葉を発するときの必然性のようなものを感じ取ることがどうしてもできない。言葉はおそらくどこからか来ているのであって、こちらから発するというのとは違うのではないかという感覚があって、自分の発している言葉というのはいつも「どこか違う」。それは、思考についてもいえることで、思考は自分が発しているのではなく、それはどこか必然的な「場所」から来るのであって、その「場所」を見出さない限り、思考が、言葉が真に見出されることはないのではないか。そんなことを、まさに言葉にならないままに、思考にならないままに、あれこれと煩悶し続けていたように思う。

 おそらく、ぼくは中村雄二郎のいう「リズム」を見つけることができずにいたように思う。今でももちろんその「リズム」を見出したとはいえないのだけれど、以前に比べれば、その気配のようなものを感じることはできているのではないかと思っている。その「リズム」を見出すための「作文のお稽古」をわりと意識的にはじめてみたのが、パソ通を始めた9年ほど前。パソ通でも、それを意識化するために、これは「作文のお稽古」なんだということを事あるごとに表現するようにしていた。

 おそらく、こうして書くということは、必然性のあるリズムの場所、思考の響いている場所にみずからを置くということなのではないかという感じがしている。いわば「言葉に響きあり」「思考に響きあり」ということ。そうした響きやリズムを失った言葉や思考は、そのいのちを失ったものになってしまうのではないかと思う。自分がそういう響きやリズムを失ってはいないかに自覚的であるとともに、自分のふれる言葉などのそれをしっかり聴きとる耳をもちたいと思う。

 

 

風のトポスノート178

「エーテル的」な認識としての哲学


1999.10.25

 

 私があえて、<哲学はリズムである>と主張するのは、哲学が究極にめざすべきは生命のリズム、宇宙のリズムとの一体化であると思うからであり、そこから離れることが哲学にとって自殺行為であると考えるからである。また、その観点から哲学の持つ諸形態も顧みられるべきだと思うからである。

 では、先に述べた二つの中間的な規定、<哲学は好奇心である>や<哲学はドラマである>は、<哲学はリズムである>という最後の命題とどのような関係にあるのだろうか。紙面の制約があるので単純化して言わざるを得ないが、次のようになるだろう。

 すなわち、<哲学は好奇心である>という第一の規定は哲学への個人的なかかわりの次元の在り様を示すものであり、<哲学はドラマである>という第二の規定は、哲学の人間的世界の次元での在り様を示すものである。それらに対して、<哲学はリズムである>という最後の命題は、哲学の宇宙的な次元での在り様を示している。そして、これら三つを貫いているものは生命的なものなのである。

(中村雄二郎「哲学の五十年」青土社/1999.11.15発行/P18-19)

 哲学への個人的な関わりの次元としての「哲学は好奇心である」、哲学の人間的世界の次元としての「哲学はドラマである」、哲学の宇宙的な次元としての「哲学はリズムである」、そして、それらを貫いているのは「生命的なもの」であるという。「生命的なもの」といえば、「エーテル的」なものであり、中塚さんの「エーテル的」が示唆するところのものとリンクしているように思う。

 また、シュタイナーも、哲学を「かつて総合的な認識の仲介者であつた」、それが失われることで、哲学の中から現実性が失われた、「再び、エーテル的な認識が獲得されねばならない」と述べている。

哲学はかつて総合的な認識の仲介者であつた。人間は哲学から現実世界の個々の領域の認識を得てゐたのである。個々の学問は哲学から生まれた。それでは、何が学に残つたのだろうか。多かれ少なかれ抽象的な理念の総合である。この抽象的理念によつて、哲学は他の学問に対して自己の存在の正当性を主張するのであるが、この正当性は感覚的な観察と経験の中に見出されるのである。哲学の理念は何に関連してゐるのであろうか。ここで、このことを考へてみようと思ふ。哲学の理念の中に直接、現実を体験することはもはやないので、この現実性を理論的に基礎づけようと哲学者は努力してゐる。

 哲学といふ言葉が智への愛を表はしてゐるように、哲学は単に悟性的な事柄ではなく、人間の魂全体の問題である。人間が「愛する」ことができるのは、このやうな魂全体に関はる事柄である。智はかつては現実的なものと感じられてゐた。単に理性と悟性だけが関与するものは「理念」にはなり得なかつた。哲学は魂の熱の中で体験された人類的な事柄から、乾いた冷たい知識へと化してしまつた。哲学的思惟に没頭する時、もはや現実性を感じることはなくなつた。

 かつて哲学が現実の体験となし得たものが、人間自身の中から失はれたのである。感覚的な科学は感覚を通して媒介される。悟性が感覚によつて観察されたものについて思考するものは、観察を通して媒介された内容の総括である。この思考は固有の内容を有してはゐない。このやうな認識を生きることによつて、人間は自分を単肉体として認識する。けれども、哲学は何よりもまづ、肉体によつては体験することのできない魂の実質内容なのである。魂の内容は感覚によつては 知覚するこのできない組織体によつて体験される。この組織体は、肉体の土台となつてゐるエーテル体である。エーテル体は超感覚的な諸力を内包し、肉体に形態と生命を与へてゐる。エーテル体組織は、肉体を使用するのと同じやうに、使用することができる。ただ、肉体は感覚を通して感覚界から理念を形成するのに対し、エーテル体は超感覚界から理念を形成する。古代の哲学者はエーテル体を通して理念を発達させた。人間の精神生活からこの認識の器官としてのエーテル 体が失はれたことによつて、同時に哲学から現実性といふ特徴が失はれた。哲学は単なる理念体系になつてしまつた。再び、エーテル的な認識が獲得されねばならない。さうすれば、哲学は再び現実性を取り戻すことができる。これが人智学の第一の課題である。

(シュタイナー「宇宙論・宗教・哲学」 「霊界の境域」所収/P178-181)

 人間が「愛する」ことができるのは、魂全体に関わることであり、そこに現実性を取り戻すためには、自分を単に肉体であるとして認識することによっては体験できない、「魂の実質内容」を体験しなければならない。

 我考える故に我あり。その考えるということに生命を取り戻すこと。考えるということは、決して冷たく頭だけの知識ではなく、熱をもった生命的なものなのだということが認識されなければならない。

 そうして我考える故に我あり、ならぬ、我愛する故に我あり、ということを哲学において現実のものとしなければならないのではないだろうか。

 

風のトポスノート179

〈明るい闇〉から


1999.11.2

 

あなたのことばのなかに「〈近代原理〉の徹底化の果てに」という言い方がありましたが、私は最近、近代日本における〈近代原理〉の徹底のあり方にこそ、諸悪の根源があるように思っているのです。それは一口でいえば、極端な〈能率本位〉の近代化であり、〈最小抵抗線〉とでもいうべきところを通ってきたものです。〈能率本位〉に反するものをすべて、切り捨て、回避し、先送りした結果、極端に意味が希薄化してしまった世界、しらけきった〈明るい闇〉が、われわれのまわりの至るところに出現したように思うのです。不用意に安易なこじつけはしたくありませんが、最近起きた文芸評論家 江藤淳 氏の衝撃的な自裁にしても、やはり、わが国の20世紀のどんづまりに出現した〈明るい闇〉のなかに訪れた一つの特殊な悲劇ではないかと思うのです。江藤氏の〈遺書〉のような文章「妻と私」を遅ればせに9月号の『文芸春秋』の再録で読んで、私が一番つよく感じたのは、あの人並はずれて剛毅なはずの江藤淳氏が、なぜ、このようなあまりにも〈自然〉な道を選んだのかということです。

(インターネット哲学アゴラ「歴史」

第2回「終末論とコスモロジー」中村第3通信/中村雄二郎→野家啓一)

 「極端に意味が希薄化してしまった世界、しらけきった〈明るい闇〉」のなかで、君が代が日の丸が法制化され、「新しい教科書を作る会」の「国民の歴史」(西尾幹二著)が刊行された。興味深いことに、小林よしのりは、「新しい教科書を作る会」のなかで、藤岡信勝と対立姿勢を高めているらしい。この動きには、注目が必要だと思う。要するに、「新しい教科書を作る会」の内部矛盾をいちはやく小林よしのりがとらえているということなのだが、小林よしのりの情動的な動きを鵜呑みにすると危険なのはもちろんである。しかし、ああした動きに自分から飛び込んで身の危険を引き受けてしまう勇気はなかなかのものだとは思うのだけれど(^^;。

 しかし、「極端に意味が希薄化してしまった」からといって、「しらけきった〈明るい闇〉」に、外から光を射そうとして、「日本」の物語性をプラスにクローズアップしようとしても、それはもやは戯画化された舞台の上での道化にすぎないのではないかと思う。もちろん、それは行き過ぎた自虐史観ゆえのアンチではあるのだけれど、それはアンチゆえに、ある意味で、同じ路線にいることは否定できない。

 象徴的だったのは、江藤淳の自殺だった。おそらく江藤淳はどこにもゆけなくなってしまったのではないかと思う。切れてしまった民族魂の糸をつなぎとめようとするのがある意味では氏の切実な試みだったのかもしれないし、それはある種の共感を呼ぶものでもあったのかもしれないのだけれど、〈明るい闇〉が照らし出すのは、戯画化された舞台でしかなく、踊れば踊るほどに、そのフィクショナルな虚妄が際だつに過ぎなかった・・・。

 今必要なことは、やはり戯画化された舞台から降りてみることではないかと思う。そうしてその舞台に「太陽」の光を当ててしっかり見つめ直してみること。かつて壮麗な舞台だったかもしれないものの模造を作り直すことでは決してないのではないかと思う。

 

 

風のトポスノート180

日記と天候


1999.11.10

 

 なぜ、日記は最初に(晴)とか(くもり)とか、天候のことから書きはじめるのだろうか。

 ○月○日(晴)ーー日記はこう書くものだと私たちは思いこんでいる、天気の記述なしでは日記にならない。(…)

 市販の当用日記、日記帳のたぐいには、もうちゃんと印刷されて天候を誌す欄があるし、こうしてみると天候のことをまず書くのは、日本の日記の<しきたり>のようになっている。

(…)

 日本人のこの習慣はずっと昔からのもので、あの藤原定家が六十一年間書きつづけた日記「名月記」を見ると、そのことがよくわかる。

(鴨下信一「面白すぎる日記たち」文春新書/平成11年5月20日発行/P38)

 生まれてこのかた、日記の類に親しんだことはなく、小学生の頃、夏休みなどの絵日記などの課題に苦しんだというか、なにを書いたらいいのかわからなかったことを思い出す。そういえば、必須事項が天候だったように思う。

 書店の店頭などでも、すでに来年用の「当用日記」や手帳の類のコーナーがかなりなスペースを割く季節になっているのだけれど、日本人は世界でも日記を書く人が多いらしく、その需要が背景にあるのだろう。

 さて、日記と天候である。なぜ日記の最初に、天候なのだろうか。天候を書かないと日記ははじまらないからだそうだが、確かに日記の最初には、半ば強制的に天候の欄があるようだ。

 なぜ、天候なのか。それはひょっとしたら、日本人の身体的な在り方、気質的なありかたと天候がより密接に関わっていて、切り離せないというのではないだろうかと推察してみる。神社が各地の大地の坪のようなところに位置しながら、生きたネットワークをもっていることが多いように、そうした気象的な在り方のなかに日本人は生きていて、その影響のなかで生きていているということ。

 だから、自分を、そしてその身辺を語る際には、その一部としての天候がなければ成立しがたいからではないか。つまり、気象を含む風土的な在り方からの独立感というのが希薄だということになる。

 上記引用の「面白すぎる日記たち」のなかには、逆説的に気象の深い意味を示唆する例が挙げられている。石川啄木の日記なのだが、死の前年の「明治四十四年当用日記」の最初には天候の書き入れがあるのだけれど、その後入院し、日記に「つくづく病気がイヤになった」という言葉が現れる頃から天候に関することが途絶えてしまい、ほとんどが、病状と金銭の算段となるという。この場合、天候を書かないということは、おそらく生の破綻へと向かっているともいえるのではないか。考えさせられる例である。

 さて、ぼく自身は日記をつけないのでわからないのだけれど、ずっと日記をつけている方は、やはり天候を記するのだろうか。それとも、日本人の日記の在り方に変化が現れていて、天候へのこだわりが現象しているのだろうか、興味深いところである。


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