風のトポスノート161-170

(1999.5.22-1999.7.23)


風のトポスノート 161●魂の供養

風のトポスノート 162●胎動

風のトポスノート 163●時空の共有

風のトポスノート 164●美しい花と花の美しさ

風のトポスノート 165●心の扉を開けて

風のトポスノート 166●苦しみに向き合うこと

風のトポスノート 167●遊び

風のトポスノート 168●親子の〈自然な愛〉の虚構性

風のトポスノート 169●象徴的母親殺し

風のトポスノート 170●自殺

 

 

風のトポスノート 161

魂の供養


1999.5.22

 

私が言いたいのは、又、望むのは、これまでの人類史において行われてきた復讐の念からの死刑の廃止と魂の視点に立った全ての魂の成長の為の死刑の推進であり、究極的には全ての魂の気付きにより果たせる死刑制度の存在しながらでの消滅なのです。(…)

怒りを持続させるよりも、今生ある者が自分だけでなく、殺された被害者やその加害者など全ての(唯一の)魂が共に在る事に気付き、その魂である自分が何を求めているのか、それにより魂を美しく安らかに成長させていくには何を望んでいるかに気付いており、その人生において実行し養っていく事こそが真の意味での「魂の供養」ではないでしょうか。

(往復書簡「罪と罰」死刑囚との対話・最終回/睦田真志/新潮45 1999.6月号/P176-177)

 法とはいったいなぜあるのだろうか。シュタイナーの社会有機体三分節では、精神における自由、経済における友愛、そして法における平等ということが提唱されているように、「平等」という理念を実現するためにあるのだろう。

 「平等」であるということはいったいどういうことなのだろうか。それはおそらく共に生きることにおいて互いを「等しく」認めあうことなのではないだろうか。そのためには、まずは「魂が共に在る事に気付」くことが前提になる。そしてその根本のところには、自分の魂がほんとうは何を求めているかに気付き、魂を成長させること、霊性を高めていくことへと向かっていくということがなければならないように思う。

 しかし、実際は、平等は、互いが等しくならなければならない、というように権利を実現するための外からの強制として現れることが多い。強制と共生は読みは同じだが、まったく逆のことになる。

 共生のばあい、そこには「不当」なことを行ったことへの復讐やルサンチマンによる追求ということはないだろう。罪を憎んで人を憎まず、をさらに進めて加害者ー被害者を含め、罪に関わるすべての人の「魂の供養」へと向かうものとなるのではないだろうか。しかし実際は、罪を責め、人を憎み、「不当」な自分という感情をどんどんふくれあがらせていくことになってしまうことが多いのではないか。また、昨今では、犯人も罪の自覚へと向かうというよりも、法をいかに有効に使うか、さらに法がいかに「不当」に自分を裁くのかについてみずからの「権利」を叫ぶ方向に向かっているように思う。

 二人の人がいて、一人が「不当」なめにあうとしたら、その「不当」を「平等」にするようなルールをつくらなければならない。それはそれで社会を円滑に運営していくためには必要なことなのだろうが、経済においても道具である「お金」それ自体が商品になってゆくように法においてもルールとしての法それ自体が、それを使う人を離れてゆく。法に裁かれるようになり、その法によってすべてが判断されるようになる。だから、その法の有効利用にばかり目が向いてしまうことになる。それは「お金」を使った精神生活の向上ということではなく、「お金」を自己目的化した欲望ゲームへと向かう経済と似ている。

 

 

風のトポスノート 162

胎動


1999.5.22

 

よく日本の識者が「日本人は欧米のような確固とした宗教を持ってないからダメだ」などとも言いますが、ヘーゲルがプラトン、ソクラテスの現れた頃のギリシアを指して言ったように、もはや日本における精神は(古代ギリシアのそれと似て)宗教や倫理の「単なる権威や伝統に満足しなくなり」、それらを「思惟に媒介された内容として意識しようという」段階にあるのではないかと私は思うのです。その意味では日本における精神、そしてそれを促す魂は「先を進んで」いるし、それ故に現代日本、特に若い世代の混乱があるようにも思えます。どっかの経済企画庁長官ではないですが、これは人類の新たなる(魂の)意識獲得への「胎動」ではないでしょうか(実際の話、私よりうんと年下の人が書いたものでも驚くべき魂の広がりを示す手紙も読みますし)。

(往復書簡「罪と罰」死刑囚との対話・最終回・睦田真志/新潮45 1999.6月号/P178)

 宗教や倫理が廃れてしまったことを嘆き、それを「復権」させようという動きがでてきているように思う。しかしそこには、「復権」させようとする過去の宗教や倫理そのものを問い直すというもっとも重要な営為が欠けていることがあまりにも多いのではないかという気がする。重要なのは、「宗教や倫理の「単なる権威や伝統」」なのではないだろう。「父性の復権」を叫ぶとかいう最初から存在しないものを「復権」させなければならないと考えるような勘違いもあるけれど、「権威や伝統」を「復権」させようということでは何も始まらないと思う。

 「権威や伝統」の視点からすれば、そこには破壊と混沌があり、それへの危機感があるのかもしれないが、そういう混沌のなかから生み出されるものの可能性に目を向けなければならないのではないかと思う。もちろんそれは、新たな動きをすべて鵜呑みにするような流行への迎合ではなく、「権威や伝統」のかたちを守るということを超え、そららが本来あったものを一から考え直すことにおいて、新たな動きのなかに可能性を引き出していくものでなければならない。

 混沌がそのまま破壊になることもあるが、その可能性さえある「自由」がないとすれば、いかなる創造も可能にはならないのではないだろうか。混沌を破壊ではなく、創造へと向かうものとすること。

 睦田真志と池田晶子との往復書簡のシリーズ(新潮45)も今回で一応の連載を終えることになったが、その対話は、その「創造」を示唆する重要なものとなったように思う。

 時代は、胎動している。そんな思いがこのところとみに強くなっている。

 

 

風のトポスノート 163

時空の共有


1999.5.27

 

「すべての人が、それぞれの時間軸を操って、それぞれの世界に生きている。それを自由と呼ぶこともあるし、それを個性と呼ぶこともある。世界は無数の時間軸と空間とで成り立っている。生き物の数だけ、世界は存在する。」(…)

「そしてだ、時間や空間が接したり交叉するところに、人はインタラクティブなコミュニケーション環境を構築することになるわけだ。」(…)

「つまり、時間や空間を共有することによって、愛は生まれるわけだ。これは、すごく飛躍したいい方だが」

(薄井ゆうじ「創生期コケコ」マガジンハウス1999.5.20/P206)

 よくよく考えてみれば、今あるこの地上世界というのはとてもすごいところだと思う。こうした物質世界がつくられたことによって、時空を共有することができるようになったわけだから。

 もし「思い」の時空がまったく同一化されシンクロされた場でしかあなたとわたしが同時存在できないとしてみたらどうだろうか。同時存在できなければインタラクティブな在り方は存在しない。あなたはどこまでもあなたであり、わたしはどこまでもわたしでしかない。そしてそこに愛の可能性はない。それぞれがそれぞれの自由のもとに存在することができたとしても、あなたとわたしはどこまでも愛へと辿り着けない。だからむしろ高次の自由さえも限定されたものでしかなくなる。

 四苦八苦がこの世の原理でもあるのかもしれない。しかしそれは時空が共有できるがゆえに生まれた愛そのものでもある。生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみ、愛する者と別れなければならない苦しみ、怨み憎む者と会わなければならない苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、そして、一切が物質、感覚、表象、行為、意識に満たされているという苦しみ。時空の共有を原理とした物質世界という場ゆえに四苦八苦が生じたということがいえるだろうが、それらの苦の生じる可能性のない世界なのだとしたらそこには愛の可能性さえ生じることはないのかもしれない。

 時空を共有することではじめてわたしはあなたに語りかけることができる、ふれることができる。そしてあなたはわたしに語りかけることができる、ふれることができる。苦しむことができる、愛することができる。

 

 

風のトポスノート 164

美しい花と花の美しさ


1999.6.2

 

皆さんのなかに時々、「先生、良い文章を書くにはどうすればいいんですか?」って訊きにくる人がいます。まあ、僕は言語表現法というものを教えているわけだから、来るなとは言えないで僕は聞き返す。「君の好きな文章はどんなもの?」すると「好きな文章ですか。ありません」。

よくこういうことがあります。でも、これが全く不可能な問いだというのは、「先生、すてきな恋愛をするにはどうすればいいんですか?」という質問があって、「君には誰か好きな人がいるの」「好きな人ですか。いません」という答えが返ってきた場合、これに答えることがほぼ不可能だというのと全く同じです。

「人の美しさ」というものはない、ただ「美しい人」がいるだけだ、とたしかプルーストが『サントブーブに逆らって』というエッセイのなかで言っているし、小林秀雄にも、名高い「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」という言葉があります。良い文章って何でしょう。定義は難しい、というより、定義なんて、したくないですね。そんな定義したって、そういう文章がなければ、クソ、です。つい言葉が悪くなりますが。

(加藤典洋「言語表現法講義」岩波書店1996.10.8/P57-58)

 書くことについて、苦手意識が強い。学校などで作文をまともに書いたことがないし、そういう作文で何かを表現したいと思ったことがまずない。文章読本やら名文のアンソロジーなどもあまり読んだことがない。どう書いていいのか、あまりわからないままに(自覚的でないままに)、広告のコピーなどを書きはじめてしまったものの、書きたいから書いているのではなく、仕方ないから書いていたものだから、いっこうに文章表現がしっくりこない。

 8年ほど前、パソコン通信をはじめて、毎日少しずつ、「書く必要のない」文章をうまいとか下手だとかに関係なく、文書を自分なりに書きはじめた。自分でもいまだぴんときてはいないのだけれど、自分がいま考えていることをどうやったら表現できるのか、どうやったら少しでも相手に伝わるように表現できるのかを模索し始めるようになった。

 好きこそものの上手なれ、というが、やはり好きになるのがいちばんかもしれない。こうして書いているのが好きでたまらないということではないけれど、少なくとも、嫌いなのに強制されたり否応なく書いているわけで、書かなくてもまったく差し支えのない文章だから、肩に力が入らない。

 自分の理想ということは必要だけれど、「ねばらない」式のお手本から、自分のことばや考えをその方向に従わせるというのは避けたいと思う。なにかを定義によってがんじがらめにしておいて、その型に自分をはめこんでいくというのは苦しいし、いずれそれは私を殺す!型があってもいいのだけれど、その型は壊すための型、乗り越えるための型なのだということを意識しておかなければその型に殺されてしまいかねない。

 好きな考え、好きな言葉、好きな文章、好きな人……。そんなみんなをたくさんほしい。だれかになにを、誰を好きになればいいのでしょうか、どのように好きになればいいのでしょうか、ということを聞くのはさみしい。好き、というのはそれだけですばらしい。そのすばらしさからすべてははじまっていく。

 

 

風のトポスノート 165

心の扉を開けて


1999.6.22

 

 アクティブ・リスニングとは、ただひたすら聞くことである。しかしその際の姿勢や心構え、聞き方の手法には、さまざまなルールがある。中でも重要なのは、「受容」と「非受容」の関係を理解することだ。(…)

 ここで認識しなければならないのは、受容とは、相手のいうことを「肯定」することとは異なるということだ。たとえば、あなたの友人のAが「B君を誘うのはやめようと」と、Bという共通の友人について進言したとする。この場合、あなたが「そうだね。誘うのはやめよう」と答えれば、肯定したことになる。しかし受容とは、「なるほど、君はB君を誘いたくないんだね」と応じることだ。

 また、あなたの子どもが「算数の勉強なんかしたくない」と言ったとする。そこであなたは、「したくなければいいよ」という肯定や、「そんなことを言わずにやりなさい」という命令、あるいは「そんなこと言わずにがんばれよ」という励ましをするかもしれなお。しかしアクティブ・リスニングでは、これらすべてを非受容的とする。受容とは、「そうか、おまえは算数の勉強がしたくないんだね」と応じることなのだ。(…)

 まずアクティブ・リスニングの入り口として、話し手が話したくなる雰囲気づくりはとても重要である。このプロセスを「アイスブレーキング」という。かたくなになっている話し手の心を溶かすという意味である。

 では、どうすれば、大切な人の心を開くことができるだろうか。トマス・ゴードンは、アイスブレーキングを「心の扉を開く」と呼ぶ。

(鈴木秀子「愛と癒しのコミュニオン」文春新書47/P39-61)

 「聞くこと」の積極的な意味について深く語ったファンタジーといえばミヒャエル・エンデの「モモ」ですが、「受容」的に聞くことはとてもむずかしい。肯定も否定もしないで、ただ積極的に受け容れること。そういうことはたやすいことなのですが、いざそれを実行しようとしてみるとなんと難しいことでしょう。

 人は多く肯定されるか否定されるかになれすぎていて、受容されることはほんとうに少ない。ほんとうに受容されたと思えるとき、人はそれまで閉じていた殻を自分から開いて、そうして自分の可能性を開いていくことができます。

 自分で殻を開いて自分の可能性を開いていくというのは、まさに「自己教育」ということにほかなりません。シュタイナーが「自己教育」ということをとても大切なことだとしていたのは、そういうことなのではないでしょうか。「自由への教育」という意味もそのことにあります。14歳までの第二・7年期に教師の権威が重要だというのも、自分を受け容れてくれるという魂の信頼感が大事だということなのだと思います。人は、自分が受け容れられていると真に思えたとき、自由を基盤としたほんとうの勇気を持つことができるからです。

 もちろん、ぼくの場合もそうでしたが、ほとんどの場合、そういうことはまれで、果てしなくよるべない魂の彷徨をすることになります。そうしてその「受容」を人に求めるのではなく、自分がその「受容」を獲得しなければなりません。おそらくそのことを「認識」と呼ぶように思います。

 認識的な「受容」の獲得が困難な場合、たとえばマザー・テレサが、死に行く人に向かって「あなたは神に必要とされているのです」という言葉で「受容」という祈りを捧げていたように、だれかが人の心の扉を開けてあげなければなりません。冷たく凍りついた心の扉をあたためて溶かすということです。もちろんそのことはとてもむずかしいことです。モモは人の話をただ聞くことでその凍り付いた心を温めることができました。もちろんそれは「〜してあげる」というような上からのものではなく、そこにいっしょうけんめいいっしょにいる、というあり方のこと。

 しかし、世に、話したい人はや夥しく存在し、聞きたい人は稀。奪う人が多く与える人は少ない。みんなが自分を受け容れてくれ受け容れてくれと叫んでいるようなそんな状態。「癒し」の話はとても美しいし、とても切実なことが多いのですが、むずかしいのは、その「癒し」がどれだけ「自由」へと成長する可能性を持ちうるかということなのではないかと思います。あまりに「やさしさ」や「癒し」が求められ、語られる時代。

 そういえば、むかしメラニーの「心の扉を開けて」という歌があったのを思い出しました。その頃、ぼくの心の扉は、ずっと閉じたまま。せめてもの救いのように、そうしたポップスを聴いていたりしました。しかしどこからも扉をノックする音は聞こえてくることはありませんでした。しかしそのノックがあったほうがよかったのか、それともなかったからよかったのか、そこらへんのことはよくわからないところです。人生の謎ということでしょうか。

 

 

風のトポスノート 166

苦しみに向き合うこと


1999.6.30

 

 苦難に対して心を開き、それを受け入れる時、その本質を十二分に把握することができる。そして、その苦難に対して、自分がどんなに抵抗しているか、否定しているかを発見することになる。そうした自分の状態を見きわめ、抵抗したり、否定しようとする自分を認め、だんだんに受け入れることができて初めて、私たちはその苦痛から離れることが可能となるのだ。

 その苦痛や悲しみは、何をしても消えない。病苦、死別、困窮による苦しみ自体は変わらないのだ。しかし、たとえどんな苦痛の中にあっても、モリー先生が見せてくれたように、苦しみと共存する力があなたの中にしっかり備わっている。あなたの中に、いのちとともに愛が注がれていて、あなたはそういったものを乗り越えていく力をすでに手にしているのだ。人間が完全ではない以上、思う通りに物事がいかず、嫌なことが起こっても当たり前である。

「にもかかわらず」自由に生き生きとして、愛に満ちて、周りにも光を及ぼす自由な人。苦しみがあり、病気があっても、その病気にもかかわらず、自由でのびのびして幸せそのもので生きていく、ちょうどモリー先生のような人がいる。いくら頭が痛くても、痛いと感じながらそれに縛られず、自由にのびのびと幸せに生きていられる。人はそう生きられるのである。

 神は「私があなたと共にいる。そして、あなたは私のひとみより大切な存在。あなたがいのちあるかぎり、私はあなたと共にいて、あなたをとことん愛し抜く。あなたを通して自分の愛を拡げていく」という約束をしているのだ。

(鈴木秀子「愛と癒しのコミュニオン」文春新書47/P214-215)

 苦しみがあると、その苦しみのまえで、我を忘れてしまうことがあります。我を忘れるというよりも、その苦しみが自分になってしまうといったほうがいいかもしれません。その苦しみをはなれたところに自分がいるとは到底考えられなくなってしまいます。

 しかし、苦しみは私ではありません。私は苦しんでいるかもしれませんが、私が苦しみだというのではないのです。

 私が苦しみそのものであるかのように感じられるときには、実は、私はその苦しみを受けいれていないという逆説があります。そして、その苦しみを私はちゃんと理解しているとはいえないのです。現に私はこうして苦しんでいるではないか、なのに理解していないというのはおかしいではないか。苦しんでいない者に何が理解できるものか。そういうこともできますが、はたしてそういえるのでしょうか。

 苦しみを理解するということは、いったいどういうことでしょうか。それは、苦しみとともにありながらも、その苦しみに否定的にならず、抵抗しないで受けいれるということ。そうすることで、苦しみにとらわれない自分を見つけることではないでしょうか。

 もちろん、そのことで苦しみがなくなるわけではないでしょうが、私と苦しみを同化させるという不自由な状態からは自由でいることができます。

 少し唐突な話になりますが、腹を空かせた虎の檻に閉じこめられてしかも虎に食われないためにはどうしたらいいか、という自らの問いに出口王仁三郎が答えたことがあります。第二次大戦中、囚われて裁判で語ったことだと記憶しています。出口王仁三郎はどう答えたでしょう。「虎に食わせてやることじゃ」と言ったといいます。この逆説のなかに、すべてがあるような気がします。虎に食われてしまうという現実は変わらないのだけれど、虎に食われてしまう悲劇という苦しみから自由になるためには、その悲劇をこちらから積極的にとらえかすことで、世界は根本的に変革されます。これは、単なる言葉の遊びではありません。真剣なユーモアのある喝!ではありますが。

 苦しみを避けられないとしたら、その苦しみに自分を食わせてやればいい。そのことで、苦しみは苦しみとして変わることはなくても、その苦しみに自分が飲み込まれることだけは避けることができます。

 そこに開けてくる、不思議に明るい景色を、ぼくはとても気に入っています。

 

 

風のトポスノート 167

遊び


1999.7.9

 

わたしたちは、少なくとも間違いなくわたし自身に関しては、どうやらみずからの目的そのものは、それまで気づかずにいた予期せぬ結果や、驚嘆に値するような成り行きを導き出すもので、ただ新しい手段へと誘ってくれるものにすぎないらしいと考えるに至っています。このあたりの認識は、わたしたちがユーモアのセンスを磨くのにかなり役だっています。

 何度も生まれ出ては何度も死を迎えるうち、死ぬたびに自己の消滅を意識し、死の体験の後に覚醒が起こり、みずからの存在が未だ存続していることを知るとき、そこには人間を超越した喜劇的要素が賦与されるのです。

 わたしたちは、遊びのなかにある創造的な喜びを学び始めたところです。例えば、あらゆる創造性やあらゆる意識は、仕事の性質とは対照的な、「遊び」という生き生きとした直感的自発性とも言うべき性質のなかから生まれたものであると、わたしは信じています。わたしの知る自身の存在すべてと、それらの体験すべてのなかに、一定不変の性質としての「遊び」を見て取ることができるのです。

(ジェーン・ロバーツ「セスは語る」ナチュラルスピリット/1999.6.24/P97-88)

 世界劇場という考え方がありますが、けっこう好きな考え方のひとつでもあります。今この世界ではこんな役者をしているのだけれど、別のだしものではまったく違った役を演じているととらえると、とっても肩の荷が下りてくる気がします。決して追いつめられることがなく、むしろ今の役どころに対して、意識的な態度をとることができるわけです。そして悲劇でも喜劇のようにさえとらえることができます。悲劇的であればあるほど、むしろ喜劇的要素を帯びていきます。

 今この私というパーソナリティも、今この役どころを演じていて、その演じることを通じて、それそのものを創造的にすることを目的にしているのだととらえるならば、どんなときにも自分を悲劇的にとらえる必要はなくなります。自分を演じるというのは、まさに「遊び」なのですから。

 「遊び」というと、ふまじめというイメージでとらえられてしまうことも往々にしてあるのですけど、「遊び」の積極的な要素は決して「悪ふざけ」なのではなく、硬直したスクエアな認識からの自在さ、柔軟さということでもあります。決められた(と思いこんでいる)目的に向かっての一直線の姿勢を、まるで外から眺めるようにして別の可能性をも探る作業。

 「遊び」という視点があってはじめて「自由」という視点も可能になります。私は今この私を、「自由」によって選択し、創造しているということ。外から枠をはめられているとかいう視点をやめて、どんなに悲劇的であろうがすべて自分で決めて「遊」んでいるのだととらえること。なにかしなければならないことというのは存在しない。しなければならないという状況を遊んでいるのだととらえること。とても苦しんでいるときにも、その苦しみを遊んでいるのだととらえること。

 「私」は「遊び」そのものなのだということに気づくことで、世界がこんなにも輝いているのがわかるのではないでしょうか。世界があり、私があるということは、「遊び」そのものなのだから。

 

 

風のトポスノート 168

親子の〈自然な愛〉の虚構性


1999.7.16

 

上野さんは「献身的で自己犠牲的な母性愛」と見えるものが実は親の「自己愛」でしかないのではないか、と言われる。私は、親子の〈自 然な愛〉などのたぐいの虚構性(習慣性)を喝破した言葉を、この「哲学アゴラ」ですでに何度も援用したので気が引けるのですが、この場所こそこれを援用するのにもっともふさわしいところなので、あえて、もう一度引くことにします。いわく、「父親たちは、子どもたちの自然な愛が消えうせてしまいはしないかとおそれる。では、消えることのあるようなこの自然性とは、いったいなにか。習慣は第二の自然性であって、第一の自然性を破壊する。しかし、自然性とは何なのだろう。なぜ習慣は自然でないのだろう。私は、習慣が第二の自然であるように、この自然性それ自身も、第一の習慣であるにすぎないのではないかということを大いにおそれる。」(パスカル『パンセ』断章93)

(岩波書店 インターネット哲学アゴラ 「日本社会」第3回家族 親を憎んでもかまわないか?ーーACと機能不全家族 中村3/3通信 中村雄二郎→上野千鶴子)

 今、岩波のインターネット哲学アゴラでは、中村雄二郎と上野千鶴子の「性」、「家族」や「親子」などをめぐるとても興味深い対話が繰り広げられている。上野千鶴子はほかの対談でもそうであるように、中村雄二郎に対して、無謀なまでの挑戦状を突きつけているようにさえ見えてしまう。

 個人的にいえば、上野千鶴子のまるでルサンチマンのようなフェミニズム論は、あまり好きになれないし、神秘学的なとらえかたをすれば、その極端さが上野千鶴子という個性のどこからやってきているのかということのほうをむしろ興味深く思えたりもするのだけれど、上野千鶴子の提示する「性」、「家族」、「親子」などに関する論点に関してほとんど意識したことのないような方、男女という「性」、家族や親子という関係について、ほとんど固定観念でしかとらえていない方にとっては、男女を問わずかなり刺激的なところがたくさんあるのではないかと思う。そして、そういう場合は、上野千鶴子の「毒」をくらって、ただ感情的に反発するか、気圧されて途方にくれることになる。もちろん、ある程度意識的であるような人にとっては、その戦闘的なところに辟易することのほうがずっと多いと思うのだけれど。

 ここでは、親子の「自然な愛」とされるものに関して、中村雄二郎のほうから、その虚構性(習慣性)という観点について、パスカルの言葉をつかって相互確認とでもいうことがなされている。このことからは、単に「親子」というような関係だけではなく、「自然」とみなされているものに対するラディカルな問い直しということが必要であるということも示唆されているように思う。

 自然が好き!というとき、その自然とはいったい何だろうか。自然を守れ!というとき、その自然とはいったい何だろうか。

 自然という言葉を、自然が好き!自然を守れ!というようなかたちであまり疑いなく用いることの多い文脈のなかでは、「自然」は問われるべきものだとはとらえられていないように思う。しかし、自然が好き!自然を守れ!というときにこそ、「自然とは何か」が問われねばならないのではないか。

 性や家族や親子についても同様である。あたりまえだと思っているものに対してこそ、「問い」は発せられなければならないように思う。

 

 

風のトポスノート 169

象徴的母親殺し


1999.7.18

 

 子供は人間として自立していくためには、親ばなれ、とくに母親ばなれをしなければならない。つまりは、〈象徴的母親殺し〉をしなければならない。ところが、母親との関係でダブル・バインド状況に陥った息子は、自由な行動に出ることも許されなければ、行動しないでいることも許されず、さらにそのジレンマから脱出することも封じられている。つまり、自分の手でおのれの役割を選びとることがまったくできない。そこに生ずるのが〈絶望的反抗〉である。だから、その激しい行動は、人間の強さのあらわれではなく、むしろ弱さのあらわれでしかない。正当な役割行動ができなくなって、〈ペルソナ〉を失い、人間同士が内面的に響き合う(ペル・ソノーレ)ことができなくなるのである。

(岩波書店 インターネット哲学アゴラ 「日本社会」第3回家族 どうして我が子を虐待するのか?ーー支配する親たち 中村3/4通信 中村雄二郎→上野千鶴子)

 シュタイナー教育で、小さい頃に「権威」が必要だというのは、その後、「権威」から自由であるためであるように、子供にとって小さい頃「母親」が必要だというのは、その後、「母親」から自由であるためであるといえる。そして「権威」から、そして「母親」から自由になるためには「象徴的権威殺し」、「象徴的母親殺し」をしなければならない。

 「権威」がしかるべきときにしっかりと魂に働きかけることができたとしても、その「権威」から自由になろうとするときに、その「権威」がなおもその「権威」をふりかざしそこから逃れられなくなってしまったとしたら、「母親」が必要な時期に子離れをせず子供を所有化しようとし子供が母親から自由になれなくなってしまったとしたら、どうだろうか。

 反抗期というのはそういう意味でとても重要な時期となる。以前、ネット上で、そういう反抗期を体験したことのない方と話したことがある。とても性格が温厚そうでとても人のことを気遣うとても「いい人」という印象の方なのだけれど、自分がいったい何をしたいのかわからないという。そしてどうしても異性と深くつきあうことができず、異性からも「いい人」としてしかみなされないという。

 その方をいちがいにそうだとはいえるわけではないのだけれど、反抗期がちゃんと作用し、「象徴的権威殺し」、「象徴的母親殺し」という重要なプロセスを体験できない場合、ロケットが地球の引力圏を離脱するときのようなエネルギーを持ち得ず、おそらく自我は、権威や母親の引力圏を離脱することがでいないのかもしれない。権威や母親からの依存状態でしか、みずからを位置づけられなくなる。

 シュタイナー学校の卒業者は、自分のやりたいことが明確にあり、自分の意見を物怖じせずしっかりと主張できるという。おそらく、自我をしっかりと成長させることができるがゆえにそうした依存状態からしっかりと離脱できだということだと思う。依存状態でないから、人との比較で自分を位置づけることをしない。自分は自分であって、人と優劣関係でものをみるということがない。競争ではなく、自分のしたいことをする。つまり、一人でいられるということ。そして一人でいられるからこそ、他者との共同も可能になるということ。

 もっとも、そうした自己主張はおそらく日本の場合、ひょっとしたら協調性がなく、エゴが強いというようにみられてしまうかもしれない。権威に依存的で、流行に敏感、ひとりでいられず、いつも集合的ななかで安心していたい。その裏返しとして、つねに人と比較して自分を位置づけ、そのなかで競争しようとする。そういうなかでの強い自己主張は、ときに強い反発を生むことになるだろう。それが「権威」とならないかぎり。

 

 

風のトポスノート 170

自殺


1999.7.23

 

 江藤氏は、自らを甘やかす事、甘やかされる事を唾棄した。保護される事を拒否して、保護を与える者になろうとした。

 このような江藤氏の姿勢が、誰もが庇護を求め、些細な傷も他人に責任を転嫁し、慰めをもとめる戦後の日本において、異様に映ったのは仕方がないことかもしれない。だが江藤氏は体勢に媚びる事なく、この小児だらけの国で、治者たり続ける事を貫いたのである。(…)

 人は、その剛直な姿勢の中に柔らかく。脆い「弱さ」が伏蔵されている事、「弱い」からこそ、強い断念を示しているのだ、という事に対して鈍感だった。(…)。

 氏が自殺をされた、それは氏が死者たちとの約束をもう守る気力がなくなたっという事なのだろうか、「弱さ」を前に甘えを断念する事をやめてその誘惑に応じたという事なのか、あるいは自らすすんで治者であることを放棄したのか。

(1999年7月23日付 朝日新聞 25面 福田和也「江藤淳氏を悼むーー弱さ故に張った胸)

 人は誰でも死を迎える。だが、死の迎え方は人それぞれ。自殺というのもひとつの選択だといえる。自殺でないとしても、おそらく人は自らの死を深いところでみずからが選択しているのだと思う。自殺の場合は、ある意味で今ある表面意識がその認識において今あるみずからを絶とうとして選ぶ死である。

 江藤淳の死をぼくは今朝、新聞で知った。江藤淳のことはそう詳しく知っているわけではないし、その著書の一部を読んだことがあるにすぎないが、おりにふれて江藤淳の姿勢について考えることもあった。ちょうど、福田和也の文章があったのでそれを読んでいて、少しだけ腑に落ちたことがあった。なぜ自殺という選択をしたのかということについてである。

 「弱さ」ということへの姿勢。江藤淳は、みずからの「弱さ」を知りながら、あえて「自らを甘やかす事、甘やかされる事を唾棄した。保護される事を拒否して、保護を与える者になろうとした。」ということだが、ここに、弱さゆえに「治者」たらんとしたということに注目してみたいと思う。ある意味では、自らの「弱さ」を知るがゆえに、その「弱さ」を容認することを拒否し、「使命」を自らが選んだといってもいいと思う。

 しかしそのとき、その「弱さ」は堅さということへと向かうことになってしまったのではないか。堅いものはどうしても脆くぽきりと折れてしまう。弱さは、しなやかさを伴わないときに、往々にして脆くなる。弱さに必要なものはしなやかさだということだ。強風が吹いても折れない雑草のように、強風が吹きすさぶ地域でも斜めになりながら成長する樹のように。

 現代の世界観は、あまりの弱さだらけの提示か、その逆の堅く脆い「治者」的なあり方かの両極を振れることが多い。そしてそのどちらもが「自殺」という選択を容認することになる。弱さは弱さのなかで潰れ、強さは強さゆえに脆く折れてゆく。

 人の魂は永遠であり、自殺という選択もそのなかの一コマではあるけれど、その選択の意味するものについて、いろいろなことを考えさせる。ひょっとして、過去の生においてぼくにも自ら死を選んだこともあるやもしれないが、もしそうだとしたら、そのときのみずからの認識のあり方について深く見つめ直す機会をもてればと思う。精神科学的な観点にふれているならば、おそらくは江藤淳のような死の選び方はしないだろうから。

 夏目漱石ではないが、とかくこの世は住み難く、生き難い。だからせめて、みずからの弱さのそのゆえに、その弱さ故の細やかさを失わないままに、さらにそれを腰の強いうどんのように練り上げてしなやかな粘りを得るようにしたいものだと思う。「弱さ」そのものを変容させないで、それを堅い甲羅で覆ってみても、その内実はむしろ「弱さ」をさらに脆くさせるだけになってしまうから。

 みずからを甘やかしてはならないというような無理を重ねるとどうしてもどこかに軋みが生じてしまう。無理はそんなに続かない。無理にはならない程度に少しだけ踏ん張りながら、根っこを少しずつ伸ばしていき、強風に強い雑草のようでありたいと思う。


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