風のトポスノート151-160

(1999.3.21-1999.5.17)


風のトポスノート 151●経験

風のトポスノート 152●相対主義

風のトポスノート 153●あわい

風のトポスノート 154●だんご3兄弟と流行

風のトポスノート 155●問うこと

風のトポスノート 156●選挙

風のトポスノート 157●クレオール

風のトポスノート 158●世間の常識

風のトポスノート 159●痛みといじめ

風のトポスノート 160●歳を重ねること

 

 

風のトポスノート 151

経験


1999.3.21

 

 わたしにはポストコロニアルの瓦礫のなかで「日本人」へのパラノイア的な模倣にのめり込まざるをえなかった苦い経験があります。その受苦的な経験の自覚が、切実であればあるほど経験を絶対化し、いつしか人間的な自堕落さに目をそらさせることになっていたのではないか、そんな懐疑の念に襲われることがありました。受苦的経験=パトスを「人間の根源的な存在態様」にまで深められないまま、それをひたすらルサンチマン的な呪詛に置換していたのではないかと思うようになったのです。

(インターネット哲学アゴラ「文化」第1回オリエンタリズム 姜第2通信 姜尚中→中村雄二郎)

 「経験」しなくてはわからないことがあるといいます。しかし逆にその「経験」によって呪縛されてしまうこともあります。その「経験」そのものとそれへの姿勢との関係によって、その「経験」そのものの質は大きく異なってきます。外的には同じ様な「体験」に見えることでも、それがどう働くかは同じではないわけです。

 人がみずからの体験を語るのを聞くときに、そのことによって得られたであろうものを感じると同時にその体験によって方向づけられ、偏向してしまったものをも感じ取ることがないでしょうか。それは自分の体験したことについて振り返ってみることでその両面のことを切実に感じ取ることができるはずです。かけがえのない体験とそれによって刻みつけられた記憶がそのかけがえのなさによって、私を盲目にしてしまいます。

 「この気持ちをだれにもわかってもらえない」「これは体験した者だけにわかることだ」そういうことを思う場合、往々にして欠けているのは、「この気持ち」やその「体験」への洞察のように思います。自分でそれをわかっているように思っているその思いこみこそがそれへの認識態度を欠落させてしまうことになりかねません。

 重要なのは、「経験」と同時にそれへの認識を深める姿勢。そのことによって「経験」そのものを「理念」の深みにまで掘り下げていくことなのではないかと思うのです。

 この世に肉体を持って人間として生まれてくることは、それそのものが「受苦的経験=パトス」であって、「人間の根源的な存在態様」の深みへと到る可能性を有しています。その意味において、「人間」であるということの素晴らしさがあり、同時に「人間」であることが途方もない罪であるように思えてならないこともあります。

 その素晴らしさと罪とは、「生」の「質」に関わる問題で、「生」をただの生存にしてしまうか、「よりよく生きること」へと向かう理念を持つかによってどちらかに傾斜してしまうようにも思います。

 今自分の体験しているすべてのことにおいて、それに対しどのような認識態度を有しているかを常に忘れないようにしたい。少なくとも、良きにつけ悪しきにつけ、それが「かけがえのない体験」であるとき、その深みにあるものについて盲目的である自分を発見したとき、そのことそのものを問い直すことを忘れないようにしたい。

 

 

 

風のトポスノート 152

相対主義


1999.3.25

 

●アインシュタインの相対性理論について

井手: 相対性理論について、多くの人は大発見だということを知っているのみで、その内容については知らない場合が多い。簡単な例として、自分が座っている列車と隣の列車との関係を挙げることができる。どちらも動いている時には、どちらが動いているのかわからなくなることがあるだろう。同じように、普通止まっていると思っている地球も動いているし、太陽もまた動いている。全てが動いており、何が止まっているのかわからなくなった。静止した確かな基準というものがなくなると、人々の心には不安が生じる。

例えば自分がゲーテアヌムの方へ歩いて行ったとする。その時、自分が動いていると考えるのが普通だが、逆にゲーテアヌムの方が近づいてきたと考えても、つじつまが合ってしまうということだ。全ては相対的であり、絶対的なものはないのではないか。当時、現代人の心の中には物事を相対的に捉える精神が芽生えてきていた。しかし、光の速さで動いていると歳をとらない、というような考え方は非現実的である、とシュタイナーは言う。現実的なものと非現実的なものとは区別しなければならない。(この時井手先生は、「風が吹けば桶屋がもうかる」的な考えは駄目、と言い直して、皆にウケていました。つまりシュタイナーは、論理を重ねて行くうちにその考えが現実から遠ざかって、観念的なものになってしまうことをいさめたのだと思います。}シュタイナーは全ては相対的、ということを拒否します。物質界にのみ話しを限定するとそうなるのかも知れないが、人間が関わるとそうはならない。

(らせん教室 99.02.03 ゲーテアヌムの建築における労働者のための講演を題材にした「講話メモ」よりhttp://members.aol.com/YasuakiS/)

 シュタイナーの相対性理論批判については以前から興味をもっていたのですが、ちょうどSPIRALのHPで話題がでていました。

 私があなたのほうに歩いていっても、あなたが私のほうに歩いてきても、相対的にとらえるとすれば同じことになってしまいます。でも、私があなたのところに駆け寄っていくのと、あなたのほうから私の方へと駆け寄っていくのとでは、やっぱり違っているはずですよね。そこにある「意図」のことなども無視されてしまって、ただただ抽象的な関係性だけのことを問題にしてしまったときに、そこにあるいちばん大事なことが見えなくなってしまうように思います。

 私はあなたが好きだけどあなたは私のことを嫌いかもしれないし、あなたは私のことが気に入っているけど私はそうではないかもしれない。それとも私とあなたは相思相愛なのかもしれない。単純に考えても、これだけ違うのに、そうしたすべてが同じく相対的にとらえられてしまうというのは、やっぱりどこかおかしい。

 ものごとを単純化してある種の公式で表現するということはそれはそれで重要な場合もあるのだけれど、それですべてが表現されてしまうということはできません。関係性を相対的に単純化したかたちで抽象的にとらえることで人のなかからなにかが失われていくような気がします。アーリマン的なメカニカルなもののなかで自分を位置づけようとするそんな逆転したあり方という落とし穴があるように思うのです。

 私がどこかに向かっているとするならば、それは「私が」向かっているのであって、それを相対的にとらえられると思うのは主体を機械的な発想でとらえることになってしまうのではないでしょうか。

 相対主義の落とし穴はそこからさまざまな領域に及びます。もちろん、独善的な発想からみずからを動かそうとしないのは話になりませんが、だからといってすべてが単なる平均化されたメカニカルな関係性へと還元されてしまうとすれば、「私が」今なにかをしようとすることそのものがますます虚無的な方向へと向かうことになってしまいかねません。

 

 

 

風のトポスノート 153

あわい


1999.3.27

 

 先生は『術語集2』の「ボーダーレスーー性差の曖昧化/境界例/distinguo」のなかでの不思議さについて語っていますね。「それによって分けられたもののどちら側にも属さず、しかも分けられた区域の意味を分割によって一変させるという不思議な働き」のことです。

 わたしもそうしたの不思議さに気づき、は、民族や国民、文化や階級、ジェンダーや人種などの参照系によって線引きされる諸集団の範疇的な差異を分節化したり、あるいはそのような差異の意味を一瞬にしてひっくり返してしまう奇妙な位置を占めていると述べたことがあります(『オリエンタリズムの彼方へ』)。わたしの念頭にあったのは、上の主体としての「エグザイル」でした。それはによって分けられたものを照らし出すことができるようなそのもののことです。自らの身体が絶えず移動するそのものとなることで、内部と外部の差異の流動する場所となるとはどんなことなのか、わたしはずっとそのことを考えてきました。

(インターネット哲学アゴラ「文化」第2回ボーダーレス 姜第3通信 姜尚中→中村雄二郎)

 人は「私」が「私」であり「私」以外の何者でもないことに耐えられず、自分を民族や国民、文化や階級、ジェンダーや人種、などなどという衣装のほうを自分であるというふうに思いたがるのかもしれない。

 小さい頃からそれをずっと疑問に思っていたのだけれど、その疑問は多くの場合、問うまでもないような前提、場合によれば問うことの許されないような絶対的なものとしてぼくのまえに現れることが多かったように思う。

 男の子らしくや女の子らしく、というのもそれ以前に自分らしくというか自分がいちばん自分らしく感じられるあり方のほうが大事なように感じていたものの、そうした単純な二分法が疑いもなく適用されていた。

 人はおそらく自分にある種の仮面をつけることで、自分を表現することになれすぎてしまったのかもしれない。そうしてやがてその仮面なしでは済まなくなってしまい、仮面をとったそこにある自分の顔を見ることを恐怖するようになったのではないか。そうして、仮面そのものが自分だと思いこむようになった。そして仮面はあらゆるものを「所有」していると思いこむことで安心を得ようとするようになった・・・。

 あらゆる仮面から亡命せよ!そんなことを思うようになった頃があった。亡命そのものが自分なのだと。けれど亡命することによって仮面の下の自分の顔を見ることができるのだろうか。そんなことも思っていた。ひょっとしたら見ることができるのは、仮面と自分の顔の「あわい(間)」だけなのではないかと。そしてその「あわい」にこそ主体が見いだせるのではないかと。

 黄昏時(誰そ彼 時)、かわたれ時(彼は誰 時)・・・。彼はいったい誰だろう、明らかにはそれと見分けのつかないような「あわい」の時空。そんな境界上にある時空に魅力を感じる。明らかな光でもなく明らかな闇でもないようなそんな時空。そこではあらゆるものが可能態としてうごめいているがそれが明らかな形をとって現れたりはしない。

 そんな場所に居続けること、亡命し続けていること。そこから照らし出されるものをしっかり見続けること・・・。

 

 

 

風のトポスノート 154

だんご3兄弟と流行


1999.3.29

 「だんご3兄弟」が流行っている。

 「バザールでござーる」「ポリンキー」などを手がけてきた映像作家の佐藤雅彦氏が中心となって制作し、NHK教育テレビ「おかあさんといっしょ」で「1月の歌」として放送されていたものだということだけれど、こういう不思議な流行は、「黒猫のタンゴ」や「およげタイヤキくん」などまれにではあるけれど、確実に起こっているような気がする。まるで台風の発生と成長や竜巻のような感じで思わぬところから生じ周囲のエネルギーを吸収しながら怪物のように成長していく。

 何かが過剰なまでの流行になっているのを見るといつもこれはいったい何なのだろうかと思ってしまう。こういうことが起こっていいのだろうかという半ば恐怖に近い感覚。

 流行というのはそういうものらしいのだけれど、なぜ人は流行が好きなのかということ、自分をその流れの中に合流させてその流行のエネルギーの一部となり、その流行がさらに大きく成長していくのはなぜなのかということ。

 それはテーマを選ばない。「たいやき」でも「だんご」でもいいし、「アイドル」でも「ブランド」でもいいし、はたまた「愛国」でも「民族」でもいい。多くの人たちがある種の「場」において共鳴しているということがある種の心情を喚起することになるのかもしれない。

 それは場合によっては、意図的に起こされる。しかしある意味では意図的かそうでないのかというよりも、なぜ人はそういういわば集団心理に身を置くことを好むのかということのほうを問うべきではないかと思う。

 最初はどんなものでも、ある少数のひとたちの趣味や嗜好、考えから発する。それはそれぞれの人の趣味であって、なかにはとても好ましいものもあるかもしれない。けれどある時点からそれはある種生き物のように実体化し成長していく。その成長を促進するのが、その流行を享受する人たちである。その人たちは外から来た流行というある意味での権威に乗り遅れないようにとあわてて流行に乗り、そのことで流行がさらに加速されていく。そして流行が過ぎてしまうと、なぜそんなものが流行ったのかさえよくわからないような状態になってしまうことも往々にしてある。

 以前「たまごっち」が大流行しほとんど手に入らないような状況さえあったが、今ではそんなもの、だれも見向きもしない。流行の急速な終焉に気づくのが遅すぎたメーカーはその在庫をかかえ、夢の後の悪夢を今体験しているという。

 そうしたプロセスを見ているととても興味深い。広告の基礎的な考え方のなかに、商品のライフサイクルというのがあるがある意味ではそれと似ているところもあるし、またオピニオンリーダーを中心とした情報の伝播とでもいるものなどとも通ずるところがあるのかもしれない。最初にある種高感度アンテナを持っている人がある種のトレンドを敏感にキャッチし次第にまるで偏差値の曲線のような形で多くの人たちがそれに感染していき、やがて急速にその曲線がもとの値に戻っていく。

 流行はその規模や性質に応じてその「ライフサイクル」はさまざまだけれど、どちらも流行が流行として成立するということはそこにはある種の集団心理ということが働き、集団という生命がある時期に実体化していくということがいえると思う。集合魂である。現代のような市場経済のなかでは、そういう集合魂の働きをいかに応用していくかということが重要な課題となり、ヒットメーカーは常にそれとともに生きていくことが求められていく。

 そして場合により、それはどこか見えないところからの強力な働きかけにより集合魂的な潮流を作り出そうとすることもある。臓器移植や国旗掲揚、国歌斉唱の義務化、そして最近新聞でよく見かける「ニッポンをほめよう」企画。「だんご3兄弟」が流行るのは(ちょっとうるさいけど)仕方ないとしても、そのうち「きさま、それでも日本人か!」などといわれるようになったとしたら、やっぱりぼくは「日本人である前に、ぼくはぼくだ!」と答えるだろうからちょっと、いやかなり怖いなと思っている^^;。

 

  

 

風のトポスノート 155

問うこと


1999.3.29

 哲学にとって、その結論(つまり思想)に賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。優れた哲学者とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。誰もが人生において突き当たる問題に、ある解答を与えた人ではない。これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。このことはどんなに強調しても強調し過ぎることはない。なぜから、すべての誤解は、哲学者の仕事を既成の問題に対する解答と見なすところから始まるからである。

(永井均「ウィトゲンシュタイン入門」ちくま新書/P9)

 答えを見つけるのはそれほど難しいことではない。だが、正確な質問を見つけるのは、微妙で難しいプロセスだ。一つの言葉を質問の中のどこに使うかで、まったく答えが違ってしまうかもしれない。答えができるだけ単純明快であるためには、質問を正確に言い表すことを学ばなければならない。(…)真の会話は、二人以上の人間が、質問のために集まると同意した時に始まる。そして、それぞれの人が貢献して、抽出を重ねてゆく。しかし、残ったものは答えではなく、より深い質問である。死の床にいたガートルード・シュタインに、親友であり信奉者でもあった人が会いに来て、『ガートルード、さあ、答えを下さい』と彼女に言った。『いいえ!』と最後の息の下で彼女は言った。『さあ、質問をして』とね。

(ルシャッド・フィールド「見えない道」角川書店/P32-37)

 問わなければそこにはいかなる問題も存在していない。問うことではじめてそこに問題が生じる。

 答えることよりも、むしろ問うことのほうが重要なのだ。問うということはすでにそのなかに答えは内包されているともいえるのだから。

 問うことはむずかしい。まだまったくかたちさえないものを見出すことなのだから。

 木のなかに仏像が埋まっている。そのようにとらえて仏像を彫る名人がいるというが、問うことのむずかしさと必然性はそういうことかもしれない。問うということはそれなりの修行を必要とするということだ。

 問うということは、無闇な作業ではない。そこには問いが問いであるための必然性、切実さが必要となる。それはすでに子供の「なぜ」とは区別される。子供のような問いかけではあったとしても、もはやそれは子供の問いではありえない。問うことはそれに対して自らが答えそして常にあらたな問いを抽出していくためのものだからだ。

 問いは創造されてはじめて存在するようになり、それがさらにあらたな問いを創造していく。そして問いが正確なものとなったときそれは同時にある必然性をもった答えを伴ったものとなる。

 

 

 

風のトポスノート 156

選挙


1999.4.5

 県議会議員選挙など、各地で選挙の季節がやってきた。

 名前とお願いの連呼。○○○○、○○○○、○○○○が最後の最後のお願いに参りました云々。票をくれ票をくれ票をくれの大合唱。ほとんどがそれだけで内容がないどころか、ただうるさくて迷惑なだけの選挙活動。

 けれど、そうした選挙のスタイルは、おそらくは最も大多数の人の在り方を反映しているのだろうと思う。だからいちがいにそれをばかばかしいということはできない。バカなのは議員さん方やその周辺のひとだけではない。そうした人を当選させている多くの人たちこそバカなのだ。もちろん選挙を棄権するのはもっとバカだ。投票する人がいなければ白票を投じればいい。それさえしないでいるならばバカ以下でしかない。

 マスコミがバカなのも、それを消費する人たちがそれをバックアップしているからこそそのバカが拡大しているにすぎない。商品はそれをだれも購入しなければ作られることはなくなる。作られ続けるのはそれを購入する人がたくさんいるからだというだれにでもわかっている原則を再確認する必要があるだろう。テレビや週刊誌がゴシップや誹謗中傷に満ちているのもそれを消費したがっているバカがたくさんいるからにすぎない。それを消費する気がなくなるまでそうしたバカはなくならない。

 なぜ差別がなくならないのだろうか。それは単純になことで、差別したい人がたくさんいるからだ。差別したいというのはどういうことだろうか。それはひとよりも自分がすぐれているということをできるだけ効率よいかたちで思いこむためではないだろうか。効率のよさでは、人種や性別や職業などが群を抜くのは当然のこと。天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず。それはあたりまえのことだけれど、それをあたりまえのことにしてしまうと困る人がいるということなのだ。

 もちろん努力する人とそうすることをしない人とがいる。そして人は自分の歩んだぶんだけ成長できる。けれどそれは自分が以前よりも歩みを進めることができたということであって自由ということが自らの由を実現するためのものであるように人との比較によってだれかより上に位置するということではない。人との比較によって自分の位置をさだめようとすることによって差別ということが生じてくる。エリート主義のようなものもそのひとつ。自分はやはり特別な存在なのだ。けれど決してだれもが特別な存在なのだということは認めたくない。

 世の中の多くは、ひとにぎりのエリートとそれを担ぐひとだといえる。タレントとファンというのもそのバリエーション。ひとにぎりの特別な人とその価値にすがる人たち。政治家が、教祖が、アイドルが、生産されつづけている。蟻塚のような集団意識とその内部と外部という境界分けによる特権意識。

 この世紀末、果たしてそういう在り方を脱することはできるのだろうか。自由なネットワークによる新たな共同体は可能なのだろうか。少なくとも、票をくれ票をくれ票をくれのはた迷惑な大合唱で選挙するような在り方が続くかぎり、マスコミは多くの人たちの刹那的な欲望を吸い上げ、興味本位のゴシップや誹謗中傷を垂れ流し続けることだろうし、その背景にある差別意識やルサンチマンは消え去らないだろう。やはり、まずは集団意識やそこでの上下意識を離れ、自分で考えるということから始める必要があるように思うが、果たして・・・。

 

 

 

風のトポスノート 157

クレオール


1999.4.10

 

 その点でわたしに心強く感じられたのは、作家の安部公房 が、すでに八十年代の半ば過ぎに雑誌『世界』で「クレオールの魂」という秀逸な「戦闘的」エッセイを書いていたことです。(…)それは今回琉球大学での集中講義の際、聴講生のひとりとしてお会いした同じ旧満州育ちの作家・澤地久枝さんの体験談と共鳴しているはずです。

 「姜さん、国家なんていざとなったらこれほどあてにならないものはないのよ。大切なのは個々人がどう生きるかだわ」。

 チャーミングに年齢を重ねつつ、それでいて幼子のような笑みを絶やさない尊敬する大家のずっしりと重い言葉と、次のような安部の言葉を重ね合わせながら、わたしは「クレオールの魂」が、日本という磁場から少しも浮つかずに屈折率を最大限に生かした宝石としてよみがえる様を見たような気がします。「「(クレオールは)すべてが母国から遠く、伝統の影が薄い、辺境の力学の産物だということだ。辺境における<異文化接触>で起きた現象なのである。・・・バイオ・プログラムとして言語を約束された人間が、こんな儀式過剰の世界に甘んじていられるわけがないだろう。外では最大規模にまで肥大した国家群が、辺境の隅々にまで監視の目を光らせ、異端の侵入を拒みつづけるつもりなら、伝統拒否者は足元の地面に穴を掘りはじめるだけの話である」。

(インターネット哲学アゴラ「文化」第3回クレオール 姜第5通信 姜尚中→中村雄二郎)

 「クレオール問題」には実に多くの側面がありますが、私の見るところ、一番重要なのは、「場所と主体」を含めて、これまでの「国家」や「国民」の概念を根本から問いなおしたことだと思うのです。いうまでもなくこの二つの概念は、実際にはフィクショナル(fictional)なもの、仮構的なものでありながら、人びとの思い入れによって容易に実体化されやすく、しかも、いまから考えてみると、「近代」世界の前提となっていたのですね。

(インターネット哲学アゴラ「文化」第3回クレオール 中村第5通信 中村雄二郎→姜尚中)

 ある地方紙のフリーペーパーで、アメリカ出身の英語教師が次のようなコラムを載せていた。「私は、人々が自国を愛したり国の象徴に敬意を払うのは当然のことだと思います。(…)なぜ国旗や国歌を正式に認めるのに法律が必要なのでしょうか。法律で定められていようがいまいが、日本人が日本を愛し、日本の国や国旗や国歌に対してどうして忠誠を誓ってはならないのか、私はわかりません。」

 このあまりの無邪気さが、現代でも成立しているということに驚かされてしまう。この当然のように語られることが、おそらくは、ある種の多くの人たちの無邪気さに共鳴してしまうであろうということ。でなければ、こういう種類の文章が何の抵抗もなく載せられてしまうということはまずありえないことのように思う。「私はわかりません」という表現は、むしろ「そういう無邪気さが私にはわかりません」と使われるべきところだろう。

 たとえば、日本の文化には素晴らしいところがたくさんあり、そこに秘められている高みを畏敬することはできるのだけれども、日本人であるからといって、まずはその文化の高みを継承しているわけではない。ある土地や学校の出身者に素晴らしい方がいるということはその方と同じ出身であるということで自分も素晴らしいということではない。そういう極めてあたりまえのことが、あたりまえのことでなくなってしまうのを私たちは日頃あまりにも目にしすぎている。

 「日本人が日本を愛し、日本の国や国旗や国歌に対して」「忠誠を誓」うというのは、いったいどういうことなのだろうか。このあまりの抽象化されたルーティーンな感情(あえて思考とは呼ぶまい)に対して、おそらくはどんな言葉も無力だろう。

 今回の「インターネット哲学アゴラ」では、「クレオール」。つまり、混成語や混交文化を意味するものがとりあげられている。それは、「国家」や「国民」の概念を問い直すための格好の契機になる概念だと思う。

 中村雄二郎氏は、こうした概念を「実際にはフィクショナル(fictional)なもの、仮構的なものでありながら、人びとの思い入れによって容易に実体化されやすく」云々と述べているが、そのフィクショナルが実体化されやすいのは、その実体化にある種の集合的な「力」が作用しているからだという気がする。澤地久枝さんの「大切なのは個々人がどう生きるかだわ」という言葉に比べ、無意識の深みから集合的に働く「力」はあまりにも大きく働いてしまう。

 さて、この日本という地場で今ほんのわずかではあるけれどもシュタイナーの精神科学がぼくのような日本人に影響しはじめている。「「(クレオールは)すべてが母国から遠く、伝統の影が薄い、辺境の力学の産物だということだ。辺境における<異文化接触>で起きた現象なのである。」という安部公房の言葉から、ひょっとしたら、それは、ぼくにとってはそうした「辺境における<異文化接触>」、クレオールとしてとらえることもできるのではないかという気がする。もちろんそれだけではただの現象であって深い意味を持ち得ないのだろうが、ただの「文化現象」ではなく「精神科学」であるというところに民族主義、国家主義的な発想からも単なるクレオールによる発想でもないまったく別のベクトルが導き出される可能性があるのではないかと思う。

 ともあれ、まず子供のような無邪気さが抽象化されてしまう次元から人はいちどエクソダスする必要があるのではないかと思う。そうして、そのエクソダスを自己目的化するのでもなく、また、ただ回帰するのでもないところから、別の道を見出そうとするプロセスが必要なのではないのだろうか。

 

 

 

風のトポスノート 158

世間の常識


1999.4.21

 

 例をあげればきりがないが、要するに世間の常識の実体は極めて曖昧模糊としたものであり、これこそが世間の常識だと箇条書きにして封印したものはどこにも存在しないということだ。

 世間の常識の実体はほぼ幻想に近いといってもいいくらいのものでしかない。ところがそんな世間の常識に日本人ほどマインドコントロールされている国民はいない。(…)

 なぜ日本人は、何かというと「世間の目がうるさい」と他人の気を使い、常日頃「世間体を気にする」のであろうか。また最低限「世間並みの暮らし」くらいはしたいと思い、できれば「世間的名声」を得たいと願うのであろうか。そして常識に反するようなことをしたら「世間の物笑いになる」からと「世間離れのした考え」を退けるのであろうか。(…)

 今の日本が金縛りにあった状態から抜け出せないでいる原因は、多くの日本人が、いつの間にか自分の考えを世間の思惑という亡霊に従属させてしまったことにあると私は見ている。

 なぜかというと、常識の枠内で物事を考えている限り、イノベーションは生まれないからである。

 ではどうしたらいいのか。

 解決策は一つしかない。

 それは一人ひとりが、世間の常識を自分の頭で吟味し、おかしいと思ったら世間の思惑から自由な立場で、自分の考え方、そして生き方を変えていくだけの勇気を持つことだ。

(今北純一「西洋の着想 東洋の着想」文春新書/平成11年4月20日)

 「世間」というのは幻想であるといってしまうのは簡単だ。けれど、その目に見えない「世間」は往々にして実体化する。いや「世間」というのは、常に私たちを集合的に規定しているといえる。

 逆にいえば、私たちは多く「世間」という海のなかを泳いでいて、その海がなければ泳ぐことさえできなくなっている。たしかにその海は幻想であって幻想さえもたなければ、そこを泳ぐ必要もないのだけれど、そのためにはその海に代わるものを自分の内に持っていなければならない。

 「世間」というバーチャルリアリティのなかで生きていると、それ以外のリアリティにリアリティを感じることが難しくなる。つまり、「世間」というものさしでしか何も測れなくなる。そのものさしに代わるものさしを自分でつくらなければならない。

 しかしそのものさしをもつということは、「世間」を生きている人のものさしと別のものさしをもつということだからそれはときとして、「世間」とは異次元の空間を生きることを意味する。

 「世間の常識」から離れたいと思うことは比較的たやすいし、多くの人が必ずしもすべてそれを肯定しているのではないのだけれど、「世間」とは異次元の空間を生きる勇気を持つのは難しい。しかも「世間」の「目」はなかなかに恐ろしい。「世間」は「みんな」がつくりだしているものだから、その「みんな」に逆らうことは「世間」における「死」でもあるからだ。「世間」は自分のなかにもあるから、そこからの「声」や「視線」は常にそれに反する者に「判決」を言い渡そうとする。

 「世間」という命綱にしがみついて生きているとその命綱から手を離してしまうことはまさに「死」の危険に身をさらすことになる。しかし手を離さなければ「世間」から自由になることはできない。

 スーフィーの話に、猿捕りの話がある。紐につないだ壺に猿のエサを入れておくと猿はその壺に手を突っ込んで取ろうとするのだけれど、そのエサをもったままでは壺の口につかえてしまう。紐につながれた壺に手をつっこんだまま、とらわれてしまう。逃げようと思えばエサをつかんだ手を離せばいいのだけれど、その手を離すことができずに、やがて猿捕りにつかまってしまう。

 「世間」というエサから手を離さないならば、やがて恐ろしい存在がやってきて捕まえられてしまう。さて、どちらが恐怖かという問題である。

 

 

 

風のトポスノート 159

痛みといじめ


1999.4.26

 

 いま日本の社会、とくに小・中学校に起きている大きな問題に、<いじめ>という問題がある。これは、起きるたびごとに関係者が反省したり、責任の所在が追求されているのに、一向に跡を絶たない。その原因については、偏差値教育・受験戦争による学校の非人間化や、教師のサラリーマン化・無責任化などがよく挙げられている。それらのことも無関係ではないだろうが、私の見るところでは、その本質的な原因は一口にいって、<痛み>についての訓練あるいは文化の喪失にある。

 昔からある諺に、《わが身をつねって人の痛さを知れ》というのがある。ここには、現在われわれがとかく忘れがちな、対人関係の要点が秘められている。他人への思いやりの原点が示されているのである。もちろん、<わが身をつねって>というのは、自分が痛みを感じることの端的な表現であり、痛みの感覚を通じて他人と結びつくことの出発点である。(…)

 いま、痛みへの思いやりこそが他人との結びつきの出発点になる、と言った。けれども、ここで結びつきの対象になるのは、実は必ずしも人間ばかりではない。対人関係・人間関係の感覚についての鈍化は、動物や昆虫の生命に対する感覚の鈍化にもつながる。近ごろの子供たちの間で、よくトンボや猫に残酷な仕打ちをする遊びが起きている。<自然にやさしい>などというそらぞらしいスローガンの背後に進行しているのは、痛みの感覚の鈍磨による自然や生命に対する感覚の鈍磨ではないだろうか。

 以前からこのようなことを考えてきたので、私は、麻酔学あるいは少なくとも麻酔処置というのがとても気になっていた。私の学問や科学についての考え方からすれば、麻酔学は科学や技術としてはすばらしく発達したとはいうものの、その分だけ部分化したのではないかという危惧があった。麻酔学は、感情といってもいい全体的な痛みを<感覚>として局所化・部分化した上で、脱感覚して大きな成果を挙げているからである。(…)

 痛みとは、果たしてただそれをなくし、解消させればいい<感覚>的な対象にすぎないのだろうか。むしろ、その基礎を生命の深部に持っており、ただ単に苦をもたらすだけではなく、快をも深める、根源的な<感情>なのではないだろうか。

(中村雄二郎「正念場〜不易と流行の間で〜」岩波新書/P32-34)

 シュタイナーのカルマ論に、「痛み」は私たちの「教育者」だと述べられています。「痛み」は、ルシファーの「悪の力」に対し、「善の力」が私たちに組み込んだものなのだといいいます。人が「痛み」を感じないとしたならば、ルシファーの誘惑に負けてしまうというのです。

 「痛み」をなくしてはならないとはいえないのでしょうが、あらゆる「痛み」を遠ざけてしまうことで人は根源的な何か、失ってしまってはならない何かをなくしてしまうことになるのではないでしょうか。

 まず、自らを「悪の力」に抵抗できるものにする「痛み」というプロセスから遠ざけることで、人は「善の力」を獲得する重要な契機を失ってしまうことになります。

 そして、「わが身をつね」ることをしないで、その「痛み」から得られる力を持ち得ない存在となることで、人は他人の「痛み」への共感を持つことができなくなります。

 「いじめ」をそのような観点から見直してみることはとても重要なことなのではないでしょうか。いじめられる人の気持ちになれない「いじめ」。いじめられる人の「痛み」が感じられないがゆえにどこまでも陰湿にエスカレートしてしまう「いじめ」。バーチャルリアリティの危険性もそこにあります。リセットできるゲームのような感覚を、実際の生きた関係のなかにも持ち込んでしまうわけです。

 「共苦」ということの重要性がそこには見られません。「やさしさ」というのは、人の「痛み」を自分のことのように感じ、「共苦」から「共同」への道を開くものであるはずなのに、ただの教条としての麻酔されたような「やさしさ」には、その可能性が閉ざされてしまうことになってしまいます。

 自分の「痛み」にしっかりと支えられたしなやかで強さをもった「やさしさ」こそが見直されていかなければならないのではないでしょうか。

 ニューエイジ系のセミナーでみられる「やさしさ」の多くには、そうした「痛み」を自らが引き受けようとする強さは希薄であらゆる「痛み」から遠ざかろうとするルシファー的な「やさしさ」の麻薬で人を麻痺させようとしているのではないかとさえ思えてしまうのです。

 

 

 

風のトポスノート 160

歳を重ねること


1999.5.17

 

おおぜいの親がなんとか上手に子供を育てているのは奇跡だよ。若い親ほど、子供を育てるのに不適切な人間はいない。それを誰よりもよく知っているのも若い親なのだがね。たいての親は、ほんの短い人生経験しかないまま、子育てをする。自分自身がろくに育ち終わっていなくて、答えを求め、鍵を探しているのに。

親はまだ自分自身を発見していないのに、自分よりもさらに傷つきやすい者を導き、発見の手引きをしようとする。自分自身が何者かを決めかねているのに、他者が何者かを決める行為に突進する。(…)

親はまだ自分が何者かを発見していないのに、子供が何者かを教えようとする。これを正しく教えようとするプレッシャーは実に大きい。しかもまだ、自分自身の人生を「正す」ことさえできていない。だから、何もかも間違ってしまう。自分の人生も子供たちの人生も。(…)

あなたのいる社会でいうと、もう育児期間が終わっているころに、子育ては始まるべきだ。

生物学的に見て、人間は自分が子供のうちに子供をつくることができる。驚くかもしれないが、生まれて40年、50年はまだ子供なのだよ。(…)

若い時代は真実を教えるためにではなく、真実を採集するためにある。自分がまだ採集できていない真実を、子供たちに教えられると思うかね。もちろん、できはしない。だから、自分が知っている真実だけを教えることになる。つまり、他者の真実だ。父親の真実、母親の真実、文化の真実、宗教の真実、何でもあるが、自分自身の真実はない。まだ、模索中だから。この地球上で半世紀近くを過ごすまで、あなたがたは自分自身の真実、自分自身についての考えを探し、経験し、発見し、失敗し、かたちづくり、つくり直す。

それから、ようやく自分自身の真実をつかみ、そのなかで落ち着く。ただ、あなたもたぶん納得するだろうが、最大の真実とは「固定した真実などはない」ということだ。真実は生命そのもののように変化し、成長し、進歩していく。自分の進歩のプロセスは終わったなどと考えても、そんなことはない。それどころか、そのときにやっと進歩が始まる。

(「神との対話3」サンマーク出版/P48-55)

 自分自身を見つけようとずっと苦闘してきたように思う。二十歳で成人式だというけれど、自分は成人にはほど遠いと思い、そういう式などには参加する気には到底なれなかった。そういえば、一応大学を卒業はしたが、卒業式には出る気になれなかった。卒業というのは、いったい何から卒業したというのだろう。そんなことを考えながら、学校の近くで友人とお茶を飲んでいた。

 あまりその気にはなれなかったが、なんとか食べていかなければならないし、いつまでもバーテンのアルバイトなどしていても仕方ないので、いちおう「社会人」になることになったが、どうにも「社会人」という意識はかぎりなく希薄だった。そもそも社会性などというのとも無縁だったのは確かだが、世の中の「そういうものだ」という「社会性」には馴染めなかったし、いまだに顰蹙を買うすれすれの「社会性」しかないように思う。

 ようやくほんの少しだけではあるが、溺れかけている状態から自分で少しは泳げるかなと思い始めたのは、もう35歳に近くなっていただろうか。もちろん、いまだに「自分自身の真実」をつかめているとは思えない。しかし少なくとも「自分自身の真実」へ近づこうという姿勢だけはなんとか持ち始めることができているのではないかと思っているところだ。

 だから、上記の引用にあるように、「生まれて40年、50年はまだ子供」だというのには、大きく頷いてしまう。もちろん人それぞれなのでいちがいにはいえないが、多かれ少なかれそうなのではないかという気がしている。

 そのことを考えてみると、親に限らず、教師の年齢にもかなり問題があるのかもしれないと思う。子供が子供を教えるというのもそれはそれでいいのかもしれないが、教えられるほうのことを考えてみるとそうともいえない。

 シュタイナーは、教師が子供に働きかける場合は、働きかけようとする構成要素より高次のものでなければならないという。つまり、肉体にはエーテル体が、エーテル体にはアストラル体が、アストラル体には自我が、自我には霊我が働きかける必要がある。しかし、そのためには、やはり教師が子供であるというのは非常に難しいのではないかと思う。

 それと、少しばかり歳を重ねてきて思うのは、60歳、70歳などの方のように、いちばんいろいろなことを落ち着いて理解し行動できるようになるであろうそういう歳になると、いろんなところから引退しなければならなくなるという不思議である。高齢化社会だとかいっているのだけれど、可能性としてみれば、真の意味での成熟した社会ということでもあるのではないだろうか。しかし現実には、恒例になると「老後」とかいうようなわけのわからない状態が多くの場合は用意されているにすぎない。

 歳を重ねることは成熟でなければならないと思う。そうでないとしたら、「善く生きている」とはいえないのではないか。逆にいえば、「善く生きる」ためには、歳を重ねるごとに知恵を深めていくことが必須ではないかと思う。

 「進歩のプロセス」は終わらない、終わるはずがない。終わったと思ったときに、まさに進歩ではなく退歩になる。

 


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