ポエジー・ノート

9 尾崎放哉


2002.7.7

 

                墓のうらに廻る
        
                せきをしてもひとり
 
                入れものが無い両手で受ける
 
                とかげの美しい色がある廃庭
        
                春の山のうしろから烟が出した
 
         これが、放哉のハイクの幾つかです。なんでしょうね。書き写していて、
        写しおえて、枯れているのにまだ生きている花の仕草か、消えたオーラに
        不図ふれる、……あるいは、その花の仕草に、こちら側が摘まれているよ
        うな、静かな、不思議な気配を感じていました。おそらくそれは、その一
        部は、「俳句」がその根にもっている「口承性ーー口伝えに、一呼吸一呼
        吸運ばれてきた、……」によるのでしょう。放哉の句、その、……思い切
        って、こう名付けましょう、その「口伝え性」のさらに消え入るようなと
        ころにまで、放哉の「俳句」の示す仕草は、及んでいるのだともいい得る
        のではないでしょうか。
         (吉増剛造「詩をポケットに」(上)
         NHKのカルチャーアワー・テキスト
         十二、絶えることなく差し出された手紙 ーー尾崎放哉/P155-156)
 
いわば、「絶句」したとき、
つまり言葉に飽いたというか、
言葉にすることに嫌悪感を覚えてしまうときなど、
少し前に手に入れた「尾崎放哉全句集」(春秋社)から
その句を口にしてみたくなったりもする。
 
絶句したときには、言葉から遠ざかるのもひとつの方策ではあるが、
ホメオパシー的な言葉の作用も無視できないのである。
 
尾崎放哉の句の言葉の少なさゆえに、
言葉がそこからあらわれてくる原初のところに
立ち会わせてくれる。
と同時に、言葉の少なさゆえに
その一呼吸に込められている潜在する言葉の多さや
意識されているものの地平のことが
ホログラムのように浮かび上がってくる。
 
ときに、ふとつぶやいた
もしくは目にしたただひとつのことばが
ぼくのなかにかぎりないものを
現出させてくれることがあったりもするが、
そういう不思議な時空の在り方が紡がれて
生み出された世界。
それは単純至極のように見えるが
そこにホメオパシー的にあらわれるものは
不思議な力をもって迫ってきたりもする。
 
はじめて尾崎放哉の句に出会ったときの困惑。
その困惑はその困惑のまま放置されながら
不思議な磁力でぼくをひきつけてやまない。
 
 


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