ポエジー・ノート

8 吉岡実


2002.6.16

 

                ………塔のなかは
                長いかいがらに長い貝の美体が入って
                いるように暗い
                                                                        (「螺旋形」)
         そこに入っているらしい、息を呑むように美しい宇宙の手ざわりを、
        わたくしは「がらんどう(からっぽ)」という響きも、ここにかさねて
        聞いていたのかもしれません。撫でる、剥く、嵌め込む、(壁を)踏ま
        える、………わたくしたちの身体意識から、いま喪われて行こうとして
        いる動作、仕草、これらの小動詞たちの、これまでして来た、「長い旅」。
        僅かに詩の領土の下底にだけ、忘れられかけた種として存在しつづける
        ことになるらしい影、ものたち。民俗学でいう、それら「生命指標」の、
        霊的と形容するしかない現われ、立ち上がり、その、それらのしてきた
        らしい、「長い旅」の経験の暗示、………等々。ここにこそ、吉岡実の
        半世紀に渉る詩作をとおして残された詩篇が語る、尽きせぬ富が、隠さ
        れて眠っているのだとわたくしは思います。
         (吉増剛造「詩をポケットに」(上)
         NHKのカルチャーアワー・テキスト
         十、美しい魂の汗の果物 ーー吉岡実I/P133)
 
吉増剛造の「詩をポケットに」の放送、今夜は吉岡実。
来週も引き続き吉岡実で、42年前のラジオ放送のテープで、
吉岡実の声もきくことができるらしい、ききのがせない。
 
吉岡実の詩を初めて読んだのは、他の多くの現代詩人もそうであるように、
思潮社の「現代詩文庫」で、この「現代詩文庫」の存在を知って、
それまでに味わったことのなかった言葉の湧き水を
次から次と読み進めていったのは、もう25年近く前のことになる。
 
天沢退二郎、北川透、金井美恵子、岩成達也、そして
入沢康夫に、この吉岡実。
とりわけ、入沢康夫と吉岡実の存在は大きく、
その言葉の不思議な魔力には魅せられ続けることになった。
その吉岡実も、1990年、71歳で亡くなる。
 
吉岡実の言葉は、そのひとつひとつの言葉もそうなのだが、
それらが思いがけないしかたで組み合わせられ連続していくなかで、
不思議になまめかしい動きをみせる。
そしてその動きがどきりとするような肌ざわりを伴っている。
それは説明できるような世界ではないのだが、
その言葉を体験した人は、その肌ざわりを忘れることができないはずだ。
 
今夜その詩を久々に間近にして、
あらためて吉岡実の詩との邂逅を辿ってみようと思った。
久しぶりの現代詩文庫。
「断片・日記抄」のなかの昭和21年のところに、
思いがけず「ノヴァーリス」の文字を見つける。
これも偶然ではないのだろう。
 
        一月五日 村岡花子氏の家にゆき原稿もらってかえる。
        蒲田の闇市は人と物品の氾濫だ。鰯七匹十円。干柿五つ
        十円。飴五本十円、なんと恐ろしい世の中。<ノヴァー
        リス日記>をよむ。
 
ところで、最初に引用した「螺旋形」は、
『夏の宴』(1979年刊)に収められている。
全部で60行弱ほどの詩篇の冒頭に近い部分。
 
「塔のなか」は「長いかいがら」のようで
そこは「長い貝の美体が入って」いるように「暗い」という。
どんな「長い貝の美体」なのか想像してみるだけでも、
その「貝」のあやしい、
形而下的でありながら形而上的なありように
ぞくりとしてしまう。
 
実は、この螺旋形の塔は「監視する塔」で、
この詩の冒頭はこうである。
 
        アネモネの咲く庭で
        わたしは考える
        看守という職業の意味と形式を
        監視する塔のなかは
 
実際にこの詩を読み進めていくと、
さまざまなイメージが次から次へと押し寄せながら、
決してなにかに収斂するということはむずかしい。
 
にもかかわらず、だからこそ、読む者の想像力は
激しく激しく活動し続けていくことになる。
この詩のなかに引用されているこの言葉のように。
「想像力は死んだ
        想像せよ」
 
この詩の収められている『夏の宴』という詩集の冒頭には
「楽園」という詩が収められていて、
その冒頭にこうあるように、
この詩集から、吉岡実は引用を多用するようになる。
 
        私はそれを引用する
        他人の言葉でも引用されたものは
        すでに黄金化する
 
これによって吉岡実の詩の言葉は
詩の時空をますます多次元化するようになる。
すでにオフサイド的なタブーは存在しない。
すべては「黄金化」していくことになる。
 
ふと思ったのだけれど、
先の詩の「塔」を「詩」に代えてみる。
すると、
 
                ………詩のなかは
                長いかいがらに長い貝の美体が入って
                いるように暗い
 
となる。
ひょっとしたら、その「長い貝の美体」とは
「引用」でもあるのかもしれない。
しかし、それはすでに「暗」くはない。
あやしい色と香りに満ちていたりもする。
 
………ともあれ、
来週の「詩をポケットに」の放送で、
吉岡実の若き声をきくのが楽しみ。
 


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