『物語を生きる』ノート

1●もの
2●天皇
3●匂と韻
4●ゲニウス・ロキの変容と復活
5●個性化への道
6●対立物の合一

*このノートは、河合隼雄『物語を生きる』(小学館/2002.1.1発行)からいくつか抜き出したテーマをめぐるノートです。なお、これは、「風のトポス・ノートの366,368-372」にあたります。

 

 

「物語を生きる」ノート1

もの


2001.12.31

 
         「物語」という「もの」は、いったいどのような意味をもっているのだ
        ろう。これに対しては、折口信夫の「ものは霊(モノ)であり、神に似て
        階級の低い、庶物の聖霊を指した語である」によってえ、「もののけ」の
        「もの」と考えられるようである。このような考えを背景に、梅原猛は
        「『ものがたり』というのは『もの』が『語る』話なのである」と述べて
        いる。
         「もの」が霊である、というのは面白い発想である。現代人は「もの」
        と言えば「物質」と思うのではないだろうか。と言っても現代人も、相当
        広い範囲で、この「もの」という言葉を使っている。「ものごころ」、
        「ものになる」などと言うし、「そんなものじゃない」と怒るときもある。
        あるいは、単に「知りたい」と言わずに「知りたいものだ」などと、「も
        の」をつけて表現する。これに、古語の用例も加えると、実にものすごい
        範囲をカバーして、「もの」という語が存在していることがわかる。かつ
        て哲学者の市川浩が、「み」という語を丹念に調べ、それが「身体」を表
        わすのみならず、それを超えて、心や魂まで含む、実に広い範囲に及ぶ用
        語であることを明らかにした。「もの」は「み」に匹敵する言葉と言える
        だろう。
         「もの」は従って、物質のみならず人間の心、それを超えて霊というと
        ころまで及ぶ、と考えられる。その上、梅原猛は、物語というのは「『も
        の』が『もの』について語る」と述べているが、これも「誰かの『もの』
        について語る」という考えも成り立つわけで、拡大解釈をしていくと、
        「物語」というのは、実に多くのことを含んでいる。
        (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P18-19)
 
「もの」が霊である、というのは、まさにそのことばどおりで、
「もの」を物質だととらえるときにも、
物質は霊的なもののひとつの特殊な表現であるとしてとらえなければ、
おそらくは決して物質とは何ががわからなくなってくるのではないだろうか。
 
それはまさに「身」についてもいえることで、
単に身体を物質としての肉体としてのみとらえてしまうときに、
いかにそれらが貧しいとらえ方しかできないか、ということがわかる。
(市川浩の『身体論集成』/中村雄二郎編・岩波現代文庫が
先日ちょうど編集・刊行されたところなので、興味のある方は参照されたし)
シュタイナー的な観点からいっても、身体というのは、
肉体、エーテル体、アストラル体からなっていて、
そのなかで自我が働いているものとしてとらえられている。
 
「もののけ」にしても、
「もの」を即物的な意味での物質的な側面からとらえるのではなく、
そのさまざまなあらわれのなかでとらえていくことで、
それが「もの」の「化」としてとらえることもできるのかもしれない。
 
実際、日本では、なぜか、さまざまなものを供養することが行なわれていて、
それはいわゆる生命のあるものだけにかぎらず、
人形や針などのようなものをも供養されているように、
「もの」つまり「霊」は、あらゆるものに宿っている
と思われているところがある。
 
大物主という神も存在していたり、
山や岩などが御神体になっていたりするように、
「物」「もの」というのは、
むしろ神々の顕現したひとつの姿であるように
古代においてはとらえられていたのではないだろうか。
それはおそらくシュタイナーが、
第一ヒエラルキアが物質に働きかけているということを
示唆していることに通じていることのように思われたりもする。
つまり、大地は神々の身体のひとつの現われでもあり、
もちろんのこと、私たちの身体そのものも、また
そのひとつであるとしてとらえることもできる。
 
その「もの」が語る。
「もの」が即物的になってしまったとき、
やはり物語もそれに応じて貧困にならざるをえないだろうが、
「もの」の働きを多次元的にとらえていくことによって、
その「物語」もまたそれなりの広がりを得ることができるだろうし、
その「もの」が私たちに働きかける仕方も
それに応じた広がりを見せてくれるのではないだろうか。
 
しかし、「そういうものだ」というとき、
ひとは「もの」に屈服させられている。
というより、むしろ「もの」を閉じ込め貶めている。
そうではなくて、「もの」のはたらきを
さまざまなところで真にとらえようとし、
「もの」が「語る」のをききとることで、
それらを解放していくことができるのではないだろうか。
それは、「もの」としてこの地上に現われている
私たちそのものの解放であるということもできるだろう。

 

 

 

「物語を生きる」ノート2

天皇


2002.1.8

 
         (王朝時代)において、最も実際的な権力を握っているのは、天皇の外
        祖父であった。天皇ではなかった。これが摂関政治の特徴と言えるかもし
        れない。天皇は形式的には最高の地位であったが、それより偉いのが天皇
        の母である。国母と呼ばれた。そして面白いことに、国母の父親、つまり
        天皇の外祖父が一番偉いのである。これは、完全な父兄による権力の授受
        の構造とまったく異なっている。そのような考えに従うと、父ー息子とい
        う軸が最も大切で、ここには男性のみの系列があり、女性の入り込む余地
        はない。
         これに対して、日本では父ー娘、母ー息子という軸がうまく重なって、
        祖父ー母ー息子という三幅対が重視される。このために、平安時代の権力
        者は最高位を狙うためには、まず素晴らしい娘をもつこと、その娘を天皇
        に差し出し、そこに男の子が生まれることが前提条件となる。その男の子
        が天皇になれば、万事めでたしということになる。
        (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P55-56)
 
藤原氏の摂関政治の背景には、
天皇の外祖父であるということがあった、
(自分の娘に天皇の子どもを生ませるということ)
ということは日本史には必ず出てくるが、
それがどういうことであるのかについては、
以前からよくわからなかったのだけれど、
その背景には血の継承としての母系の発想があったのだ、
ということに気づいたのは、神武天皇以後、
その皇后が饒速日系であることを知ってからのことだった。
つまり、次のようなこと。
 
        「『古事記』の神武紀に、神武天皇の皇后は美和之大物主神の娘、伊須気
        余理比賣(イスキヨリヒメ)」だとある。桜井市の三輪神社には大物主が
        祀られてある。ここでの大物主の名前は、大物主櫛甕玉命となってるんだ。
        櫛甕玉とは饒速日系をさす。籠神社の祭神が天照国照彦火明櫛甕玉饒速日
        命とあるようにな。つまりな、饒速日は大和朝廷の女系の皇祖神となるん
        だ。そしてその後九代開化天皇までの皇后が、饒速日の血縁から上がって
        くる。そしてその後も饒速日の神裔氏族出身の皇后から生まれた皇子のみ
        が、皇位継承権を持つ皇太子となった。これが古代天皇の実態だ。つまり、
        饒速日の母系が重要なんだ」
       ( 中山市朗・木原浩勝『捜聖記』角川書店/P424)
 
この天皇の皇后ということには、おそらく深い意味があって、
皇后であるということは、いわば神託を受ける巫女であり、
その巫女の託宣を聴いて、天皇は政を行なっていた、
ということがあったようである。
それは、古代の次のような政の形態を受けて
そうした形になっていたのではなないかと推察される。
 
        『古事記』の中に出てくる国々は、先程の吉備津彦や吉備津媛のほかに、
        例えば、宇佐神宮の所には宇佐津彦と宇佐津比売という二人の男女の君主
        がいますし、薩摩の方には鹿葦津彦と鹿葦津媛という二人の男女の君主が
        政をやっております。ですから『古事記』に収録された時代は、日本列島
        の中のたくさんの国が男と女と二人の君主を戴く国家組織を持っていたろ
        うと思われますが、その人達はどのようにして国を治めていたかというと、
        妹である巫女が、自分達の部族が一番大事に思っている神様に祈って、そ
        の神様の託宣を聴いて兄に伝え、その兄がその神様の思召しの通りに政を
        して国を治めていた、そういう形であったろうと思われます。
        (綛野和子『日本文化の源流をたずねて』
         慶應義塾大学出版会/2000.4.10発行/P62)
 
皇室に女性ばかりが誕生している昨今、
女性の天皇の可能性ということが公に語られるようになっているが、
面白いことに、天皇の興味深い発言があった。
桓武天皇が百済から皇后を迎えたということから、
韓国と皇室との深い関係を感じる、という趣旨だったと思う。
 
皇室は、百済系及び新羅系の渡来人であって、
そのふたつの系列の争いが日本の歴史では
深い潮流を形づくっているというのは、
いわば公然の秘密のようなものになっている感もあるにしても、
その発言はかなり注目してもいいのではないかと思われる。
 
女性の天皇ということにしても、
男女平等だからかまわないじゃないか、
というのが、一般の意見なのかもしれないが、
ひょっとしたらそのことや先の韓国との関係や
そうしたことが示唆しているのは、
天皇のシステムそのものが
古代のそれをも射程におきながら、
ある意味で新たな在り方へと変容しようとしているのではないか。
そういうことを感じている昨今である。

 

 

「物語を生きる」ノート3

匂と韻


2002.1.11

 
         王朝物語には、多くの美男、美女が出てきて、その様子が語られる。そ
        の美しさの形容に「にほひ」が用いられるのは、注目に値する。「にほひ
        やか」という形容詞がある。われわれの子どもの頃は、まだ「にほやか」
        という言葉が生きていたと思うが、今では、おれが美しい女性の形容と知
        る若い人は少ないのではなかろうか。そもそも「にほやかな娘さん」があ
        まりいないのかも知れぬ。「にほひ」は、もともと赤(丹)などのあざや
        かな色が美しく映えることを意味しており、それが転じて、嗅覚で感じる
        「匂」の意味になったようだが、ともかく美しさの形容詞と、嗅覚が結び
        ついている事実は興味深い。
         中国人の日本文学研究者、朱捷は、これに関して次のような指摘をして
        いる。『源氏物語』に、源氏が女性たちについて述べる際に、女三宮は
        「にほひやかなる方は後れて」、明石の女御は「いますこしにほひ加はり
        て」、紫の上は「にほひ満ちたる心地して」と、「にほひ」を連発してい
        る。ところで『源氏物語』の中国訳においては、これらの場面の「にほひ」
        は、「艶麗」、「美麗」などと訳されている。中国語には嗅覚と共通する
        美の形容詞がないからである。ところが、中国では女性の美しさの形容に
        は、聴覚と結びついた「韻」の字を用いるという。「天姿風韻」という言
        葉は、女性の美しい姿(天姿)と、そこから漂う雰囲気としての風韻が大
        切と考える。確かに「にほひ」も、美しい姿そのものよりも、そこから漂
        い出してくる感じを表わす言葉である。
         (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P84-85)
 
昨年秋、ちょうど、
朱捷『においとひびき』(白水社/2001.9.20発行)を
興味深く読んだところだったので、
上記引用にある河合隼雄の示唆に驚いた。
 
『においとひびき』には、副題として
「日本と中国の美意識をたずねて」とあるが、
日本が「匂」であるのに対して、
中国が「韻」であるというように、
その美意識がなぜ異なっているのだろうか。
それをまとめてあるところを引いてみる。
 
         源氏物語にみるように、人物を「にほい」でたたえるのは、その人の
        色香、生命力の生々しさや美しさを羨望し、謳歌することである。
         いっぽう、中国語のひびき、「韻」は、調和された音のことである。
        古代中国人の考えた究極の調和した音は、宇宙の「大始」ーー生きとし
        生ける存在の母胎、本源にある。したがって、それはありとあらゆる存
        在を存在たらしめる宇宙のリズムである。
         こうした「ひびき」でもって醸成された人物像には、あの荘子のいう
        「物を自由に駆使しながら物に使役されない」意志が感じられる。…
         すでにみたように、人物評価にもちいられる「韻」はつねに、世俗の
        倫理や価値観、人情などの束縛を受けない自由闊達なイメージを伴って
        いる。人間に「韻」を求め、「韻」の評価を与えるとき、中国人はそこ
        に、あらゆる束縛から自由になることの憧憬を投影している。…
         ひるがえって、日本人が「にほい」で人間をたたえるとき、そこには
        超脱やあらゆる束縛から自由になることへの憧憬などとは異質な美学が
        生きている。薫にとってにほいのすくない男と見られるのは耐えられな
        いことだったことからもわかるように、「にほい」はなによりもまず異
        性の存在を前提にしているため、孤高なものではありえない。そのうえ、
        もともと「にほい」ということばが生命への神秘への感動に由来してい
        るから、「にほい」には、人間存在そのものの不自由さを意識して超脱
        や究極の自由を求めることよりも、授かった生命を美しく生きようとす
        る美意識が強く感じられるのである。
        (朱捷『においとひびき』P214-215)
 
そういえば、日本では
「あらゆる束縛から自由になることの憧憬」とかいうよりも、
移ろひや無常観のほうがポピュラーで、
「にほい」ではないが、それと近しいと思われる
「色」の移ろひを美学にしてしまうところがあるようだ。
花のいろはうつりにけりないたづらに・・・。
 
シュタイナーの十二感覚でいうと
(アルバート・ズスマンの『魂の扉・十二感覚』を参考に)
嗅覚は、魂の感覚、聴覚は霊的感覚である。
(ちなみに、魂の感覚には嗅覚のほかに、味覚、視覚、熱感覚があり、
霊的感覚には聴覚のほかに、言語感覚、思考感覚、自我感覚がある)
日本人は、どちらかというと、
思想的というよりも、生命的で、
そこらへんにもよくあらわれているのかもしれない。
 
ぼく自身はどうだろうと思い返してみると、
けっこう「匂い」にはこだわるほうなのだけれども、
「聴く」ことにも同じくらいこだわるほうだし、
無常観はぼくのなかのベースにありながらも、
「あらゆる束縛から自由になることの憧憬」は人一倍あるので、
日本と中国の折衷のような指向があるような・・・。
 
しかし、日本には香道というのがあるように、
非常に原初的な感覚が洗練されたかたちで継承されているようで、
そうしたことを物語のなかなどにも見ていくと、
見えてくるものもあるように思う。

 

 

「物語を生きる」ノート4

ゲニウス・ロキの変容と復活


2002.1.12

 
         物語において、特定の場所が大きい意味をもつことがある。それは、そ
        の場所自体が何らかの重要な特性をもっているようにさえ感じさせられる。
         たとえば、『源氏物語』では、宇治という場所が大切な役割をもってい
        る。京都において、多くの物語が生まれるのだが、宇治の生み出してくる
        物語は、それとは異なる意味合いをもっている。
         特定の意味をもつ場所、トポスという考えは、近代になって個人を中心
        とする考えが強くなるにつれて、急激に薄れていった。個人の在り方、性
        格が大切であり、それがあちこちと場所を移動しようとも、中心的性格は
        変わらない、と考える。ある人物が、ある場所において、何かを感じると
        しても、それは、あくまでその個人の感じることである、と考えられる。
        これに対して、トポスの考えを重視する者にとっては、その場所そのもの
        が、何らかの性質をもつと感じられる。「ゲニウス・ロキgenusu loci」
        (「土地の精神」とでも言うべきか)の存在を信じるのである。近代にな
        るまでは、このような考えは、世界中あらゆるとところにあったと思われ
        る。従って、王朝時代の物語にトポスのことが大きく関わってくるのも、
        当然のことである。
        (…)
         近代は、そのような場所としてのゲニウス・ロキを殺してしまった。土
        地はまったく平板化されて、何も特別な精神や霊などと関連するものでは
        ないようになった。誰もが、どこへでも、好きなように行くことのできる
        「便利さ」を、われわれは獲得したが、何事にも犠牲はつきもので、それ
        はゲニウス・ロキの殺害という犠牲の上に成立していることを、われわれ
        は忘れてはならない。
         現在、アメリカでは、いろいろなワークショップをするときに、「リト
        リート」するのが流行である。人里離れたところに、何日間かすっこんで、
        精神的、心理的な体験をしようとするわけである。それは、なんとかして
        近代を乗り越えようとする努力の現われと見ることができる。たしかに、
        都会のなかでの集まりよりも、それは効果的であることは事実であるが、
        ゲニウス・ロキの大量殺害の後で、それら簡単に復活してくれるのだろう
        か、と思ったりもする。プレモダーンの知恵が、ポストモダーンをどれほ
        ど活性化してくれるのかはともかくとして、われわれは少しずつでも、こ
        のような努力を積み重ねていかねばならないだろう。
         そのような努力の一環として、トポスの知に満ちた物語を心をこめて読
        む、ということがある。主人公が住吉へ行く、というのを、単純に人間の
        移動として読まず、その意味を十分に味わうことが必要である。
         (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P152-154)
 
かつて、記憶は場所とともにあった。
その場所に行くことで人は記憶を呼び覚ますことができた。
記念碑が建っているのも、その場所と記憶の深い関係を表わしているといえる。
 
やがて、その記憶は内面化されることができるようになる。
その場所にいかなくても、その記憶を取り出してくることができる。
ある意味ではそれはその場所に結びついていた精霊を殺害することにもなった。
殺害された精霊達を私たちは私たちの内に持つようになったのかもしれない。
内面化というのは、おそらくは自らの外なるものを殺し、
私たちの内なるものに固定化させることでもあったのだ。
私たちの内面には、ゲニウス・ロキたちの死骸が踊っている。
 
ゲニウス・ロキは、土地の精神というよりも、
地霊と訳したほうがその意味が理解しやすいかもしれない。
その場所で人は精霊達の声をきくことができ、
そこにはさまざまな意味深い物語があった。
言葉もその土地の精霊達とともにあったのだろう。
 
しかしやがて言葉は文字として記録されるようにさえなる。
それは魔術、おそらくは強力な黒魔術でもあった。
その魔術はゲニウス・ロキの殺害に拍車をかけた。
思考もそうした魔術の影響を受けて
死を担ったものになっていった。
 
その死は復活を待たねばならない。
その復活は物語の復権でもある。
私たちはみずから物語をつくらなければならない。
恣意的につくりあげる物語ではなく、
私たちの内に横たわっている死骸達を
生き生きと復活させることのできる、そんな物語。
その物語を持ち得たとき、
人は復活したゲニウス・ロキとなることができる。
癒やしというのも、その復活と深く結びつかなければならないだろう。
そのとき、「もの」が変容して復活するのだ。
 
この「トポス」も、そんな「もの」の変容と復活のための場所でありたい。
電子ネットワークというのは、そのままではゾンビの跳梁する
仮想現実時空でしかないが、
かつて殺害されたゲニウス・ロキを変容させる可能性、
魔術をかけられた「もの」を脱魔術化すると同時に
それを新たに復活させることにむけて使うこともできるのではないか。
それは、それまで呪縛されていた時空からの自由の可能性でもある。

 

 

「物語を生きる」ノート5

個性化への道


2002.1.12

 
 
         両立し難いものを両立させるイメージを創出し、異次元の高さを表現す
        ることは、人類がそれぞれの文化のなかで成し遂げてきたことである。キ
        リスト教文化圏では、娘と母の両立(性的体験なしでの)するイメージと
        して聖母マリアをもった。これは女性の理想像として強い力をもったが、
        女性が自分の性を考えるときには、まったく無力な象徴であった。(…)
         妻と娼との両立をはかったイメージとして聖娼がある。それは誰をも受
        け入れ、誰とも交わるが、誰にも従属しない。浮舟が妻と娼との葛藤に悩
        み、それを超えるためには、聖娼の儀式と同様に、死と再生の体験をする
        必要があった。再生した彼女は「出家」をすることになるが、それは藤壺
        や女三の宮の経験した「出家」とは次元を異にしていた。彼女は男性との
        関係を深く体験し、苦しんだ末に、男性にまったく従属しない女性の生き
        方を見出したのである。個として生きる(one for herself)道は、もち
        ろん孤独である。しかし、それは関係を切り捨てたあげくの孤独ではなく、
        関係を深めたあげくに知ったものであり、誰とも関係がないといっても、
        あるといってもよかった。紫式部は自分の個性化の道を歩む上で、まず光
        源氏という男性像を設定することによって自分の心のなかの女性像を明ら
        かにし、ついで、匂宮と薫という分裂を共に体験し苦悩する浮舟のイメー
        ジを提示した上で、男性によらない個として彼女のイメージの完成へと向
        かったのである。(…)
         紫式部は自分の到達した世界が、当時の男たちには理解不能であること
        を示して、彼女の長い物語を締めくくっている。
         (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P202-204)
 
河合隼雄さんの『紫マンダラ』は、
現代の女性の「個性化」の極北を示唆したものとして注目に値する論考である。
 
これはもちろん、女性だけの「個性化」を意味しているのではなく、
男女、同性愛者を問わず、すべての人の「個性化」、
つまりは、女性性と男性性の錬金術的な統合の
ひとつのガイドとなる「マンダラ」なのではないかと思う。
 
この「マンダラ」の素晴らしいのは、
「マンダラ」というだけあって、
排除型ではなく、まさに統合であるというところである。
 
どうしても自分に異質なところというのは
自分をどこかの部分に純化させ矛盾を排除することで
安心を得ようという傾向は世の常なのだけれど、
娘や母や妻や娼といった枠のなかのひとつを選択するのではなく、
孤独に「個として生きる道」を歩むことによって、
「関係」を超えた魂の統合が可能になる。
 
そうした在り方は、紫式部の時代ではもちろんのこと、
現代の日本においても、ほとんどの場合理解不能のまま、
男女問わず、多くが自分をどこかの役割に規定し自足することで、
自分のアイデンティティを得ようとしているように見える。
男女別姓の議論にしても、別姓にすることで、
自分のそれまでの「家」の性を名乗るだけのことにすぎず、
そうしたことで「個性化」がはかれるとは思えない。
 
さて、今日のラジオドイツ語講座の応用編のテーマは「ドイツのイスラム女性」。
ドイツに移住してきた伝統的な考え方をするイスラム教徒も
第一世代から第二・第三世代のイスラム女性になってくるに従い、
二つの文化の間で引き裂かれるようになってきているというものだった。
伝統的なイスラム文化においては、
内的な女性性、男性性の自覚とかいうのは
ほとんど問題になりさえしなかったのかもしれないが、
ドイツの労働力不足に伴って多くのイスラム教徒などが移住してくることで、
そうした問題に直面せざるをえなくなってきているのではないだろうか。
 
おそらく、昨今ともにイスラム圏に注目が集まり、
混乱がさらに拡がっているところがあるのも、
そのイスラム圏において、そうした「個性化」の道が
もっとも閉ざされているとうことがあるのではないだろうか。
混乱は今後ますます大きくなるだろうが、
大きな「マンダラ」を描くためにはその道は歩まれなければならないのだろう。

 

 

「物語を生きる」ノート6

対立物の合一


2002.1.12

 
         自分の心のなかを考えるとき、多くの人はそのなかに対立や葛藤の存在
        することに気づくだろう。それはわかりやすい形で、善人と悪人の対立と
        して感じられるときもある。その対立の結果、どちらが勝つかによって、
        行動はまったく異なってくる。あるいは、自分の心のなかんに父親の系統
        から得たものと、母親の系統から得たものとの対立を感じるときもある。
        心のなかの対立があまりにも強くなると「分裂」の危機が訪れる。これは、
        どうしても避けねばならない。「対立物の合一」ということは、人間にと
        って永遠の課題である。
         (河合隼雄『物語を生きる』小学館/2002.1.1発行/P246)
 
人は矛盾存在であるといえる。
逆にいえば、矛盾しない人はもはや人ではない。
 
人であるということは、
その内に常にダイナミズムを抱えているということであり、
そのダイナミズムの根源には矛盾がある。
 
努力する限り人は迷うものだ、
というゲーテの言葉はそのことを表わしているともいえる。
 
人はマンダラである。
マンダラにはさまざまな領域があり、
領域そのものはある意味で常に対立しあっている。
それらの領域が統合されることで、
人の「個性化」が完成されるのだが、その完成は
決して終わることのない持続する変容そのもののことでもある。
 
あるひとつの矛盾がクローズアップされると、
人はそのことで苦しみ悩む。
その矛盾から逃避したいとさえ思う。
しかし、その矛盾は表面意識の自分の知らぬところで、
自分が自分に仕掛けているものでもある。
ゆえにそれは避けることができない。
避けては先に進めない。
ときにはその矛盾の前で狂わんばかりにさえなる。
 
矛盾が矛盾であるということは、
その矛盾を矛盾としてとらえている自分がいて、
その矛盾を統合していくためには、
その今の自分では不可能になる。
自分そのものを変容させざるをえない。
 
イモムシが空をとぶためには、
卵から幼虫へ、幼虫から蛹へ、
そして蛹から成虫へという
幾度もの変態を経る必要があるように、
みずからの存在様態を変容させていくプロセスが必要になる。
卵の自分がいきなり羽をはやすことはできない。
いきなりそうしようとしてもそれは死を意味することになる。
そこに認識力が必要になる。
 
その矛盾、対立を統合するためには
自分はいったいどのように変容しなければならないのだろう。
どのようなプロセスが求められるのだろう。
そのようにして「対立物の合一」を
みずからの課題にしていなかなければならない。
 

 


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