風のメモワール98

阿久悠


2008.11.13

NHK知るを楽しむ「私のこだわり人物伝」(2008年11月)に
「阿久悠」がとりあげられていた。
ぼくがいわゆる歌謡曲の影響を受けたのが
1960年代の後半から1970年代にかけてのことだったので、
阿久悠の生み出す「詞」には少なからず影響を受けているはずである。

この放送の第1回目は、秋元康で、ぼくとかなり近い世代。
「僕が阿久さんの詞に衝撃を受けたのは、高校二年のときです。
・・・そこで出会ったのが、阿久さんの『ざんげの値打ちもない』です」
北原ミレイの歌う『ざんげの値打ちもない』には
ぼくも強く印象を受けているが、これが1970年のこと。
1970年といえば、ぼくが中学1年のことだから、
1956年生まれの秋元康は、かなり後になってこの曲を聞いたことになる。
ぼくは小学校から中学校までほとんどテレビばかり見ていたところがあって
中学生のころはそれにラジオが加わっていたので、
そのぶん、そうしたメディアから、
ぼくはずいぶん影響を受けているのだろうなとあらためて思う。

ふと思ったのだけれど、
こうして時代のなかでリアルタイムで
こうした歌を受容することで、
ぼくはぼくなりの感覚や感情、思考などのかたちを
つくってきているのだろうけれど、
そうした同じ歌にしても、
たとえばこの『ざんげの値打ちもない』を
100年後に聴いた人がいたとしたら
どんなふうに聞こえるのだろうか。
すでに、今若い人がはじめてこの歌を聴いたとしたら、
同時代からはすでに38年経っていることになる。
どんな感じで聴いているのだろう。

昨年、阿久悠が亡くなってから、
その仕事や人物などについていろいろ語られ特集が組まれ
著書なども文庫化されたりもしているなかで
『なぜか売れなかったぼくの愛しい歌』(河出文庫)を面白く読んでいる。
収められている2つめの「歌」が、北原ミレイの
『棄てるものがあるうちはいい』という
『ざんげの値打ちもない』に続く第2作である。
作曲は2曲とも、村井邦彦。
それについて書かれた文章の最後にはこうあって笑ってしまった。

  さて、北原ミレイの「棄てるものがあるうちはいい」は、評判の割には
  売れなかったが、ぼくの好きな歌である。しかし、その次の三作目にさ
  らに過激な「何も死ぬことはないだろうに」を書くと、もうこれ以上暗
  いのはカンベンしてくれといわれた。

ざんげの値打ちもない→棄てるものがあるうちはいい→ 何も死ぬことはないだろ
うに
たしかにとても暗い。
もしカンベンしてくれといわれなかったら
その次はどうなっていたのだろうかと少しだけ気になる。

ところで、北原ミレイの『ざんげの値打ちもない』はほんとうにすばらしいけれ
ど、
『石狩挽歌』も個人的にはとっても好きな歌である。
しかし『石狩挽歌』がかかると思い出すのが、なぜか小林啓子の『比叡おろし』

とくに関連はないはずだけれど、おそらく同じ頃に聴いたからからなのだろう。

ところで、以前も書いたことがあるが、この『比叡おろし』は
松岡正剛の作詞作曲である。

  風は山から降りてくる
  ・・・
  うちは比叡おろしですねん
  あんさんの
  胸を雪にしてしまいますえ

「あんさんの・・・しまいますえ」と聴くと
ぞくっとしてしまう。
ぼくの深みにある無意識のなにがしかも
それにあわせてぞくっと動くのだろうか。