風のメモワール97

片付け


2008.11.12

ずいぶん寒くなってきたので、冬型の生活形態にシフトしなければと思っている
(早い話、ぼちぼちコタツをだそうと思っている)のに加えて、
このところ、ユングや神話関連の資料がどんどん増えてきているのあって、
根本的に部屋を片付ける必要に迫られている。

部屋を片付けるためには、きちんとした収納を考えなければならない。
ということは、部屋のレイアウトを見なおすと同時に、
押し入れの中を整理しなければならない。
・・・ということで、
なんとなく押し入れに入れているもののなかで、
不要なものを選別し棄てられるものは棄て、
必要なものはあらためて分類しなおし
できるだけ効率よく収納を考えようと苦心惨憺している。

世の中には、「片付けるのが苦手な人」ではなく、
「片付けられない人」というのがいるという話を聞く。
「ADHD(注意欠陥多動障害)」という
脳の障害があるというのである。
知能に問題があるのではなく、
脳内の神経伝達物質がうまく分泌されないために、
片付けようとすると、精神的に混乱してしまうという。
それで、整理整頓がうまくいかず、
忘れものや失くしものがしやすく、
締切や時間に遅れやすくくなる。
で、当然のごとく、ものごとに優先順位をつける、というか
カテゴリー分けなどのための判断ができない。
そういう状態になる。

まあ、「〜障害」という名前をつけて、
それを脳内の神経伝達物質のせいにしてしまえば、
たいていのことがそのせいになってしまうわけだけれど、
どんな人もそれなりの「苦手」や「不器用」なところはあって、
なんとかだましだましやらざるをえず、
必要なことは、時間がかかって人の何倍も苦労が必要かもしれないけれど、
少しでもカバーするように努力することで、
それが特殊すぎる能力でないかぎり、なんとかなることも多いとは思っている。
ぼくのような社会的不適応障害にしても、
何十年もかければ、少しはごまかせたりもする。
(たぶん、ぼくの場合も、社会的なことになると、
その関連の脳内の神経伝達物質がうまく分泌されないんだと思う。
まあ、はやい話が、あまり好きになれない類のことなのだ)

ともあれ、今目の前にあるぼくの課題は部屋を片付けること。
で、先のADHDの方ができないのが、
ものごとに優先順位をつけて、カテゴリー分けをきちんとすることなので、
要はそれを最優先事項としなければならないということだ。
広告の制作でいえば、コンセプトを明確にし、
それにもとづいて表現プランと実施計画をつくるということである。
それでいえば、スペースをいかにつくるかということと
そのために不要なものを選別、整理するということがまず必要だ。

しかし、それにしても部屋が狭い。
この部屋のなかにこれだけのモノがあるというのがそもそもの問題なのだが、
まるでパズルの問題を解いているようだ。

そのモノの主要なものが、本とCDとカセットテープ。
まず目を付けざるをえないのが、カセットテープ。
今やほとんど機能していない夥しいカセットテープを
半分にするだけでも片付けがはかどる。
収納ケースの数だけでも減らせれば大きくスペースが空く。
さらに、やはり絶対的なスペースを占めている本を処分すること。
これはある程度割り切って古本屋にもっていくしかないだろうが、
この選別には悩んでしまうし、しまっておいた本のなかで
処分できそうなものを探しているだけで迷宮入りになってしまいかねない。
そこには、さまざまな思い出がつまってもいたりする。
とにかくやるしかない。
さらに、CD。
音楽だけではなく、データCD・DVDなどもやまのようにある。
まずは分類、そして処分可能なものは処分。
ケースを外してCD部分だけにできるものはファイル化していく。

そうしてある程度これくらいにはなるだろうということを想定して
収納場所やそのラックやケースなどの大まかなイメージを描いておく必要がある

必要なラックなどはやはり購入しなけば片付かないだろう。

いまやようやく、それらのほんのとっかかりの段階だけれど、
仕事といっしょで、こういうものは締切を決めておかなければ
決してはかどらないので、自分のなかでスケジュールを決める必要がある。
実施計画である。

はたして、今回のプロジェクトはどこまで成功するのだろうか・・・・。
はなはだ疑問ではあるのだけれど、
なんだかここ数年さぼっていたのが、
今回はなんとか少しはかかどりそうな気がしている。

面白いのだけれど、頭のなかの整理(思考のクリアな状態)と
外界の整理(部屋の整理整頓)というのは決して別物ではないように思う。
自分のなかの無意識を意識と結合するという意味でも、
こうした片付けにトライしてみることにしたい。