風のメモワール89

ル・クレジオ


2008.10.11

ノーベル文学賞が、ル・クレジオに決まったらしい。

ル・クレジオにはいろんな思い出がある。
ちょうど大学に入った頃、
集英社の文学全集に、ソレルスの『公園』といっしょに
『愛する大地』が入っていて、
今でもよく覚えているけれど、
読み始めたら止めることができず、
最後まで走り続けるように読み進めた。

その後、『調書』『発熱』『大洪水』『物質的恍惚』
そして『逃亡の書』『戦争』と、
その新鮮な言葉の魔力に引きずられるようにして読み進めたが、
その後は、思いついたときになんとなく読むくらいになっていた。
とはいえ、ル・クレジオの不思議な言葉の力には、
ずいぶん影響を受けたのではないかと思っている。

そういえば、『愛する大地』の収められていた集英社の文学全集には、
ずいぶん思い出深い作品がある。
とくに、ドノソの『夜のみだらな鳥』や
ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』などもあって、
この全集のおかげで知ることのできたいろんな作家と作品があった。

そういえば、現在刊行中の池沢夏樹個人編集による世界文学全集にも
ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』が全面改訳で収められている。
今もクッツェーの『鉄の時代』とかもちらほら読んでいるけれど、
かつてのような影響を受けることはもうないのかもしれない。

久しぶりに『愛する大地』をぱらぱらとめくってみている。
最初に読んだときのような印象はすでにないけれど、
その最後のシーンから受けた不思議な感動を思い出した。
それはこうである。
そういえば、おそらくこのシーンの影響で
ぼくの卒論の最後はこういう感じになっていたのかもしれないと今
思った。
それは、さあ、世界劇場へ、飛びだそう・・・というような感じ
だったのだ。

   読み終えて閉じた本、ほとんど閉じた本に向って、世界は絶えず波
  のように落ちかかり、絶えず擦り減らす。本の中にあるものは、結局
  のところ、本の外にあるものほど重要ではない。人の一生において、
  読書の一日がいったい何だろうか? 世界を蔽いつくしているなぐり
  書きすべての中で、一行の文章がいったい何だろうか? 一つの言葉、
  一つの太陽、一つの文明があるのではない。何百万という事物が、い
  たるところにあるのだ。別のところに、あなたの眼差の中に、詩があ
  るのではないか?
   あなたが読んできたこと、それをほんとうの意味で書いたのはぼく
  ではない。どうして証人になんか」なることができよう? ぼくは自
  分が何を演じているのかも知らない俳優にすぎぬ。ぼくがやったこと、
  それをぼくは、まるできつすぎる風の中の小蠅のように、行き当りば
  ったりにやったのだ。ぼくはこう言い、それからああ言った。ぼくは
  書いた、ピン、たばこ、パッション、苦しむ、ナイロン、種子、と。
  あなたは読みとった、ジッパー、独楽、美、女、シガレット、雲、と。
  精確な偶然が歩みを続けているのであり、一粒一粒の種子は、その種
  子だけのものである道を通って機械の中に落ち込んでいく。だがぼく
  はもう十分話した。今度は、あなたがゲームをする番だ。

調べてみたのだけれど、
今、ル・クレジオで日本語で手に入る作品は数少ない。
とくに、ぼくにとってとても魅力的な、上記に挙げた作品は当然のごとく絶版。
でも、ノーベル文学賞受賞作家ということで
(とはいえ、ノーベル文学賞とかいうのはどうでもいいわけだけれど)
今後、これまでの作品が復刊されて読みやすくなる可能性がでてくるかもしれない。