織田裕二主演のテレビドラマ『太陽と海の教室』の最終回のセリフから。
「壁はほんとうは壁なんかじゃないだよ。
鏡なんだ。君自身を映す鏡なんだ。君の敵は君なんだ。」
「これは僕からのお願いです。
君は君が思うように変わる。
君が思い描いた分だけ、君たちは大きくなれる。
どんな時代にあっても、世界中のどこにいても、
どうか、目の前にある鏡をしっかりと見て欲しい。
そして問いかけてほしい。
君は君らしくあるか、君は生きてるか、今を生きてるか、と」
「じゃあ、ここで君たちに問題を出します。
これから10年かけてこの問題を解いてほしい。
君たちがどんな答えを出すのか楽しみにしている。
名前ではなく、学歴や職業でもなく、性別や国籍でもなく、
君たちはだれだ」
「10年後」「君たちはだれだ」
むずかしい問いである。
このテレビドラマで問いかけられたのは18歳の生徒達。
10年後というと28歳になるけれど、
もし自分が18際のときに問いかけられたとしたら、
28歳になって答えられるとは思えないし、
むしろその頃にやっとかすかな問いにたどり着ければいいくらいだろうと思う。
そしてずっとそれを問い続けるしかないだろうとも思う。
ぼくの場合は、18歳から30年以上経ってようやくわかるのは
壁のようにみえるのは自分自身の鏡にほかならないことくらいだ。
でも最初からというか小さい頃からわかっていたのは
名前や学歴や職業や性別や国籍などが自分ではないということ。
それだけは物心ついたところからぼくのなかにしっかりとあった。
だからいわゆる世間的にはまったくお粗末な生き方になったかもしれないけれど
「ぼくはぼくだ」というのだけは今も変わらない。
今もしっかりおぼえているのだけれど、8歳か9歳のころだったろうか、
自分は自分なんだ自分以外の何者でもないんだと実感できた瞬間があった。
それはある意味とても誇らしげな瞬間でもあったように思う。
「今を生きているか」ということで思い出したセリフがある。
竹野内豊主演の映画『冷静と情熱のあいだ』のエンディングにちかいところで 流れるセリフ。
僕は過去をよみがえらせるのではなく
未来に期待するだけではなく
現在を響かせなければならない
ぼくは竹野内豊のぼそぼそと語る声がわりと好きで
たまにその声をずっと聴いていたくなるときがある。
お気に入りのシーンを繰り返しみたりもするのだけれど
この『冷静と情熱のあいだ』のいろんなセリフもそのひとつ。
現在を響かせる。
もちろん人から見て輝かしく響いているようにきこえる必要はない。
ぼくはぼくであること。
立ち止まらず、ぼくはぼくであることでありたいと思う。
村上春樹流にいえば日々を「ダンス、ダンス、ダンス」することでもあるだろうか。
ときには、情けなくあることもぼくがぼくであることなのだし。 |