このところ相変わらず、シュタイナーとユングを反復横跳びしてい る毎日。 
        あらためてふりかえってみると、手元には学生時代の 
        1977年5月号のエピステーメーの『C.G.ユング/元 型の心理学』や 
        1979年4月の現代思想・臨時増刊の『ユング』などもあったりして 
        ユングやフロイトなどにふれはじめたのは、高校〜大学の頃。 
        それにくらべてシュタイナーをはじめて読んだのは 
        その後、10年以上経った30歳頃のことになるわけで、 
        受容というのはおもしろいなあとあらためて思っている。
          学生時代にもそれはそれなりに文字を追うことだけは 
          なんとかやっていたと思うのだけれども、 
          なにかを理解するという行為は総合的な行為で、 
          今読み直してみると、その読み方の違いに驚いてしまう。 
        十数年ぶりに読み返している 
          ゲルハルト・ヴェーアの『ユングとシュタイナー』も 
          以前は何を読んでいた(気になっていた)のか驚くばかりである。 
          とくにユングの読み方というのは、シュタイナー以上に、 
          読み手のキャパシティに大きく影響されるところが大きいようにあ らためて思う。 
          やはりその点でいっても、歳をとらないとわからないことというのは、 
          とくにぼくのような凡人にはたくさんあるわけである。 
        さて、『ユングとシュタイナー』を書いているゲルハルト・ヴェー アのことを 
          ちょいと調べてみると、国際的なフリーライターであって、 
          ドイツ神秘主義の研究からユングにたどり着き、 
          ユングの評伝を何冊も書いたり、 
          シュタイナー関係の本を書いたりしていた人のようです。 
          (なんとなく、でちゃんとどういう人か調べてみたのははじめて) 
          で、すでに手元にあったシュタイナー関係と 
          古書店で格安で仕入れたユングものの邦訳などを挙げておくことに したい。 
        ◎『ユングとシュタイナー/対置と共観』(人智学出版社/ 1982) 
          ◎『シュタイナー教育入門』(人智学出版社/1983) 
          ◎『ユング伝』(創元社/1994) 
          ◎『C.G.ユング/記録でたどる人と思想』(青土社/ 1996) 
      ◎『評伝マイスター・エクハルト』(新評論社/1999)  |