自然農法の福岡正信さんが、この16日、95歳で亡くなった。
以前、松山に住んでいた頃、何度か近くでお顔を拝見する機会もあったが、
あのちょっと頑固でマイペース、
そしてちょっと茶目っ気のある顔が思い出される。
少し前(6月のことらしい)には、
画家・エッセイストの宮迫千鶴さんが亡くなった。
昨年は河合隼雄さんが亡くなってしまったが、
そういえば、先日、宮迫千鶴さんと河合隼雄さんの対談を読んだところだった。
そうそう、赤塚不二夫が亡くなったのも先日のことだった。
そういえば、影響をそれなりに受けて来た方が、
亡くなっていくことも多くなった。
雑誌の『考える人』の特集(2008年冬号)で
河合隼雄さんの追悼特集をやっていたけれど、
そのタイトルが「さようなら、こんにちは河合隼雄さん」だった。
その特集のはじめに、編集部からのこんなことばがあって印象に残っている。
私たちはこれからも、そのときどきで「河合隼雄」を発見するだろう。
だからいちどだけ、さようなら。そしてこれからもずっと、こんにちは。
この地球には何十億人もの方が同時代に住んでいる。
直接知らない人、おそらくほとんど影響を受けることのない人が
圧倒的に多いわけだけれど、
この同じ時空を共有しているということには
それなりの意味があるのだろう。
まして、それなりに影響を受けてきた同時代の人たちと
同じ時空を共有できたということには、かなり大きな意味があるはずだ。
赤塚不二夫のおそ松くんやシェーを知っていること。
それだけでも、ぼくのなかの弦はそれなりに共振しているはずなのだ。
今意識していないとしても、深いところで受けている影響の数々。
そうした、それなりに影響を受けてきた人の訃報に接するとき、
ぼくたちはそのとき「いちどだけ、さようなら」をする。
けれど、その影響の深度や振幅はさまざまだとしても、
「これからもずっと、こんにちは」であることもまた確かなことだ。
おそらくぼくは、自分がこの時空を去ったあとで
ぼくが同時代として影響を受けてきたさまざまな人に
人以外のさまざまなものたちのことも
ぼくというマンダラのなかに取り込んでいくことになるのだろう。
そのなかには、もちろんさまざまな悪などもあることだろうが、
それをもふくめた宇宙のことをみずからのこととして
体験できる日もくるのかもしれない。
・・・と、そんなことも考えながら、
亡くなった方のことを思ってみている。 |