風のメモワール75

同時代の時空の共通について


2008.8.19

自然農法の福岡正信さんが、この16日、95歳で亡くなった。
以前、松山に住んでいた頃、何度か近くでお顔を拝見する機会もあったが、
あのちょっと頑固でマイペース、
そしてちょっと茶目っ気のある顔が思い出される。

少し前(6月のことらしい)には、
画家・エッセイストの宮迫千鶴さんが亡くなった。
昨年は河合隼雄さんが亡くなってしまったが、
そういえば、先日、宮迫千鶴さんと河合隼雄さんの対談を読んだところだった。
そうそう、赤塚不二夫が亡くなったのも先日のことだった。

そういえば、影響をそれなりに受けて来た方が、
亡くなっていくことも多くなった。
雑誌の『考える人』の特集(2008年冬号)で
河合隼雄さんの追悼特集をやっていたけれど、
そのタイトルが「さようなら、こんにちは河合隼雄さん」だった。
その特集のはじめに、編集部からのこんなことばがあって印象に残っている。

  私たちはこれからも、そのときどきで「河合隼雄」を発見するだろう。
  だからいちどだけ、さようなら。そしてこれからもずっと、こんにちは。

この地球には何十億人もの方が同時代に住んでいる。
直接知らない人、おそらくほとんど影響を受けることのない人が
圧倒的に多いわけだけれど、
この同じ時空を共有しているということには
それなりの意味があるのだろう。
まして、それなりに影響を受けてきた同時代の人たちと
同じ時空を共有できたということには、かなり大きな意味があるはずだ。
赤塚不二夫のおそ松くんやシェーを知っていること。
それだけでも、ぼくのなかの弦はそれなりに共振しているはずなのだ。
今意識していないとしても、深いところで受けている影響の数々。

そうした、それなりに影響を受けてきた人の訃報に接するとき、
ぼくたちはそのとき「いちどだけ、さようなら」をする。
けれど、その影響の深度や振幅はさまざまだとしても、
「これからもずっと、こんにちは」であることもまた確かなことだ。

おそらくぼくは、自分がこの時空を去ったあとで
ぼくが同時代として影響を受けてきたさまざまな人に
人以外のさまざまなものたちのことも
ぼくというマンダラのなかに取り込んでいくことになるのだろう。
そのなかには、もちろんさまざまな悪などもあることだろうが、
それをもふくめた宇宙のことをみずからのこととして
体験できる日もくるのかもしれない。

・・・と、そんなことも考えながら、
亡くなった方のことを思ってみている。