風のメモワール73

シュタイナーを/から学ぶとは


2008.8.19

『シュタイナー医学入門』や『動物の本質』、『獣医のためのホメオパシー』など、
シュタイナー関係やホメオパシー関係の訳者でもある塚田幸三さんの、
シュタイナーに関連した著書が2冊でているので少しご紹介。

◎塚田 幸三『 滝沢克己からルドルフ・シュタイナーへ〜人生の意味を求めて』
 (ホメオパシー出版/2008.6.30.発行)
◎高橋 和夫+塚田 幸三
 『いのちの声を聞く
  〜海人/奥邃/ヘレン・ケラー/スウェーデンボルグ/フランクル/シュタイナー〜』
 (ホメオパシー出版/2008.8.15.発行)

この2冊は、これまでのような訳書ではなく、著書ということで、
塚田幸三さんなりのシュタイナー理解が見えてくる力作になっている。

『いのちの声を聞く』のほうは、スウェーデンボルグ研究の高橋 和夫さんとの共著。
塚田幸三さんはそのなかで、「ヘレン・ケラー」「フランクル」
「シュタイナー」の項目を担当し、ヘレン・ケラーは別として、
フランクルとシュタイナー、シュタイナーと十牛図を比較したりしている。
『滝沢克己からルドルフ・シュタイナーへ』では、
バルトの影響を受けた滝沢神学とシュタイナーの比較を行なっていて、
ある意味、シュタイナーをガイドとしながら、
シュタイナー以外に影響を受けている宗教者や宗教思想などを
塚田さんなりに位置づけようとしているように見える。

今回こうした著書を書くことになった動機は
著書のタイトルや副題に
「いのちの声を聞く」「人生の意味を求めて」とあることから
容易に推察できるように思う。
それぞれの「はじめに」からも引いてみる。

  不十分ながらも私が滝沢神学から学んだのは「何を支えとして生きるか」という、
  いわば消極的な側面であった。しかし、人が人生で出会うことには、悲しみにも
  喜びにも、一つひとつもっともっと積極的な意味があるのではないか。「いかに
  生きるべきか」「何を目標に生きるべきか」という積極的な側面が私の理解から
  欠落していたのではないか。
  超感覚的世界という、「もうひとつの世界を洞察することによってのみ、人間生
  活の価値と意味が見出せる」のであり、「人生の意義についての最も重要な疑問
  に答えるには、超感覚的世界に通じることが不可欠である」、しかも「現代の自
  然認識の基盤の上に立つ人が肯定できぬようなものは何ひとつ述べられていない」
  し、「とらわれぬ理性と健全な真理感情を働かせても理解できないような事柄は、
  何も述べていない」とシュタイナーはいう。シュタイナーを学ばなくてはならな
  い、そう思われた。(『滝沢克己からルドルフ・シュタイナーへ』)

  人生の意味とは何でしょうか。所詮、必ず死ぬと分かっているのに、辛い思いを
  してまで、何のために勉強し、働き、生きるのでしょうか。なぜ私たちは生まれ
  たのでしょうか。
  でも、もし生きることに意味がないとしたら、死ぬことにも意味がないのではな
  いでしょうか。もし死に意味があるとしたら、生に絶望してなはらないのではな
  いでしょうか。そして、生に絶望しないということは、死にも絶望しないという
  ことではないでしょうか。
  (・・・)
  今こそ、ニヒリズムを根本的に克服すべきときであり、それが時代の要請だと思
  われます。
  ニヒリズムに陥るのも、人生に絶望するのもこの私です。しかし、その私とは、
  自己とは何かということが問題です。私たちは唯物論的な近代科学の影響を強く
  受け、肉体が自分だと思っています。肉体が何よりも大事で、肉体が死んだら、
  自分は消えてしまうと思っています。(・・・)
  しかし本当は、そのような唯物論的な世界観に私たちは納得していないのではな
  いでしょうか。(『いのちの声を聞く』)

今回の塚田さんの著書を読みながら、
あらためて考え直してみようとしていることがある。
それは、「シュタイナーを/から学ぶ」ということは
いったいどういうことなのだろうかということである。
というか、そういう抽象的一般的な問いかけというよりも、
「ぼくはシュタイナーから何を学び、これから何を学びたいと思っているのか」
というほうが適切だろう。

ぼくにとってもシュタイナーは、もっとも重要なテーマなのだけれど、
ぼくにとって重要なのは、それが「精神科学」であるということのように思われる。
つまり、シュタイナーは、「宗教」ではなく、
あくまでも「科学/学問」として、その「神秘学」を位置づけようとしている
ということ。
霊的な世界観ということに関していえば、シュタイナー以外からでも
それなりの、部分的にはもっと深い理解も得られることがあるのだけれど、
それを「科学/学問」として位置づけていくことは現状では難しい。
諸科学を「精神科学的に拡張する」ことの可能性は
現在のところ、総合として、シュタイナー以外にはない
(と、少なくともぼくは思っている)。

シュタイナーから何を学ぶかは人それぞれで、
塚田さんのように、マジメに、あまり屈折したりしないで、
きわめてストレートに、「いのちの声」や「人生の意味」を
そこから得ようとすることもできるだろうし、
それとはまた別の方向からアプローチすることもできるわけで、
自分なりのガイドとしていくことのできる大きな可能性の塊として
シュタイナーを/から学んでいければと思っている。