風のメモワール70

崖の上のポニョ


2008.8.2

宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』が公開され
それにあわせて、
プロデューサーの鈴木敏夫の
『仕事道楽/スタジオジブリの現場』(岩波新書)と
宮崎駿『折り返し点 1997〜2008』(岩波書店)
がでていて、大変楽しく読むことができた。

『ポニョ』は
「アンデルセンの『人魚姫』を今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描」いているの
だけれど、
その主人公の男の子の名前の「宗介」というのは
夏目漱石の『門』の主人公の宗助の名前を拝借し、
しかも、その宗助が崖の下に住んでいるというのを
「崖の上」ということにしたというのを知って思わず笑ってしまった。
そしてその舞台となっている港町のイメージは
鈴木敏夫と宮崎駿が二ヶ月ほど滞在した瀬戸内海の港町なのだそうな。
たしかに、瀬戸内だなあと思う。

  宗助の背負う課題は何でしょう。ポニョを無条件に受け入れること、
  スキになること、守ると誓った約束を守りきることです。
  (宮崎駿『折り返し点』P.494)

アンデルセンの人魚姫は、
スキになってもらえずに、泡になってしまう悲劇だけれど、
宮崎駿はその悲劇のストーリーではなく、
人魚姫を好きになり受け入れるストーリーにする。
ぼくもどうもアンデルセン的な悲劇には抵抗があるほうなので
そのストーリーは、楽天的に見えるかもしれないけれど、好きだ。

『人魚姫』の話は、ぼくには
日本神話のイザナキとイザナミの話を連想させられてしまうのだけれど、
イザナキは冥界でのイザナミを見てしまっても、
やはり、逃げてしまうべきではなかったのだと思う。
むしろ近づいて抱きしめてキスしたほうがよかった。
桃を投げたり千曳の岩で塞いだりするのはやはり悲しい。
だから人魚姫も泡にならなければならなくなる。

夏目漱石の『門』だけれど、
その「門」は敲いて開けてもらおうとしてもだめで
独りで開けて入らなければならない。
独りで開けて入るというのは
「ひとりきりのとき人は愛することができる」(アントニー・デ・メロ)
ということであり、
だから宗助は、ポニョを無条件に受け入れ、
スキになり、守ると誓った約束を守りきる。