風のメモワール65

甘粕正彦


2008.7.5

佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』(2008.5.30/新潮社)で、
甘粕正彦という人物についてようやくひとつのイメージが持てた。
佐野眞一の筆力とそれを可能にする取材力の執念には脱帽である。

甘粕正彦といえば、関東大震災後の戒厳令下、
社会主義者の大杉栄一家を虐殺したとされ、
その後、満州で満映理事長となり、終戦後、青酸カリで自殺する。
今回初めて知ったが、理事長室の黒板には
辞世の句でもあるこんな戯歌が書かれていたそうだ。

  大ばくち 身ぐるみぬいで すってんてん

黒板にその戯歌を記したとき、
甘粕正彦はいったいなにを思っていたのだろう。
そして、自らのそれまでの生きざまを
どのようにふりかえったことだろうか。
大杉栄一家殺害事件に関係しなければ、
(本書でその真犯人ではないことは実証されることになったが)
甘粕正彦という名前は、現在のように知られずにいただろうし、
満映の理事長などになることもなかったかもしれない。

歴史というのは、ときとしてこうした人物を
そのスクリーンに映し出す皮肉をもっている。
佐野眞一は言う。

   大杉事件の真相は八十年以上秘匿された。それを思うとき、
  人を威圧して沈黙させる帝国の猛々しさと、事実を風化させ
  忘却させる歴史の残酷さを感じないわけにはいかない。
   六十三年前の夏、帝国の幕を閉じて終わったあの戦争とは
  一体何だったのか。そして帝国の秘密を封じたままここまで
  きてしまった日本の戦後とは一体何だったのか。
   帝国という乱心の曠野をひとり疾駆するように生き、自己
  処罰するようにして果てた甘粕正彦の生涯は、その問いをい
  まもわれわれの胸に重く突きつけている。(P.464)

そうした歴史上のきわめて重いテーマとは別に、
大杉事件後、甘粕正彦の獄中での記述のほうに、
ぼくとしては考えさせられるものがあった。
いってみれば、人の選ぶ世界観とでもいったもの。
その人には、その人が得ることのできる世界観の
どうしても超えることのできない限界があるのかもしれないという
悲しいまでの現実である。
悲しいのは、自分ではその壁が見えていないことである。

もちろん、ぼく自身おそらくは否応なく持っている壁があって、
それに、自分では決して気づくことができないでいるのだろう。
最近、そのことを思うと、歯ぎしりするほど悲しくなることがある。
シュタイナーのいうような、認識に限界を設けないという
自由の哲学的なありかたを理解しながらも、
今この身をもってこの時空を生きている血肉のなかで、
自分のまったく関知できないまでの壁の向こう側があり、
その壁があることにさえ気づけていないだろうことを思う。
おそらく、ぼくという魂はずっと
そうしたことを悲しみ続けてきているのかもしれないとふと思う。

さて、甘粕正彦の獄中での記述について引いておきたい。

   青年将校時代とは一変した環境にとまどいながら、獄中の甘粕は
  ひたすら哲学的、宗教的思索にふけっている。この獄中記には、釈
  迦、孔子、キリスト、マホメットから始まって親鸞、日蓮、法然な
  どの宗教家や、吉田松陰、王陽明、レーニンなどの思想家、ナポレ
  オン、信長、秀吉、家康などの軍人、武人の名が、おびただしく登
  場する。
   これらの人物に対する関心や、獄中の読書傾向を見ると、甘粕が
  なかなかの知識人だったことがわかる。しかし、それは甘粕が柔軟
  な発想の持ち主だったことを意味しない。
   甘粕は日本人を論じて、「物質文明は外国に学ぶ点もあるが、精
  神文明はまったく学ぶところはないという学者がいる。学者ともあ
  ろう者がそんなことを言うのはおかしい。日本人の精神はそんなに
  完全なのだろうか」と疑問を呈し、「日本人は朝鮮人や支那人の事
  大主義を笑うが、それをいうなら日本人もたいしてかわらない。源
  氏が衰えれば、すぐ平氏になびき、平氏が衰えれば、たちまち源氏
  に従ったのが日本人だった」と述べるなど、時に説得力ある柔軟な
  見識を披露している。
   だが、こと皇室に関しては、硬直した持論を繰り返し述べている。
  余裕のまったくないその論調は、誰にも異議を差し挟ませないほど
  エキセントリックである。この点に関しては、甘粕はきわめて非寛
  容であり、帝国主義の権化と化している。(P.148)

ぼくのなかの「硬直した持論」とは何だろうか。
気づける部分がどの程度自分にあるのか。
そして気づくことさえできないそうした認識の壁、
自分がつくりあげてしまっている壁を
どのようにして壊せばいいのだろう。
最近このことについて思いを馳せることが多い。