「はたらきたい」と思ったことはあまりないし、
「はたらかねばならない」と思ったこともまずない。
まあ、仕方ないかな、という感じで働いている。
職業を選んだのも、
これだけは避けようと思ったものを避けた結果である。
つまり、お金そのものを商売にしない。
教えることを商売にしない。
公務員的なものに属さない。
で、必然的に、かなりアバウトな感じになってしまう。
これがしたい!というようなものも、職業としてはあまりない。
ところで、
ほぼ日の『ほぼ日の就職論/はたらきたい。』という本がでている。
ネットでの連載がベースになっている。
就職論といいながら、片意地張った正論的な教えになっていなくて
連載の頃から面白く読んでいた。
ちょうど、シュタイナーの『職業のカルマと未来』という
職業に関する講義が訳されているのを読んだが、
おそらく、シュタイナーのいうことのまわりくどさと
訳の四角四面さで、面白いかといえばそうでもない。
もちろん、たとえば、ヤーコブ・ベーメの靴職人としての仕事は
地球で生じやがてウルカヌス星で達成される。
靴職人の仕事は出発点として理解する必要がある。
ということなども、それなりにそれなりの理解ができるけれど、
それはそれで、ぼくが今やっている地球期での仕事が
ウルカヌス星で・・・というのはなんだか、
それなそうなんだけれど、まあ、とりあえすいいか、という感じになる。
まあ、仕事に対するぼくの、まあ、どうでもいいか、
というような姿勢は、これまでのぼくのカルマ的連関のなかで、
形成されてきたんだろうなという感じである。
さて、『ほぼ日の就職論/はたらきたい。』のなかで、
「なぜ就職したのか」ということについて、
そうだなあ、ぼくもある部分そうだなあ、
と思うあたりまえのような話があったので、
しりあがり寿と糸井重里の対話から。
寿 なぜ、僕がふつうにサラリーマンとして就職したのか。
あの、僕はやっぱり、トラブルがいやなんですよ。
糸井 トラブル。
寿 はい。そこが僕にとって「大切なこと」で。あの、自分
にお金がないとしたら、トラブルとかわずらわしさが増
えますよね。誰かに借りるにしても、強がってみたり、
見栄を張ってみたり、ウソをついてみたり、もしくは、
貸した金を返してもらいたくなったり。そういうふうな、
いろんな「無理」が、お金がないと出てきちゃうぞって、
予感したんじゃないかと思うんですよね。
糸井 なるほどなあ。その「トラブルのない生活」が、しり
あがりさんにとって大切だったんだね。もしくは、「ト
ラブルのない生活」を送りながら、漫画を描き続けると
いうこと。
寿 そうですね。カレーに乗せるカツがうれしかったり、余
計なトラブルがいやだったから、僕は就職したときにう
れしかったですね。そういうことのために、会社に入り
たいと思うのは、全然おかしいことじゃないと思います。
ぼくの場合は、公務員というような選択肢はまずあり得なかったし、
教員になるというようなことだけは避けたかったし、
だからといって、金融だとか商社だとかいうようなものは
ほとんどありえないことだったので、
(なにか、ものづくりをして食べていけるというのは
あこがれはあるけれど、現実的ではないので選択肢にははいらない)
しかも、就職活動なんかほとんどしたくない、というのもあったので、
結果的に、まあ、なんとか食えているから良しとしよう、といった程度の
仕事を続けているといえばいえる。
まあ、最近、ちゃんと就職しない若者や
働きたくてもちゃんとした職場がない若者がいるというのが
いろいろ問題になっているようだけれど、
ぼくは、そういうことに対して、
いったい何が問題なんだろうという感覚が強い。
むしろ、「働かねば!」というような
変な固定観念からは自由であったほうがいいのではないかと思っている。
もちろん、トラブルやわずらわしさからある程度解放されるために、
なんらかの活動は余儀なくされるとしても、
「働かねば!」ばかりだとぼくは、もともとある厭世観が大きくな
るから、
ほどほどのところで手を打つくらいがいいのではないかと思っている。
もちろん、カルマ的連関から、
これだけはやりたい!というのがあれば、
ぜひやったほうがいいというのは間違いないだろうと思うのだけれど。 |