風のメモワール63

トポス11周年


2008.6.17

だからといって、とくに何か特別なことをする予定はないのですが、
この6月14日で、トポスも12年目を迎えました。
パソコン通信時代を含めれば、18年近くになります。

1991年にパソコン通信でシュタイナーをテーマとした会議室を始めたのは
ある意味、ほとんど、そのメディアの新しさ、面白さといったところが大でした

今になればあたりまえのようなことですが、
電話回線を使った通信できるというのは、
その頃はまだ「ちょっとしたこと」だったのです。
その頃のNIFTYSERVEの会員は全国でまだ十数万人ほどだったのではないでしょう
か。
それが十数年後に、インターネットというかたちで、
現在のようになるとは、その頃はあまりイメージできていなかったと思います。

パソコン通信からインターネットに移行して、
現在のようなメーリングリストとHPになったわけですが、
そういえば、その時点から
このトポスの形態はほとんど変わっていなかったりします。
そして十数年経つうちに、こうしたメーリングリストというかたちも
ずいぶん古めかしいものになってしまっているようです。

ぼくが生まれ育った時代をふりかえってみると、
めまぐるしいほどにメディアやその技術が変化してきました。
こうしてインターネットもずいぶんまさに網の目のように広がったわけですが、
こうした技術は人の意識を広げているかといえば、そういうわけでもなさそうで

「道具」を使うことで新たな能力を育てる方向よりも、
「道具」に使われ、その奴隷となってしまうところもずいぶんと多くあるよう
に見えます。

たとえば、携帯電話などの普及もまるでドラッグのようなところがあります。
そういえば、先日読んだ沢木耕太郎の『冠』のなかに、
携帯電話を決して持とうとしない著者の話がでてきます。
やはり、便利さの陰にあるものに縛られることへの危機感というのは
とても大切な智恵のひとつなのではないかと、
携帯電話嫌いのぼくは共感してしまったところがありました。

さて、ちょうど、ダスカロスの
『エソテリック・ティーチング/キリストの内なる智恵ー秘儀的な教え』を
久しぶりに再読しているところなのですが、
その監修者による「日本語版刊行にあたって」のところにこうあります。

  ニューエイジの教えには、エゴイズムの話も内省の話もまったく出てきません。
  しかし、最も重要なのは人間がエゴイズムを脱却して自分自身を救うことであっ
  て、その方法が「内省」なのです。「どうやって自分を自分自身のエゴイズムか
  ら解放していくか」という教えは、なかなか他にはありません。

パソコン通信をはじめてから、
ネット上ではさまざまな「ニューエイジ」関係の方々の話なども
聞く機会もずいぶんあったように思うのですが、
たしかに、そうした傾向にある方々から受ける印象として、
「内省」つまり自分を振り返ることができない、というのがあります。
「内省」ができないことはある意味、
「道具」に使われるあり方と似ているところがあるようにも思います。

「ニューエイジ」関係の方々はたとえば、
「プラス発想」「ポジティブシンキング」「ハイアーセルフ」とがが好きなのですが、
その根底において不可欠である「内省」が欠けているので、
結局は、それとしらずにエゴイズムを拡大させてしまうだけになってしまうわけです。
たとえ、それが「人類救済」を祈ることであったり、
ひとに対するある種の優しさや献身のようなものを表現することであったとしても、
自分自身を救うことができないままだったりするわけです。
「道具」や自分以外のものへの依存は、
自己救済をさらに遠ざけてしまうところがあるのでしょう。
自分のエゴイズムをしっかりと見据えるという意味でも
「内省」というのはとても重要なプロセスだといえます。

シュタイナーの示唆する「自由」を
自らの由を探究することであるととらえてみると、
そこで欠かせないのは、やはり考えることであり、
そこから可能になる「内省」のように思います。

なんだか、金太郎飴のようにここ十数年同じようなことばかり繰り返していますが、
そこらへんのことは、これからも変わらない視点であるように思います。
まあ、長く続ければいいというものでもありませんが、
少しばかり古くなりかけた形態ではありますが、
「道具」に使われない範囲でこうした方法を使いながら、
しばらくはまだ、こうした形でぼちぼちと続けていこうかと思っています。