先週、CM撮影で久しぶりに松山に出かけた際、 
          「伊丹十三記念館」が開館したことを知る。 
          伊丹十三について、そういえばどんな人なのか 
          断片的な印象でしか知らずにいたように思い、 
          「伊丹十三記念館」に足を運んでみた。 
        松山の菓子舗「一六本舗」のテレビCMについては、 
          当時松山に住んでいた人以外は知る機会は少ないだろうが 、 
          懐かしくそのCMを見ることができたりもして、 
          思いの外、楽しく展示を見ることができた。 
        伊丹十三は、亡くなる前には、俳優としてよりも、 
          映画監督として知られるようになっていたが、 
          ぼくの印象に残っている伊丹十三は、 
          そのエッセイストとしての存在と 
          フロイト系の精神分析学者である岸田秀の影響で刊行をはじめた 
          『モノンクル』という精神分析をテーマとした月刊誌のほうかもしれない。 
        「伊丹十三記念館」から刊行されている文庫(470Pほどあり)の年譜によると 
          『モノンクル』は1981年創刊、12月号まで発行、6号で休刊、とある。 
          1981年といえば、ちょうどぼくが今の仕事を始めた頃だ。 
          展示室にもしっかり展示されてあったが、 
          そういえば、ぼくもいまだに全部もっていたりする。 
          (珍しい雑誌だったので捨てずにいた) 
        伊丹十三は多彩な人だったし、 
          何事にもこだわりの人だったりもした不思議な人だったけれど、 
          どうもフロイト風の精神傾向があるのがほの見えてくる。 
          そのこだわりの部分を自分の糸が制御できているときはいいが、 
          おそらくそれが危うくなったときに、その死が訪れたのかもしれない。 
        たとえば、中沢新一の危うさも、 
          そうしたフロイトの影響が見えてくるところだったりもするように思える。 
          ユングもたしかに危ういのは危ういのだけれど、 
          最初からその影のような危うさを見据えようとするところがあるのに対し、 
          フロイトはどうもなにかあまりに単純なマザコンを許してしまうようなところがある。 
          ユングを敬遠しフロイトに向かうのは、おそらくそのマザコン部分なのかもしれない。 
          だからその部分を自分で見ないといけなくなったときに、 
      おそらくその人はいちばん危うい橋を渡ることになる。  |