風のメモワール56

たそがれる才能


2008.5.10

『めがね』は、いい映画だ。
「かもめ食堂」と同じ荻上直子監督。
http://www.megane-movie.com/
出演は、「かもめ食堂」の小林聡美、もたいまさこなど。
とくにドラマチックな展開はないけれど、
静かに静かに涙がにじんでくるような素敵な映画。
音楽もとても気持がいい。
大貫妙子の主題歌も美しい。

その大貫妙子のHPのブログ(2008/03/31)には、
こんなコメントがあった。

  映画「めがね」がザルツゲイバー賞を受賞した
  そのパーティー
  急に決まったパーティーだったのに
  キャスト、スタッフが全員集まった
  この結束が素晴らしい
  と、言うか
  集まりたくてしかたないっていうことかも
  どんなことでも評価されるのは嬉しい
  とくに監督にとっては次の作品への
  おおきな意欲につながると思う
  手書きの賞状が、これまた素朴
  ドイツでは「めがね」は笑いをとったらしい
  そんなに、笑えるところがあったかなぁ
  と思うけれど
  タエコがトランクをひっぱって砂浜を歩くあたり
  まず、そこでウケた。
  何故なら、トランクがドイツ製だったから
  多くの作品が、考えさせられるもの
  つまり、脳みそをいっぱい使わないとならないものの中で
  「こういう作品を、ありがとう」
  と、言われたらしい。
  とにかく、おめでとう!

映画のなかでもあるが
この映画のテーマといえるもののひとつは
「たそがれる」ということだろう。

なんだか、テレビでも映画でも、また小説でも
筋が複雑だったりして、
頭も感情もずっと緊張が求められるようなものが多くて
なんだかそういうのとは距離をとりたくなるような、
つまりせめて、映画を見たりするときくらいは、
それそのものが「たそがれる」ことのできるような
そんなもののほうが、日々疲れるなかでは、救われるような気がする。
もちろん、そういうのはむしろ、作品としてよくできていないと
成立しないものだったりもするので、むずかしい。

「たそがれる」にも、才能がいる。
「たそがれる」ことのできる作品をつくる才能。
そして、そういう作品といっしょに「たそがれる」ことのできる才能。
ぼくは前者はむずかしいけれど、後者なら得意としている。
「たそがれる」ことができずに、いつもあくせく動いている、
きわめて「実践」的な人には持ち得ない才能(はは)。
役に立たず、あまり「実践的」とはいいがたいところで生きている
ぼくのような人間にはあたりまえのような才能。

今、その『めがね』のサントラ盤をききながら書いている。
「たそがれる」ことのできる音楽が、うれしい。
大貫妙子の主題歌もすばらしいので、
そのながれのなかで、
大貫妙子の担当した映画音楽『東京日和』の
サントラ盤もきいてみることした。
なかなかいい。

テレビドラマの『あしたの、喜多善男』の音楽も良かった。
よくできた作品のサントラ盤というのもなかなかいいものだ。
小曽根真がその音楽を担当していて、
その後、小曽根真の音楽を集中してきいたりもした。
『BREAKOUT』とか『Falling in Love,Again』とか、
はたまた渡辺香津美との『Dandyism』とか。

それど、こんどは、『東京日和』で再認識した
大貫妙子の音楽をここ数日いろいろききなおしていた。
今回とくに気に入ったのは2000年に出た『ensemble』。
ううん、こんなすごいアルバムのあったんだ、とあらためて
大貫妙子の長い活動に尊敬。