風のメモワール55

バートルビー症候群


2008.5.6

エンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』
(木村榮一訳 新潮社 2008.2.25発行)が評判である。

「一行も文章を書かなかったソクラテス、19歳ですべての著書を書き上げ、
最後の日まで沈黙し続けたランボー、めくるめくような4冊の本を書き、
その後36年間私生活の片鱗をも隠し続けたサリンジャー、ピンチョン、
セルバンテス、ヴィトゲンシュタイン、ブローディガン、カフカ、メルヴィル、
ホーソン、ショーペンハウアー、ヴァレリー、ドゥルーズ、ゲーテ・・・
共通する『バートルビー症候群』を解き明かし、発見する、書くことの秘密」
だということだが、果たしてバートルビーとは?・・・と興味を覚え読み始める。

バートルビーというのは、
『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルの物語に出てくる
代書人バートルビーからとったものだということである。
(ちょうど、雑誌『モンキービジネス』のなかに
責任編集の柴田元幸さんの訳で
『書写人バートルビーーーウォール街の物語』が訳されている)

   以前から、わたしは文学の世界においてバートルビー症候群におかされた
  数多くの亡霊たちを跡づけてきた。以前から、現代文学がかかっている病気、
  慢性的な悪弊、つまり一切を衝動的に否定したり、虚無に引きつけられる傾
  向を跡づけてきた。この病におかされたために、何人もの作家が厳格な文学
  的意識をもっているにもかかわらず(というか、おそらくはそれ故に)何も
  書けなくなってしまう。一、二冊本を書くのだが、やがて執筆から遠ざかっ
  たり、何の問題もなく書きはじめたのに、ある日突然文学的な意味で金縛り
  にあったようになって永遠にペンを捨ててしまうのだ。(P.4)

ぼくのようにとくに、書くということに
特別な思いをもっていない、というか
書くことをどちからといえば面倒だと思っているような人間にとっては、
ある種どうでもいい問題だといえないこともなく、
むしろ、昨今の日本の状況を見る限り、
あまりに垂れ流しのように誰でもが書きたがっていることのほうが
病なのであって、書かないほうがむしろ健全なのではないかとも思うのだが、
たしかに、ランボーが沈黙し続けるというようなケースや
自分の作品を処分するように指示するカフカのようなケースだと
やはり、なぜなのかということは気になってしまう。

まあ、そんなに書くとか書かないとかに、
そんなナーバスにならなくても・・・とも思うのだが、
そこにはそれ、常人には計り知れないなにかがあるのかもしれない。
その秘密をかいま見ることで
いまぼくがこうした、どうでもよさそうな文章さえ
面倒に思い書きしぶっていることが、少しは解消されるのかもしれない・・・。
そんなあわい期待も持ちながら、面白く読むことができたので、
紹介してみようと思った次第。

読みながら、あらためてのように気づいたことは、
やはり、世の中には、書くことにこだわる人とあまりこだわらない人という
二種類の人間がいるということ。
そして、書くことを特別視するがゆえに沈黙を選ぶこともあるということだ。
そしてその沈黙を選んだ人に対して多く、
その沈黙を残念に思う人がいるということ。

しかし、世の中はむずかしいもので、
表現してほしい人は沈黙を選び、
沈黙しておいてほしい人は、やたら表現が過剰なところがあるのではないか。

さて、ぼくは、沈黙を選ぶ、というほど特別な人間でもなく、
もちろん表現したいというほどのものは特にもたないわけで、
まあ、これまで通り、いいかげんにこうして
お遊戯するくらいにしておこうと思っている。
・・・ので、まあ、あまり面倒がらずに、ぼちぼち・・・。