風のメモワール52

立川談春:赤めだか


2008.4.23

  いいか、落語を語るのに必要なのは
  リズムとメロディだ。それが基本だ。

  怒鳴ってもメロディが崩れないように
  話せれば立派なもんだ。
  そうなるまで稽古をしろ。

談春が弟子入りしたとき、
談志が云ったことばである。

en-taxiという雑誌の連載が
『赤めだか』(扶桑社)という本になった。
そのなかにある。

談春を知ったのは、この連載がきっかけで、
それ以来、すっかりファンになってしまった。
発売されたCDは何度も何度もきいたし、
岡山での独演会にも出かけた。
その独演会のこともこの本には、
その翌日に、岡山から米朝に会いに出かけた
ということで書かれてある。
(ああ、あの日の次の日にこんなことがあったんだ・・・と
ちょっと感激してしまった)

すでに読んでいる内容ではあるけれど、
あらためて本になったものを読み直してみると、
落語を何度もきいてしまうように、
その「リズムとメロディ」に乗って
あれよあれよと最後までほとんど一気に読んでしまった。
福田和也もこういっているが、
たしかにこれだけの書き手を探すのはむずかしいだろう。
「笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る。
プロの書き手でもこの水準の書き手は、ほとんどいない。
間違いなくこの人は、言葉に祝福されている。」

夏目漱石があの小説の文体を生み出すことができたのは、
円朝の落語が影響している・・・とかいうことを
どこかで読んだことがある(ような気がする)が、
こうした落語の高度な、
ということは、リズムとメロディの技術に
芯まで熟達し身体化した言葉の力は、
ほかではなかなか得難いものなのだろう。
もちろん、落語的な言葉以外にも
それなりのリズムとメロディの技法はあるだろうが、
日本語における落語の言葉に
ある種どっぷりつかってみることには
それなりの意味があるように感じる。
それよりなにより面白い。

昨今は、ずいぶん落語が復権してきたようだが、
せっかくだから、それも利用しながら、
ぼくもそのリズムとメロディの技術の一端なり
得ることができないものかと考えている。
そういえば、小林秀雄も
ずいぶん志ん生の話芸を参考にしたようである。