風のメモワール51

20年


2008.4.13

週末は、瀬戸大橋開通20周年の式典や記念コンサートの
ディレクターの仕事でてんやわんやの状態だったが、
天候にもそこそこめぐまれ
(めぐまれたおかげで、日焼けで
顔が真っ赤っかのお猿さんになってしまったけれど)
とくに大きなトラブルもなくようやく一息つくことができ、
yuccaの訳したシュタイナーの『美術史』第11講の編集のための
時間もとることができた。

記念コンサートには、沢田千可子と中西圭三を招いた。
会場は瀬戸大橋のなかほどにある与島PAのオープンステージ。
実施側なのでおちついて聴くことはできなかったものの
会場に響き渡る声をスタッフといっしょに聴きながら
やっぱり生の声はいいなあとしきりにうなずきあっていた。
今回は特別にデュエットもあって、感動的なエンディングにもなった。

中西圭三さんを別のイベントで
二年ほどまえに招いたときにも感じたのだけれど、
その圧倒的なまでの歌声は
そのオープンなステージで聴くとさらに素晴らしいものがあった。
(舞台裏では、「サイダーが飲みたい」とかいう
とても子どもっぽいところを見せてくれたりしていたが、
ちょうど会場には、「松葉サイダー」という
その名前のとおり、松葉でつくれらたという名物のサイダーがあって、
スタッフ間でもその意外なおいしさが話題になっていたりもした。
コンサートが終わったら飲んでみようと思っていたら
残念ながら、売り切れになってしまっていた・・・)

沢田千可子さんは、以前、永瀬清子の詩に曲をつけたものを集めた
アルバムを聴いてから、ぜひ生でそれを聴いてみたかったのだが、
今回それを聴きながら思わず舞台裏で涙していたりもした。

  敵とよぶものはなくなりました。
  醜とよんだものも友でした。
  私らは語りましょう語りましょう手を取りあって
  そしてよい事で心をみたしましょう。

「敵とよぶもの」をなくすということ。
「敵」というのは、おそらく自分の「影」で、
その「敵」こそが(それがいかに恐るべきものであったとしても)
自分を成長させるための大きな契機になるのだと思う。

また、「醜」を「友」にするということ。
醜は美と対立するものなのだろうけれど、
そのように対立するものを「友」にすることができるまでには
長い長い道のりが必要になるのは確かだとしても、
その道のりを歩むことができるということは
とても素晴らしいことなのではないかと思う。

ところで、その永瀬清子の詩に曲をつけた方が
小野澤篤さんという方だということは
アルバムの記載から知っていたが、
コンサートでは伴奏のピアノを担当されていた。
なんだかとても飄々としている感じのいい感じの方だなと思っていたら
沢田千可子さんの旦那さんであることがわかる。
なるほど。

週末、仕事のほうはかなり過酷だったけれど、
いろんな意味でとてもいい時間を過ごすことができたように思う。

20周年といえば、
シュタイナーをちゃんと読み始めたのもその頃だったし、
先日、20年ほど前に1年ほど赴任していた転勤先の近くをCMの撮影
で訪ねた際、
その頃よくいっしょに仕事をしていたデザイナーのもとを訪ねたの
だけれど、
まるでその20年前が昨日のことであるように感じられるほど
その家族の方々とも再開できたことも、最近ではとても印象に残っ
ている。

その頃まだ小学校の高学年だったそのデザイナーの子どもも
1歳と4歳の子どもをもつ笑顔の美しいお母さんになっていた。
その家族の方々が飼うことになる犬をいっしょに見に行ったことも
あった。
テリア系の犬でとてもキャンキャンうるさかったのを覚えているが
その犬も5年ほど前に死んだそうだけれど(15歳まで生きたわけ
である)
その犬が家族の一員として刻んだ写真も見せてもらった。
その20年ほどの間に、ぼくはぼくでさまざまな道のりを辿り
デザイナーとその家族もまたそれぞれに道のりを辿ったわけである。
たった1年だけいた、とても明るい印象のあるその町。
その年は、yuccaと結婚して間もなかった頃のことでもあり、
その家族とはyuccaもわりと親しくしていて、
記憶のなかに不思議な日だまりをつくっていたりもする。

20年という時間。
記憶のなかにあって
それが不思議な絵のようにも見えてくるその場所。

  私らは語りましょう語りましょう手を取りあって
  そしてよい事で心をみたしましょう。