テレビドラマ「あしたの、喜多善男」で
小日向文世が主演している。
初の主演らしい。
原作は、島田雅彦の『自由死刑』。
この際と、その原作を読んでみているが、
人物設定やストーリーなど、かなり異なっているものの、
テレビとの違いもまた楽しむことができる。
たとえば、原作では1週間後に死ぬという設定だが、
テレビでは(おそらく11回シリーズだということで)
11日後に死ぬという設定になっている。
なにより、小日向文世がいい。
小日向文世のあの独特の味は、
ほかではまず出せないだろう。
あの不思議にやさしい哀愁のある気の弱そうな語り。
その喜び多き善き男である、喜多善男の前に、
シャドーのような「ネガティブ善男」がおりにふれて登場する。
小日向文世の一人二役なのだが、
その皮肉たっぷりで冷笑的な態度との対照を見ていると、
ひとごとではなくなってしまう。
もちろん、だれにでも自分を見る目というのはある程度はあって
「ネガティブ善男」のような、自分のネガの部分、
シャドー的な部分の「声」をふりほどきふりほどき、
耳にふたをしたりしながら生きているところがあるのだが
喜び多き善き男のネガティブというのは、なかなか迫真なのだ。
今回それにあわせて楽しめるのが
宵町しのぶという元アイドルである。
吉高由里子という役者が演じているが、
不思議な哀愁のある役どころ。
喜多善男に「善男ちゃん」とか呼ぶところなど、
たんに、バカアイドル的であるにもかかわらず、なぜか陰影がある。
なんか、ほんとうはすごい役者なのではないだろうか、とか感じさせるものがある。
原作では、宵町しのぶが聖書をもっていて、
イエスについて語るシーンなど、
別にそんなに特別なシーンでもないのに、
じーんとくるものがある。
喜多善男に頼まれて聖書、
ヨハネ福音書のラザロの復活のところを読むシーンとかがある。
意味深である(島田雅彦的には一種の小道具的な扱いだろうが)。 |