風のメモワール4

藤家渓子の《青い花》


2007.4.15

作曲家・藤家渓子の音楽エッセイ集
『小鳥の歌のように、捉えがたいヴォカリーズ』(東京書籍/2005.8.30)。

藤家渓子が生まれて初めて書いた四楽章からなるギターソナタには
《青い花》という表題がつけられたという。
もちろん、ノヴァーリスの『青い花』からきている。
それは、ノヴァーリスと同じく早世したシューベルトへのオマージュでもあるのだという。

この本を読んではじめて知ったのだが、
藤家渓子は、ギタリストの山下和仁と結婚していて
その《青い花》を初演したのも山下和仁で、
初演に先立って自宅でリハーサルをしていたのに耳を傾けていたときのことを
次のように印象深く記している。

   と、和音が順次に、和声法の定石どおりに静かに進行していく部分で、
   俄かに、不思議な感覚が起こってきた。数々の惑星が秩序正しく、滞り
   なく運行するさまが、そのリズムがまざまざと感じられたのである。宇
   宙の秩序ある運行と、和声の進行がピタリと重なったかの如く、まこと
   に澄み切った心地の良さに浸ったと思いきや、何故か左目から涙が一筋
   長く、流れ落ちた。センチメンタルな気分など微塵も無かったのに、だ。
   和声法は、そもそもそうした根元的な法則に従ったもの、というより法
   則そのものであったか、と首肯けた。この経験は素晴らしくて、折から
   の激しい雨に打たれた夜の庭に飛び出すほどの歓喜に見舞われた。

ぼくは音楽家の言葉を読むのが好きだ。
武満徹の言葉もそうだが、
音楽家の言葉からはなにか特別の響きのあることが多い。
音楽はもちろん目には見えないものだけれど
それだけにその目には見えないけれども
確かにあるもの、そこに響いているのものについて
その消息を伝えてくれるように感じられるのだ。