作曲家・藤家渓子の音楽エッセイ集 
          『小鳥の歌のように、捉えがたいヴォカリーズ』(東京書籍/2005.8.30)。 
        藤家渓子が生まれて初めて書いた四楽章からなるギターソナタには 
          《青い花》という表題がつけられたという。 
          もちろん、ノヴァーリスの『青い花』からきている。 
          それは、ノヴァーリスと同じく早世したシューベルトへのオマージュでもあるのだという。 
        この本を読んではじめて知ったのだが、 
          藤家渓子は、ギタリストの山下和仁と結婚していて 
          その《青い花》を初演したのも山下和仁で、 
          初演に先立って自宅でリハーサルをしていたのに耳を傾けていたときのことを 
          次のように印象深く記している。 
           と、和音が順次に、和声法の定石どおりに静かに進行していく部分で、 
             俄かに、不思議な感覚が起こってきた。数々の惑星が秩序正しく、滞り 
             なく運行するさまが、そのリズムがまざまざと感じられたのである。宇 
             宙の秩序ある運行と、和声の進行がピタリと重なったかの如く、まこと 
             に澄み切った心地の良さに浸ったと思いきや、何故か左目から涙が一筋 
             長く、流れ落ちた。センチメンタルな気分など微塵も無かったのに、だ。 
             和声法は、そもそもそうした根元的な法則に従ったもの、というより法 
             則そのものであったか、と首肯けた。この経験は素晴らしくて、折から 
             の激しい雨に打たれた夜の庭に飛び出すほどの歓喜に見舞われた。 
        ぼくは音楽家の言葉を読むのが好きだ。 
          武満徹の言葉もそうだが、 
          音楽家の言葉からはなにか特別の響きのあることが多い。 
          音楽はもちろん目には見えないものだけれど 
          それだけにその目には見えないけれども 
          確かにあるもの、そこに響いているのものについて 
      その消息を伝えてくれるように感じられるのだ。  |