ちくま文庫のノヴァーリス作品集の第3巻目が先月刊行されて 
          これで全3巻がそろったことになる。 
          このちくま文庫版はすべて今泉文子さんによる訳である。 
          ノヴァーリスは、数年前に刊行された沖積舎による全集などもあるが、 
          文庫で手軽に持ち歩ける体裁になっているのはうれしい。 
        トポスのHPのトップにはノヴァーリスの言葉を置いている。 
          すべての学は、ポエジーになるのである。 
          哲学になったあとで・・・。 
          ノヴァーリスはある意味で、人智学の先駆けでもあって、 
          この基本はこれからも忘れずにいきたいと思っている。 
          哲学のない人智学、ポエジーのない人智学は存在しえないだろうから。 
        ところで、ちょっと記しておこうと思ったのは、 
          この3巻目に収められている「一般草稿(百科全書のための資料集」の342に 
          哲学とポエジーについての次の言葉である。 
          何度も読み返したことのある言葉ではあるが、 
          あらためて「メモワール」として。 
          未知のもの、神秘的なものは、いっさいのものの結果であり、端緒である。 
            (われわれはそもそも、みずからを知るもののみを知る)。ここから引き 
            出される諸々の推論。理解不可能なものは、不完全な(自然)状態にある 
            ーーそれは徐々に理解できるものにされなければならない。概念もしくは 
            認識は、散文ーー中性的なものーーである。+と−の区別がないのだ。認 
            識は、ふたたび非認識に到達するための手段である。…自然は、それ自体 
            としては理解不可能なものである。静止状態、および形成された不可能さ。 
            /哲学は散文である。その子音。彼方の哲学は詩のような響きをもつーー 
            というのも、彼方への呼び声はいずれも母音となるからだ。哲学の両側、 
            あるいはまわりに+の詩(ポエジー)と−の詩(ポエジー)の詩が存在す 
            る。したがって離れたところにあるいっさいは詩[ポエジー]ーー詩[ポ 
            エム]ーーとなる。彼方への働きかけ(…)。彼方の山、彼方の人間、彼 
            方の出来事など、すべてはロマン的になる。同様にしてーーそこから、わ 
            れわれの根源的な詩的本性が生じてくるのである。夜と薄明の詩[ポエジ 
        ー]。  |