風のメモワール28

万華鏡


2007.11.24

yuccaが誕生日に万華鏡をもらった。
そのめくるめく世界の不思議に目を奪われ
自分でもほしくなり、
学研からでている「大人の科学」に
万華鏡が組み立てふろくでついているのを思いだした。
このシリーズでは以前、プラネタリウムを組み立てたことがある。

プラスチック製なので、
筒が木製であるyuccaの万華鏡がもっている質感はないものの、
多機能で、自分でその映像がさまざまに工夫できるというのもあり、
昨日からすっかりはまっている。
万華鏡の原理やその歴史なども辿れるのがうれしい。

万華鏡(カレイドスコープ)を発明したのは
イギリスのデヴィッド・ブリュースターという科学者で、
発明されたのは1816年のこと。
ちなみに、カレイドスコープという名前は、
KALOS(美しい)、EIDOS(形)、SCOPE(見る)という
ギリシア語に由来している。
日本に伝えられたのは発明されてからまもなくのことで、1819年だという。
1820〜30年代にはつくれらた
日本で最古の万華鏡は「更紗眼鏡」と名づけられている。

ブリュースターが最初につくった万華鏡は
2枚の鏡を組み合わせたものだったそうだが、
今回組み立てることになった万華鏡は、
3枚の鏡を頂角が30度になるように組み合わせた
二等辺三角形のものである。

万華鏡にはいろんな種類があって、
「ツー・ミラー・システム」「スリー・ミラー・システム」のほかに
「フォー・ミラー・システム」「テーパード・ミラー・システム」
「サークル・ミラー・システム」などさまざまなシステムがあり、
鏡を組む角度を変えるだけでさまざまな見え方になる。

今回組み立てた、二等辺三角形のスリー・ミラー・システムの万華鏡に
最初からついてたビーズで最初に試してみたのがいまひとつだったので、
yuccaがもっていたさまざまなビーズをもらって組み合わせたものを
つくってみたところ、まさにそのKALOS-EIDOSのすばらしさに
まさに時を忘れるほどになってしまった。
まさに、世界は美しい!!

そう、世界は美しいのである。
世界が美しく見えないとしたら
それはその見る目を持ち得ていないというにすぎない。

ちょうど、先日読んだシュタイナーの『霊智学』の講義を思い出した。
(『人智学・心智学・霊智学』ちくま文庫)

  「お前の今の人生は美しく、すばらしいものだった筈なのだ。しかし
  お前は、そういう生き方をしてこなかった。お前をこの舞台に置いた
  お前の身体で始めることのできた筈のすべてを、お前はまだ始めるこ
  とができずにいる。」
   本当にこう言えたときの私たちは、次のような認識に達するでしょ
  う。ーー「今私は、この世の、この時代の、この場所に立っている。
  どんなときにも私の周りには美しい世界が、偉大な、すばらしいすべ
  てのものが存在している。そして私の身体の諸器官から、一切のこの
  偉大なもの、すばらしいものが私の中に流れ込んでくる。私たちは本
  来、いつでも天国の中で生きているのだ!」
   私たちは不幸のどん底にいるときでさえ、そう言えなければならな
  い筈なのです。なぜなら、私たちがどうであるかが問題なのではなく、
  この世が美しい、すばらしいところであるかどうかが問題なのですか
  ら。なぜなら私たちが失意のどん底に沈んでいるかどうかは、私たち
  のカルマ次第なのですから。
   世界がどうであるかは、世界そのものの問題であって、私たちの個
  人的な立場から決めることではありません。そして、この世界を完全
  に受容し、そこから最高の満足と最高の浄福を受け取るために、身体
  が私たちに与えられたのです。私たちの諸器官はそのために与えられ
  たのです。もしも私たちがこの地上天国から引き出せるものをすべて
  引き出したとしたなら、そのとき引き出せたであろうものと、今私た
  ちが実際に引き出しているものとの相違は、非常に大きい筈です。
  (P365-366)

先日、シュタイナーノートで「鉱物界とキリスト」について
少しだけご紹介してみたのだけれど、
現代においてある意味でもっとも重要なこの鉱物界
(それは目に見えるものすべての世界でもある)を
いかに美しく見ることができるか。
そして、その意味を深く認識することができるか。

もし少しなりともそれが可能になったとき、
ぼくは、ようやくはじめて、
今自分が天国の中で生きているのだ!という
実感を得ることができるのだろう。