ユリイカの11月臨時増刊号が「荒木飛呂彦」、 
          つまり『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、なのが気になったのがきっかけで、 
          これまで長い間敬遠していたその漫画を読んで見ることにした。 
          (ご縁がやっとできたということだろう) 
        読んでみることにした、とはいえ、 
          現在も続いている第7部の『スティール・ボール・ラン』まで 
          全部で93巻もある。 
          そのうち飽きてくるだろうと思ったものの、 
          現在、その第81巻目にあたる『スティール・ボール・ラン』に 
          突入することになっている。 
          なんだか、『鋼の錬金術師』にはまったときを思い出したけれど、 
          それどころじゃない、というのが正直なところ。 
        先日、新訳の『カラマーゾフの兄弟』を読んだ自分を 
          よくもまあ読めたものだと感心していたのだけれど 
          (とはいえ、すごくおもしろく読めたのではあるが) 
          その長さだけではなく、質においても、 
          ある種、この『ジョジョの奇妙な冒険』は 
          『カラマーゾフの兄弟』をも超えるところがあるのではないか 
          とさえ思いながら読んでいたりもする。 
          (『カラマーゾフの兄弟』と比べるのはあまり適切ではないだろうけれど) 
        この作品については、それこそあらゆる角度から語り始めることができるだろう。 
          この特集号においては、漫画の歴史という文視点はもちろん、 
          マニエリスム的傾向をもった表現としての視点、 
          プログレッシブ・ロック、ユーロ・ロックといった音楽での視点、 
          水滸伝や八犬伝などと並ぶというような視点、 
          イタリア・ルネサンス美術の影響としての視点、 
          「コマ割り」についての「<ねじれる視点>と」<神の視点>の可能性」の視点、 
          もちろん、善と悪、そしてそれを超えるという視点、 
          などなどが盛りだくさんで、 
          『ジョジョ』初心者としては、目移りがして仕方がない。 
        しかも、この『ジョジョ』において、 
          対立的に描かれる「ディオ」と「ジョジョ」の「D/J」という 
          DとJは、実はぼくの本名のD.Jでもあることもあって 
          どうもこれは偶然じゃあないなと勝手に思いこんでさえいる。 
        それはともかく、今回『ジョジョの奇妙な冒険』にふれたことで 
          たとえば、上遠野浩平の『ブギーポップ』といった類の作品が 
          続々と生み出されたりもしているような背景がよく見えてきたところがある。 
          おそらくそれらの根っこにこの『ジョジョ』があってはじめて 
      それが水源となってさまざまな河が流れ始めているのだろう。  |