「ゆとり教育」が問題視され、
こんどは「学力向上」が教育の柱のようになってきている。
今、仕事で学力向上のフォーラム関連のプランを組み立てている関連もあって、
(どうしてぼくがそんなテーマに煩わされなければならないのだろうと思うが)
今日の新聞の、「全国学力テスト」に関する記事も読んでみた。
都道府県別の「平均正答質」についてのものもあった。
なんだかよくわからない調査だけれど、
おそらくそういう「学力」なるものが
重要問題になるような、そんな世界観があるのだろう。
まるでクイズ問題のような「学力」。
「応用力」といったって、クイズに変わりはない。
クイズに正解したいと思って、
正解できるならばそれに越したことはないが、
クイズに正解することに興味をもてない人の場合、
いったいどうしたらいいというのだろう。
世の中には、おそらく
そういう学力クイズの好きなひととそうでない二種類のひとがいて、
少なくともぼくは後者であることはまちがいない。
クイズへの正解力もおそらくないのはもちろんだけれど。
村上春樹はいっている。
学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なこ
とは学校では学べない」という真理である。
(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』
文藝春秋 2007.10.15.発行 P.67)
問題は、何が学ぶに値する重要なことかということだと思う。
学力クイズがそれに値すると考えるひとがいるのは
それはそれでかまわないのだけれど、
もしそうでないことのなかにもっと重要なことがあることを
見落としているとしたら大変なことだ。
もちろん、そうしたことは、
「全国統一」で比較できるようなものではない。
なぜ、そういう同じ基準ではかる必要があるのだろう。
おそらく実施された方には、そういう基本的な疑問が
存在していないのだろうという気がするのだ。 |