風のメモワール21

ビーバー:ミステリー・ソナタ


2007.9.26

寺神戸亮の『無伴奏ヴァイオリン・リサイタル』(COCQ-83734)のなかの
H.I.ビーバーの「パッサカリア ト短調」がとても気に入っていて、
そのビーバーの音楽を探してみようと思ってはいたのだが、そのままになっていた。
(音楽にかぎらず、「そのまま」になっているもののなんと多いことか!)
ちなみに、ビーバーは、1644年チェコ生まれのヴァイオリニスト・作曲家。

たまにふらりとのぞくCDショップで、
DENONのCREST1000のシリーズの割引セールを見つけたので、
めぼしいものをさらっていると、
寺神戸亮の『ビーバー:バイオリン・ソナタ集』(COCQ-70742)が見つかった。
このシリーズには、同じ寺神戸亮の未購入の『コレッリ:ヴァイオリン・ソナタ』や
『ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集』もあることがわかり、ちょっと小躍り!
1枚900円ほどで買える名盤というのは、なかなか。
このシリーズには、有田正広のものもずらりとならんでいて、
寺神戸亮のものも含め、ジャケットには有元利夫の作品が使われている。

さて、それが1ヶ月ほど前のことだったのだが、その後、
出張先の大きめのCMショップで、輸入ものを漁っていたところ、
上記「パッサカリア ト短調」の入っている
ビーバーの代表曲『ロザリオのソナタ』2枚組の廉価版(1,050円)も見つけ ることができた。
(BRILLIANT CLASSICS/93536 ワルター・レイター(vn) アンサンブル・コルダリア)
他の演奏者によるものは聴いていないので比較はできないが、
とても魅力的な曲集であり、演奏である。

ちなみに、このときに見つけて思わず買ってしまったCDが、
戸川純バンドの『TOGAWA FICTION』という2004年に発売されたアルバム。
3年も前なのに、まったく気づかずにいた。
なんか、やりたい放題のような、戸川純らしいノリのアルバム。
そういえば、2002年頃、戸川純の新しいアルバムが出るというので、
予約していたら、結局延々と発売が延びて、結局発売されなかったことがあった。
ちょうどその頃、戸川純の妹の戸川京子が自殺してしまった事件があった。

それはともかく、ビーバーの『ロザリオのソナタ』は、
17世紀ヴァイオリン音楽の最高傑作であるともいわれているそうで、
「キリストの秘蹟に基づく15のソナタと、パッサカリア」という副題もついている。

ネットで調べてみると、そのミステリーについて詳しく解説してあるページを発見。
http://cgi.kapelle.jp/classic/your_best/biber.html

『ロザリオのソナタ』には、きわめて多くのミステリーがあるらしい。
ソナタ第1番と最後の無伴奏でのパッサカリア以外は、
指定された特殊な調弦を行ってから演奏される必要がある、など。

面白いので、ちょっと長めになるけれど、そこからいくつかひろってみる。

  この曲集は1676年に作曲され、大司教に献呈されたと伝わっています。ところ
  が、現存する自筆譜には表紙が欠落しています。ビーバーがどんなタイトルをつ
  けて、どういう意図でこの曲集をつくったのか、その答えが失われています。ま
  るで両手がどのようなポーズをしていたのか分からないミロのビーナス、いえ、
  顔がないのだから、サモトラケのニケのようなものです。

  パッサカリアを除いたソナタには、各々曲の前に版画一枚一枚ついていました。
  それには、キリスト教での聖母マリアの生涯を、受胎告知からキリストの受難・
  復活、そして戴冠までの15の場面に分かれて描かれていました。

  何故最後のパッサカリアだけは「秘蹟」をつけなかったのでしょうか? この曲
  集についての文章の多くには触れられていませんが、パッサカリアには「秘蹟」
  の代わりに「子供の手を握る守護天使」の版画が添えられているのです。このた
  めパッサカリアは聖人暦10月2日の守護天使記念に因んでいると言う説もありま
  す。それにしても、どうしてこれだけ「秘蹟」ではなく聖人暦なのか、不自然さ
  は残ります。

  「ミステリー・ソナタ」は当時としては超絶技巧を駆使した曲集となっています。
  一曲一曲のソナタは単一楽章から、多くても5楽章で演奏時間は4分から10分足ら
  ずですが、全曲となると2時間前後を費やします。ところがそれだけでは済みませ
  ん。この曲集が特異なのはヴァイオリンの調弦にあります。

  通常の5度調弦(低音からGーDーAーE)で演奏されるのは、ソナタ第1番と、
  最後の無伴奏でのパッサカリアだけ。あとは指定された特殊な調弦を行ってから
  演奏されます。その調弦法をスコルダトゥーラと言います。例えば第2番は低弦
  2本を1音ずつ上げる。第3番はロ短調に調弦する・・等々。第11番《イエス復
  活》に至っては、「4本の弦のうち中央のD線とA線を交換して張り替えろ」な
  どというヴァイオリン弾きには卒倒するような要求をしています。

  極めて独自性豊かな曲集です。しかし演奏家からみれば実用性という点でははな
  はだ疑問符がつきます。運指法が異なっていて通常押さえて得られる音が出てこ
  ないことへの戸惑いは当然のことながら、1曲終わる毎に調弦をし直さなくては
  ならず、あげくは弦を張り替えることもしなくてはなりません。そのため一夜の
  演奏会で全曲弾くことは、曲間が調弦のために空きすぎて成り立ちにくいと思い
  ます。

  献呈したとき、ビーバーは大司教の前で全曲を通して演奏したのでしょうか?そ
  れを聴いた大司教は何と感じたのでしょうか?それとも演奏されることなく封印
  されてしまったのでしょうか?当時の記録はなく、永遠の謎となっています。