メモワール1に続いて、追悼。 
        すでに、トポスノート611で、その死のことは記したが、 
          2007年3月27日付・朝日新聞に載っていた追悼記事(吉村千彰)から。 
          年をとることを楽しみにしていた。反省することの豊かさが、 
            思考を深めていくと確信していたのだ。いつか、哲学的な論理 
            の言葉を超え、神話の言葉で「普遍と個別」「永遠と一瞬」を 
            書きたいと話していた。 
        陰ながら、ずっとどこか友情を感じ、応援していた人だけに 
          この人の死は、これからもずっと、ことあるごとに思い出すことだろう。 
          かなり極端ではあるが、この人の言葉は常にある種、的を貫いていた。 
          貫いているだけに、短命にならざるをえなかったのかもしれない。 
        「読者の反応はいつも真っぷたつに分かれた。 
          人生が変わったと歓迎する人、 
          さっぱりわからないとシャットアウトする人。」 
          と、この記事にあるが、 
          これを読んで「さっぱりわからない」というのは 
          基本的に思考のない人であることは間違いないだろう。 
          ある意味、池田晶子の言葉は「自由の哲学」に近しく、 
          それゆえに、読める人、読めない人を二分させていたのだろう。 
        「いつか、哲学的な論理の言葉を超え、神話の言葉で」 
          とあるが、まさにそれは、シュタイナーの一面でもあるようにも思える。 
      ぼくもいつもそういうふうに書いてみたいと思っている言葉でもある。  |