佐伯一麦のノルウェー滞在記ともいえる『ノルゲ』(講談社)に、
イースターの終わった頃、オスロコンサートホールで開かれた
メシアンの演奏会に足を運んだことがでてくる。
そこでピアノを弾いていたのは、
メシアンの妻、イヴォンヌ・ロリオだったという。
そこで演奏された音楽の曲名が小説のなかでは書かれていないので、
ふとおもいついて、佐伯一麦の『読むクラシック』(集英社新書)を読んでみると、
それが『渓谷から星たちへ』という曲であることがわかった。
現地では、ノルウェー語で書かれたプログラムがほとんど読めず。
曲名を知らないまま聴いていて、そのことを書くべく調べてみると、
それが『渓谷から星たちへ』だったということがわかったという。
曲名を知らないままで聴くことになった演奏は、まず冒頭神秘的な
ホルンの独奏ではじまった。すぐに打楽器群が鋭いリズムを発し、強
い打鍵でピアノが奏でられる。そして、風の音。
・・・・
音楽は、まさに宇宙的な響きを持って天上をぬけ空のかなたに飛ん
でいくようだった。微妙な和音が、ぴったりと純な響きを持ち、複雑
なリズムも、細かい音、特殊楽器、特殊奏法の鮮烈な音も、一つ一つ
がくっきりと縁取られ、個性を与えられ、空気のなかに放たれていく。
何歳になっているのかわからないが、イヴォンヌ・ロリオのピアノも、
老いの衰えを微塵とも感じさせない見事なものだ。
(『ノルゲ』P.351-352)
その『渓谷から星たちへ』は、まだ聴いたことがなかったので、
ちょうど数ヶ月前、CDショップの倒産品とかいうことで
超格安で売られていたメシアンの18枚組の輸入盤をとりだしてみた。
さすがに18枚組となると一気に聴くには多すぎてまだ半分も聴いていない。
探してみると、16枚目〜17枚目に収められていた。
ちょうど、ピアノ演奏もイヴォンヌ・ロリオである。
聞いてみると、佐伯一麦の書いてあることが実感される。
こんな音楽をコンサートホールで生で聴けたら、
一生忘れられない体験になるだろう。
目を瞑ってメシアンの色彩あふれる音を聴いていると
今自分がどこにいるのかわからなくなってくる。
少なくとも小さな部屋のなかにいる感じがなくなってくる。
ぼくは今どこにいるのだろう。
実際、すぐれた音楽を聴いているときのぼくは、
たしかに、どこか別の場所でさまざまなかたちと振動となって
存在しているように思えてくることが多い。
そしてそういう体験を持ち得ない時間が続くと
ぼくのなかである種の渇望が起こってくる。
ぼくは今ここに重いからだをもって生きているのだが、
それだけに縛り付けられてしまうと、とても生きていけない、と。
音楽の素晴らしさも、またときに危険性もそうしたことにあるのだろう。
しばらく、ぼくのメシアン週間になりそうだ。 |