風のメモワール15

羽化


2007.8.29.

   いまの宇多田ヒカルは切なさも喜びもその胸に抱き、
   当たっては砕ける覚悟ができている。その精神的に
   突き抜けた楽曲としてそれ自体が屹立することにな
   りそうな、そんな予感が漂っている。
   (UTATA HIKARU
   「悲しいか、明るいかって、もうすごく紙一重じゃない?」
    文=小野田雄 Invitation 2007年10月号/P.99)

宇多田ヒカルのニューシングル
「Beautiful World/Kiss&Cry」が発売された。
とくにファンだというのでもなく、ろくにこれまで聴いてさえなかったりする。
最近わりと目を通している雑誌Invitationの新装版の記事を読んで、
興味をひかれたに過ぎないのだけれど、心にちょっとばかりドキンときた。
それで、聴いてみる気になった。
ついでにこの2月に発売になっていた「Flavor Of Life」も。

心がさわいできた。
どうしてだろう。
ぼくのなかで眠っていたかもしれないなにか。
それが、最近、少しずつ起き上がってきたかもしれないという感覚と
なぜそれを自分のなかで半ば封印のようなことをしてしまったのだろうという思い。

性格分析などにもつかうエニアグラムというのがあるが、
人はある傾向性をもっていてそのすべてが育っていることは稀であるようだ。
しかし、イエス・キリストはそのすべてをもっているという。
愛の人が、ときには神殿で暴れたりもする。

思考と感情と意志の全面的な開花、
自分のなかの十二星座の開花、
胆汁質と多血質と憂鬱質と粘液質の全面的な開花・・・
といってしまうとちょっと違うかもしれないが、
人は往々にして自分のなかのある部分を
意図的かもしれないほどに、成長させないままきていたりするように思う。
ぼくのなかのさまざまも、いまだ赤ん坊のような部分がたくさんあって、
それが封印を解かれるのを待っているように思えるときがある。

トリガーが引かれる。
しかし、その引かれるときに、
ちゃんと起動できるプログラムを自分のなかで育てているか。
つまり、蛹のような状態というのは、
なにも動いていないように見えても、羽化するための準備である。

さて、いまのぼくは、はたして
「切なさも喜びもその胸に抱き、当たっては砕ける覚悟ができている」か。
「精神的に突き抜け」「屹立すること」のできるなにかをもっているか。

その点もほかの部分でも、ぼくはいまだ蛹かもしれない、
いや蛹の部分だらけなのだけれど、
人はずっと蛹のままではいられない。
少なくとも、ぼくのなかの蛹の部分に
ときに呼びかけてみなければならないときがある。
ぼくのなかの切なさや喜びを胸に抱きとめることのできるだけに
ぼく自身が成長し得ているだろうかと。