フランク・ロイド・ライトの名前をはじめて知ったのは、 
      サイモン&ガーファンクルのシングルレコードだった。 
      「コンドルは飛んでいく」のB面に収められていて、 
      むしろそのB面のほうが好きでよく聞いていた。 
      「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」である。 
      その歌詞から、建築家であることはわかったが、 
      その後、数十年間、結局、フランク・ロイド・ライトのことは 
      ほとんど知らないままで今に至っていた。 
        草森紳一(写真・大倉舜二)の 
          『フランク・ロイド・ライトの呪術空間/有機建築の魔法の謎』 
          (フィルムアート社 2009.7.25発行)が、 
          草森紳一の著書ということで目にとまって、 
          その数十年間が一気に縮まって、その歌が記憶の底から甦ってきた。 
          草森紳一は昨年亡くなったので、最近の遺稿かと思っていたら、 
          『SD』(鹿島出版会)に1984年から1985年にかけて連載されたもの。 
          最後に「追悼的・跋」という解説的なものを大倉舜二が書いている。 
        読み始めたが、そもそもフランク・ロイド・ライトがどういう人なのか 
          またどういう建築物を造っていたのかについてあまりにも無知だったので、 
          エイダ・ルイーズ・ハクスタブル『未完の建築家 フランク・ロイド・ライト』 
          (TOTO出版 2007.5.30発行)という、 
          比較的偏ってなさそうな伝記ものを読んでみて、 
          フランク・ロイド・ライトという人物の強烈な個性に驚かされた。 
          というより、そのあまりにも破天荒なまでに我を通す生き方にもかかわらず、 
          その建築表現というか、建築に対する姿勢、天才的な想像力・・・。 
          「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」の静かでさわやかなイメージからは 
          ちょっと想像できないほどの強烈さに感嘆させられた。 
        今になって、そういえば、だけれど、 
          「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」の歌詞のなかに、 
          いろんな建築家が現われては消えていくけれど、 
          あなた(=フランク・ロイド・ライト)は決して 
          そのpoint of viewを変えないでください・・・ 
          といったところがあった。 
          伝記を読んでみて、なるほど、という感じがする。 
        ところで、フランク・ロイド・ライトの最後の奥さん、 
          オルギヴァンナはグルジェフの共同体で過ごしたこともある人物で、 
          「厳しい規律のもとで肉体と精神の苦行を体験したオルギヴァンナは、 
          今後ライトとともに歩む人生の荒波に耐えられるだけの強さを 
          十分身につけていた」というのはとても興味深いところだった。 
        シュタイナーの『内的霊的衝動の写しとしての美術史』で 
          ゴシック建築について興味を持って以来、 
          そのゴシック建築を窓口に、このところ建築関係のものを 
          いろいろ見てみるようになっているのだけれど、 
          そのなかでもこのフランク・ロイド・ライトというのは 
          とても不思議で魅力的な建築家で 
          しばらくはその発想というかpoint of viewの謎に 
          つきあってみようかと思っている。 
        ちなみに、ちょうどCASA BRUTUSで 
          安藤忠雄やル・コルビュジェの特集本が出ていたりもしていて、 
          建築関係のものにさまざまに目移りがしているところなのだが、 
          そうしたなかで、「建築」のなにがしかの理念が 
          ぼくのなかで位置づけられるようになれればと思っている。 
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