風のメモワール143
鈴が鳴る
2009.7.1

もうすぐ(7月8日)、EPOの新譜『AQUA NOME』がでる。
8年ぶりのアルバムだという。
アルバムの最後の曲「Glory」を
インタビューもふくめYou Tubeで聴くことができる。

そのなかで、
「あなたが歌うと、その歌で鈴を鳴らす人がいっぱいいる。
歌うことで、それを聴いた人のなかに鈴が鳴る。その鈴を集めなさい」
というメッセージをもらった、
という少し不思議な話があって印象に残った。

EPOの音楽をずっと聴いてきたわけではないが、
その声を聴きたくなるときがあって、
先日も「DANCE」というアルバムを聴きなおしたところ。

人の声というのは、やはり最高の楽器だということを実感することがあって、
そんなとき、その歌でそれを聴くぼくのなかでは、
さまざまなものが鳴っているのだろう。
EPOの場合は、たしかに「鈴」のような感じ。
ときにどうしても受けつけない声というのがあったとき、
その声はぼくのなかで鳴らしたくないもの、共鳴させたくないもので、
個人的にいえば最悪の楽器になってしまうのだろう。
ときに偏見があって、食わず嫌いをやめたときに、
ぼくのなかでまだ鳴らしたことのない部分が鳴り始める、
ということもあるのだけれど。

さて、このところ、このEPOのほかにも
すでに、うれしい新譜がでている。
ハナレグミの『あいのわ』、
そして、椎名林檎の『ありあまる富』『三文ゴシップ』である。
どちらもぼくのなかのある部分を鳴らしてくれる大切な歌。

ハナレグミの永積タカシの雑誌でのインタビューの話のなかに
今回「あい」という言葉をはじめてつかった。
意外なことに、これまではあえて「あい」という言葉を
使わないようにしてきたという。
そういえば、ありそうでなかったような。

たしかに「あい」という言葉はあまりに安易に氾濫しすぎているし、
それを使うことに気恥ずかしさやためらいがぼくにも常にある。
使うときは、あえてそうしたことをふまえたものを
そこに込める必要があるように思っている。