風のメモワール142
「すごいなぁ」と言えること
2009.6.24

「ほぼ日」の伊丹十三特集が面白い。
http://www.1101.com/itami/index.html
伊丹十三については、「風のメモワール6」で、
松山の「伊丹十三記念館」に出かけた話を書いたことがあるが、
伊丹十三が松山にいた高校生の頃のことについて、
『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)の解説を書いている関川夏夫は
こんなふうに書いている。

  『ヨーロッパ退屈日記』は、その「退屈」に至る道程を、退屈ならざる
  巧みさで表現した傑作であった。才能が必然たらしめた退屈原点は、こ
  の本にみごとに映し出されているように、松山における十七歳の一年間
  であった。輝ける退屈の一九五一年であったが、彼は生涯を十七歳のま
  ま生きたのだともいえる。

才能のある人というのは、そういうものなのだろうなと漠然と思う。
ぼくのような凡か凡以下は、もちろんそうはいかない。
ぼくが生涯を十七歳のまま生きたとしたら、とんでもないことである。
今でさえなにもはじまっていないというのに、
十七歳ということになると、どうにもならない。
yuccaにさえ会っていなかった、ただの悩める少年でしかない。

ちょうど、「ほぼ日」の「今日のダーリン」に
こんなことが書かれてあった。

  「すごいなぁ」がちゃんと言えるようになるのが、
  ある意味で、ぼくの人生の目的かもしれないです。
  じぶんにできないことだらけの世の中で、
  それが「すごい」ことさえわからないまま、
  やりすごしたりなめたりしていることが多いんです。
  でも、じぶんの側の経験が増えていったり、
  学んだりすることが多くなったりするにつれて、
  「すごいなぁ」と言えるようになってくるみたいです。
  (ほぼ日「今日のダーリン」2009.6.24より)

そういえば、この歳になって
ようやく少しだけできるようになったことも、
この「「すごいなぁ」がちゃんと言える」
ということなのかもしれない。

十七歳の頃の自分は、もちろんさまざまな権威や
常識化された上下関係など、好きになれるわけもなく、
だからといってアンチ権威に溺れるほど馬鹿にもなれず、
ではどうなのだということになると、
実際のところは空っぽにすぎないのだった。
でも、自分が空っぽであるということを認めるのは
(うすうす気づいてはいたものの)あまりに情けなかった。
もちろん、その後も基本的には似たようなものであることに
違いがあるわけではなかった。

自分にはとうていわからないことだらけのこの世界。
せめて自分をどこか特別なところに
位置づけた気になっていなければ、生きていけない。
だから高校生の頃といえば、
ある意味で、いつも死と隣り合わせだった。
死がどういうことなのかさえわからないまま、
ただ、虚勢のようなものにしがみついて
自分をかろうじて生き延びさせるしかなかった。
もともとぼくの性格として
何かとの比較で自分をとらえるとかいうことが
あまりなかったことも、
自分をどうすることもできない一因で、
自分をどの座標軸上に置けばいいのかわからないし、
どこにも自分を位置づけたくなんかない、という天の邪鬼もある。
要するに、矛盾だらけのハチャメチャにしかならない。

しかし、自分をどこかに位置づける必要はないけれど、
自分という器がからっぽであることからはじめないと
その器に注いでくるものを受け入れることはできない。
これはある種の真実だなあと今になってみるとよくわかる。
自分に蓋をしてにらんでいても消耗するばかりである。

やっとそこらへんのことに少しだけ気付くことができたところがあるので、
最近は、いままでよりもずっといろんなことを楽しめるようになっている。
もし楽しめないことがあるとすれば、
自分はそこに蓋をしているということなのかもしれない。
そう考えてみれば、ぼくの蓋のなんと夥しいことか。
嫌なことでも、ひょっとしたら、そこがいちばん
「すごいなぁ」と言えるようなことなのかもしれないのに。

伊丹十三の話をするつもりが、別な話になってしまった。
要は、自分が最初からすごい人から出発してしまった人が
その後迎えることになるであろうさまざまな苦難のことは
ぼくの想像を超えているところがあるけれど、
あまりにすごくないぼくのような人間には
少なくとも「すごいなぁ」と言える余地は
もう無限に近いほどあるだろうということである。
これはたぶん、凡でしか味わえない幸せなのかもしれない。