風のメモワール139
村上春樹『1Q84』
2009.6.5

村上春樹の新作『1Q84』がスゴイ勢いで売れているらしい。
『ノルウェーの森』のときのビートルズの曲のように、
今回は、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』が
小説のはじめに使われていて、そのCDも売れ始めているようである。

ぼくは『羊をめぐる冒険』の頃から、
新作がでると必ず読むようにしたいるのもあって、
今回も楽しみにして早速読んでみた。
『シンフォニエッタ』も
手元にサイモン・ラトル指揮のCDがあったので、
そうそうこんな曲だった、と思いながらを聴いたりして、
それなりに楽しんで読めはしたのだけれど、
読み進めるうちにどこか違和感のようなものを感じてしまった。

村上春樹のすぐれてリズミカル?な文体のおかげもあって、
2巻・1000ページほどからなる小説を読むのも
それはそれで楽しくはあったのだけれど、
読み終えたときに正直感じたのは、
これはいったいなんだろう!?という疑問だった。

B00K1・BOOK2それぞれに
まるでバッハの平均律のような感じで12章から成るとか、
(バッハの平均律は各巻24の調の前奏曲とフーガから成るけれど)
ジョージ・オーウェルの『1984』をもじっているとか、
村上春樹のこれまでの作品の、
たとえば『羊をめぐる冒険』と『世界の終わりとハードボイルとワンダーランド』、
そして『ノルウェーの森』(個人的にはこの小説は好きじゃないけれど)の要素に、
『アンダーグラウンド』『約束された場所で』から得たであろうテーマを加え、
ある意味でこれまでの作品の集大成的なものであるとか、
いう面白さはあるのだけれど、
それらの要素がどこかうまく統合されていない感じを
随所で感じたし、なによりも読んだあとに浮き上がってくはずの、
なにか説明のつかない魅力あるテーマがどこにもみあたらない。
小説の細部にでてくる「よくお勉強しました」的な要素もどこか違和感を感じる。
あまりにもつくりものめいて(それを意図したのかもしれないけれど、
フラストレーションになってしまう。
ひょっとしたら、ぼくの過度の期待感が空回りしているというのもあるかもしれないが。

村上春樹にして、壮大な失敗作かもしれない、と
ぼくのなかでは勝手に思っているところである。
おそらく、これだけ書ける人だからこそ書けてしまうことから
逃れられなかったということなのかもしれない。
書きすぎというのは、往々にしてこういうことになるのかもしれない。
次作に期待、ということなのだけれど、
ううむ、村上春樹の作品イメージがここに来て、ダウン・・残念。
そういえば、村上春樹の作品は、どれも
「どこにも行けないこと」がテーマになっていたのかもしれない。
そのことが、効果的にではなく、違和感をもって伝わってくる。

「どこにも行けないこと」ということについて、
ぼくもかつては、それそのものに浸っていたところもあるのかもしれないけれど、
もうそろそろ、そういうのはいいや、って思うようになっているのも、
今回、ちょっと失望したひとつの要因なのかもしれない。

それにしても、今回の『1Q84』は、
マーケティング的には大成功のようである。
内容を隠して、タイトルのひねりかたも含め、
読者に期待感を持たせた、とかいうのが勝因かもしれないけれど、
(ジブリの『千と千尋』もたしか、事前の広告を控えた売り方をしたらしく、
これは内容や完成度もあってうまく機能したように思えるが)
マーケティング的な成功を意図したプロモーションを仕掛けるときには、
むしろそれが最終にはあだになってしまうことになるのかもしれない。
まあ、とりあえず、これで本を読むきっけかになるというのであれば、
それはそれでそれなりの役目を果たす作品ではあるのだろうけれど。