風のメモワール136
路上のソリスト 〜友情について
2009.4.27

スティーヴ・ロペス『路上のソリスト』(入江真佐子訳 祥伝社/2009.5.1.発行)
副題「失われた夢 壊れた心 天才路上音楽家と私との日々」。
映画化され、日本でもこの5月に公開される。
http://rojyo-soloist.jp/

友情のドキュメントである。

ロサンゼルス・タイムズのコラムニスト、スティーヴ・ロペスは、
路上でバイオリンを弾いているホームレスの黒人男性、
ナサニエル・アンソニー・エアーズに出会う。
ナサニエルは、かつてジュリアードで学んでいたが、
統合失調症にかかり退学してしまった。
それから30年以上、音楽への情熱だけは手放さないできた。
そのナサニエルについて書いたコラムが話題を呼び、
またロペスは彼への友情から、翻弄されならがも、
なんとか最善の結果がもたされることを信じながら
彼に関わり続けている。
出会いから4年目ということだが、
本書はその最初の2年間を描いたものだということである。
この物語は現在進行形で、
「この先どうなるのかはわからない」が、
「わたしにいえることは、ここでやめるわけにはいかない、ということだけだ」。

   わたしがミスター・エアーズのことを新聞のコラムに書きはじめてから
  間もなくして、彼は単にコラムの題材であるだけではなく、わたしの友人
  になった。彼を助ける方法を探すことがわたしの使命になった。その間さ
  まざまな成功や挫折を経験したが、その途中で、わたしが彼を助けている
  のと同じくらい、わたしも彼に助けられていることに気づかされた。彼を
   通じて、わたしは忍耐と希望、真の友情と粘り強さというものを学んだ。
  (日本語版のためのあとがき/2009年3月13日)

統合失調症の原因はよくわからないが、
もしぼくが、自ー他の境のあいまいなまま、完全に内向し、
自我の力の希薄なまま、思考、感情、意志を制御できなくなったとしたら
そういう状態になってしまうのではないかと思う。

人格の統合性を失ってしまうと、
人が人であることの基本条件を失ったように見えてしまう。
安定しているときはかろうじて保っている人格が
突然その調和を失い、暴風雨のなかダムが決壊して水を放流したような、
そんな状態になってしまう。
そんな状態がいつ訪れるともわからないとすれば、
人間関係を安定的に保つのは非常に難しいだろう。

著者のスティーヴ・ロペスも、
何度も何度も希望と絶望の繰り返しのなかで、
ナサニエルへの友情から、なんとか踏みとどまって、
しかも、彼を助けるというだけではなく、
彼に助けられていることに気づくことで、
その友情を深めていく。
そのドキュメントは感動なしでは読めない。
読みながら何度も何度も涙をこらえるのがつらくなったほど。

印象的なシーンをメモしておきたい。

   ナサニエルが引っ越して間もないある日のこと、わたしが彼のアパート
  から帰ろうとすると、彼がわたしを呼びとめ、片手を差し出した。長く、
  しっかりした握手をした後に彼はにっこりと微笑んだ。
   彼の目を覗き込むと、そこにはあのせわしない目の回るような狂気の裏
  側にずっと隠れていた男の姿があった。父親を失った息子、チャンスを失
  った音楽家の姿が。
   そう、わたしたちはたしかにいわゆるまともな会話というものはあまり
  してこなかった。だが、まともって何だろう?
   わたしは彼の手をぎゅっと握った。わたしたちのどちらもひとことも話
  す必要など感じなかった。
  (P.299)

   ミスター・エアーズが彼の心に印象に残っている当時のいくつかの演奏
  を引き合いにだしても、マがジュリアード時代の彼のことを覚えているか
  どうかはっきりしなかった。だが、マは熱心に彼の話に耳を傾け、それか
  ら腕を伸ばしてミスター・エアーズの肩を抱いた。
  「あなたに会ったことがどういう意味を持つかを、いいますよ」とヨーヨ
  ー・マはミスター・エアーズの目をまっすぐに見つめていった。「それは、
  ほんとうに、心から音楽を愛している人と会ったということなんです。わ
  たしたちは兄弟なんですよ」
  (P.389-390)

人間が人間であること。
それをもっともよく象徴してくれるのが
この「友情」というものなのだろうとぼくは思っている。
愛するということは、相手を真の友とすることだとぼくは思う。
同性であろうと異性であろうと、この友情のない関係は、
お互いを高め合うということができないまま終わるのだろう。
お互いを高め合うということは、相手を尊敬するということだ。
それこそが、どんな絶望に見えるものをも希望へと変容させる力となる。

さて、スティーブ・ロペスのHPで、実際のロペスとナサニエルを見ることができる。
映画の紹介もここで見ることができる(もちろん、英語のページだけれど)
http://www.stevelopezonline.com/